エースとして
海斗が主任となって2ヶ月あまりが経過し6月となった。
理子さんが居なくなった影響は大きく、売上も伸びていない。前年の同月の売上をキープするのが精一杯の状況。
しかし、前年は夏頃から急激に売上を伸ばし始めた為、このままでは前年の成績を下回らないようにするのは難しい。
4月から付け回しを全面的に任されるようになった海斗も若干の焦りを感じ始めていた。
さらに各担当キャストの成績に関しても課題が山積み。
そして日々の出勤キャストの調整。
人数を揃えれば良いわけではなく、AランクBランク、C、Dランクのキャストをバランスよく出勤させる様に調整する。
改めて坂東さんの手腕を尊敬する海斗。
付け回しの際に、キャストに指示や要求だけではキャストは不機嫌になる。
思えば坂東さんは席に付ける前に必ず、仕事とは関係のない世間話を挟んでいた。
「今日のヘアメイク似合ってるじゃん」
「そのドレス新しくない?」
「あれ?痩せた?」
「色っぽい香りするなぁ」
「そのネイルってどのくらいの時間かかるの?」
と言ったキャストを褒める言葉や、
「ワンちゃん元気?」
「あの番組見た?」
「ちょっと西野を見てみ。あいつ微妙に寝癖が直ってない」
「俺、今日はミッキーの勝負パンツ履いてきたんだけど、どう思う?」
「ヤバい、ココ壱のカレー食べ過ぎて気持ち悪りぃ」
など、何でもない話をしてから、本題に入る。その自然さが坂東さんは上手かった。
それから、客の事だけを考えてキャストを付けていた。
そこには公平さや平等などない。出勤してきた順にキャストを付けるなんて下策。
だけど不満もでる。
接客頻度の高いキャストはあからさまに面倒くさそうな顔をしながら、
「また私?他にもいるじゃん!」
と言ってくるし、
使われないキャストは
「贔屓が凄くない?付き合ってんの?」
と言ってくる。
そんな言葉を気にしてキャストの顔色ばかり伺っていると、どんどんワガママになる。
大切な事は動じない事。
真剣に客との相性だけを考える。それがブレなければ、文句を言いつつも指示を聞いてくれる。
真剣に話す場面と、おどけたり笑ったりしながら世間話をする場面にメリハリを付ける。
最近になってやっと海斗もそれが出来るようになってきた。
それもこれも、ここ2ヶ月、坂東さんに毎日の様に相談し、助言をもらっていたおかげである。
また、出勤調整に関しても、当日欠勤したキャストに対して罰金を免除する代わりに、キャストが足りない日に出勤してもらう。
それに加えてもう1日出勤数を増やしたら罰金免除を考えると提示。
その際に、そのキャストに恩を売るように仕向ける。
要は、キャストに当日欠勤しても足りない日に振り替えてもらえばいいやと思わせない。
あくまで、渋々罰金を免除してあげるという振りをしつつ、そのキャストの出勤日数を増加させる。その駆け引きが必要。
また、当日欠勤の連絡があっても怒らない。心配もしない。どちらもキャストの心理的負担となる。
なぜなら、体調不良で休む割合と、ズル休みの割合は半々かズル休みの割合の方が多い。
元々真面目な性格の人間が少ない業界。中学や高校で皆勤賞だったキャストなんて皆無。
なので、ズル休みの時にあまり体調を心配しすぎるとキャストに罪悪感が生まれる。
普通は申し訳ないからズル休みは止めようと思うが、キャストはそれを面倒くさいなぁと感じる。そうなると次は当日欠勤の連絡が遅くなり、そのうち無断欠勤、そして最悪、退店となりかねない。
なので、罰金制度を設けてズル休みを抑止する。逆に言えばお金を払えば休んだ事に対する罪悪感を感じさせないようにしている。
ではその日の不足したキャストをどうするか。
前に当日欠勤した別のキャストに連絡をして、今日出勤出来たら前回の罰金を免除するよと提案する。
その際もお願いはしない。あくまで提案。
下手に出ると、調子に乗り当日欠勤の頻度が増す。
その他にもキャストとのやり取りは色々と神経を遣う。
キャストは基本的におねだり上手なので、色々な要求を安易に許してしまうと後々苦労する。
あの時は許してくれたのに何で今回はダメなの?と言ってくるし、あの時が特別だったと言っても納得しない。
