営業中のトラブル
今は夜の11時過ぎのニューアクトレス店内。平日にも関わらず客席は満席。
しかも、フロア席に案内できないウエイティング客もカウンター席に2組いる。
海斗がウエイトの客にサービスビールを運んでいると耳元のインカムから会話が飛んでくる。
「…番テーブル、ミリオさん場内」
「何番テーブル?何番?」
「…番テーブル!」
「おい!西野!だから最初が入ってないって!インカムのボタン押してすぐ喋るな!それから2回繰り返せ!バカ野郎!基本だろうが!」
インカム越しに増田さんの怒号が飛ぶ。
「す、すいません」
「だから何番テーブルかって!何番?」
「…番です。18番です」
「18番テーブル、ミリオ場内、ミリオ場内。了解。坂東わかった?」
「はい。了解です、了解」
海斗はちらっとフロアを見る。
混み合う店内で、入ったばかりの山田君と秋山さんの新人ボーイ2人が慣れないながらも頑張って動いている。
そんな中、西野さんが右往左往し、空いたテーブルを片付けている途中で、ミリオさん場内のコールを18番卓から受けた模様。
そしてまた違う卓の杏奈さんから何かのオーダーを受けていた。
しかし、インカムが飛んで来なかったため、何かは分からない。今思えばコレが問題だった。
海斗はカウンターの客にサービスビールを提供し終わり、フロアへ戻る。大きく深呼吸し、全体を見渡す。素早く各テーブルにどんな交換物が必要か確認。そしてそれぞれの卓の大まかな次の延長確認の時間を頭の中で整理し、腕時計をチラリと見る。
そのタイミングで、交換物を終えた山田君がそばを通ったので海斗は口頭で呼び止める。
基本的にホールの人同士の会話でインカムは使わない。なぜならいくつも回線がある訳ではない為、延長確認、フロント、エスコート、オーダー、場内指名、等の報告をインカムで飛ばす最優先事項にしなければならないから。
「山田君、交換物は秋山さんにある程度任せて、キャストのサンキューコールに対応するのを優先してもらえる?」
「はい。わかりました」
「ホール係同士でなるべく同じ動きをしないようにね。それから、忙しのは分かるけど、ニーダウンを忘れないように」
「あ、はい。気を付けます」
「忙しくて大変だけど、あと一時間くらいで一旦落ち着く筈だから、頑張ろう」
「はい!」
サンキューコールの意味はキャストが客席からボーイを呼ぶ事で、ニーダウンはボーイが客席で膝をついて何かをする行為。
忙しくなり視野が狭くなると、サンキューコールに気づかなかったり、ニーダウンが疎かになったりしがちになる。
次に、秋山さんが交換物を終え海斗の前を通ったのでまた呼び止める。秋山さんは前に少しだけ経験があるようで山田君よりも動きがいい。
「お疲れ様。秋山さんかなり動けてますね。忙しくなるほど力を発揮するタイプ?」
「ははっ、ありがとうございます」
「大変になっちゃって申し訳ないんだけど、山田君より秋山さんの方が動けるので交換物を任せてもいいですか?」
「了解です」
「それとサンキューコールは俺か、山田君で行くから。秋山さんは交換物と、ドリンクを運ぶのを最優先でお願いします」
「はい。わかりました」
「それから、慌てて走らなくて良いからね。早歩きくらいでいいし、1秒、2秒の差なら見栄えがいい方が良いから。サンキューコールも返事さえすれば、キャストさんも少しは待ってくれるから大丈夫ですよ」
「あっ、気を付けます」
「さーてもうひと頑張り!期待してます!」
どんなに忙しくなっても『クールに笑顔で』を心がける。ホール長がテンパっったらぐちゃぐちゃになっちやうのは過去に西野さんで経験済み。
そしてまたホールを見渡す。片付けの途中で放置されたテーブルが目に入る。先程まで西野さんがいた場所なのにいない。
カウンターの奥に、フロアからはほとんど見えない場所にあるキッチンに目をやると、西野さんの茶色い頭がかろうじて見えた。
しょうがなく、海斗がテーブルを片付けていると、増田さんのインカムが飛んで来た。
「14番テーブルが時間10分前だ。西野、延長確認行ってこい」
