お好み焼
次の日、海斗は昼過ぎに目覚めた。
夕方には結衣菜さんが働いているお好み焼屋に行く事になっている。
しかし、ある問題に気付いた。
待ち合わせの場所がお好み焼屋という事。
今まで、毎月結衣菜さんと会う時は、カフェや駅前などで待ち合わせていた。今回は話の流れで結衣菜さんのバイト先になってしまい、このままでは一人でお好み焼屋に入店するという高いハードルを越えなければならなくなってしまう。
流石にそこまでの強いハートを持ち合わせていない海斗は、結衣菜さんのバイトが終わる時間が19時なのでその時間に予約を変更してもらおうと考え、起きてすぐにラインを入れた。
しかし、夕方になってもそのラインが既読になることはなかった。
直接お店に電話しようと思い、携帯で結衣菜さんのバイト先のお好み焼屋を検索している時、妹の若菜が話しかけてきた。
「お兄ちゃん、今日の晩ご飯は何がいい?」
そう声をかけられ、携帯から顔を上げた海斗は、しばし考えたあと提案する。
「今日、お好み焼食べに行く?」
「わぁ!行きたい!」
若菜はパッと笑顔になった。
そう言えば外食なんてここ最近していなかった事に気付く。
結衣菜さんとは毎月会ってるし、込み入った話をする必要もないので、若菜がいても別段問題は無い。
「結衣菜さんって覚えてる?夏のバーベキューで一緒だったコ」
「あー、めっちゃ明るい人でしょ。覚えてるよー。結衣菜さんがどうしたの?」
突然、キャストの名前が挙がった事に若菜が不思議がる。
「結衣菜さんはウチの店辞めて今お好み焼き屋さんで働いてるんだよ。増田さんに頼まれて結衣菜さんに渡すものがあるから今日そこへ行かなきゃならないんだ。ついでにご飯も食べようかなぁって思って」
「へー、辞めちゃったんだぁ。んーと、お兄ちゃんは結衣菜さんの事、どう思ってるの?」
「ん?どうって、どういう事?」
「んー、私が一緒で邪魔じゃないの?」
若菜は海斗の顔を窺うような態度で少し言いずらそうにしている。
「あはは、結衣菜さんとは何にもないよ。ただ、また時期が来たらウチの店に戻って欲しいと思ってるから連絡を取ってるだけだし。それにそのお好み屋さんって家のすぐ近くだよ。ほら駅前の」
「そうなんだぁ。え?結衣菜さんってウチの近所に住んでるの?」
「いや、家は電車でちょっと行ったとこみたいだけど、近所ちゃぁ近所かな」
流石に結衣菜さんはまだ高校生で学校が海斗達の家の近所だとは言えない。でも電車通学だから結衣菜さんの家は海斗達の住んでる街の隣街にある。
「今から予約変更するから、若菜も準備して」
「はーい」
そうして若菜はキッチンを片付け、出かける準備の為に部屋に戻った。
海斗は調べたお好み焼屋に電話をかけると、たまたま結衣菜さんが出た。若菜も連れて行ってもいいか聞くと久しぶりに会いたいですと快諾してくれた。一人で入店する事は免れたため、時間は18時半のまま、人数だけ変更してもらった。
夕方、海斗は若菜と二人で家を出る。
冬の寒空の中、最寄りの駅まで歩き、駅構内を抜けて反対口へ出た。
海斗はあまりこちら側へは来た事が無かったが、若菜は安いスーパーがあるのでよく来ているようだった。お陰で目的のお好み焼き屋にもスムーズにたどり着けた。
店内に入ると、日曜日な事もあり家族連れがかなりの組数来店していた。
「いらっしゃいませー」
元気の良い店員に予約の名前を伝えると、そのまま少し待たされる。しばらくすると結衣菜さんが満面の笑みでやってきた。
「いらっしゃいませー。あっ、若菜ちゃん久しぶりぃ。あ、えーと、ドゾ、ご案内します」
久しぶりの若菜との対面にテンションが上がってしまった結衣菜さんだったが、周りのお客さんの目を気にしてすぐにぎこちない敬語になった。
海斗達は笑いを噛み殺しながら靴を脱ぎ、席へと着いていく。
案内された席は店の一番奥の座敷で、掘りごたつのような形状になっていた。
ドリンクとお好み焼、もんじゃ焼き、魚介類の鉄板焼きなどを一通り頼むと、
結衣菜さんが茶目っ気のあるウインクとともに
「お持ちしますので少々お待ちくださぁい」
と言いながら去っていく。
それを見た若菜が、
