爆弾処理マスター増田さん
営業が終わり、キャスト達が次々に帰っていく中、海斗は杏奈さんから話がしたいと言われた。
先程、話を聞くといったものの、杏奈さんは海斗の担当キャストではないので増田さんに確認を取る。
難しい表情をする増田さんが、杏奈さんに問いかける。
「杏奈、ちゃんと西野と話をしてわだかまりを取ったほうがいいんじゃないのか?」
「無理です。話したないです」
「…、わかった。西野には俺から話しとくから今日は海斗とミーティングで」
「わかりました」
増田さんが西野さんと話をするようにやんわり仕向けるが、杏奈さんがキッパリと断ってしまったので、海斗とカウンターでミーティングすることとなった。
周りでは閉店作業をするボーイ達が気になっている様子がありありと分かる。
そんな中、西野さんはあからさまに不機嫌そうに乱暴な手付きで片付けをしていた。
海斗はあまり西野さんの方を見ない様に意識しながらミーティングを始める。
「お疲れさま。あの後よく頑張ったね。ありがとう」
「しんどかったー」
杏奈さんは困ったような顔つきでカウンターに顔を付けてダラける。
「うん。大変だったね。でも凄いじゃん。あのあと気持ち切り換えてしっかり指名客の相手してたね。中々出来る事じゃないと思うよ。で、話したいことって?」
「あんなー、聞きたいことあって。海斗さんって結衣菜の担当やんな。あの子が言うてたんよ。海斗さんは結衣菜のお客さんの事よく覚えてるって。どうやってるん?」
「んー、俺の場合は抱えてる担当キャストが少ないからね。それに必ず場内や指名やボトルとかが入った次の日はキャストにメールするから印象に残りやすいのかな」
「あー、何か結衣菜も言いよったな。こんなマメなボーイは初めてやって。結衣菜もここんとこ頑張りよんのは海斗さんがそう仕向けてるんか」
「俺はきっかけだけだよ。頑張るかどうかは本人次第だから。だけど、キャストはプライベートを削って勤務時間外も客にメールしたりしてるでしょう?だから俺も勤務中以外にもキャストに対してできることはないのかなって思うんだよ」
杏奈さんはダラけた姿勢のままウーロン茶を飲み、何かを考えている。
その頃には閉店作業も終わり、増田さんと西野さんはカウンターから離れた席で話していた。
しかし、西野さんが何事か喚いたあと、早足で歩いて行った。入口の方で一度こっちを見る西野さんと一瞬目があったが、西野さんはそのままバックヤードに消えた。数秒後、タイムカードを押す音が聞こえる。
しばらくしたら帰り支度を終えている西野さん。エレベーターがくるとそのまま帰ってしまった。
それを見てまた、泣き出してしまった杏奈さん。海斗は落ち着くまで待とうとウーロン茶を一口飲む。
しばらくして少し落ち着いた杏奈さんが喋り出す。
「あんなー、杏奈はホントは西野の事嫌いじゃないねん。確かにイライラする事もあんねんけど、アイツおもろいしアホやし仕事以外じゃ気があうねん。杏奈は西野担当のエースって自覚もあるし、頑張らなあかんって。今月は楓さんも調子悪いみたいやし、いつもより上位狙えるって思っててん。けど、今日わかったわ。アイツ杏奈のコト何も思ってくれてへん。もう、一人で頑張っても無理やなって。ホントはずっと結衣菜や理子さんやモエさん見てて羨ましかったわ」
「そっかぁ。杏奈さんは勘違いされやすいけど、いい子だからね」
「杏奈はいい子ちゃう。めっちゃいい子やねん」
そう可愛く怒る。
「そうだったのか。それは知らなかったわ。んでちゃんと仕事に対する熱意とか西野さんには伝えてるの?」
「それが、西野と話とってもアホな話ばっかやねん。それにアイツ適当やし。こないだも、杏奈の休みの時に指名客が来てんのに連絡くれんし。しかも次出勤した時その事すら忘れてるんよ。話ならんわ。今回切れてしもうたのもそういうのが重なって…」
さすがに何もフォローが浮かばなかった。
その時、増田さんがカウンターに来た。
