後始末
営業終了後の店内。
海斗が閉店作業をしていると、坂東さんにVIP席へ来るように呼ばれた。
そこでは増田店長がお茶を飲みながら今日の売上伝票を整理していた。
海斗が正面の丸イスに座ると増田さんがチラリと顔を上げるが、伝票整理にまた目を落とす。
増田さんの隣に座った坂東さんが海斗へ話しかける。
「今日は急遽付け回しを代わってもらってすまなかったな」
「いえ、俺の方こそ店前でのトラブルを助けてもらってありがとうございます」
「あー、その、ちょっと俺、みっともない姿だったな。アレは忘れてくれ」
「みっともないって、めちゃめちゃ迫力ありましたよ。普段優しいからギャップにびっくりしました」
「いや、本当はあんまりそういう風に思われたくないんだけどね。でもあいつとは昔色々とあってなー。俺はそういう世界から足を洗おうと決めたんだけど、まだまだ修行が足りないなぁ。びっくりさせてゴメン」
坂東さんはそう言って頭を下げる。
「いえ、坂東さんがあのタイミングで来てくれていなかったら俺がボコられてたと思うんで、そんなに謝らないでください」
海斗はそう言うが坂東さんは中々頭を上げなかった。見かねた増田さんが間に入る。
「この業界はさ、あんまり探られたくない過去を持つ奴もいるんだ。坂東も昔は色々あったし、こいつ自身後悔することも沢山あった。でもだいぶ変わったよ。今は客やキャストに対して昔の雰囲気を出すことはないのも知ってる。だから海斗もそういう目で見ないでやって欲しいんだ」
「はい。昔はヤンチャだったんだろうなって何となく分かってました。だけどヤンチャの度合いが俺の知っている不良とはレベルが違うなと今日感じました。でも、それ故に頼もしくも思います。坂東さんは俺がこの店に入店してからずっと優しかったし力になってくれてましたよね。今日だって守ってくれました。俺にとっては今も昔もいい上司な事には変わりないです。そんな事より、ツカサさんが心配なんですよね。全然連絡取れないんです。きっとツカサさんも状況がわからないまま不安だと思うんですけどね」
海斗は自分の携帯を取り出し、着信履歴を確認するが、やはりツカサさんからの連絡は入っていなかった。
そんな海斗を見た増田さんが思わず吹き出す。
「海斗は本当に仕事人間だな。坂東の本性を知って涼しい顔でキャストの心配してる奴なんてあんまりいないんだけどな」
その言葉に頭を下げ続けていた坂東さんもポカンとした顔で頭を上げる。増田さんと顔を見合わせた後、呟く。
「この反応って、…優矢以来ですね」
「ぷっ。やっぱ、海斗と優矢って似てるんだなぁ」
増田さんはそう言ってまた笑った。海斗はその状況にどうしていいかわからず、携帯を持ったまま増田さんと坂東さんを交互に見ていた。すると増田さんが
「この商売ってさ、ヤクザとかの裏社会との接し方って重要なんだよ。変にビビってもダメだし、憧れてもダメなんだ。どっちの接し方をしても結局は付け込まれる。常にスタンスを崩さない事。でも海斗はその辺の感覚が優れている。やっぱり向いてるよこの商売に」
「はぁ。そうなんですね」
「うんうん、店を任せられるか任せられないかの判断もその辺が重要になってくる。その点では合格だな」
海斗にとっては店長という立場はまだまだ遠い存在だと思っているのだが、この業界では1、2年で店長になる人もいるらしい。
「それから、ツカサの事はほっとけ。助けを求められても深入りするな。じゃないとお前自身も巻き込まれるぞ。この世界は全て自己責任だ。ヤクザとの関わりが普通の社会とは違い距離が近い。バランスが崩れると取り込まれる。そして抜け出すのは至難になる」
そう言って増田さんは坂東さんを見る。坂東さんは若干気まずそうに顔をしかめていた。海斗にはツカサさんの担当として出来ることが無いことを悟るしかなかった。
「じゃあ、ツカサさんの事も、あの相良っていう人の事も聞かないほうがいいんですね」
海斗はため息をつきつつ、独り言のように呟いた。
3人共無言のままタバコの煙だけがゆらゆらとその場を漂う。
そして不意に増田さんが話し始める。
「海斗もこの業界に入って1年か。突然キャストが居なくなることは普通だよ。だけど担当を持つようになると辛いよなぁ。でもそういう世界だから慣れるしかないよ」