「結衣菜さんの店員さんユニホーム姿めっちゃ可愛いねー」
と目をキラキラさせてはしゃいでいる。
確かに、他の店員とは華やかさが違う。ニューアクトレスでトップクラスでは無かったが、さすがは元Bランクキャスト。それにお茶目で明るいキャラが店の雰囲気によく合っている。案の定、遠くの客席でオーダーを取っていてもなぜか結衣菜さんの笑い声が聞こえてくる。
その後もテーブルの片付けをしたり、品物を運んだりテキパキと働く結衣菜さんを見て意外だった。でも、テーブルを拭く時にかつお節をめっちゃ床に落としてたり、手に付いたソースを舐めちゃったり、遠くから海斗に向かってピースしたり、屈んだ拍子にジーンズの腰からピンクのパンツが見えちゃってたりと、若干のテキトーさも相変わらず健在だったが。
若菜と二人でお好み焼を焼いていると、色々な店員がチラチラこっちを見てくる。
少し気にしつつ、若菜と取り留めのない話をする。
30分程経ち、結衣菜さんのバイトの時間が終わったらしく、私服に着替えて席に来た。
「おー、お疲れー。頑張ってたなぁ、見直したよ」
「疲れたぁ。ホントですかぁ?にししし、結衣菜はやればできる子ですから」
ピースをしながら海斗の隣に座る結衣菜さん。
「好きなもの頼んでね」
「はーい。あ、あと海斗さんにお願いがあるんですけどぉ」
「どうした?」
結衣菜さんは周りを伺い、少し小さな声で、
「ごめんなさい。お店の人に海斗さんの事、結衣菜の彼氏って言っちゃいました。実は最近、バイトの先輩にしつこく言い寄られて困ってるんですよぉ」
口をへの字に曲げて上目遣いでお願いされた。海斗は笑いながら
「いいよ、いいよ。好きなだけ使ってくれ。つーか、その先輩にも普段からそんな可愛く色々とお願いしてるんでしょう?あんまり男を勘違いさせちゃダメだよー」
「そんなことないですよぉ〜。でも、海斗さん人気ですよ。みんなカッコいいって言ってます」
「またぁ、そーやって。ココはキャバクラじゃないんだからお世辞いらないし」
「えー?だってそんな赤紫のスキニーパンツをカッコよく履きこなす人、あんまりいないですよ」
「おいおい赤紫て。ボルドーな。せめてワインレッドって言ってくれよ。なんか赤紫ってめっちゃダサそうじゃんか」
「ボルドー?そう、それ!結衣菜、言葉知らなくてぇ。でもボルドーなんて聞いたことないよ」
「何でよ。うちの店にその名前の赤ワインボトルあったじゃん。結衣菜さんだって頼んでたし」
「そうだっけ?もう忘れちゃった〜」
向かい側で若菜がクスクス笑っている。
海斗も面白くなりさらに突っ込んで聞いてみる。
「じゃぁ赤は英語で何て言うの?」
「レッド!」
すかさず人差し指を立てて発音良くドヤ顔で答える結衣菜さん。続けて海斗が聞く。
「じゃぁ、紫は英語で?」
「紫、むらさ…、…ぐれーぷ?」
「パープルな」
「はにゃっ!」
変な声を出す結衣菜さんを見て、若菜が噴き出してしまい、口からジュースがこぼれそうになるのを慌てて抑えた。
「ケホッ、ケホッ。もう、結衣菜さんのリアクションめっちゃ面白い」
面白いと言われて嬉しそうにする結衣菜さん。愛嬌のある会話はウチの店でも杏奈、結衣菜のおバカ2トップの右に出るものはいない。
その後も和気あいあいと食事をしている最中、若菜がトイレに行った。
そのタイミングで海斗は結衣菜に封筒を渡す。毎月15万円を渡すのも来月まで。結衣菜さんはちゃんと約束を守り、店を辞めてから今まで怪しいバイトもせず、夜遊びで補導される事も無かった。
結衣菜さんは封筒を大事そうにバッグにしまうと、珍しく神妙な顔つきをする。海斗は気になり聞く。
「どうした?」
「うん、結衣菜ね、ここのバイトめっちゃ頑張ってるんだけど、毎月海斗さんからもらうお金より全然少ないの。キャバとかでしか働いた事なかったから最初は給料の少なさに凄い不満だったんだけど、今はキャバとかの方が異常に高いんだってわかったの。だってバイトのみんなはこの給料が普通なんだもん。それでも楽しそうだし」
