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捜査

8月最後の週末。

開店準備もある程度終えた19時過ぎ、海斗はその日の同伴、来客予定リストを確認していた。

同伴予定の欄にサラさんの名前も見える。

明後日のパーティには海斗が一緒に行くこととなった。最初サラさんはは微妙な表情をしていた。

しかし、事情を知った優矢君が海斗に車を貸してくれる事になり、それを伝えると途端に表情を明るくし、それならいいよとなった。

海斗は心の中でゲンナリしてしまった。


キャバ嬢とは女としての価値を高めるのが仕事。

ではその価値とは何なのか。

テレビでも社長夫人のセレブな生活や豪邸が特集され、レポートする芸人やスタジオにいる芸能人が凄いですねと持て囃す。

毎日美容院、ネイル、エステに行って美貌を保つ。

高級外車に乗り、派手な生活を送る。

女としての魅力を男に認められ、その生活を手に入れる。そして捨てられないようにその価値の維持に努める。

サラさんがそんな生活や立場を羨む気持ちもわかる。

けれど、女性の価値や魅力ってそれだけなのか。そんな薄っぺらいものの為に成功者の男が金を注ぎ込むのか。一代で財を成した有能な人がそんな人ばかりでは無い。

しかし、テレビではその社長夫人の本質的な有能さを報じない。もしくはそれを感じさせない作りになっていることが多い。

バカな女を演じる事で、旦那である社長への妬みを和らげている。こんな金のかかる女を妻に持って大変ですねと同情をかう。自分を下げることで相対的に旦那を持ち上げる。

そしてその社長夫人は旦那を一番に考えている。

巷の主婦は子供が一番で旦那の事をATM扱いする話をよく聞く。もしくは子供と結託して旦那をバカにする。

けれど、社長夫人はそんな事はしないはずだ。ちゃんと自分の立場をわきまえている。旦那を立てて、自分も捨てられないように努力する。


仕事がバリバリ出来る女社長と同じくらい、バカな社長夫人を演じるのには才能がいる。

金に目が眩み、旦那をATM扱いする様な本当のバカ女には務まらない。


サラさんはいつから勘違いしてしまったのか。元々表面的な憧れが強かったのかもしれない。

海斗はこれから先のことを考えると暗澹たる思いがあった。


そんな事を考えつつも、頭を切り替えてこの日の営業に集中しなければならない。

近くにいた山田君とキャッシャー前で来客予定の確認をしていると店の電話が鳴る。

キャッシャー内にいた坂東マネージャーがその電話を取る。


「お電話ありがとうございます。クラブニューアクトレスです」


いつものように電話対応をしていたが、途中から深刻そうな表情と声色に変わる。山田君とリストの確認をしていた海斗もその雰囲気の変化に反応し、チラチラと様子を伺う。


坂東さんは暫く会話を続けた後、電話を切る。電話を切った後も腕を組んだまま無言で受話器を見つめる坂東さんが気になり、海斗が聞く。


「何かあったんですか?」

「ああ、埼玉県警から電話があった」

「埼玉県警?また何でそんな遠くからうちの店に?」

「よくわかんねぇんだけど、捜査協力してくれだとよ。ツカサの事を聞いてきた」

「ツカサさん?って俺が担当だったあのツカサさんですか?」

「そうだと思う」


思わぬ場所からの電話とそこに出てきた名前に海斗が驚くが、坂東さんは難しい顔で頷く。


ツカサさんは海斗の担当キャストだったが、今年の初めに、同伴トラブルに巻き込まれ、そのまま店を飛んでしまっていた。

その後ツカサさんが何をしているのか誰も知らないはずだった。

その時、再び電話が鳴る。一瞬、海斗と目を合わせた後、坂東さんはゆっくりと受話器を取る。


「クラブニューアクトレスですが…、あ、はい。そうです。はい。ちょっとそれは個人情報なのでお答えするのは難しいですが、所轄の警察署には提出しています。そちらで確認いただけないでしょうか。それから…あれ?切れた」


またしても警察からの電話だったようだが、何とも話が噛み合わないまま、勝手に電話が切れてしまったようだ。

坂東さんは不機嫌なまま受話器を置く。


「ちっ、何なんだ。ホントに…」


坂東さんが悪態をついた瞬間、また電話が鳴ったので面倒そうに受話器を取る。

あまりのしつこさに流石の坂東さんもぶっきらぼうな電話対応となる。


「はい。そうですけど。何度も何度も何なんですか?捜査協力はわかりましたって。だけどちゃんと話してもらえないと、協力も何もできないでしょう。あ?なんだその言い方は!こっちも業務中なんですよ!つーか、お前よお、警察だかなんだか知らんがそれが人に物を頼む態度か!もっと話のわかる上の人間がかけてこい!バカヤロー!」


