若菜と洋子さん
8月になった。季節は夏真っ盛り。
相変わらずニューアクトレスは好調をキープし、海斗は副主任兼ホール長として忙しく働いていた。
先月のニューアクトレスの売り上げは過去最高だった。ただ、系列6店舗中3位だったらしい。それでも実は開店以来の快挙。今までの序列は最高級店のグレイスフル、高級店のフェアリーテイル、中上級店のニューアクトレスとレッドローズ、中級店のスウィートとマンハッタン。
それが先月まで常に売り上げで負けていた同じような金額設定のレッドローズをぶっちぎり、高額設定のフェアリーテイルを途中まで抜いていた。しかし最後の最後でフェアリーテイルに逆転された。でもあと僅かのところまで迫った。
まぁグレイスフルには到底及ばなかったが、上位2店は元々の金額設定や、街柄、店の規模が違いすぎる。
ただ、同じ街でしのぎを削るレッドローズに大差を付けたのは大きかった。
ウチの会社は全体的に比較的高級志向で、いわゆる激安店は存在しない。よって客単価が評価の対象にもなる。
ニューアクトレスの今後は客数をそのままにしてどうやって客単価を上げられるかが課題となっている。
なので、いかにして一度にたくさんの金額を使ってもらえるか。
それには高くても満足できる空気を作り出すこと。また、これだけ良い店なら多少高くてもしょうがないと思わせることが出来るか。
そうするには設備面、キャストの質、男子スタッフの質が大事になる。
そんな事を日々の増田さん達との会議では話し合われていた。
業務に関しては副主任になったと言っても元々便利使いにされていた海斗にはそこまでの負担はなかった。
ホール業務を西野さん秋山さん山田君に指示し、自分はその三人の穴を埋めるように動く。そしてエスコートや延長確認、会計などをこなしていく。たまに、坂東さんが何かの拍子に身動きが取れない時に限り、海斗が付け回しを代理で行ったりしていた。
付け回しに関してはまだまだ経験が浅く、フリーの客にどのキャストを付けるかは坂東さんにインカムで確認したり、増田さんに聞いたりしながら行っていた。
また、付け回しを手伝う都合上、自分の担当以外のキャストとのコミュニケーションも取らなければならず、キャストとの会話や私語が解禁となった。
解禁と言っても直接「今日から解禁な」と言われたわけではなく、自然の流れでそうなった。
言い換えれば周りから見て、夜の住人として板に付いてきたということ。
海斗自身は増田さんや坂東さん、優矢君を間近で見ているせいもあってまだまだそうは思っていない。
キャストとのコミュニケーションが増え、会話も敬語から砕けた口調へと変化していく。接客前にキャストの緊張感を取り除くため、なるべく硬い口調は控えるようにした。
ただし、お客さんの前では必ず敬語を使う。やはりキャストとボーイの関係性を勘ぐるお客さんが多い為、無用な誤解を生まないように気をつけた。
私生活にも変化があった。
それは妹の若菜が夏休みに入って会う頻度が増えた。それまで、会話もそんなに無かった。
しかし海斗がこの世界に入って8ヶ月。会話をすることが仕事でもある為、自然と若菜とも意識せず話せるようになっていた。
最近まではどこか親戚の子を預かっているような関係でお互いに遠慮があったがやっと兄妹のような会話ができるようになってきた。
その日も昼過ぎまで寝ていた海斗を若菜が起こしにきた。
「お兄ちゃんご飯できたよ」
そう言ってゆさゆさと海斗を布団の上から揺する。
「んー、おはよう。もうそんな時間かぁ」
「もう2時過ぎてるよー」
「マジで?ホントだ。最近朝方暑くて中々寝付けないからなぁ」
「私も起こそうか迷ったけど、仕事行く前に猫の様子見に行くでしょ?だったらそろそろ起こしたほうがいいかなって」