そしてキャストは普段からワガママを聞いてもらう事に慣れている。
なので、自分の要求が通らないと、不貞腐れたり、拗ねたり、無視したり等の手法を用いて相手が折れるのを狙ってくる。
そのような時、黒服が困ったり、焦ったり、キャストに気に入られようとか、好かれたいと言う感情や行動はかえってよくない。
稼がせてあげたい、大事にしている、必要としている、俺はお前を気に入っているという感情を見せないとキャストの態度は軟化していかない。
海斗の立場は
「あいつ口うるさくてムカつくけど、あいつに褒められたり認められたりした時が一番嬉しい。それにいざという時は頼りになるしなぁ」
と思われる存在になる事。そう坂東さんから言い渡された。
海斗は付け回しや、出勤調整を日々重ねるにつれて、キャスト一人一人の行動原理、心理状況、考え方、性格をより深く理解していった。
もう一つ海斗には問題が残っていた。それは担当キャストに関して。
理子さんが辞めてからは週替わりでトップが入れ替わった。先月の最終順位は
指名売上1位 杏奈
貢献度1位 美香
本指名数1位 リン
同伴数1位 咲
場内指名数1位 ナナ
と各部門で1位が違う状態。
そして全て海斗の担当キャストだった。
しかし、結衣菜さんとサラさんはAランクには入れなかった。
杏奈さんは先月とうとうナンバー1となったが、その差は僅か。今月は猛烈な勢いでナナさん、美香さんが売上を伸ばしている。
苛烈なトップ争いによってトラブルも頻発。
この日も杏奈さんから相談される。
「海斗さんちょっと困ってんねんけど」
「どうした?」
「あんな〜、杏奈のお客さんで和田さんいるやろ?」
「うん。いつも2人組で来る証券会社の人でしょ?もう一人はミリオさんの指名だったよね?」
「さすが海斗さんやな。せやねんけどなぁ、同伴の時にいつもミリオさんおらんねん。仕事が忙しいのは分かんねんけど、こっちは夕方から一人で食事やらカラオケやら付き合ってんのに、結局店での売上成績は折半やろ。しかも店に来るかは和田さん次第やし。何か納得いかんのよね」
こういう事はよくある。2人組の客や3人組の客に対して複数のキャストが指名をもらっている場合。
キャスト同士が協力して来店に繋げているならば、このような不満は少ない。
今回はミリオさんの便乗指名の感が強いが、本指名には変わらない。
なので店のルール上、売上成績は折半となる。
しかも今回の場合は杏奈さんの指名客である和田様が上司な為、全ての支払いが和田様なのである。
海斗は暫し考えた後、
「杏奈さんの努力で来店に繋げているのはよく分かってるよ。ただ、ミリオさんの存在によって和田様達の一度に使う金額か高まっているとは思えない?ミリオさんがいるからこそ、何本もシャンパンが入るし、それが当たり前だと和田様達が思ってくれる。仮に他のキャストとのダブル指名だった場合にあそこまで華やかに出来るかな?」
「せやなぁ。でもなぁ〜…」
不満気な顔のまま、杏奈さんは黙り込む。
海斗はもう少し踏み込む。
「前にミリオさんが休みの日に和田様達が飲みに来た時を思い出してみて。その時ってそんなに弾けなかったよね。その日は全額杏奈さんに売上成績がついたけど、あの感じてずっと飲みに来てくれるかなぁ」
海斗の言葉に杏奈さんもハッとなる。思い当たる節があるのか、先程よりは不満気な顔ではなくなる。
「それってかなり前に来た時やんなぁ。杏奈ですら忘れとったわ。海斗さんは凄いなぁ。でもな話の続きなんやけど、この前、和田さん達が来た時な、ミリオさんがアフターに行けないってなって。杏奈も一人でアフターはイヤやし断ろうとしたら、和田さんに超怒られたんよ。んで結局、結衣菜がアフターを一緒に付き合ってくれて何とかなったんやけどな。でもミリオさんには言ってないねん。ホントは結衣菜がアフター行くのはルール違反やろ」