「そっかぁ。いつも言ってるけど、そのお金は俺があげてるんじゃなくて、増田さんからだからね。今は増田さんと連絡を取るのはダメだけど、高校卒業したらちゃんとお礼を言うんだよ。それに、増田さんは結衣菜さんの事をちゃんと考えてる。働くという事、お金の価値観、同世代の子とキャバ嬢と何が違うのか、それをしっかりと認識してほしいんだと思う。その想いに結衣菜さんがこの5ヶ月間応えてきたから、今の結衣菜さんがいると思うんだ。増田さんに感謝だね」
「結衣菜は増田さんに早く会いたいなぁ。いっぱい怒らせて困らせちゃったから、高校卒業したら恩返しするんだぁ」
「結衣菜さん、いい女になったなぁ」
「うにゅう〜。変な女ですぅ〜」
結衣菜さんは真面目に褒めるとすぐ変顔をして照れる。
海斗は知っている。結衣菜さんが高校生にも関わらず、ニューアクトレスで働いていた事が発覚したら増田さんがどうなっていたか。増田さん自身の損失は軽く100万を超える。保釈金に加えて、会社からは管理手当の天引き、罰金。営業停止による損害。
それは結衣菜さんが高校卒業するまでは気が抜けない。なぜなら、お金欲しさに違法なバイトをして捕まった拍子に今までどんな事をしてきたか警察に物凄い尋問をされる。それに18歳の娘が口を滑らせない保証はない。
増田さんが結衣菜さんと直接連絡をしてお金を渡さないのも増田さんが店舗責任者だから。海斗と増田さんでは意味合いが違ってくる。
だけどそれは結衣菜さんには言えない。飽くまでも恩を売ること。増田さんは結衣菜さんに無償で渡す90万以上の物を確実に回収しようと思っている。それは結衣菜さんがキャストとしてワンランク上のレベルになる事と、また戻った時にちょっとやそっとじゃ店を辞めれない心情を植え付ける事。
海斗は増田さんと毎回、結衣菜さんと会う前に話し合うし、あった後も詳しく報告している。
海斗はそんな事を考えながら片手で頬杖をつきながら、隣に座る結衣菜さんを見ていた。
結衣菜さんは焼けたホタテを箸でつかみ、
「これ、じゃがいも?あっ、ホタテか」
と訳のわからない勘違いをしながら無邪気に食べていた。
時間も21時を過ぎた為、会計をして店を出る。
「うわーちょう寒い!結衣菜、タクシーで帰ろうかなぁ」
「駅前のタクシー乗り場までは頑張ろうな」
「うぃ〜。ってゆーか、海斗さんの私服オシャレですねー、オシャレ工場長です」
「あー、これは優矢君の真似してるだけだから。ってゆーかオシャレ工場長ってどうなの?微妙ってこと?」
「えーと、オシャレを出荷する工場の工場長は偉い人だから、凄いオシャレって意味です」
どうやら結衣菜さんの中では工場長は凄い人らしい。基準がよく分からない。
今の海斗の格好は
ボルドーのスキニーパンツ、白いイタリアンカラーシャツ、ネイビーのスタンドカラーカーディガン、グレーのチェスターコート、黒のローファー、白とネイビーのツートンカラートートバッグで、総額15万円ほど。
工場長っぽくはないはすなんだけどなぁと思いつつ、最近はよく優矢君と一緒に服を買いに行く事を思い出した。それまで服がこんなに高いものだなんて知らなかった。
お金の価値観が変わってしまうのはキャバ嬢だけではない。ボーイや黒服も同じだった。
だけど、華やかさを知らない人に華やかさを演出出来る訳が無いと増田さんに言われた事もあった。そして華やかさの周りに人が寄ってくるとも。
「結衣菜さんの方がセンスいいじゃん」
海斗も褒めると、隣で若菜がコクコクと頷く。それを見た結衣菜さんは
「結衣菜はもうギャル卒業します。だって若菜ちゃんはなま脚ですもん。よっ!ギャルの鑑!」
そう言って若菜に勢いよく抱きつく結衣菜さん。本当にこの子は歩いてても落ち着きがない。
駅前のタクシー乗り場で結衣菜さんを見送り、若菜と帰路に着く。何だか少し気温が下がった様に感じる。
「お兄ちゃん、結衣菜さんってすっごい元気だよねー。楽しいし、明るいし、嫌味がないし、こっちまで元気になる」
ウキウキした表情で話す若菜を見ながら考える。
結衣菜さんみたいな子が一番輝けて評価されるのはやっぱり夜の世界なのかもしれない。闇が深い世界であればあるほど、輝きは増す。
その世界でしか生きられないと同時に、その世界だからこそ生き生きと輝ける。そんな人も確かに存在する。海斗は改めてそう感じていた。