「あー、そうだった。ありがとな」
そう言って、若菜の頭をポンポンと撫でる。
若菜はキョトンとした後、照れた顔をする。
海斗はつい、キャストに普段している行動を取ってしまった。
「サンドイッチできてるからね」
若菜はそう言って部屋を出て行った。
海斗は先程まで若菜の頭に置いていた右手を見つめ、はぁとため息をついた。知らず知らずのうちにこういう動作が身についている事に気が付き少し悲しくなった。
気を取り直して一つ伸びをし、顔を洗ってからリビングに行くとローテーブルにサンドイッチが置いてあった。
「コーヒーとジュースどっちがいい?」
キッチンで若菜がそう言いながら冷蔵庫を開ける。
海斗はコーヒーと答えながらその後ろ姿を見ていた。
海斗が16歳、若菜が9歳の時に初めて会った。その時は小動物のように何時もビクビクしている印象だった。それが今ではこうやってコーヒーをドリップしてくれている。中学生になった若菜を見て大人になったなーと思った。ふと、疑問に思った事を聞く。
「毎日家に居るみたいだけど、遊びいかないの?」
「えー、うん。家が落ち着くから」
「友達を家に呼んでもいいんだぞ?」
「でも、昼間はお兄ちゃん寝てるし、夕方以降はお兄ちゃんいないのに呼んじゃダメかなって思って」
「あー、うん。友達のお家の人に怒られない時間に帰せば大丈夫だよ」
「でも、もしお兄ちゃんが夜お家に居ないのが誰かにバレるとまずいし」
「あ、そうだなぁ。まぁ、好きにしなよ」
「…、あの…、やっぱり私って迷惑?」
「そんなことないぞ。ご飯作ってくれたり、ゴミ出してくれたり、買い物行ってくれたりな。色々と助かってるよ。ありがとう」
若菜は自分が存在していい場所を常に求めている。必要とされる人間にならないと捨てられてしまうと強く思っている節がある。
9歳で母親が死んで、数回しか会ったことのない父親に連れられ、海斗や海斗の母親といった見知らぬ人と住みはじめた若菜。だけど頼りの父親は全然帰って来ず、全く血の繋がりのない新しい母親には汚物を見るような眼で扱われる。そしてどんどんエスカレートしていき、半ばネグレクト状態に加えてヒステリックなまでの体罰も当たり前。海斗はそれを目撃するたびに注意をしたがだんだんそんな家に嫌気がさし、高校時代はなるべく遅くまで外にいた。だけど何処にも逃げ場がなく、ずっとそんな世界にいた若菜。
5年後、父親の破産で一家離散となった日に海斗は若菜を見て一緒に住む事を決めた。
実母に死なれ、父に捨てられ、継母に捨てられた若菜。哀れに思った。可哀想だと思った。助けたいと思った。
あれから8ヶ月。今は俺の方が助かっている。兄らしい事なんて何も出来てないのに。そう思い、提案してみた。
「俺が休みになったらどこか行くか?」
若菜は一瞬パッと明るい表情をしたが、それをすぐに引っ込めた。
「別にどっか行きたいところもないし、いいよ」
「遠慮しなくていいんだぞ?」
「いいって言ってるじゃん!家が落ち着くから!」
そう強く言われるとこれ以上何も言えなくなってしまった。
そして若菜は自分の部屋に行ってしまった。
はぁ、とため息をついてしまう。これ以上どうしようもないのでシャワーを浴びて家を出た。いつもの神社で猫と戯れ、心を落ち着かせてから仕事に向かった。
開店準備を終えてご飯を食べ終わったくらいの時間に、キャッシャー担当の洋子さんが出勤してきた。洋子さんは会社の事務所に寄ってレジ金を持ってくるので出勤時間が男子スタッフより遅い。
海斗は前日の咲さんの成績が食い違っているとメールを受けていたため、確認のためにキャッシャーへ来ていて、そこで洋子さんと鉢合わせた。
「海斗くんおはよう」