「そんな事があったんだ。でもアフターを断れる状況じゃなかったんでしょ?ミリオさんはそんな空気に関係なく自分の行動を勝手に決めちゃうトコがあるからね。悪く言えば自分勝手なんだけど、お客さんからは思い通りにならない天真爛漫な女性として映るんだよなぁ。でも杏奈さんはそういうキャラじゃないから、しわ寄せが杏奈さんの方に来ちゃうんだよね。杏奈さんは適当な性格に見せてるけど、実は律儀だもんね。そのギャップが良さではあるんだけど、そのせいで大変なのはよく分かった。ミリオさんにも協力出来る所はするように伝えておく。また、結衣菜さんにも話しておくよ。これで指名替えとかになったら完全に結衣菜さんが悪者になっちゃうからね。大丈夫、心配しないで。対処するから」
「結衣菜には怒らんといてな。杏奈のタメにアフター来てくれてん。あ〜、何で杏奈ばっかりこんな思いせなあかんねんな」
「結衣菜さんには怒らないから心配しないで。杏奈さんの指名客が多くて大変なのは見ててわかってる。指名客一人一人を大事にしているのは偉いよ。ちゃんと話してくれてありがとう。一人で抱え込む必要は無いからね。困った事もそうだけど、愚痴や不満でも話す事で気が晴れる事だってある。俺の事をトコトン利用してくれていいから」
「分かった。もう海斗さんに任せる」
海斗は杏奈さんとのミーティングを終えると、結衣菜さんと話す。そして、アフターに行ってくれたお礼を言った後、指名トラブルを避けるためこれからは控えるように伝えた。
そして問題のミリオさん。山田君の担当となっている為、山田君に話を通す。
「ミリオさんの事なんだけど、証券会社の二人組の指名客って把握してる?」
「えーと、はい。何かありました?」
「ミリオさんの営業が積極的じゃないから困ってるって杏奈さんに言われちゃったんだよね。山田君はミリオさんとのミーティングで指名客の事は話してる?」
「すいません、あまり話せてないです。ミリオさんの場合、出勤を確保するのが精一杯で指名客や接客についてはなかなか。それに俺の方が経験が浅いので、うまく切り出せないんです」
「そっか。まず、ミリオさんの情報は把握してるよね?」
「情報っていうと、本業はピアノの先生ですよね」
「そう。それから、たまに舞台やミュージカル、ライブの生演奏も引き受けてるし、ピアノアレンジ曲のレコーディングもしてる。だからその期間は出勤日数や時間が減るし、同伴やアフターもほとんど出来なくなる。だけど、その予定が突然決まることってないはずなんだ。だから前もって予定を聞いておいてくれないかな。そうすれば他のキャストと協力して来店に繋げている場合に、この期間はミリオさんが積極的に営業をかける、この期間は他のキャストに積極的になってもらうように頼むとかの提案も出来るから」
「わかりました。話してみます」
「山田君、困った事があったら相談してね。普段の仕事に加えてキャスト管理やボーイ指示の仕事が増えてキツそうなのはわかるから」
「はい。あの、ミリオさんの対応ってどう進めていけばいいんですかね?」
山田君は申し訳なさそうに聞いてきた。
無理もない。なぜならホール長の役職が一番ツラい。日頃の雑務に加えてキャスト管理、フロアの管理など仕事内容が一気に増える。なのでボーイの離職率はこの時期が一番高いらしい。
山田君もかなり追い込まれているように見えた。
海斗は軽くアドバイスをする。
「ミリオさんみたいなタイプのキャストは店に協力してほしいとかのお願いや情に訴えるのは逆効果だから気を付けて。利を説いてあげないとダメだと思うよ」
「利、ですか?」
「そう。ミリオさんはこの人は自分にとって使えるのか使えないのか感覚的に判断してる。自分に利のないお願いなんて全く聞いてくれない。さらっと受け流されちゃう」
「確かにそうかもしれません」
山田君は思い当たる節があるのか、大きく頷いている。
「今回の件に関しても、早めにスケジュールを教える事や、積極的に営業をかける時期を作る事に対するメリットを説明しないと。それは店側のメリットじゃなくてミリオさん自身のメリットをね」
「はぁ。なるほど。でもミリオさん自身のメリットを具体的に言葉で説明するのは難しいですし、ちゃんと聞いてくれますかね?」