「杏奈、来月から海斗が担当でいいか?さっき話をしたら西野もそれでいいって…」
「ちょっと待ってください。杏奈さんは西野さんがイヤになった訳じゃないんです。しっかりして欲しいだけなんですよ。杏奈さんだって…」
「うっさい!もうエエわ!!!」
そう言って泣きながら更衣室の方へ走って行ってしまう。慌てて追いかける増田さんと海斗。
「ちょ、待ってよ。ちゃんと話そうよ」
海斗が更衣室越しに話しかける。
「みんな、杏奈のコト面倒やって思うてるんやろ!もう辞めたる!」
「面倒だと思ってたらこんなに話さないって!今まで西野さんと一緒にやってきたんじゃん。誰だって杏奈さんの担当になりたいよ。悔しくて泣いたり、本気で怒ったり、明るくてみんなを楽しくさせてくれたり、そういうのが杏奈さんの良さで…」
「もー!うざいわ!話しかけんな!」
その時後ろから肩に手をかけられる。
増田さんが無言でもういいとジェスチャーする。海斗はそれでも引き下がれなかった。
「一言だけ言わせて。俺がもし杏奈さんの担当になったら面倒だなんて思わない。適当になんてしない!杏奈さんの良さを引き出せるように一緒に考える。笑って仕事して、上手く行かなきゃ悩んで、それを乗り越えられたらまた喜んで。そうしていく事が俺の役目だと思ってるから!」
返事は無かったが、それだけ言ってカウンターに戻った。
いつの間にか優矢君がカウンター席に座っていた。
海斗は気にすることなく座り、ウーロン茶を煽る。
そして満足に相談に乗ることもできない自分への不甲斐なさや、西野さんに対するやるせない怒りが込み上げる。
なぜ西野さんは帰ったのか。杏奈さんの想いも気にせずに、自分の事だけしか考えずに。オレ達は黒子だろう。なぜ自分が楽な方、楽しめる方にしか行動しないのか。なぜあんなにあからさまに不機嫌さを顔に出せるのか。自分は何も悪くないと思ってるのか?何を考えているのか分からなかった。
そんな疑問がふつふつと湧いてきて訳が分からなくなった。
不意に横にいた優矢君がカウンターに入り、無言でウーロン茶を継ぎ足してくれた。
「あ、ありがとう」
「うん。海斗さんも落ち着こうよ」
「あ、うん」
「海斗さんはいい人すぎだよ。この期に及んでまだ、西野さんを理解しようとしてる」
「??」
「西野さんはね、海斗さんと違って自分が主役なの。だから不機嫌になった理由がわからないんでしょ?」
「自分が主役って?」
「うん。西野さんはね、こう考えたんだと思うよ。俺のエースキャストが取られたって。それで自分の歩合が下がるって。仲の良い結衣菜ちゃんが海斗さんを褒めるから杏奈ちゃんが影響されたんだって。海斗さんが来てからどんどん自分の立場が悪くなったって。全て海斗さんのせいらしいよ。西野さんに言わせれば」
海斗は何を言われているのかサッパリ分からなかった。自分が悪いのか?海斗は増田さんから与えられた業務に真摯に取り組んでいたつもりだった。誰かの脚を引っ張ろうとは微塵も思っていなかった。なのに何故そう言われなければならないのか。
それに、キャストを稼がせるからボーイの給料が上がるわけで、自分の給料をキャストが自動的に運んでくるわけじゃないだろう。
「まぁ、あの人の事は考えるだけ無駄だよ。感情を殺す練習だと思ってスルーする方がいいよ」
ふと、思い出した。『感情に左右されては仕事にならない』という増田さんの言葉。今の海斗は西野さんに怒り、杏奈さんを本気で心配していた。確かにこのままでは何も解決しなそうである。そんな事を考えていると優矢君がまたつぶやく。
「それにそろそろ兄貴のあれが出そうだな」
「きっと今頃もう言ってるかも」
坂東さんもそう言ってカウンター席に座り会話に混ざる。
海斗は気になり聞く。
「あれって何ですか?」
「よく耳を澄ましてればわかるよ」
そう言われバックヤードの方に意識を向けたその時、
