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黒服として

7月のボーナス期を過ぎ8月に入ってもニューアクトレスは着実に売上を伸ばしていた。

気付けば昨年と同程度の売上を上げている。

しかし、その営業内容は昨年と違う。

平均客単価は昨年よりも若干下がった。これは3月まで在籍していた理子さんの指名客が桁違いに高かった為である。

だが、今は理子さんのような突き抜けたキャストはいないが、Aランクキャストが10人を超えてくる月が増え、それに伴い客数、組数が増えていた。


お陰で、店は大忙し。ピンのフリー客は平日の限られた時間しか入店できない。

そういった評判はさらに客を呼ぶ。新規客の割合が昨年よりも増えている。よって同じ売上でも利益率が昨年よりも高くなっていた。


毎年恒例のバーベキューも終了した8月下旬の営業終了後、片付けをしているボーイ達。

海斗はカウンター内で洗い物をしていた。

ラストまで勤務していたキャスト達が日払いをもらい次々と帰っていく。

そんな中、サラさんと増田店長がカウンター席に座り、話をしていた。


「増田さん、来週のパーティって来てくれますか?」


「あー、ごめんなぁ。その日は用事があっていけないんだ。あ、そうだ、海斗に一緒に行ってもらえばいいんじゃないか?」


急に自分の名前が呼ばれ海斗は手を止める。

サラさんも一瞬海斗の方を見るが、少し困ったような顔でまた増田さんに話をする。


「えー?んーと、そのパーティって若手社長とかが多いから、出来れば増田さんに来て欲しかったなぁ。どうしてもダメ?」


「すまんなぁ。どうしても外せない用事なんだよ。もし時間が空けば付き合ってやれるんだけどな」


「あーあ。残念。増田さんの車乗りたかったなぁ。でもしょーがないかぁ。時間空いたら教えてくださいね」


「わかった、わかった。ほら、送りの車が待ってるぞ」


「はーい。おつかれさまでしたぁ」


そう言ってサラさんは残念そうに帰っていく。エレベーターが閉まりキャスト全員が店を出たのを確認すると、増田さんは急に不機嫌になった。


「海斗!ちょっと話がある。こっちこい!」


そう言っていつものVIP席へ移動する。

不穏な空気に嫌な予感を抱きつつ、海斗も後を追う。席に着くなり、増田さんが怒り出す。


「海斗!サラの教育はどうなってる?なんなんだあいつは!」

「す、すいません!」


何のことかよくわからないままだったがとりあえず謝る。


「チッ!その様子だとサラからは何も聞いてないようだな」


「はい。何があったんでしょうか?」


「今度、都内にニューオープンするイタリアンレストランがあるらしいんだ。そのプレオープンのパーティに一緒に来てくれないかと頼まれてる。だけどな、あいつの魂胆が気に食わねーんだよ」


「魂胆…ですか」


「ああ。あいつが一緒に来て欲しいのは俺じゃない。代表という肩書きとポルシェの助手席だ。最近のあいつは金に惑わされすぎている。ああいうのは金持ちから嫌われるぞ。もしくは都合よく遊ばれてポイだ。あれじゃ華やかな世界に憧れるだだの女子大生じゃねーか。キャバ嬢はその世界の舞台に立つ側の人間なはずだろう。キャバ嬢としてのお願いなら聞いてやれるが、ミーハー女子大生のお願いを聞いてるほど俺はヒマじゃねぇんだよ。そこんとこしっかり教えておけ!」


そう言って増田さんは内ポケットから名刺入れを取り出し、自分の名刺を何枚かテーブルに叩きつける。


「来週の日曜日は予定空けとけよ。俺の名刺を持っていっていいから海斗が適当に店長でもなんでも演じておけ。お前くらいの若さで店の代表者なら格好も着くだろう」


そう言い放ち、憮然としたままタバコをふかす増田さん。


海斗は最近のサラさんの事を思い出す。

3月の成績でトップ10入りをしたが、その後は上位に入れていない。

サラさんの接客も太客狙いがミエミエで接客にムラがあるのを感じていた。太客には必要以上に媚びた態度をし、細客にはドライな接客をする。


実はこれが見事に不正解。


なぜなら、遊び慣れた客、お金をたくさん使う客は女に媚びられることに慣れている。

会社でも地位が高く尊敬される事は当たり前。なので、違いを出さなければならない。

例えば中々なびかない女を演じるとか、ハッキリ好き嫌いを表すとか、普段は強がらなければいけない立場な事を察して弱音を吐かせてあげるとか。

そうして、普段接する人とは違う女性を演じる。お金持ちは身を滅ぼすまでは飲み代にお金を使わない人が多いので、見栄や格好つけなくても長い付き合いが出来そうなキャバ嬢を求めている。