「実はあの子は頭がいいよ。だから情やあやふやな言葉、店側の意見では丸め込めない。そんなやり方では大抵ちゃんと聞いてくれないし、頼ってもこない。その代わり、任せた方が都合がいいとか楽だと思える人には丸投げしてくる。山田君は担当として頼りになる、都合が良いという地位を築かなきゃならないんだよ。ヒントは教えたから後は自分のやり方で頑張ってみて」
「はい。ありがとうございます。今の話はミリオさんの出勤確保をどう増やしていくかのヒントにもなりました。今までは出勤を増やして欲しいお願いばかりでした。その理由ももっと稼げますよとか、この日の出勤が足りないからとかのあやふやな言葉でした。もっとミリオさんの立場に立って考えてミーティングをしていかなければならないんですね」
「そうだね。それからキャストによってアプローチを変えていくことも必要だよ。助けてよと情に訴えた方がいい時、期待してるとハッパをかけた方がいい時、いつもありがとうと感謝を示してノリ気にさせる時、逆に、あなたの実力はこんなものじゃないはずたよと叱責する時。キャストがお客さんに応じて接客を変えるように、ボーイも担当キャストに応じてアプローチの仕方を変えていかないとね」
黙って聞いていた山田君は大きなため息とともに天を仰ぐ。そして困った様な笑顔を見せて海斗に向き合うと、
「はぁ。海斗さんが頼りにされる理由がわかりました。僕はまだまだですね。瞬時にそれを判断して変えていく巧みな話術が思いつきません。秋山さんが言ってました。海斗さんは売れっ子キャストを沢山抱えて管理手当も入るから羨ましいって。実は僕もそう思ってました。けど、実際に担当を持ってわかりました。売上を伸ばすどころか出勤確保すら大変で、一筋縄ではいかない。キャストだって一生懸命頑張っているのになかなか成績が上がらない。僕はその相談すらされません。海斗さんを見てるとキャストがボーイの話を聞いてくれるのって簡単な事のように見えますが違いました。でもそれは海斗さんがキャストのことをトコトン観察してどう接すれば心を開いてくれるのか常に考えているからなんですよねぇ」
また大きなため息と共に山田君は両手で顔を覆う。
「俺だって最初から出来た訳じゃないよ。それに話術が優れてる訳じゃない。だから上手くいかないこともある。キャストと衝突することだってあるよ。だけど、それを怖がって何もしなかったり、ご機嫌を取るだけだったらキャストの出勤率や成績は上がらない。毎日悩んで、日々積み上げていくしかない。焦ることはないよ。増田さんをはじめとして頼りになる人はたくさんいるから」
「はい。もう一度、ミリオさんと向き合ってみようと思います」
その後、山田君は悩みながらも、ミリオさんの担当として良好な関係を築いていくこととなる。
そして、ミリオさんという扱いの難しいキャストを管理する事で山田君にも自信を植え付ける事にもなっていく。
海斗はこの様なトラブルを根気よく解決し続ける日々を送る中で、自分の役割を再認識していた。
海斗の主業務は付け回しであり、店の売上を大きく左右する。
でも、海斗の役職は別の意味合いも持つ。
決して海斗一人が店を回しているわけではない。
杏奈さんや、山田君だって日々悩んでいる。
ボーイ、キャスト全員がこの店の全体像を作り上げる。海斗もその一部分でしかない。
それよりも、海斗の言動、考え、積み重ねた経験が周りに伝わり、その働きが広がっていく。それはじっくりと確実に。
海斗はその広がっていく輪の色を決める存在なのだ。
だからこそ、自覚を持って日々の業務に取り組まなければならない。
焦ってもしょうがない。着実に店の質を上げていくのには時間がかかる。
客が満足するかはキャストに頼る部分も大きい。
なので、そのキャストがより魅力的に映るようにする事や、客にとって居心地の良い店、キャストがこの店だからこそ成績を上げたいと思わせる様にする為にどうすれば良いか。
それが増田さんから言われた言葉。
「エースとしての自覚」
なのかもしれない。
海斗の中で徐々に目標がシフトしていった。
それは一部のキャストに頼った上で成り立つ売上の良い店ではなく、季節やキャストに左右されない強い店にする。
それが幻想であったとしても、そこに近づくにはどうすべきか、海斗はこの問題に全力を傾けることとなった。




