ボーイと担当キャスト
理子さんがこの業界を去って10日あまりが過ぎた。
理子さんの圧倒的な指名売上成績をしばらく更衣室に貼り出していたが、すでにもう今月の成績表にチェンジしている。
たが、全従業員の脳裏には確実にあの光景が焼きついているはずだった。
そして4月となり、新しい風が吹き始めていた。
まず結衣菜さんが高校を無事卒業して正式にニューアクトレスへ再入店を果たした。
それからナナさんの保障期間が終わり、今月から他のキャストと同じスタートラインで働き始める。
そんな4月初旬、珍しくボーイ達と同じ時間に出勤してきた増田さんに海斗は呼ばれた。
増田さんがいつものVIP席に座り、その前の丸イスに海斗が腰掛ける。
「ちょっと困った事が起きてなぁ」
増田さんはそう言ったまま、珍しく黙り込む。
海斗は目の前のお茶を一口飲んで次の言葉を待つ。
「海斗、お前に今月支給する給料がいくらか知ってるか?」
「大体は計算できますけど…」
「そうか。えーと…、海斗の給与な、ちょっと高すぎるんだよなぁ。いずれどうにかしないとと思ってたんだけど、先月のお前の担当キャストが頑張りすぎた」
「あー、はい。成績のバランスがおかしな事になりましたよね」
「そうなんだよ。理子の成績に目を奪われてたけど、お前の担当キャストが3人も指名売上150万超えてたんだ。事務長と執行部がお前の給与計算したら凄いことになってた。お前の給与60万超えてんぞ」
「まぁ、でも規定通り…なんですよね?」
「そうなんだけどな、ぶっちゃけお前の役職って副主任だろ。だけど、支給される給与が他店のマネージャーと同じかそれ以上なんだよ。他店の副主任と比べると2倍くらいなんだ。しかもな…、…坂東より高い」
「えっ?そうなんですか?」
海斗は他店の事をあまり知らない。また、この業界に入って、ニューアクトレスしか経験していない。
一般的に60万が高い給与な事は海斗でも分かる。
だけどこの業界は社会的保障が何もない。身体が壊れたり、店の売り上げや担当キャストの成績が落ち込めばダイレクトに自分に返ってくる。
それよりも坂東さんよりも高い給与になってしまうことに驚いた。
先月のおおよその指名売上と順位は
一位 理子 560万
二位 杏奈 180万
三位 美香 160万
四位 リン 150万
五位 咲 130万
六位 楓 120万
七位 モエ 110万
八位 サラ 100万
九位 みりお 90万
十位 ミキ 80万
までがトップ10。
その内、海斗の担当キャストが
杏奈、美香、リン、咲、サラ、ミキの6人。
ナナは保障期間が残っていた為に対象外。
その指名売上合計が800万。海斗の管理手当はその5%の40万。
よって海斗の給与は
基本給22万+役職手当4万+管理手当40万
合計66万。実際にはそこから10%引かれるため、手取りは59万。
海斗は頭に入っている先月のデータを思い出していると、また増田さんが話し始めた。
「まず、執行部に突っ込まれたのは海斗の担当キャストが2位〜5位まで独占していることに加えて、8位と10位にも入っていることだ。つまり、トップ10に海斗の担当キャストが勢揃い。執行部の一部からは、俺が意図的に海斗へ多く管理手当が渡せるように優遇していると思われた。だから、海斗が担当し始めた時期と現在の指名の伸び率をちゃんと調べてくれとお願いした。実際には担当し始めた時、最初からAランクキャストだったのは杏奈だけなんだよ。後は新人だったりBランクだったんだ。振り分けは極めて妥当だったことは取り敢えず証明された」
「そうだったんですね。まぁ、先月は最初からみんな頑張ってましたからね。しっかりと送別会や昇進祝いなどでプレゼントを用意したりして、顧客の心を掴んでいましたから。でも、その分、店の総売上は高かった筈ではないんですか?問題になる程、俺を含めて人件費が高かったということでしょうか」
「いや、売上は過去最高だ。グレイスフルに迫る勢いだった。利益率で言えば系列店中、断トツでトップだ。ただな、ゲスの勘ぐりをする奴は必ずいるんだよ。今問題になっているのは海斗が枕管理してるんじゃないかという疑いだ」
「まくら…?」
