表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/55

パトロン

キャバ嬢という生き物は本当に不思議だ。

学生時代に問題児扱いされてきた子がほとんど。

学歴や資格、スキル、社会常識、社会経験も乏しい。

そんな普通の女の子よりも世間では頭の悪いと思われる子が、キャバクラでは大金を稼ぎ出す。


もちろん普通の子もいる。しかし普通の子はそこそこの成績しか残せない事が多い。良くも悪くも常識人なのだ。

常に周りに合わせて生きる事、社会や世間体を気にしてに生きる事に慣れすぎた人生を送ってきた子は、そこそこの成績でそこそこに稼ぎ、感覚が麻痺しないうちに陽の当たる社会に戻っていく。

そういう子はキャバクラで自分の評価が上がらなくても普通の仕事でも通用すると思う気持ちがどこかにある。

だから、そこにしか居場所がないと腹を括っている子やこの世界が一番輝けると認識している子と覚悟が違う。


その普通ではない子の筆頭が杏奈さんと結衣菜さん。ニューアクトレスでは珍しいギャルっぽさのある2人。

しかし海斗は最近までこの二人は似た者同士だと勘違いしていた。


きっと杏奈さんは学生時代、同学年の人から恐れられるような存在。

少しヤンキー気質な面がある。

なので意外と上下関係に敏感で律儀だったり、礼儀正しかったりする。

また、計算高く、危険察知能力に優れ、他のキャストに嫌われないように無言の威圧感とあからさまな懐柔策とを上手く使い分ける。

なので年上キャストには可愛がられ、同年代や年下キャストには一目置かれる。

指名客に対してもプライベートで飲みに来ている時はいい加減で男勝りな面を出し、接待や仕事仲間と飲みに来ている時はおしとやかで男を立てる面をしっかりと使い分ける。そしてそのギャップに心を奪われる。


それに対し、結衣菜さんはちょっとおバカなクラスの人気者といった存在。

その言動に計算や打算が感じられない。

なので接客中とバックヤードで差があまりない。欠点はイヤな客やイヤな事を言われると顔に出てしまうところだが、それも最近は可愛げを残したまま、その表情が出来るようになった。

キャストとも年やキャリアに関係なくフランクに接している。

中にはその姿をよく思っていないキャストもいるが、遠回しにイヤミを言われてもそれに気付かない。

海斗はある日、キャスト同士のこんな会話を耳にした。


「最近結衣菜ちゃんって出勤が早いね〜。私なんて忙しくていっつもギリギリになっちゃうのに」

「はい!結衣菜ってめっちゃヒマなんです。だっておうちではテレビ見てるだけですもん」

「そ、そうなんだ。なんか悩みとか無さそうで羨ましい」

「にししし、褒められちった。あと、悩んだ時は一人カラオケ行ったらだいたい忘れます。おすすめですよ」

「はぁ。ありがと。考えとくね」


海斗は聞こえないふりをしていたが、笑いを堪えるのに苦労した。



そしてその日も結衣菜さんの意味不明な行動を目の当たりにする。

ボーイ達が掃除などの開店準備を終え、ご飯を食べていた18時半過ぎに、結衣菜さんが出勤してきた。まだキャストの出勤時間まで1時間以上ある。しかし最近は当たり前の光景になってしまっている。

何時ものように元気に出勤してきた結衣菜さんから海斗は差し入れをもらった。


「これあげる。海斗さんっていっつも牛丼とかラーメンばっかり食べてるから、野菜取らないとダメってテレビで言ってたよ」

「ありがとう。でも何で差し入れがスナック菓子なの?」

「えっと、これね、裏に野菜エキス配合って書いてあるの。結衣菜も野菜嫌いだから毎日このサッポロポテトを食べるようにしてるんだぁ」

「そ、そっか。結衣菜は優しいな」

「えへへ」


満足そうにニマニマしながら更衣室へ荷物を置きに行く結衣菜さん。

基本的にイイ子なんだけど、どっかズレてる。


しかし、それまで中々出来なかった結衣菜さんとのミーティングもこの時間を使って出来るようになり、それが思わぬ効果をもたらす。

まず、18時半から19時過ぎまではボーイ達の唯一の長い休憩時間で夕食を食べながらダラダラとしている。その空気の中で結衣菜さんもカウンターに座り化粧をしたり、スマホをいじったり、買ってきたお弁当を食べたりして溶け込んでいる。なので坂東さんや増田さんも気軽にアドバイスを送る。

先日、海斗から提案した結衣菜さんの顧客ターゲットに関する有用なアプローチ方法を、海斗だけでなく経験豊富な増田さんや坂東さんからも教えてもらえることで結衣菜さんの接客にもプラスに働く。