「おはようございます」
「あら、元気なさそうね。どうしたの?」
「何もないですよ」
「またぁ、私にはわかるわ!ズバリ女絡みね!」
ニヤッと悪そうな笑みを浮かべる。こういう仕草は増田さんに似ていて姉弟だなぁと思う。そして嫌味がない感じもそっくり。つい笑ってしまう。何かのキッカケになればと昼の若菜との話をした。
「へー、妹さんがいたのね。しかも面倒見てるなんて偉いわねぇ。どうりでしっかりしてるわけだ」
「いや、しっかりしてるのは妹の方で。しっかりしすぎて我慢してるところもあってどうしたらいいかなぁって思ってるんですよねー」
「なるほどー。あっ!わかった!じゃあ明後日のバーベキューに妹さん呼んじゃいなさいよ」
「ええ?妹をですか??」
「そうそう、ちょうど準備する人が足りなくて困ってたのよ。男の子たちは直前まで全体会議でしょ。女の子たちはだいたい始まる時間にしか来ないから」
実は明日からお盆休みで全店2連休になる。毎年この時期に各店舗の全スタッフや関係者が集まって夕方からバーベキューをするらしい。黒服はその前まで近くの施設で会議がある。ここには社長を始め専務、常務、部長、各店店長から主任クラスまで。今年は海斗も参加するように増田さんに言われている。
それ以下の役職のボーイ達はバーベキューの場所取りと準備を行う。
始まる頃に会議を終えた黒服と参加できる各店のキャスト、スカウト会社の上役、酒屋の社長、普段よく同伴やアフターで使わせてもらっているレストランやバーのマスター達が会場に合流し、総勢約100名程の大バーベキューパーティとなるらしい。
そして、酒屋の社長や店のマスター達はこの日を楽しみにしている。普段は高嶺の花のキャスト達とプライベート感満載でバーベキューができるとあって、みんな喜んで酒や食材を大量に提供してくれるみたい。
「でも、家族連れで参加する人いないんじゃないですか?」
「大丈夫、大丈夫。あんなに大勢いたら1人くらいわかんないわよ」
「いや、でも明らかに子供っぽいですよ。まだ中学生ですから」
「じゃあウチの犬も連れてくわ。そしたら私も家族連れで参加だから例外じゃなくなるでしょ?」
ニヤニヤとまた悪い笑みを浮かべる洋子さん。
「はははっ。なんか強引だな。でもありがとうごさいます」
「いいのいいの。だってお家でお留守番なんて可哀想じゃない。何か言う奴がいたら私がぶっ飛ばすから大丈夫!」
「あはは。社長でも?」
「もちろん!あの出過ぎた腹の肉掴んで投げてやるわよ」
そうして洋子さんは偉そうに豊満な胸を突き出す。
ちょっと目のやり場に困る海斗。誤魔化すようにお礼を言う。
「ありがとうごさいます。でも妹は人見知りするかも知れないし行かないかもしれません」
「そんなのは私に任せなさいって。海斗くんが準備の人数が足りないからどうしても来てくれって言えば来るわよ。それに海斗くんは会議で時間が違うから、当日は私が車で家まで迎えに行ってあげる。私の携帯番号を妹さんに渡しときなさい」
「それもう断れないじゃないですか」
「そうよ。それくらい強引にしないと妹さん遠慮するでしょ。それに料理が出来る子がいてくれると助かるわ。なんせ私はからっきしダメだから」
「えー。意外ですね。じゃあ妹にも伝えておきます。よろしくお願いします」
そうして若菜も参加が決まった。
一応、増田さんにも確認したら会ってみたいから連れてこいと、よくスカウトマンに言っていることと同じセリフを言われてしまった。
海斗はその言葉でふと気付いた。
この集団って、外から見たら怪しさMAXの超絶DQN集団じゃん。
妹の教育上あまり良くない影響が出てしまいそうだが、自分の周りに居るように言っとけばいいかと海斗は軽く考えていた。