「早い話が風紀だな。自分の女にして馬車馬のようにキャストを働かせているんじゃないかってな」
ボーイと担当キャストという関係は色々な形がある。
基本は上司と部下というような関係。
そこから派生した関係としては担当キャストが一方的にボーイに惚れてそのボーイの為に頑張る関係。いわゆる色管理。そこまでは問題はない。風紀にも当たらない。
しかし、更にその派生形として枕管理がある。
これは完全にボーイと担当キャストが男女の関係になり、ボーイの都合のいいように働かせる。
ホスト上がりのボーイはこの管理方法を得意とする場合が多い。担当キャスト全員と肉体関係を持ち、キャストがそのボーイの彼女という立場を勝ち取るために成績を上げる。その為には客と寝ることも厭わない。
この管理方法は本来ならば風紀となる。
しかし例外もある。それはボーイ自らがスカウトしてきた場合。
キャストを店に引っ張ってくる手段として肉体関係を持つ事は認められている。その様な経緯がある以上、そのキャストが入店後もそのボーイと肉体関係を続ける事に関して店側は黙認する。何故ならそのボーイが連れてきたおかげでそのキャストが店で働いてくれるのであれば、そのキャストの管理方法に店側は文句も言えないからだ。
ホスト上がりのボーイはスカウトも上手い。自分でスカウトしたキャストは自動的にそのボーイの担当になる。よって枕管理の割合も増えるのである。
しかし、募集やスカウトマン経由などで入店したキャストに対して、ボーイが枕管理をする事は完全に風紀になり、処罰の対象となる。
何故なら、関係が拗れてそのキャストが辞めたりしたら、募集広告の費用が無駄になるし、折角キャストを店に紹介してくれたスカウトマンにも申し訳が立たない。
最悪、スカウトマンが今後キャストを紹介してくれなくなる可能性もある。
なので、ボーイ自らスカウトしてきたキャスト以外は枕管理は絶対に認められない。
海斗は枕管理をしていないが、それが黙認される担当キャストもいる。
それは、咲、サラ、結衣菜、ナナ。
咲とサラは海斗がスカウトしてきたキャスト。
結衣菜は海斗が半年以上危ない橋を渡って再入店にこぎつけた経緯から、海斗のスカウトキャストに位置付けされる。
ナナの場合も、最初は派遣会社経由だったが、海斗の存在が決め手となり本入店となった。その経緯からナナも海斗のスカウトキャストと見なされている。
増田さんはその4人に関しては完全に海斗任せで良いと思っているし、何があろうと担当を外せない。
ボーイはスカウトマンと違って毎月のスカウトバックが入らない。なのでそのキャストを担当させて、売上に対する5%の管理手当をスカウトバックの代わりとするのである。
でも執行部で問題になったのはその他の担当キャストであった。
「先月、150万を超えたキャストは杏奈、美香、リンだ。特に美香。美香はうちの店で働いて10年になる。それまでAランクはおろか、トップ10に入った事もない。一部の連中はここに来て急に成績を伸ばしていることに疑問を持った。そして先月はとうとう150万を超えて3位に食い込んできた。やはり担当ボーイと何かあるんじゃないかという事になったんだ」
「まぁ、そうですよね。美香さんに関しては俺も予想外の成績でしたから。でも枕管理はしていませんし、その証明も難しいと思います。どうすればいいのでしょうか?担当を変えられてしまうんですか?」
「海斗を近くで見ている人間は、お前がこの業界の人間とは思えないほど真面目なのは分かってる。それに、してない事を証明するのは、悪魔の証明だからな。証拠もないのに騒ぐ奴らの話なんてこっちからしたらいい迷惑だ。しかも、海斗が担当になって成績を伸ばしているのに何の根拠もなくその担当を外すなんて、いくら一部の執行部が圧力をかけてこようとも、店舗責任者の俺としては到底無理な注文だ」
「でも、執行部に逆らって大丈夫なんですか?」
「執行部と言っても、俺を目の敵にしてる部長と、他の店舗の店長達が騒いでいるだけだ。社長、専務、常務は海斗の実力を認めてるよ」
「は?社長がですか?」
