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激震

海斗がニューアクトレスで働き出して1年以上が経過した。

それはこの業界に足を踏み入れてからという意味でも同じ。

最初の5ヶ月は積極的ではなかった。それが変わるきっかけとなったのが咲さん。

担当キャストを持つことで海斗の意識は変わった。責任が生まれた。それはこの世界に咲さんを引き込んでしまったという意味もあった。

その後、担当が増え、役職が与えられた今現在は入店当初と別人と言っていいほどに変わっている。


そして2月からナナさんが本入店し、海斗の担当となった。また一つ責任が増す。


ナナさんとはスノボ旅行で偶然再会した後も連絡を取り続けていた。ナナさんは有名大学に通っていて、学業が忙しい為に派遣会社を通じて自分の都合のいい時間のみ働けるキャバを転々としていた。

しかし、先月の1月末のテストで卒業までの必要単位数を満たしたそうだ。まだ2年生なのに。

あとは3年時にしか取れない必修単位とゼミに所属して卒論を書いて認められれば普通に卒業できるらしい。

時間的に余裕が出来た為に派遣会社を通さずに、一箇所で働きたくなったナナさんは真っ先に海斗へ相談した。海斗はすぐに増田店長に連絡した。すると増田さんは派遣会社に一定の金額を払い、本入店の運びとなった。



元大学生の海斗としてはナナさんが2年生のうちに卒業に必要な単位を全て取り終わることがどれだけ優秀か容易に想像がついた。

毎日朝から夕方まで授業に出続け、期末には膨大な量のテスト勉強をしなければならない。

また、効率良く単位を取る為には人気のある授業を抽選で獲得しなければならないし、不人気の授業にも真面目に取り組まなければならない。

ここでいう人気、不人気とは、単位の取りやすさを言う。

人気の授業とは、出席確認が杜撰で誰が返事しても大丈夫だったり、出席表に誰が丸を付けても問題なかったりする『代返』が可能。また、テストが簡単であったり、教科書が持ち込み可能であったりする。

おかげで定員以上の生徒が殺到する為に抽選となる。その抽選で当たる確率を上げる為に、その授業を取るつもりのない人にも協力してもらい、当たった人からその権利を譲ってもらう。


不人気の授業はその逆。毎回授業に出なければならず、テストは過去問が当てにならなくて予想が難しい。また、ノートや教科書の持ち込みも禁止。

こう書くと「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれないが、そんな授業の方が稀。なぜなら厳しくしすぎて定員割れを起こすと講師がクビになるから。

有名な教授や、大学側が呼び寄せるほどの実績のある講師なら別だが、只の雇われ非常勤講師などは定員割れを恐れるので授業が緩い。


大学生は遊んでばかりだと言われやすいのは、楽な授業を選んで単位を取得し続けても卒業まで辿り着けるからだと思う。

でも、楽な授業の情報は人脈を広げておかないと入ってこないし、人気の授業の抽選に協力してもらえる人や、代返してくれるような人など、優しい友人や利害関係の一致する人を多く抱える必要がある。

また、テスト問題を仕入れてきてそれを教えてくれたりする先輩や、TAと仲良くなって情報を仕入れたりする事も必要。TAとはティーチングアシスタントの略で主に教授の研究室に所属している大学院生が教授の授業の助手としてバイト感覚で行っている。

そして一番重要なのが、そのようなズルとも取れる行為に対して周りが許してしまう様なその人の人柄。


ナナさんは、真面目に授業に出る一方で、楽に稼げる単位の情報を仕入れることができる人間関係を築き、期末試験もクリアし、単位を落とすことなく確実に積み上げていった。

なぜなら楽な授業だけを選んでいたら2年間で卒業に必要な単位を取ることは難しいから。



そういった意味でも海斗はナナさんの事を才色兼備な戦力として今後に期待している。

増田さんもその辺を見抜いていたため、保証時給4000円3ヶ月を提示したが、ナナさんの方から保証時給4500円2ヶ月を希望してきた。

その聡明さに増田さんも感心し、ナナさんの希望通りにした。


こうして海斗の担当キャストは成績順にいうと、

杏奈、リン、咲、美香、サラ、マキ、そしてナナの7人。


杏奈、リン、咲は相変わらずトップ争いをしている一方で、美香さんが猛烈な勢いで成績を上げてきている。

美香さんはそれまでは年齢的にも限界と本人も諦めていた節もあった。

しかし、海斗とのミーティング中のひょんな一言から状況が変わっていった。


「美香さん、いつもお疲れ様」


「海斗くんの方が頑張ってるじゃん。いつもお疲れ様。海斗くんの担当キャストは張り切ってるわよね。海斗くんのプレッシャー半端ないし。その点、私はミーティングに呼ばれる回数も少ないからラクだけど」