一見、自由に遊べる金額が一般的なサラリーマンとは違うので派手に使っているように見えるが、客自身、その金額に合う価値を見定める冷静さを忘れない人が多い。


逆に細客は普段からチヤホヤされないし、女性に相手にされない人が多い。

だからキャストはめいいっぱい媚びて、話を聞いてその人を持ち上げる。

客は必要以上にカッコつけたがり、次第に身の丈を超えた金額を注ぎ込む。短い期間で破滅するほどお金を使わせてサヨナラする。


基本は太客には猫のような性格で、細客には子犬のような性格で接するのがセオリー。

そこから客に合わせて柔軟に対応する。


サラさんの場合、それが全くの真逆。

その根底にはお金持ちや都会人に対する憧れとコンプレックスが垣間見える。だから余計にそういった人達から引かれるし、軽くあしらわれてしまう。


キャバ嬢の立場としてパーティに行くのならば、男性を連れて行くのはマイナスでしかない。なぜなら営業をかけにくくなるから。

今回のサラさんが増田さんにお願いした背景には、他の女子大生に負けたくないとか、優越感に浸りたい、そのパーティに参加するのに相応しい人間だと周りに認められようと、増田さんのステータスを利用しようとする気持ちの方が強い。だから増田さんが気に食わないと怒っていた。


海斗は担当として責任を感じている。だが、一方でミーハーな女子大生でもいいんじゃないかと思っている自分もいる。


サラさんはレギュラーとして働き始めてもうすぐ10ヶ月になる。大学生でもある為、週3〜4日勤務。キャバクラが本業ではない。

ただ、最近は徐々に夜の世界に染まりつつある。


この業界に足を踏み入れると、人生を踏み外す人が多くいるがその要因とよくあるプロセスとは何か。


最初はお小遣い稼ぎの軽い理由でキャバ嬢を始める。しかし他のバイトよりも3倍以上の高時給。少ない時間でそれまで稼いできた額が手に入る。すなわち、時間ができる。そして空いた時間が多くなれば遊びに行く回数が増え、今までの収入では足りなくなる。そして少し頑張る。時給の上がり幅は学生バイトの比ではない。100円単位で上がっていく。

さらに収入が増える。今度は今まで買えなかったものを買えるようになる。行きたかった場所にも頻繁に行ける。


最初は生活のために働き、そのうち贅沢をするために働く。


小さい頃から都内の繁華街で遊び慣れてきた子は夜の街に憧れはあまりない。日常として生きてきた。派手な生き方の人への免疫も高いし、怖さも知っている。だから簡単には靡かない。

だけど、ある程度大人になってからその世界に飛び込んだ子はそれまで接する機会の少ない人々に魅了されやすい。

また、そういった人々にバカにされない為に必要以上に自分をよく見せようとする。その行為がバカにされる要因なのにそれに気付けない。

そういった微妙な機微に気付かぬまま過ごすとどうなってしまうか。

お金の価値観が合わなくなった普通の大学の友達や昔からの友人との付き合いが難しくなる一方で、金回りの良い、夜遊びに慣れた人達の輪に加わるとなぜか馴染めない。

そして本当の意味での友達がいなくなる。その心の寂しさを埋める為にお金に頼る。だから金持ちに簡単に靡く。そして散々遊ばれてポイ。

そんな傷ついた心を今度はホストやヒモ男、ヤクザに狙われる。

そして尚更お金が必要になる。

ここまでくると普通の生活に戻ろうと思っても中々出来ない。今更時給1,000円以下のバイトでの生活水準には戻れないし、お金が無ければ自分を分かってくれる男や仲間が離れていってしまう。

自分を偽って無理をし続けた結果、弱い方に流れる。より短時間で稼げる風俗に行ってしまったり、更に男に貢いだり、挙句はクスリに走ったり。


この世界でトップクラスのキャストとして道を踏み外す事なく生きているキャバ嬢は無理をしてキャバ嬢をしている子ではない。ある意味天職のような子なのだ。元々人を魅了する何かがずば抜けている。そこに演技が加わりさらに磨きがかかる。夜の街にも違和感なく溶け込んでいる。夜の世界を日常と捉えている。