最後はブチ切れてしまい、ガチャンと叩きつけるように電話を切った。


「あー、ムカつく!ほんとあいつらの選民意識には虫酸が走る。警察って名前を出せば一般市民が萎縮して言いなりになるとでも思ってんのか。街のお巡りさんはいい人が多いけど、刑事って奴は公権力を笠に着た虎の威を借る狐そのままだな」


そう言って坂東さんは何事も無かったかのように営業用のレジ金の確認作業に入る。


しかし、10分程してまた電話が鳴る。またしても警察らしかったが、今度はちゃんと話のわかる人だったようで、坂東さんも穏やかに対応していた。


「はい、はい。捜査機密の関係で、なるほどそうだったんですね。最初からそう言ってくださいよ。こちらも失礼をしました。確かにツカサはうちの店に在籍していた事実はあります。けれどある日、店を無断欠勤してそのまま音信不通です。すでに当社の規定に則って除籍となっております。担当ですか?担当はまだこの店に在籍していますが、今外出中です。5分後には戻ります。お手数ですが再度掛け直して頂けますか?」


目の前の担当ボーイである海斗を見ながらシレッと嘘をつく坂東さん。そのまま電話を切った。


坂東さんが聞いた話によると、どうやらツカサさんが何かしらの事件に関わっているか巻き込まれているらしい。その裏取りの電話のようだ。


「また、電話がかかってきたら海斗に代わるかもしれない。けど、ツカサの事で何か知っていることがあっても下手な事は言うなよ」

「わかりました」

「あ〜、なんか面倒くさいことになりそうだなぁ」


坂東さんはそうぼやきつつ、キャッシャー内のキャストの履歴書などの資料が入った戸棚をゴソゴソと漁り始める。


今日何度目かの電話が鳴り、坂東さんが資料を片手に電話に出る。暫く会話が続いているが、お互いが探り探り話をしているので、全然話の内容が先へ進んでいかない。痺れを切らした坂東さんは提案する。


「わかりました。組織犯罪対策課の佐々木さんですね。確認の為にこちらからそちらの警察署に電話を入れます。それで確認が取れましたら捜査協力をさせてもらいます。よろしいですか?」


そう言って電話を切り、パソコンで警察署の番号を検索した後、掛け直す。取り次ぎののちに、その佐々木という刑事に繋がったようだ。本物の刑事だと確認が取れる。

渋々、坂東さんがツカサさんの資料を見ながら、捜査している人物とツカサさんが同一人物であるのかの確認作業を行っていた。

ある程度話した後、


「担当のボーイも店に戻ってきましたので代わります」


と言い、海斗に子機を渡す。


「お電話代わりました。筑波と言います」

「お忙しいところ、申し訳ありませんねぇ。お伺いしたい事がありまして…」


意外なほどの腰の低さにビックリしたが、先程坂東さんが正論でブチ切れたのと、その後態度を改めて穏やかに対応したのが効いているらしい。


「筑波さんはツカサという女性の担当者とお聞きしましたが、間違いありませんか?」

「はい間違いありません」

「そのツカサという人物の本名は◯◯という名前で間違いありませんか?」

「はいそうです」


確かにこれでは一向に話が進まない。営業前の準備で忙しい時間にこんな電話をされたらキレたくもなるな。しかも最初にかけてきた人物はこれに加えて高圧的な態度だったらしいし。


そんな事を考えながらも聞かれた事に受け答えをしていると、この件の核心に迫る事を聞かれた。


「相良という人物をご存知ですか?」


「相良ですか?知りませんが…」


「あれ?おかしいですね。相良はツカサという女性の指名客との情報がありますが」


「なにぶん、だいぶ前に辞めた従業員ですし、何があったのかもう少しお話ししていただかなければ、こちらとしても話せる内容は限られてしまいますが」


「そうですか。しかし、捜査情報は機密事項ですのでその辺もご考慮下さい。あのー、もう少し詳しく話していただけないでしょうか?でないと強制捜査の令状を持って伺う事も検討せねばなりませんが…」


こいつらは本当に汚い。令状を印籠のように振りかざす。が、その面倒くささは一定の効果を発揮する。それでも海斗は食い下がる。


「令状は勘弁してくださいよ。私どもは庇ったり、隠し事をしている訳ではありません。ただ、商売柄、キャストのプライベートな情報の漏洩に細心の注意を払わなければならないのをご理解下さい。ストーカー被害などの事を考えると、そう軽々しくお教えは出来ないんですよ。ストーカーの加害者が警察官って可能性もありますし。捜査協力の名の下にツカサの個人情報をお教えして、それがそういった事件に繋がるとも限りません。水商売の女性が警察にストーカー被害の相談をしても、男を騙すような商売をしているから当たり前だと言ってまともに取り合ってくれないことも多いんですよ。なのでキャストのトラブルを未然に防ぐ努力を怠る訳にはいきません。それがたとえ警官を名乗る人物だったとしてもです」