「えぇぇ?そうなんですか?やっぱ俺、プレッシャー与えてる?」


「ふふふ、杏奈ちゃんなんて待機席から呼ばれる度に他のキャストに愚痴こぼしてるわよ。『またや〜、今日は何言われんねやろ〜。泣きながら帰ってきたらみんな慰めてなぁ。』なんて言いながらダルそうにミーティングに向かってるわよ」


「参ったな。別に杏奈さんに関しては厳しい事を言ったことはないんだけどなぁ」


「あはは、分かってないわねぇ。ミーティングに喜んで行っちゃったら媚びてると思われて反感買うのよ。面倒くさい振りしないとね。ミーティングに呼ばれるってのはある意味ステータスなの。その他大勢のキャストさんとは違うっていうね。呼ばれない子はうるさいこと言われないし、待機席でキャストと喋ってる方が楽しいからラクでいいなんて言うけど、心の中は違うわよ。嫉妬と羨望が絶対あるの。そういうもんよ」


ニコニコとしながら美香さんがチラリと待機席を見てまた海斗の方を見る。

美香さんは色々な顔を持っている。待機席では他のキャストよりも年上なのでキャストを慰めたり、体調を心配したりする。

いざ、接客となると若いキャストに負けないくらい甘えたり、はしゃいだり子供っぽくなる。口調や仕草も今と接客中では全く違う。


また、結婚していて旦那さんと子供を養うためにある程度の成績と時給は必要らしく、同伴ノルマなどは最低限こなす。

しかし、新規客を獲得する貪欲さはあまり無く、期間の長い指名客数人を大事に繋げている。飲み方も派手さは皆無だし、1日で1人の指名客にオープンラストでずっと付きっ切りだったりする。

店にマイナスになるような働き方ではないが、あまり利益もない。

だけど天井知らずの上昇志向は身の丈に合わないと破綻する。だから海斗もこのままでいいと思っていたが、このままでは美香さんが年齢を重ねていくにつれてその水準は徐々に下がっていき、この店の水準に合わなくなれば去らなければならない。その時期が近づいてきているのも分かっていた。


「美香さんは今後の事とか考えてたりするの?」

「んー、そうねぇ、増田さんに何か言われたら辞めようと思ってる。この店の開店当初からずっと一緒にやってきたけど、特別目をかけられた事はなかったわ。だから続けられたんだけど。私ね…」


そう言って、遠くを見つめる。その視線の先に誰がいるのか想像がついた。海斗はじっと美香さんを見つめ、美香さんから話し始めるのを待つ。そんな海斗の姿を見た美香さんが諦めたようにまた話し始める。


「海斗くんには参っちゃうなぁ。そんな真剣な眼差しされると、誤魔化せないわねぇ。私ね、増田さんが前の店の店長時代からの付き合いなの。この店がオープンする時に増田さんを追いかけるようにして移籍したの。でも私は増田さんの担当には一度もなれなかった。増田さんに目をかけられた子はみんなすごい成績を残した。だけど、今は誰一人残ってない。きっと理子さんもいずれ増田さんの元から離れるわ。何でか分かる?」


これではどっちがミーティングをされているのかわからない。だが、キャリア8年以上の美香さんと1年ちょっとの海斗では当然なのかもしれない。海斗は素直になるしかなかった。


「何でですかね?」


その言葉に美香さんが柔らかく笑う。


「海斗くんは素敵ね。普通はキャストに舐められたくなくて最もらしいことを何かしら言ってくるのに、そうやってキャストにゆだねちゃうんだもの、不思議な人。そうねぇヒントは『元ナンバー1』って言葉」


その言葉に海斗はピンときた。


「そっか。やっぱり耐えられないもんなんですね」


「そうね、ナンバーワンになる子は人一倍見栄を張って生きてるからね。結局私には経験できなかったけど」


「そんな事ないと思います。だって美香さんはずっとこの店で働いているじゃないですか。20歳くらいのキャスト達と勝負してるじゃないですか。十分見栄張ってますよ。女張って生きてます」

