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幕間 想い

増田店長の回です。いつもと視点が違います。

寒風が身に応える2月の終わり。

それとは無縁の室内で、白いゴルフボールが勢いよく飛んでいった瞬間、その先のネットに吸い込まれる。


「やっぱり理子はダメか?」

「何度も話し合ったんですけどね。夏頃には内定を決めていたようです」

「そうか…。」


夕方のゴルフ練習場。ゴルフウェアに身を包んだ社長がドライバーを熱心に振る。その様子を後ろのベンチから眺めるスーツ姿の増田。

ここは都内の一等地ビルの屋上。そこには会員制のゴルフ練習場がある。わすが50ヤードしかないのにも関わらず、料金は馬鹿高い。

芝のマットは最高級の人工芝を使い、各席にはスイングカメラが設置してある。

社長は自分のスイングをモニターで確認しながら話を続ける。


「やはりグレイスフルに移籍させた方が良かったんじゃないか?」


チラリと増田の方を一瞥した後、またモニターを見る。


「私も移籍を勧めましたが、理子は全く行きたがりませんでした。きっと戻れなくなることがわかっていたんだと思います」

「おいおい、お前の仕事はいい女をこの世界に留めることじゃないのか?」

「はい。力不足です。申し訳ありません」


増田は立ち上がると、深々と頭を下げる。

社長はドライバーをシャフト部分に持ち替えたあと、クラブのグリップでビシッと増田の頭頂部を叩く。


「フン!強情な奴め。いつまでも現場にいるから非情になれないんだよ。さっさと執行部へ上がって来い」


社長はそう言って更にコンコンと叩く。増田は頭を下げたまま言葉を続ける。


「私が現場を離れたら西野は中途半端なままになります。私は西野が執行部へ行っても問題ないと思えるまでは私も執行部へ行く気はありません。それにまだ、あの店を任せられる様な後任が育っていません。候補は決まりましたが」


叩いていた手がピタリと止まる。


「おい、あの店は立地的に経営がグレイスフルより難しいと言っていたじゃないか。その後任候補だと?誰だ、坂東か?」

「まだ直感レベルなので誰とも言えません。が、順調にいけばあと2年程です」

「…、そう言えば夏の会議に参加してた初顔がいたな。奴か」

「足りない点はありますが、光るものは確かです。今のニューアクトレスは現状、理子が大黒柱です。その理子が辞めた後、化ける可能性が高いのはキャストよりもむしろそのボーイです」


社長はゴルフクラブを手元に戻す。それを合図に増田も顔を上げる。自信満々の増田の表情に思わず社長が笑う。


「ククク、がっはっはっは!理子は生贄かぁ。そんなに見込みがあるんだな」


「超一流の黒服を育てるには超一流のキャストがどんなものか知らなければなりません。そしてキャストの旬は短いですが、黒服は違います。そしてその黒服は辞めた理子の幻影を追いかけることになります。その黒服が一人前になり、キャストを育てるスキルを身につけても満足することはないでしょう。なぜならこの先理子と競わせることは永遠に叶わないんですから」

「ククク、移籍させれば月に1000万は稼ぎ出せるキャストの可能性を放棄して、そのボーイに賭けるか。増田も大きく出たなぁ」

「そんなキャストをコンスタントに作り出せる黒服の方が価値があります。でもそれはニューアクトレスでしか出来ないでしょう。グレイスフルは条件が良すぎます。あそこは立地も恵まれていますし、キャストのレベルも意識も高いので黒服は育ちません」


「酷い奴め。情に厚いのか非情なのかわからんな。だがそれがいい。お前の本心がどこにあるのかはこの際どうでもいいわ。お前は常に長期的利益に基づいている。そうする限り、認めよう。理子の件は何も言うまい、励めよ」