また、それを側で聞いている山田君も勉強になるらしく、結衣菜さん以上に真剣にメモを取る。


そして19時を過ぎると徐々にボーイ達がそれまでのダラけた空気から営業モードへ切り替わっていく。

ゴミを片付け、歯を磨き、髪をセットし、ネクタイを締め、インカムを付け、ダウンライトをし、営業用BGMに切り替える。

山田君以下の役職のボーイ達は店内チェックを始める。

各役職の黒服はその日のリストを確認したり、営業目標を話し合ったり。

その過程で徐々に黒服達は緊張感を持った雰囲気へと変わっていく。

その空気を察すると結衣菜さんもヘアメイク室へ移動し始める。

良い意味で結衣菜さんにも『仕事スイッチ』が入るのである。

そして20時の営業開始前には完璧に支度を済ませた結衣菜さんが一番で待機席に座る。

その時にはある程度、営業メールを済ませた状態なのですぐさまその日の接客に集中できる。


そういう好循環の中での働きは運も引き寄せる。


結衣菜さんに太客の指名が付いたのだ。

毎週のように派手にお金を使うその客は山口様という、不動産管理会社の社長。

風貌や金の使い方は少し怪しい感じだが、支払いは毎回ゴールドのクレジットカード払い。

社会的信用がないとそんなカードは持てない為、海斗もそんなに心配はしていなかった。


そうして6月も月末に差しかかろうとした時、結衣菜さんから相談があった。


「結衣菜ね、一人暮らしする事にしたの」


「そうなんだ。まぁ、毎日帰りが遅いから実家だと色々あるよね」


「うん。ママの新しい彼がちょくちょく家に来るからさぁ。居づらいんだよね」


「そっかぁ。結衣菜ってお父さんいなかったんだよね。まぁ子供としては複雑だよね」


「ん〜、別にママに彼氏が出来るのはしょっちゅうだからいいんだけど、今度のママの彼氏って、高校の時の担任の先生なんだぁ」


「は?結衣菜の担任だった先生が?そりゃぁ気まずいね」


「でしょー?そしたら私のお客さんで山口さんっているでしょ?その山口さんが管理してるマンションの一室が空いてるから使っていいよって言ってくれたんだよね」


「そうかぁ。まあ、それってどういう意味かわかってるんだよね?愛人契約なんかして大丈夫なの?一応ウチの会社の寮もあるよ」


「やっぱりそうだよねー。でも家賃要らないって言ってるし。会社の寮って意外と高いじゃん。それに結衣菜の事をこれからも応援するって山口さんが言ってくれてるし…」



海斗はじっと結衣菜さんを見つめる。そこにはいつもの子供みたいな結衣菜さんではなく、女としての価値を認識し、この業界で生きていく覚悟を決めた夜の蝶がいた。

結衣菜さんは色恋営業が苦手。だけど色恋営業が出来なければトップレベルのキャストには絶対になれない。

結衣菜さんの場合、客と疑似恋愛の駆け引きが出来ないのであれば一層の事、割り切った愛人関係の方が上手くいくのかもしれない。


テレビでは愛人や不倫を避難している場面をよく見るが、一般的な倫理観なんてここでは幻想でしかない。

なぜなら客の中には妻子持ちの教師、医師、弁護士、都議などたくさんいる。

『センセイ』と呼ばれ、尊敬される立場にある人々が、だらしない顔で自分の娘と同年代のキャバ嬢を口説いているのだ。昼は綺麗事を並べ、夜は欲望を剥き出しにする。そんな世界で倫理を説いても意味がない。


今まで海斗は結衣菜さんをどこか妹の様に思っていた。

だけど高校生の結衣菜さんはもういない。

すでに女の武器を最大限に使って稼ごうとする結衣菜さんというキャバ嬢になったのだ。

覚悟を決めるのは海斗の方なのだという事に気付かされた。

自分でこの業界に引き戻しておいて、今更躊躇することは黒服として間違っていると再認識するしかなかった。


「結衣菜の覚悟はわかった。ただし、店の外でのトラブルに関しては何もしてやれないからな。店としても黙認という立場な事を忘れないで」


「うー、でも結衣菜はこういうの初めてでどうしたらいいかわからないよぉ」


すかさず得意の困った顔で海斗を伺う結衣菜さん。でも愛人関係に関するマニュアルなんてものはない。なので海斗はこれまでキャストから聞いたトラブルを元に気をつけるべき事柄だけ話す事にした。


「まず、結衣菜の方から色々とせびったりしない様に。あくまで困ってるとだけ伝える。そして金銭の授受に関しては貰いすぎないこと。それから定期的に店に呼ぶ事。なぜならトラブルになった時に客とキャバ嬢という関係性を証明できた方がいい。大体、トラブルになるのは店に呼ばなくなったとき。客が店に落とす金額の分まで直接その女に使うようになると、かなりの大金になる為、関係性が変わる。客は完全に自分の女になったと勘違いするし、結衣菜も生活費の大部分をその客に頼るようになる。要するに自分の稼ぎよりも貢がれる金額が多くならない事が大事。いざという時に逃げられなくなるからね」