「ふふ、ありがと。でも、もう疲れちゃったわ。あの子達のような振る舞いは私には出来ないもの」


そう言って俯き加減になる美香さん。海斗は今まで感じていた違和感の正体に気付いた。

美香さんはずっと無理して演じてきた。若い子に負けない様に。

美香さんくらいの年齢になればもっと落ち着いたスナックや都内近郊の店に移ることは誰でも考える。

だけど、店のランクが落ちるという事は即ち、女としての価値が下がるという事。

美香さんはずっとそれに抗ってきた。

もちろん、まだ小さい子供の為に高い時給の店にいた方が効率が良いという面もある。


海斗の違和感はそこだった。無理して若くあろうとする必要があるのだろうか。

海斗には営業中の美香さんより目の前にいる美香さんの方がより魅力的に映る。


「もっと得意分野で勝負しませんか?」

「それって、どういうこと?」

「美香さんってキャリアが長い分、キャバ嬢を演じちゃうんですよ。派手でセレブで浮世離れな人を。キャバ嬢はこうあるべきなんだって」

「だってそれが仕事でしょ?」

「でも、美香さんの指名のお客さんにはそんな接客してないじゃないですか」

「まぁ、確かにねぇ。でもそれは付き合いが長いから」

「んー。じゃぁ美香さんの特技って何かあります?」

「特技?んーと、お裁縫かな。子供の物とかよく作るし、料理も毎日作るけど。あとは着物の着付けとか」


その言葉に海斗は閃いた。


「それだ!着物を着ましょう!」

「えー?もっとおばさんになっちゃうじゃん。やだ!絶対浮くし」

「毎日じゃなくていいんですよ。美香さんだったら絶対似合うし、おばさんにも見えませんって」

「私だけ着たらママみたいだし、そんな成績じゃないし」

「わかりました。着付けが出来るんなら他のキャストにもしてあげてください。もちろん着付けの金額は出します」


結局、海斗の熱意に渋々了承した美香さん。

海斗はすぐに増田さんに着物の件と着付けに関して相談する。

最初はあまりいい顔をしなかった増田さん。

確かに店の雰囲気が変わってしまう恐れもあるし、美香さんが立場を勘違いしてしまう可能性もある。だけど、熱心に説得を試みる海斗。

結局、美香さんだけでなく、誰でも着物を着ても良いようにすれば誤解も少ないだろうということで試しにやってみることにした。


これが大当たりだった。


美香さんの着物での接客はお客さんに大人気。しかも、いつも着ている訳じゃないという点もプレミア感が出ていた。

それを見た他のキャストもみんな着物を着てみたいとなった。

着物を着るには美香さんより早い時間の出勤のキャストになるため、Bランク以上のキャストに限られる。また、美香さんが早めに出勤が出来る月曜と木曜しか他のキャストは着物を着れない。それから着物の着付けは1日1人にしないと美香さんの出勤にも支障が出てしまう。よって予約待ちまで発生していた。



美香さんの変化も顕著だった。それまでの接客スタイルをバッサリと捨てた。落ち着いた雰囲気と年齢を武器にしだした。それはいい意味で目立っていた。28歳という年齢は決しておばさんではないが、女性は皆若くありたいと願う。男はみんな若い女性が好きだと思い込んでいる。でも本当はそういう心の劣等感が見えるのが男受けしない一番の理由だったりする。

男性は歳相応の魅力を知っていて、武器に出来る。

それに対して女性は美魔女だなんだと言ってアンチエイジングが正義だと思っている。

あんなの見苦しくて見ていられない。あんな人たちに実は男性の支持は少ない。


美香さんは未練を捨てた。そして魅力は増した。

癒される、落ち着く、安心するという評判が日に日に増えた。

意外に若い客の評判も良くなった。

それは客から年上に見られることを受け入れたからなのかもしれない。

仕事を励ましたり、食生活を心配したりと、接客の幅が広がっていた。



海斗の担当キャストがそれぞれの個性を発揮して色々な客のタイプに対応していく。そうして谷間の二月の売上も乗り切れそうな予感がしていた。


そんな2月の末の営業前ミーティング中、増田さんから衝撃の一言が発せられる。


「3月末で理子が退店する」


その言葉の破壊力にボーイ全員が固まった。

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