西野さんの返事がない。
「おい!西野!西野取れる?」
見かねて海斗が答える。
「西野さん、今キッチンに入ってますよ。キッチンです」
「チッ!海斗、延長確認行ってくれ。14番、14番テーブル」
「14番テーブル了解、了解」
14番テーブルを見ると杏奈さんの卓だった。接客をしつつも、しきりと不安そうにこっちを見たり、キッチンの方を見たりしている。
海斗は杏奈さんもそろそろ延長確認の時間が迫ってることを知っていて早く来いって事なのかと勘違いしてしまった。
「失礼します。そろそろ…」
と、言ったところで、杏奈さんの形相が変わる。客もむすっとした表情のままだ。嫌な予感がはしる。一旦仕切り直すことにした。
「失礼いたしました。もしかして何か御注文のお品がありましたでしょうか?」
「あんな〜、さっきな〜、シャンパン頼んだのに全っ然こないんやけど!」
「大変申し訳ございません。直ぐにお持ちいたします」
海斗は姿勢を正して深々とお客さんに向かって頭を下げる。お客さんはその態度に少しだけ驚いたような顔をする。すかさず杏奈さんも一緒に謝ってくれた。するとお客さんも少し柔らかい表情になった。
そして杏奈さんは俺の方に近付き小さい声で聞いてくる。
「時間、大丈夫なん?ヤバない?」
「少しは考慮する筈ですから。時間を確認せずにオーダーを受けてしまったこちらにも非がありますからね」
「この人、気難しいから考えてな」
「わかってます。申し訳ないです。フォローしてもらって」
「でも筑波さんは悪ないやん」
「いえ、ボーイ全体の責任ですから」
海斗は席を離れキッチンの方を見ながら再度インカムを飛ばす。
「西野さん、西野さん。さっき杏奈さんからシャンパンのオーダー受けてませんでした?」
すると、増田さんが割り込む。
「海斗、延長確認はどうなったんだ?」
「いや、その席が杏奈さんの席でシャンパンまだ来てないって言ってます。西野さん取れます?」
また返事がない。
その時、増田さんが憤怒の表情でキッチンに入っていくのが見えた。その数秒後…
ガシャーン!!
フロアにいた俺にも聞こえるくらいの騒音がキッチンから聞こえてきた。きっとカウンターのウエイティング客からはかなりの音だったに違いない。
そして増田さんが西野さんを引きずるようにキッチンから出てきて、そのままバックヤードへ消えていく。と、同時に増田さんからインカムが入る。
「14番、延長確認ストップ!やっぱり西野がシャンパンボトルのオーダー取ってたらしい。すぐ持って行かせるからちょっと待て!」
「ストップ、了解」
「了解」
坂東さんと海斗が答える。
山田君と秋山さんは先程の音と増田さんの豹変ぶりにフリーズしてしまい、しきりにバックヤードの方を気にしている。
海斗が2人に声をかける。
「そっちはいいからちゃんとフロア見てて!俺がシャンパンクーラー用意するから、山田君はグラス準備!秋山さんは一旦交換物ストップ!サンキューコール対応に切り替えて!」
そして増田さんにインカムを飛ばす。
「増田さん、増田さん、オーダーはシャンパンだけですか?」
「いや、チーズ盛りも入ってる!チーズ盛り!」
「チー盛り了解。一旦フロアを新人に任せて俺が速攻で作ります。ついでにお詫びの小さいフルーツ盛りも作っときます」
「頼んだ!坂東、その間、ホール厳しいけど頼む」
「了解です」
普段であれば坂東さんは付け回し担当の為、それに集中し他の業務は一切手を出さない。
なぜなら売り上げの7割がこの付け回しの腕にかかっている。客の好みのキャストを選んで席に着け、客の顔色を見ながら好みを見定めていき、指名に繋げる。また、同時にバラバラの時間で入ってくる客に満遍なく女の子をつけて調整していかなければならない役割もある。よって、坂東さんが自由に動けるようにするのが他のボーイ達の役割でもある。
しかし今は新人2人のスキルが足りないので、坂東さんの手を借りざるを得なくなる。
海斗は西野さんが作りかけていたチーズ盛りを速攻で作り、小分けにしたフルーツを冷蔵庫から出したところで、増田さんがキッチンに戻ってきた。