「ん〜、なるほど。ではこれだけでも教えていただけないでしょうか。ツカサという女性が相良と知り合ったのはこの店がキッカケだと言っているのですが、その事実はどうなんでしょうか?」


「だから何とも言えませんって。重大な事件の捜査協力だとちゃんと分かれば一般市民の立場として協力もできますが、今のままだと事件の捜査なのか刑事さんの個人的な要望なのかわかりませんよ」


「そうですか…。ちょっとお待ちください」


刑事はそういった後、受話器越しに何やら他の人と相談しているようだった。


その時間を使い、海斗も考える。

相良とツカサさんがまだ繋がっていた事にも驚いたが、なぜツカサさんが警察にウソをついたのか。

実際には相良とツカサさんは店で出会ったわけではない。なのにそうしなければならない何かがあるのだ。ツカサさんの不利になるような事を口走る訳にはいかないという想いがある。

けれども、警察の口振り、雰囲気からただの軽犯罪とも思えない。

なので一歩間違えれば本当にこの店も捜査の対象となりかねない。

警察の情報を少しでも聞き出し、慎重に話を進めていかなければならない。

そんな事を考えていると、刑事がまた話し始めた。


「筑波さんのお立場はよくわかりました。捜査情報に関して他言しないと約束してもらえますか?」


「軽々しく人に話さないのはこの商売の基本ですから、約束は守りますよ」


海斗のその言葉に暫く無言が続いたあと、また刑事が話しだす。


「本当は違反なのですが、辞めてしまった従業員の情報にもこんなに慎重な対応をされている筑波さんを信頼してもう少しお話しします。その代わり知っている事を話して下さい」


「わかりました」


こんな電話対応だけで信頼出来るとか訳がわからない。どうせ大した事じゃないのに、些細な情報すらも出さないのは警察の隠蔽体質そのもの。基本的にどんな事も隠しておけば不祥事もバレにくい。

話すと言っても核心をボカされるに決まっている。そうなればこちらも相応の受け答えをするまでだ。

そうタカを括っていた海斗の耳に飛び込んできたのはかなり重めの衝撃だった。


「今ですね、オレオレ詐欺の出し子の容疑でツカサさんを逮捕しました。その証拠の裏取りの過程で相良との接点が上がっているんです。その捜査の電話なんですよ。相良に関して何かご存知ないですか?」


「ツ、ツカサが出し子…ですか。…残念です」


一瞬、思考が止まる。これはまじでヤバい案件だ。警察の本気度がヒシヒシと伝わってきた。


「いいですか、ここまで話しを聞いておいて、不審な受け答えしかしてもらえなければ、筑波さん自身やあなたのお店も調べなければならなくなりますよ」


電話越しの警察の圧力に海斗は判断を間違えないように慎重に話す。


「ツカサは店ではとても真面目でした。私には全く思い当たる節がありません。それにうちの店は顧客の管理を徹底しています。なので相良という名前の指名客やそれに似通った風貌の指名客は来店していませんし、そういった方は入店前にお断りしています。ツカサはうちの店以外にも働いていた経験があります。なのできっと他の場所で知り合ったんだと思いますよ」


「そうですか。お話し頂き有難うございます。また、何かありましたらよろしくお願いします。それから、この事は他言無用でお願いしますよ」


「……はい」


そして電話が切れた。海斗は子機のボタンをそっと押し、電話をキャッシャーに戻す。


「ちょっと外でタバコ、吸ってきます…」

「おう。営業が始まるまで休んでてもいいぞ」


坂東さんは何も聞かず、海斗が外に出るのを許可した。


非常口の扉を開け、階段でビルの屋上に出る。

タバコに火をつけ、そこから見える夜の繁華街のネオンを見つめる。


結局ツカサさんを守れなかった。無理だった。組織犯罪に加担した容疑者を庇ったりしたらどんな火の粉が降りかかるか想像もつかない。


増田さんの言葉がよみがえる。


「口だけの正義」


あの時のぶん殴られた痛みと、自分の不甲斐なさを思い出す。

先程の俺の証言でツカサさんのウソがバレてしまい、ツカサさんには不利に働くだろう。

きっとツカサさんと相良が個人的な付き合いではなく、キャバ嬢と客という関係性で居なければならない理由があったのかもしれない。

けれど、店や他のキャストに迷惑はかけられない。

犯罪の内容を聞いて即座にツカサさんを切り捨てる判断を下した。

けれど、辞めた人間だといっても海斗の担当だったキャストには変わらない。


北海道から上京してきて、セクキャバからキャバクラに転身したが、上手くいかなかった。うちの店で仲が良さそうなキャストもいなかったし、すぐに身体を触らせるツカサさんは他のキャストから嫌われていた節もある。