「おい杏奈!調子に乗って言いたい放題もいい加減にしろ!何様だ!西野も海斗もお前の上司なんだぞ!そんな口の利き方しか出来ないんならもういい、辞めちまえ!」
増田さんの怒鳴り声がフロアまで聞こえてきた。
ボーイに怒鳴ることや注意する事ははあってもキャストには絶対的に優しい増田さん。
たとえキャストが待機でうるさい時や、ヘアセットやドレスが手抜きなキャストがいても、自分で行かずに必ず誰かボーイに注意させに行く。
そして増田さんはキャスト世間話や最近あった面白い話などでキャストのテンションを盛り上げる事がほとんど。
キャストに怒らない事を徹底していた増田さんが男子スタッフに言うような口調で怒鳴っていた。
「でた!増田さんの伝家の宝刀!」
坂東さんが面白がったような口調で言い、笑っている。
海斗はキャストにあんな事を言って本当に辞めさせるつもりなのかハラハラしていた。
その後は荒れた様子もなくさらに20分程何かを話しているようだった。
しばらくして、私服に着替えた杏奈さんが泣いた目を真っ赤にしながらカウンター席に来た。
「さっきは生意気な事を言ってすびばぜん」
途中からまた泣いてしまった。
すると坂東さんが優しく語りかける。
「うん、大丈夫だよ。みんなわかってるから。明日もよろしくね。優矢、送りの車まで送ってあげて」
「りようかーい。杏奈ちゃん行こう」
「はい。海斗さん、本当に…」
そこまで言って言葉に詰まってしまう杏奈さん。海斗はもう気付いていた。
「うん。わかってるよ。明日また会おうね」
「はい」
そうして杏奈さんは帰っていった。
杏奈さんがエレベーターに乗ってしばらくして増田さんがフロアへ戻ってきた。
「ふーっ、疲れた。誰かお茶くれ」
何事もなかったかのようにいつものVIP席に座る増田さん。
海斗が緑茶をグラスに入れて持っていき、そのまま増田さんの向かいに座る。
「杏奈さんにあんな事を言っちゃって大丈夫なんですか?」
「ん?まぁ、まだ海斗には難しかったか」
「はい。結局、今の俺じゃ解決出来ないと思います」
「担当はな、優しいだけじゃダメなんだよ。喜怒哀楽が大事。そしてそれを使い分ける事。感情に左右されずに効果的なタイミングでその感情が表せるかを計算しないとな。西野は楽しいだけ、海斗は優しいだけ。杏奈はそれに甘えだした。さっき話しているうちにまだ担当でもない海斗にまで無愛想になり始めた。だから調子に乗る前にがっつり言ったんだよ」
「それでそのまま帰っちゃったらどうしてたんですか?」
「ん?どうもこうもない。それまでだよ。でもな、黒服はキャストに対して下から目線の振りはいい。だけど本当に下から目線になったら舐められる。そうすると他のキャストにも影響する。だから覚悟は必要だ。舐められるくらいなら辞めさせる。んで新しい女を自分で持ってくる。ある程度、代わりはいくらでもいるって気持ちを自分で持ってないとダメだ。じゃないとキャストと対等で居られなくなる。俺らはキャストに稼がせてもらってると思いがちだが実際はそうじゃない。店を守って稼がせてるのも俺たちだ。そういう意味でも対等だ。だって女が街中で一人で商売してみろよ。身体を売らずに飲みに行くだけで安全に稼げると思うか?そのまま帰れる保証がどれだけある?こういう店があってバックに黒服がいて、もしかしたらその後ろにはヤクザが控えてるかもしてないって客が思うから酔っ払ってても大人しく飲んで帰るんだろ?キャストがそういうことを忘れたり、勘違いして黒服に敬意を払えないんなら辞めてもらって結構だよ」
「覚悟…ですか。じゃぁ怒鳴ったのも計算で?」
「そう。演技だよ。え・ん・ぎ☆」
「西野さんに対してもですか?」
「あー、半分はな。もう半分はストレス発散も兼ねてるなー、うん」
全く悪びれる様子もなく楽しそうに笑う増田さん。
これも本当に笑っているのか分からなくなった。
海斗は目の前の夜の住人のお手本を見ながら、前に言われた『喜怒哀楽が演じられれば一人前』という言葉を噛みしめていた。