「はい。でも…」
これまでのツカサさんとの事が思い出される。決して売れっ子キャストだった訳ではなかったが、海斗にとっては大事な担当キャストだった。会話が下手で身体を触らせるしかなかったツカサさん。周りのキャストからあまり良くは思われていなかった。ミーティングものらりくらりで自分に甘いところが多かった。それでも、自分から進んで同伴しようとしてくれた。だけどあまり上客を持っていなかったから危ない客を選ぶしかなかった。きっとツカサさん自身も自分の評価を変えたかったのかもしれない。
海斗は無理をさせたのは自分の責任だと思った。
「もし、ツカサさんから連絡が来れば、俺は力になってやります。たとえ危ないと思えることでも」
「海斗…」
海斗はじっと増田さんを見つめる。少し困ったような顔をする増田さん。
「ったく、お前の目は眩しすぎんだよ。だけど、そんな真っ直ぐじゃお前自身が傷つくぞ。普段はドライな癖に決めた事には熱くなるんだな。しょうがねーなぁ、坂東」
「はい。でも俺は海斗のそういうとこが気に入ってます。相良のこともある程度は話してもいいんじゃないでしょうか?」
「まぁ、裏社会の噂話を興味本位で知りたがる奴じゃ無いしな。必要な情報だけは教えておくか」
それから海斗はこの業界の常識を知った。まず、ケツ持ちは北条組系の傘下の後藤組だという事。毎週取り替えに来るおしぼりや植木、水のペットボトルなどの業者が企業舎弟だったりする。その後藤組を破門になっていた相良が最近この街をウロついているという情報が入っていて見つけ次第連絡するように通達が出ていたらしい。なので坂東さんは相良を後藤組へ連行した。また、相良と関わっていたツカサさんも店に在籍させるのにはリスクが大きい。なのでこのまま飛んでくれた方が助かるんだとか。ヘタに連絡があると相良の行動の裏取りに使わざるを得なくなり、可哀想な結果になる可能性もある。
「だから、ツカサにはもう関わるな。あいつはクビだ。…もう忘れろ」
増田さんの思わぬ言葉に海斗も反論する。
「クビって…。こっちから見捨てるんですか?俺らの仕事は女を守ることじゃないんすか!」
海斗はクビという言葉に思わず立ち上がりかける。その時、物凄い勢いで増田さんの鉄拳が飛んできた。避けることも出来ずに海斗はモロに食らって丸イスから転げ落ちた。顔を上げると仁王立ちになった増田さんがいた。後ろから坂東さんが羽交い締めで増田さんを抑えている。が、増田さんは構わず倒れている海斗の胸倉を掴んだ。
「勘違いするんじゃねぇ、俺らは店を守る為にいるんだ!ツカサを守る為じゃねぇ!リスクを考えろ!女を守りたいんだったら勝手にしろ。だけどな、お前にそんな力があるのか?てめーの器はどんなもんなんだよ!」
再び増田さんの拳が振り下ろされ、続け様に蹴りが海斗の腹にめり込む。
「増田さん!落ち着いてください!」
坂東さんが必死で止めに入る。
「うるせぇ、てめーのチンケな正義なんかな、これっぽっちも通らねーんだよ!いいか、大事な事教えとくぞ。てめーの筋を通したかったらなぁ、力と、金と、人脈を持て!それをフルに使う頭と行動力を身につけろ!俺は、お前らを含めたこの店を預かってんだ。口だけの正義なんていらねえんだよ!」
海斗は火の出るような顔の痛みと、全く息が出来ない苦しさから自然と涙が止まらなくなっていた。それでも理不尽さに怒りが止まらなかった。そんな様子を見て増田さんが言う。
「立てよ。ヤクザなんかこんなもんじゃねぇんだぞ。今のお前に何が守れるって?こんなクソみたいな暴力に屈してんじゃねーよ。早く立てや」
海斗はなぜか止まらない涙と震えを必死に抑えて立ち上がる。固く握り締めた拳も僅かに震えている。
「どうした?殴り返せよ。そんな事でクビにはしねーから」
増田さんはすでに冷静な顔つきで海斗を眺める。海斗は真っ直ぐに増田さんを見て応えた。
「殴られるのってこんなに痛くて苦しいんすね。よくわかりました。クソっ、めちゃくちゃ理不尽っすね。こんなのに屈してたら悔しくてたまんないっす。でも、俺は殴りません。ヤクザの土俵には上がらないっすよ」
海斗がそう言うと、増田さんは感心したように少し驚いた後、ふっと笑った。その様子に坂東さんが拍子抜けしたような顔で二人を見ると、
「とりあえず、…座りましょう」
