1−2
男は神野京介と名乗った。
「まあ、あれだ、俺の同族だ」
『りゅーじの』
マオは京介を上から下まで眺めて、
『そっか、隆二の』
安心したように呟いた。
「うん、隆二の仲間ー。さっきは怖がらせたみたいでごめんねー、マオちゃん」
京介が笑いながらいうから、マオは首を横にふった。
「っていうかさ」
隆二は京介を見て、
「くつろぎ過ぎじゃね?」
「まあまあ、気にしないで」
「するって」
ダイニングテーブルに座る隆二の視界にうつるのは、赤いソファーにだらりと腰掛けた京介だった。お前の家かよ。
隆二の向かいに座ったマオは、ちらちらとテレビに視線を送っている。事態が落ち着いたらテレビが気になるようだ。
「……マオ、気になるならあっちでゆっくり座って見ろ」
テレビの方を指差すと、
『でも』
困ったように隆二とテレビと京介に視線を動かす。
「いいから。京介、お前こっち座れ」
「はーい。マオちゃん、どうぞ」
京介は素直に立ち上がると、隆二の向かい側に座る。それを確認すると、マオはソファーに移動した。
「で?」
頬杖をついて隆二は問う。
「何に来たわけ、お前」
仲間同士で今までまったく連絡をとらなかったわけじゃない。だが、なんとなく連絡を取り合わないようにしよう、という不文律が出来ていたはずだ。それがこうやって会いにくるなんて。
「色々あってさ! しばらく置いてよ」
「帰れよ」
即答した。
「なんで俺がお前を家に置かなきゃいけないんだ」
「色々あったんだって」
「じゃあせめてその色々を話せ。いや、やっぱり話さなくていい。かかわりたくない」
「懸命だね」
京介が笑う。
「住む場所がないなら嬢ちゃんに声かければどうにかしてくれるだろ」
「エミリちゃんに借りを作りたくないのは、隆二だって一緒だろ?」
「まあ、それはそうだけどな」
代わりにどんな面倒なことを頼まれるか。
「家賃なら払うよ。なんなら全額。光熱費も払ってもいい。ついでに、俺持ちで食事を作ってもいい」
楽しそうに、そして少し嫌味っぽく京介は笑うと、
「寂しいんでしょ、懐」
言葉につまった。
確かに、マオに正体を隠すために食べる必要もない食事をとっていたことが予想外の出費となって、貯金額が目減りしている。京介の提案は、とても魅力的だった。
「俺、普通にバイトしてたから金あるよ?」
駄目押しの一言。
「……わかった」
しぶしぶ頷くと、
「金の力に惑わされましたねっ!」
テレビに言われた。空気読み過ぎだろ。
「あ、富子」
テレビに視線を移した京介が呟く。
とみこ?
「……ミチコじゃないのか?」
尋ねると、
『違うよー、ミチコはこの前終わったよー!』
テレビの前で拳を握ったままテレビを見ていたマオが、振り向かずに答える。
「美少女四字熟語シリーズっていうシリーズ物なんだよ」
「四字熟語……」
「一作目が疑心暗鬼ミチコ。これは二作目の七転八倒富子」
「七転八倒……」
ヒーローとしてはどうかと思うネーミングだ。
見れば、確かに画面上で戦う少女は肘宛てやヘルメットなどをしている。あ、転んだ。
『富子はねー、強いんだけどよく転んじゃうのー』
「毎回十五回は転ぶんだよ」
「転び過ぎだろ」
毎回七転八倒か。
『でも、強いんだよー』
それが一番重要だ、とでも言うようにマオが念押しする。強ければ転ぶのも許されるのか、ヒーローも。
「ちなみにこれ、富子役の子が撮影中に骨折しちゃって、途中で主役が交替するんだ。当時の雑誌には、七転八倒富子、本当に転倒! って出ててさ」
「なんでお前、詳しいんだよ」
「ちょっと調べたことがあって」
「なんでそんなもん調べるんだよ」
「ミチコのお面をお祭りで見かけたんだよ。これ、なんのキャラなのかなーって思って」
「お祭り、ねぇ」
そんなものにどうして京介が行ったのかの方が気になる。
『あなた! 詳しいのねっ!』
マオが目を輝かせながらテーブルに飛びついて来た。
テレビはエンディング曲を流していた。なるほど、終わったからこっちに来たのか。
「そのうち富子の代わりに、七転びヤオ君子がやるはずだよ」
京介は笑いながらマオに告げる。
「七転び八起き……」
ようやく起き上がるようになったか。
「あとあれは特撮物だけど、アニメ版もあるんだ」
『へー』
「そっちには四苦八苦久美子っていうのもあるよ」
「四苦八苦……」
ようやく起き上がったのに。
『すごいね! 隆二!! 京介さん、詳しいのねっ!』
はしゃいだようにマオが両手を叩く。
「あー、まあなー」
詳しいには同意するが、それがすごいのかどうかはわからない。
京介はにこにこと笑っている。
『本当、すごいっ』
マオが楽しそうで、なんとなくそれが癇に障る。さっきまであんなに怯えていたくせに。そんなことを思ってしまう。怯えているよりは、楽しそうにしていてくれる方がいいのだが。