けれど、サラさんがそういったトップキャスト特有の雰囲気を持っているかと問われると疑問だった。5年、10年と長く続けていけばいずれそうなるだろうが、そうしてしまって幸せなのだろうか。

サラさんはまだ戻れる。大学を卒業し、地元に帰って会社のOLとして生きていく道だってまだ残っている。北欧系のハーフっぽい顔立ちのサラさんであれば、きっと美人OLとして会社でも人気になるだろう。安定感のある会社員と結婚し幸せな家庭を持つことだって可能だと思う。その頃にキャバ嬢としての経験は一時の夢だったと思えるような人生だっていいのではないか。


だけど、3月に一度だけトップ10入りをしてからサラさんは少し変わってしまった。

ニューアクトレスのナンバー入りキャストというプライドが芽生えたからなのかもしれない。そしてその雰囲気を纏おうと意識しているのも分かっている。

入店する前からサラさんのことを知っている海斗としてはその変貌に不安を感じていた。海斗はこのままサラさんが空回り気味にドンドン突き進む事に危うさを覚える。

だから今までのように学生バイト感覚のキャバ嬢としてでもいいのではないか。

華やかな世界に憧れを持ったミーハー女子大生の感覚のまま、

この世界にはまり込んでしまう前に大学を卒業し、就職した方が良いように思えて仕方がなかった。


海斗はテーブルに散らばった増田さんの名刺を見つめながらサラさんとの出会いを思い出していた。

昨年の秋に優矢君と一緒にいったイベントで知り合い、飲みに行き、色々な話をした。

そんな事を思い出していると海斗は気付いた。サラさんをこの世界に引き込んだのは自分なのだと。


思わず両手で顔を覆ったまま固まってしまう海斗。

ふいに声がかかる。


「おい、海斗」

「は、はい」

「勝手に一人で考え込むなよ。不機嫌なまま放置されると俺がバカみたいじゃねーか」

「す、すいません」


増田さんは大きくため息をつくと、海斗の額を小突く。


「ったく、どーせサラの事を考えていたんだろ。普通は上司が不機嫌になったら様子を伺うか、ご機嫌をとるもんだぞ。それが存在も忘れて考え込むとか。お前は普段は察しがいいのに、キャストの事となると本当に周りが見えなくなっちまうんだなぁ」


そう言ってまたタバコに火を付ける。

煙を吐き出すと質問された。


「で、何を考えてた?」


「はい。最近のサラさんの違和感についてです。入店当初と今と何が違うのか考えていたら気付きました。今のサラさんって出会った頃の俺と同じ状況なんだなって」


「ほう?どんな風に?」


「あの頃、俺もこの世界に慣れてきて勘違いしていたんです。俺は学生時代夜遊びをほどほどにしかしてきませんでした。だから夜の住人っぽく振る舞うことやそういった場所を経験し、そういった人と仲良くしないといけないと思っていました。だからきっと無意識にサラさんにも格好つけてました。増田さんや優矢君みたいな振る舞いや仕草を真似てたんだと思います。高いバーで飲んだり、無理して高級な物を身につけたり、値段の高いものなら何でも良いものだと盲信していた感じがします。俺は当時まだまだこの業界の色に染まっていない時期だったのに、ただの女子大生だったサラさんからは夜の世界の人として見てもらえる。その事に多少の優越感を感じていました。あのままだったら地に足がつかず、今頃は借金まみれだったかもしれません。だけど俺の場合は妹のお陰で遊びや無駄な事ににそれほどお金を使えませんでした。学費や2人分の生活費、今後の妹の学費の蓄えなどの制約があったので、派手な生き方はしなかったんです。でも自分一人で生きていたら今頃勘違いしたままドンドンエスカレートして、連日クラブに通ったり、無駄に豪遊したりもっと派手な生活をしていたかもしれません。そして遊ぶ金のために、もしくは借金返済のためにこの仕事をしている可能性があったんじゃないかと思うんです」


「そんなのこの業界に足を踏み入れれば誰しもが通る道だと思うぞ。それに派手で華やかな生活を送る為にこういう所で働いているキャストや黒服といった業界関係者だっていないわけじゃないんだけどなぁ」