と提案する。すると増田さんはどかっとVIP席のソファに座った。海斗も転がった丸イスを戻し、無言で増田さんの前に座りなおす。
それを見て坂東さんも二人を交互に見ながら元の場所に座った。
増田さんが先程とは違い、穏やかな口調で語りかける。
「理不尽だよなぁ。じゃあ問題だ。ヤクザに理不尽な要求をされたらどう対処するんだ?」
海斗は無言のまま答えない。正確には答えが見つかっていなかった。構わず増田さんは続ける。
「さっきの海斗が正解だよ。ビビらず、屈せず、応えず、耐えるだ」
その言葉に海斗の疑問が更に増す。喋ろうとすると口の中が切れているのが分かったが構わず話す。
「でもそれで解決するんですか?」
「解決にはならない。だが、ああいう輩は常により弱い獲物を狙っている。あの手この手で揺さぶりをかけてくる。弱いやつらは他に一杯いる。別に強くなる必要はないんだ。弱くなければいい。そうすれば離れていく。忘れがちなのはヤクザの方が社会的には弱者だって事。それを隠すために暴力という服を着る。坂東も覚えておけ。お前はビビらず屈しないが、やり返しちまうからな。そうすると相手の思うツボだ」
「…はい。気をつけます」
急に話を振られた坂東さんは渋い顔をしながら答えた。
「それから、ヤクザは弱者だけど、ヤクザ組織は決して弱者ではない。金も権力もある。そこは間違えるな。だけど、組織自体が店に理不尽な要求をする事はない。その辺の事はウチの会社の執行部がちゃんと対処しているからな。だから、店単位でヤクザ個人の要求に応えてはいけないんだ。話がややこしくなるからな」
「…わかりました。でもツカサさんはどうなるんでしょうか?」
「可哀想なのはわかるが、相良と関わってしまったのが運のツキだ。でも、他の街へ行けば何とかなる。俺ら黒服と違ってこの店がツカサの全てじゃない。俺らはあいつの親じゃないからなぁ。守れる範囲でしか出来ることはないんだよ」
「これから先、ウチのキャストが不良やヤクザに関わらない様にするにはどうすればいいんですかね」
「まぁ、そーいう輩が好きな女は一定数いる。それ以外だと、心の隙間につけ込まれたり、金に釣られて付き合ってしまったり。そしてそこから逃げれなくなったりかな」
ツカサさんはガードが甘い分、下品な客の接客の頻度が高かった。中にはグレーゾーンな仕事に就いていると思われる客も少なからずいた。また店側も他のキャストが怖がる客の相手をツカサさんに都合よく任せてしまっている部分もあったのだ。だけどツカサさん自身にそういう客に対する警戒心が低い様にも見受けられたし、そういう男の知り合いが多い事を他のキャストに見せる事で自分を守っている節もあった。
「普段からツカサさんの行動が危ういのを放置していたのは俺です。手遅れになってからじゃ悔しさしか残らない事もわかりました。もうこんなクソみたいな思いをしない為にもこれから俺に出来ることを考えていきます」
「その気持ちを忘れるなよ。それから殴って悪かったな。坂東、氷持ってきてやれ」
「いえ、大丈夫です。この痛みもしっかり刻み込みます。それに今まで増田さんが俺に対して理不尽な暴力を振るった事はありませんでした。何か意図があったんだと思ってます」
海斗は痛みの走る身体に耐えて、背筋を伸ばし、見つめる。
「海斗がどう出るか見たかったんだ。逃げるのか歯向かうのかビビるのか。心の強さを見たかったんだ。試すような真似をしてすまん。本当に殴り返してもいいんだぞ。その覚悟で殴ったんだ」
「はい。店を守ると言った言葉が嘘だった時には思いっきり殴らせてもらいます」
「おう、その時は目の覚めるようなヤツを頼むな」
そう言って屈託無く笑う増田さんを見て、海斗は背負っているものの違いを感じた。
そしてもっと人間的な強さを持たなければならないことも。それを促すのは仕事であり、立場であり、世の中を知れば知るほどそういった経験を積まないとこの人と同じ土俵には立てないということを痛感していた。
それと同時に、今の海斗ではツカサさんを助けてやれない自分への不甲斐なさや、情に流されて守るべきものすら守れなくなる判断の甘さ。
そしてこの業界で生きていく覚悟。
中途半端な自分への戒めとして身体の痛みと共に深く刻み込むこととなった。