「よし、あとは俺がやるから海斗はフロア頼む」
「はい。あと、この辺にやたらと物が散乱してるんですけど」
「ああ、すまんな。思わずあいつを蹴り飛ばしちまったからな」
「何があったんですか?」
「あいつ、次の延長確認の時間が迫ってるのにそれを客に確認しないでオーダーとったらしい。しかもそれをインカムで飛ばし忘れたんだとよ」
「でも何で、チーズ盛りから作ってたんでしょうか?普通、シャンパンの準備が先でしょう」
「あいつは忙しくなると動きが滅茶苦茶になるからな。しかもくわえタバコでのんきにチー盛り作ってやがった。作っているうちにインカムが耳から外れてるのにも気づかなかったんだと。それ見たときに俺もキレちまってよ」
「…何か色々ダメダメですねー」
「大方、フードオーダー入って、『やったタバコが吸える』って思ったら、それしか考えられなくなっちまったんだろうなぁ」
はぁ、とため息をついた後、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
俺も苦笑いをしながらチー盛りを持ってフロアに戻ろうとした。
すると、
ガッシャーン!!バリン!パリン!
と今度はフロアからどデカイ音がした。
何事かと慌ててフロアに出ると、先程のお客の席の床には割れたシャンパングラスと、横倒しになったシャンパンクーラーがあり、水浸しになっていた。そしてそのお客がが立ち上がり、西野さんの胸倉を掴んで殴りかかろうとしているところだった。間一髪、坂東さんが止めに入った。海斗も急いで止めに入り、何とか引き離す。そして客が喚いた。
「ふざけてんのかこの店は!なんだアイツの態度は。ヘラヘラしやがって。しかも、ゆっくりシャンパン飲む為に延長どうですかって、バカにするのも大概にしろ!」
「「申し訳ございません」」
海斗と坂東さんでひたすら頭を下げる。
西野さんは、いつの間にかフロアに出てきていた増田さんにまた引きずられていった。
そして増田さんはバックヤード横の非常口の階段から西野さんを蹴りおとした。
「何やってんだお前は!!もういい!今日は帰れ!!」
増田さんは怒声と共にバタンと非常口を閉める。
そしてまた先程の客の所に戻り増田さんが自分の名刺を渡しつつ、詫びを入れる。
誠実な態度と滑らかな口調で客の態度に同調しながら、根気よく謝り続ける。
海斗はその状況を見て、フロントの優矢くんに店内に戻ってきてもらうようお願いし、山田君にトラブルがあった席の床の片付けを指示した。
丁度、VIP席を利用していた客が帰ったばかりなので、海斗はそこを速攻で片付ける。
そして、話し合いが続いている増田さんとトラブった客の席にいき、増田さんの近くでささやく。
「VIP席が空きましたけど」
その言葉にピンときた増田さんがお客様に提案する。
「お客様が不愉快に思う気持ちも大変よくわかります。もしよろしければ、VIP席の方が空きましたのでそちらでお話し合いさせて頂きたいのですが。もちろんVIP料金は頂きませんし、この時間の料金も発生しませんので」
そうして渋々客が納得し、増田さんとともにVIPルームへ入っていく。
20分程して話がまとまったらしい。
結局、VIP席料金とチーズ盛り、フルーツ盛りをサービスする事と、話し合いに使われた30分の時間をサービスする事で他の料金には納得してもらい、そのまま延長することとなった。
シャンパンもサービスにしろとも言われたらしいが、杏奈さんの成績の関係もある旨を正直に伝えると、じゃぁそれは払うと言ってもらえたそうだ。
一体、どんな話術を使えばあんなに激昂していた客からたったそれだけのサービスで延長が取れるのか不思議だった。
その後は優矢君がフロント業務とエスコート業務、店内業務を臨機応変に対応してくれて何とか落ち着いた。
店の売り上げも90万に若干届かないくらで終了し、トラブル続きだった営業の割にはまあまあだった。
ただし、営業終了後はみんなぐったりしていた。