だからなのかはわからないが、キャストから直接文句を言われないように、危ない交友関係をチラつかせて自分を守っていた。

そんなやり方をしているうちに、ヤクザにつけ込まれ、生活を捨てて逃げるように都内を去った。

なのに結局その原因となったヤクザとの関係だけは切れずに利用され、最後は犯罪者となってしまった。


何もしてやれなかったんじゃない。海斗がツカサさんから離れただけだ。


あの時、どこかへ行ってしまったツカサさんを本気で探すことはしなかった。

増田さんや北条組、後藤組に睨まれてでも見つけ出していれば、今頃違う結果になっていたんじゃないだろうか。


けど、今更、後の祭りだ。あの時点ですでにツカサさんを見捨てていたのだから。

増田さんたちがよく言う、


『裏社会との付き合い方は自己責任』


という言葉。


そう言われても、20代前半の若者達にとってその判断はとても難しい。


「お、いたいた。おーい海斗〜」


呼ばれて振り向くと増田さんがいた。

ニヤニヤと悪い笑顔で近づいてくる。


「なんだ、坂東が泣いてるって言うから見に来たのに、泣いてねーじゃん」

「泣かないっすよ」


海斗の隣に並んだ増田さんもタバコを取り出し、屋上の柵に肘を乗せ夜の繁華街を見つめながらタバコを吸う。


「ツカサの奴、捕まったんだってな」


おもむろにそう言った増田さんの横顔を海斗は見る。先程までの笑顔はなく、何の感情も読み取れない氷のような表情で夜のネオンを見つめていた。


「知ってたんですか」


「ああ、実はさっきまで俺も所轄の刑事に直接呼ばれてたからな。色々と聞かれたわ。なーんか、かなりデカイ事件みたいだぞ」


「そうなんですね…」


「お前も電話で色々と聞かれたらしいな。ツカサの事、庇ったりしてねーだろうな」


「したかったんですけどね…。でも、かばうことが…、出来ませんでした」


海斗は下を向き、柵に額を付ける。


「お前の所為じゃねーから、気にすんな。お前が庇おうとしても、どうせ俺がツカサの情報を売る。ああなってしまったらもう誰もツカサを助けてやれねーんだ。だったら今ある大事なものを守るしか道はないだろう」


「でも…、やっぱりつらいっすよ」


「フッ、まだまだ甘いな。けど、優しいんだなぁ。海斗は」


増田さんはガシガシと荒っぽく海斗の頭を撫でる。


「そろそろ営業始まるぞ」

「はい…。すぐ、戻ります」


そうして、夜の住人としての日常に舞い戻る。

その日常は犯罪と隣り合わせな世界。

自分がしっかりしなければ、簡単にそういった事件や犯罪に巻き込まれる。


華やかな世界の闇はどこまでも深く黒い。


浮かれ過ぎていると簡単に取り込まれる。そんな世界を生きていくには意図的に人間らしい部分を欠落させなければやっていけないのかもしれない。



次の日、昼過ぎに海斗が起きてテレビをつけると、オレオレ詐欺摘発のニュースがバンバン流れていた。ワイドショーにもツカサさんの本名と共に顔写真や監視カメラの映像が流れている。また、覚せい剤の所持も加わり再逮捕。相良も共犯の容疑者としてニュースに出ていた。そして相良が所属していた半グレ集団の名前も大きく取り上げられていた。

テレビでは指定暴力団になっていない地下組織の問題点や、オレオレ詐欺の手口など今更な情報で盛り上がっている。


海斗はテレビを消し、考える。

こうやって人生を踏み外すキャストが出ないようにするにはどうしたらいいのか。

ツカサさんが同伴で相良とトラブった時に、もうこんなキャストは出したくないと思ったけれど、完全な解決策なんてないのも分かっている。


ふと、サラの事が頭をよぎる。

あの子も、この業界で地に足が着いているとは言えない。

色恋管理に消極的であった海斗の心にツカサという釘が深く刺さる。

どうせそのうちホストやヤクザにつけ込まれるんなら、俺が管理する。

こんな思いはしたくない。出来る事はやる。ただそれだけだ。


もうすでに色恋管理への迷いは消えていた。

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