「はい。失礼します」




地下駐車場に停めてある愛車のポルシェに乗り込んだ増田は大きくため息をついた。

そして今までを振り返る。


初めてスカウトマンが理子を連れて来た時をいまだ鮮明に覚えている。

スカウトマンは恐る恐る時給交渉をしていた。どちらかというと、申し訳なさそうに。

その横で理子は不思議な雰囲気を纏ったまま何も喋らず、ずっと増田を見ていた。

増田は安過ぎる時給の提案に少し上乗せした保証時給を提示し、即決した。


最初の1ヶ月、波風は立たなかった。

変化が訪れたのは2ヶ月目。

理子への指名変えが立て続けに起こった。

当時のナンバー1キャストは太客の指名変えに腹を立て、理子に成績を抜かれる前に系列店のフェアリーテイルへ移籍した。

ナンバー2キャストは逆ギレし、その指名変えした客を接客中の理子に向かって酒をぶっかけた。

理子はずぶ濡れのままでも全く動じずに、指名客の服が濡れなかったか心配し、ハンカチで客の濡れた部分を拭いていた。そして一言、


「私に文句があるのなら、お客様の迷惑にならないところでおっしゃってくださいね」


と言い放った。


その後、ナンバー2キャストは増田に向かって文句をいい続けた。

しかし、この事件はキャストの間でも客の間でも話題になってしまった。

対応のレベルの差にナンバー2キャストの評判がガタ落ちになり、半月後には店を去った。


立て続けにナンバー1とナンバー2を失ったが、3ヶ月後にはその倍の売上を理子一人で叩き出した。それ以降、理子に文句を言うキャストは居なくなる。


そこから理子の孤独な戦いが始まった。


1年が経つと、理子が席に付く事が客のステータスとなっていた。

また、理子はどんな客の前を通り過ぎる時でも会釈を欠かさない。その優雅で上品な姿に客もキャストも見惚れてしまう。


理子は見えない努力も欠かさなかった。

実は理子もこのゴルフ練習場の会員になっている。腕前もお客さんと一緒にコースに出ても迷惑にならない程度の実力がある。

野球やサッカーもルールや日本選手は勿論のこと、メジャーリーガーや欧州サッカーにも精通している。

また、ラグビーやアメフト、F1、テニスにも詳しい。

それから英語、ドイツ語、フランス語、中国語も勉強し習得している。


しかし、それをひけらかしたり自慢したりはしない。当たり前の嗜みとしている。それを武器にするつもりが微塵も感じられない。


フッと増田が自嘲気味に笑う。

自分がしたことといえば、助言だけ。

それをすぐに取り入れて自分の物としてきたのは理子自身だった。打てば響くという言葉がピッタリと当てはまっていた。


そして海斗は理子と同等かそれ以上だ。


先日の美香との会話が思い出される。着物の着付けをする為に他のキャストより随分と早く出勤してきた美香と更衣室でたまたま話をした。


「美香ぁ、こんなに早く出勤させて悪いな。無理してないか?」

「ふふふ、大丈夫ですよ。うちの子も10歳になったしね」

「そっか。もうそんな大きくなったんだ。それにしても、美香は一段と色っぽくなったな」

「そうやって褒めてくれるの初めてね。不思議な感じ。あんなに褒めてもらいたくてしょうがなかった時は全然褒めてくれなかったのに」

「何だ?今は違うのかよ」

「そうねぇ。今は海斗くんの言葉しか心まで響かないかもねぇ」

「何だ?海斗に惚れたのか?旦那が怒るぞ」

「ふふふ、私ね、ずっと女の華を咲かせてると思ってた。でも違ったの。それをあの子はちゃんと見抜いてくれた。今までそんなボーイさんはいなかったわ。だけど遅すぎよね。きっと私は最後の散り花。きっと長くは続かないの。桜吹雪は一瞬。だから今はあの子に頼まれれば何でもするわ」


そう言って着物を手に取り満足げに笑う美香。おもむろに増田の胸に寄りかかる。


「貴方は綺麗な花の蕾を計画通り完璧に咲かせる天才よ。そしてその輝きを寿命が尽きるまで世話し続けるの。でも海斗くんはどんな花もその花らしく咲かせるわ。でもあの子の足りないところは花はいずれ枯れるって事を知らないところ。永遠に咲き続ける花なんて無いのにね。だから私の役割はそこだと思うことにしたの。ふふっ、花を育てるって楽しいね」


美香が独り言のようにそう言った後、離れる。そしてまた、着物を並べてこちらを向く。


「私の着替え見ていくの?」

「おっと、ごめん。押し倒しちゃう前に戻らないとな」



そんなやり取りがあった。

そして覚悟を決めた女の強さを見た。美香は今月急激に指名を伸ばしている。

美香と出会ってもうすぐ10年。

一度もトップ10にすら入った事が無かった美香が、海斗の影響で突然化けた。

また、今月は海斗の担当キャスト7人の内、5人がトップ10入りする可能性もある。

杏奈以外はみな海斗のマネジメントで成績が上がったキャストばかりだ。

突出した成績を残すキャストはまだ出ていないが、きっとそれも時間の問題だろう。

また、海斗のスカウトによってトップレベルの戦力となり得るキャストも数人入店している。


夏の時点では絶対的な女王の理子がいなくなる事に焦りがあったが、今は違った思いもある。確かに理子が抜ける損失はトップクラスのキャスト3人が一気に抜ける以上の損失だろう。だが、不安は無い。


増田の頭の中は理子が来月、伝説的な売上と成績で水揚げを飾るプランと、その後の店舗経営をどう展開していくか明確なビジョンが見えていた。


「さて、理子が辞める事を言った後のボーイ達の反応が今から楽しみだなぁ」


そう独り言を言い、ポルシェのエンジンを吹かすのであった。

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