「はい。根っからの遊び人はそれでもいいと思います。俺は元々そんなタイプではありませんでした。サラさんも同じだと思うんです。だけどこの業界は女も男も色気のある魅力的な人達が多いから合わせなきゃいけないと焦るんです。でもある時、気付きました。俺は黒服で裏方の人間だって。だから無理する必要はないんだって。でもサラさんはそうはいかないじゃないですか。あの子が腰掛けのキャバ嬢のままでいるのなら無理をする必要はないんですが、トップキャストと張り合おうとする気構えが見えるので俺の中で違和感に繋がり、その後の事を考えると不安になるんです」


海斗は苦しい胸の内を明かした。最近はそんな感情をどこかに置いて、仕事として、黒服としての立場を優先していた。

今回の増田さんとの話はきっかけに過ぎない。サラさんの欠点に気付いてしまった今では、不安定な精神状態のままトップキャストへと仕向ける事に海斗は躊躇してしまう。

しかし、増田さんからの言葉は非情なものだった。


「海斗の気持ちはよく分かった。サラの事をそれだけ理解してやれるんなら今後何が必要になるかは自ずと分かってるだろう?」


夜の世界の住人独特の色気をまとった雰囲気の増田さんは最後まで答えを言わない。

けれども海斗には急に雰囲気を変えた増田さんの姿を見て自ずと答えが分かってしまった。


「色管理…ですか」


自分からは言いたくなかった言葉。それでも黒服としてしなければならないことがある。


「それが出来なきゃ、あいつはどうなる?俺は海斗の私情で勝手に辞めさせる事も、腰掛けキャストも認めないぞ。サラが今の勘違い女のままなら上手くいかずに必ず気持ちが切れる。その時に優しくされたホストやヤクザにハマって余計に金が必要になり、大学を辞めてまで必死に働いてくれても俺としては構わない。けどな、お前が側にいればどうだ?サラにとってお前は憧れの夜の世界の住人なんだろ?」


「ですが、俺はホストじゃないです。華やかな人種でもありませんし。何よりサラさんが俺の為に働いてくれるようになんてなりませんよ」


「今のお前のポジションならばサラを落とす事はホストより簡単だ。それが色管理の不思議な所なんだよ。何十人もいる華やかなキャストの中で自分が女として選ばれたという優越感とプライドを植え付ける。それはナンバー1と同じくらいの価値がある。派手な生活の為に生きるのではなく、海斗の女として相応しいキャバ嬢としてのサラをお前が叩き込んでやれ。また、サラが辛い時にお前という支えがあればいいんだ。担当としてではなく、男として俺に見合うイイ女になるようにと指示をする。そうすれば太客の見せ金につられてシッポを振ったり、細客をないがしろにしたりは無くなる。男と遊びに行きたいから店を休むといったこともない。いいか、お前が出来るか出来ないかじゃない。サラをスカウトしてきたのはお前だ。その責任を忘れるなと言っているんだ!」


増田さんの目は業界人のそれだった。

人を扱う商売人として、疑似恋愛を演出する演出家としていかにその商品の品質を高め、維持するか。

そのためならば人としての道徳は捨てる。増田さんにとってはキャストと黒服の関係さえも必要であれば疑似恋愛として金に変える。


風紀と色恋管理の決定的な違い。


個人的な感情を殺してキャストと疑似恋愛が出来るか。それが成績に繋がるか。暴走しないように管理ができるのか。


増田さんは海斗が黒服としての役割を果たす事が出来るか、それを見定めるかのように、真っ直ぐに見つめる。


その目はどんな感情も読み取れない漆黒の闇がただ広がっていた。しかしそのエキゾチックな目の色はとても魅惑的でなぜか言う通りにしなければ不安になるような錯覚に陥っていく。

海斗は絞り出すように言葉を発する。


「自分に出来るところまで……、やってみます」


そう言ってみたものの、正直乗り気ではなかった。

田舎から上京し、どこか都会の夜の空気に馴染めていないサラさんの不安定さを利用し、お金への依存度から海斗への依存度を増すように誘導する。

しかしよくよく考えてみるとその方が海斗には安心に思えた。なぜなら、今後サラさんがどの様に変わっていくかをある程度把握することが出来る。サラさんがキャバで働きながらも就活をし、大学を卒業するまで見守っていけばきっと踏み外す可能性は少ないのかもしれない。


そう考え、海斗は感情を意図的に消す事を決意する。


その瞬間、黒服としての資質が問われる作業にまた一歩足を踏み入れていくこととなった。

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