海斗は飛びたした会社の重鎮の名前に驚いた。何故なら先日初めて面と向かって挨拶をしただけだ。まともに話した事すらない。驚いた表情の海斗を見て増田さんが面白がって言う。
「先月、社長達が来ただろう。うちの店を詳しく調べていった結果、好調な理由の一つに海斗の存在があると認識し始めた。そして更に、橋本組長からも海斗の名前が出たらしい」
「ええっ??橋本組長って…、この前、社長達と一緒に来た人ですよね?意味がわからないんですけど」
「ククク、原因は優矢だよ。先月ずっとうちの店をフルで手伝っただろ。あいつは顔が広いから、毎月色々な人と飲みに行く。その中にうちの社長連中も含まれる。更にはあの橋本さんやその若頭をしている後藤さんもな。みんな優矢と飲みたいのに先月は全然付き合ってくれない。お偉いさん達に問い詰められた優矢はサラッと『海斗さんとニューアクトレスで働くのが楽しいから』と言ったらしい。んでこの前、海斗がどんな奴なのか気になってみんなで見に来たんだと」
「……。優矢君て何者なんですか?」
「はぁ、俺にも分からん。だが、見てるこっちがハラハラする奴だって事は確かだけどな」
呆れ顔で眉間にしわを寄せる増田さん。
海斗も先日、社長達が来た時の優矢君の対応や態度を思い出し、増田さんの気苦労が少し分かった。
増田さんと目が合い、二人して苦笑いをしてしまう。
「優矢の事はまぁいい。話を戻そう。海斗はこのままで大丈夫。お前はこの業界の人間の中では珍しいタイプだ。しっかりと自分の役割を認識して全うしている。一般企業の管理職では当たり前の事なんだけどな。でもそれができる人間はそもそもこんな仕事に就かない。ほとんどのボーイは夜の仕事は楽に大金が稼げると思ってるか、他で通用しないからこの業界で働いてる。あわよくば女が食えるとでも思っている。そんな半端な心構えで仕事している奴が大半だ。でもこの業界で上にいける人間は違う。仕事に対して手を抜いたりいい加減な気持ちはないし、楽もしない。キャストに恋愛感情は持たない。それに他の仕事でも通用する人間性をもっている。海斗はそこがしっかりしている。俺の仕事は、海斗を含めてこの店の人間が最大限に働く事が出来る環境を作ることだ。だから心配することはない。引き続き、頼むな」
「はい。」
海斗は増田さんの言葉の意味が何となくわかった。
高校時代のバイト先の店長を思い出す。
可愛い女の子には甘く、男には厳しかった。
店長よりも立場が上の役職の人には従順で、無理難題をバイトに押し付けていた。
店がヒマな時に話す内容は仕事とは関係ないパチンコの事ばかり。
自分のミスをバイトのせいにする事も多々あった。
それに比べて増田さんは人間的魅力や仕事のスキル、店への責任感、売上に対するこだわり、そして人生経験が遥かに高いと感じる。
それはもちろん坂東さんにも当てはまる。
だから、坂東さんよりも海斗の方が給与が高い事を申し訳なく思った。
何故なら、常に付け回しのほとんどを坂東さんが行っていた。坂東さんが私情を挟まずに役割を全うしてくれたからこそ、海斗の担当キャストの成績が伸びた。
坂東さんが誰の担当であろうと分け隔てなく、客とキャストの相性だけを考えて付け回しを行ってくれた。
担当キャストの成績が自分の評価にも繋がることが分かってるのに、坂東さんは店の利益を優先していた。その心構えと器の大きさに海斗は感謝していたし上司として尊敬していた。
海斗はその想いを増田さんに伝えた。
「なので、他の店舗の人の給与は気にしませんが、坂東さんよりも高い給与はもらえません」
海斗がそうキッパリと言い切ると、増田さんも満足そうに頷く。
「お前の良いところだな。自分の手柄をアピールする気が全く感じられない。キャストに対してもそうなんだろうなぁ。お前は決して自分のおかげで稼げるようになったとは思わないんだろう。海斗は独りよがりな仕事をしないからな」
「自分の出来ることは脇役でしかないんです。最近、過大評価されてるようですが」
「事前に海斗と話して正解だった。俺の腹も決まった。ボーイ全員に重大な報告があるから、みんなを呼んできてくれるか?」
「わかりました」
海斗は増田さんの言葉に若干の緊張感を抱きつつ、VIP席を立ち、みんなを呼びに行った。