「わかったぁ、気をつける。じゃあこれも渡されたんだけどどうすればいい?」


そう言って結衣菜さんが薄い冊子を取り出し、テーブルに置いた。

海斗はペラペラとその冊子を見て内容を確認していくが、思わず手が止まる。


「え?これって…、生命保険じゃない?」


「へー。なんか、うけとりにん?のところに名前書いとけって言われたよ?」

「ちょ、ちょっと待て。これ5000万円の保険契約じゃん。マジかよ」


「ふーん、そうなんだ。結衣菜ね、本当のパパがいないから寂しいって言ったら、山口さんが俺のことを父親と思ってくれていいからなって。最初は本気で養子になってくれって言われたの。でもママの子供じゃなくなるのはイヤって言ったらこれを渡されたの。山口さんね、これを渡しながら言ってた。独身だし親戚とも仲が悪いからあんまりお金を残したくないんだって。派手に遊ぶのもそれが理由だって言ってたよ?」


「だからって……。はぁ、結衣菜はいつも予想の斜め上をいくなぁ。愛人契約じゃなくて親子契約かよ。まぁ、結衣菜をただの夜の女のように扱っていないと伝える意味でこういう提案をしたんだろうな。うーん、関係がこじれればむこうも勝手に保険を解約するんだろうし、名前書いちゃえば?どうせ今すぐもらえる金じゃないんだし、それを盾にわがままを言ってきたら解約してって言えばいいだけだし。でも十数年後、忘れた頃に大金が入ったらめっちゃオモロイな」


「あ〜、なんか楽しんでるでしょ?ホントに結衣菜は困ってるんだよ?この書類って親子になれってことでしょ?」


「だって生命保険を貢がれるキャバ嬢とか面白いに決まってるじゃん。マンションや車とかならよくある話だけどさぁ。ジュエリーや車のカタログじゃなくて、養子縁組の紙とか生命保険の契約書とかを並べられるなんて、やっぱり結衣菜は他のキャストとは違う何かを持っているんだよ。これからは山口様が来店したら、結衣菜さんのお父様と呼んだ方が喜ばれるのかな」


「やっぱりからかってる!もう!山口さんは本当にお父さん気分でいるから結構面倒くさいんたよ?彼氏が出来たら紹介しなさいとか、お酒を飲みすぎるんじゃないとか」


「あはは。でもこれは保険契約書だし、本当の親子になる訳じゃないから大丈夫だよ。それから結衣菜と山口様の関係性がよく分かったから営業のかけ方も若干路線変更しよう。まず、山口様に関しては、色恋営業にありがちな嫉妬したふりとか束縛とかは逆効果だからやめよう。たまに他の店で飲む事も容認してあげて。他に女がいても色恋じゃないから浮気とか思わないように。それより、パパだって女遊びしたいだろうしいいよーって言ってあげればいいんだよ。ようは本当の娘の様に接するんだ。ただし、結衣菜の頑張って働いている姿もちゃんと見に来てねとか、他のおじさんと接客するよりパパの席にいたいとか、あんまり放ったらかしにすると不良娘になっちゃうよとか、そういう方向で攻めてみればいいと思うよ」


「なんだぁ。本当に親子になる必要がないんなら安心した。山口さんはねぇ、結衣菜の事を溺愛してるって言ってたから頑張ってみる」


「うん。くれぐれも無理はするなよ。一人暮らしの件も、山口様の管理するマンションでもいいと思うけど、いつでも会社の寮は使えるんだから、心理的に負担になったり深刻なトラブルになりそうだったらいつでも言ってね」


「はーい。あとこの紙に書くの手伝ってよ〜。読めない漢字が多すぎて何が書いてあるのかさっぱり分からないんだぁ。これ書くとマンションに住めるようになるんでしょ?」


「は?いやだからこれは生命保険契約書だって」

「ふんふん。なるほどね。で、せーめーほけんけいやくしょって何?」


海斗は大きなため息と共に、今までの話が半分も伝わっていないことに頭を抱えた。

もう一度わかりやすく丁寧に説明して、やっと理解してくれたが、保険金についてはさほど興味がないようだった。

なので結衣菜さんは、保険の受取人については断ったらしいが、山口様の方が結衣菜さんと何らかの繋がりがないと不安な様で熱心に説得されて、結局受取人にサインをした。


それ以来、山口様は結衣菜さん指名でさらに足繁く通う様になる。

その際、ボーイにも


「結衣菜の事をよろしく頼みます」


と、親が学校の先生にお願いするような雰囲気で毎回色々な差し入れを持ってくるようになってしまった。


お陰で結衣菜さんも山口様という太客を軸に成績をガンガン伸ばしていく。


また一人、特殊な才能を持った売れっ子キャストが誕生した。

しかし、海斗に嬉しいという感情は無かった。

きっと今まで手掛けたキャスト以上にその子の人生を変えてしまったという想いが強かったからなのかもしれない。


また一歩、海斗の心の闇が深く黒くなっていく。しかしそんな感情を振り返る暇もない程、日々雪だるま式に海斗の仕事が増えていった。


そして徐々に自分自身でさえ、本心や、素直な感情が何なのかわからなくなっていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