「マオ、おまえ、ちょっとは落ち着け」
言いながら自分の隣を指差す。
『はーい』
マオは素直に隣に座った。それに少し安堵する。
「事後承諾で悪いが、しばらくこいつも一緒に住むことになった」
「よろしくねマオちゃん」
言われてマオは少し困ったような顔をしたが、
『うん、わかった』
小さい声で頷いた。
『家主が言うなら仕方ないもんね』
「……いつの間に家主とか覚えたんだ?」
元々妙なことは知っていたが、なんだか感慨深いものがある。小さい子どもの成長を見守る親のような気分になった。小さい子どもを持つ親になったことなんてないけど。
『テレビでやってたよ。夕方のニュースのね、特集。激闘! 家賃の取立合戦? とかで。あれね、面白いの。万引きGメンと夜回りおばちゃんのシリーズが好き! あ、あと警察に密着するやつ!』
「……そうか」
ただ、知識の仕入れどころが偏っているので、今ひとつ安心できないが。
二人のやりとりを楽しそうに見ていた京介は、話が終わったことを見届けると、
「ごめんね、よろしくね」
微笑みながら右手を差し出す。
マオはしばらく躊躇った後、その手を握った。
握れた。
『……触れるんだ』
握手した手を離してから、マオが小さく呟く。
「あー、同族だからな」
「同族だしね」
『……同族。不死者ってことだよね?』
「ああ」
『……研究所の?』
こちらの顔色を伺うようにして問うマオに、小さく頷いてみせる。
『京介さんは、隆二とは仲いいの?』
「よくはないな」
「いいよ」
二人で顔を見合わせる。
「いつ、俺とお前の仲がよくなったんだよ」
「酷いな隆二。俺はお前のこと、他の二人よりは仲いいと思ってるぞ」
「……まあ確かに、小言の五月蝿いコーヒー狂いと味覚音痴の甘党と比べりゃあ京介とは仲がいい部類だけどな」
「年も同じだしな。颯太となんかは五歳も違うし」
「こんだけ生きてりゃ誤差の範囲だろ」
ぽんぽんと隆二と京介二人が会話するのを、
『むー、ちょっとっ』
膨れっ面したマオが遮った。
『わかんないっ、何の話してるのかぜーんぜんわかんないっ』
こちらを睨んでくる。
「そうだぞ隆二。ちゃんとマオちゃんにもわかるように話をしないと。仲間はずれにしたら可哀想じゃないか」
『そうよそうよ!』
「俺一人のせいかよ……」
一つ溜息。
「だって俺、お前がどこまでマオちゃんに話したか知らないし」
「あー。ま、そうだろうな」
少し躊躇った後、
「ほら、成功した実験体が俺をいれて四人だっていうのは、話したよな?」
隆二の言葉にマオは頷く。
『聞いた』
「それの一人がこれなわけ」
『京介さんね?』
「で、残った二人のうち一人が、俺等の中で最年長で、小言が五月蝿くて、コーヒーにこだわりがあり過ぎてひくレベルのやつ。神崎颯太」
『かんざきそーた』
「颯太はね、インスタントコーヒー飲んでるやつを見つけると、片っ端から説教かますから、気をつけた方がいいよ」
京介が付け足す。
「あれ、なんなんだろうな。こだわりが強過ぎて本当ひくんだが」
インスタントしか飲まない隆二としては、二度と会いたくない人物の一人だ。殺されかねない。
『隆二はこだわり無さ過ぎだと思うけどな』
マオが呟く。
「……そうか?」
『うん。無趣味っていうか』
「誰かさんのせいで退屈してないから趣味とかいらないんだ」
『ああ、あたしのおかげで毎日楽しいってことね』
頬に手を当ててマオが嬉しそうに笑う。よくまあ、瞬時に前向きに解釈出来るよなあ、この無駄ポジティブめ。そうは思うものの、マオが言っていることもあながち間違いじゃないので否定もできない。
「俺の趣味の話はどうでもよくて。最後の一人。俺等の中で最年少。味覚音痴の甘党、神坂英輔」
『かんざかえーすけ?』
「そう」
『甘党って?』
「甘いものがそれはそれは好きなんだ。あいつ」
隆二は少し眉間に皺を寄せる。
「俺はあいつが一番怖い。甘いもののためならあいつは何でもするんだろうな、って思うから。俺か甘いものか選べって言われたら、あいつは間違いなく甘いものをとる」
「全世界を敵にまわしても、甘いものを食べ続けるんだろうな」
京介も嫌そうに呟いた。
マオはふーんっと少し悩んでから、
『変な人ばっかりねー』
しみじみと呟いた。
「そういう意味では、京介は割とまともだよな」
「え、何その上から目線。隆二、自分のことまともだと思ってるわけ?」
「あの二人に比べたらまともだろ」
「まあねー」
『……よっぽど変人なんだねー』
くすり、とマオが笑った。
『ちょっと会ってみたいなー』
「それは勘弁してくれ」
マオがその二人と会うならば、必然的に隆二も会うことになるのだろう。それはちょっと嫌だった。
「最後にあったのいつか、ってレベルだしな」
『あんまり会わないの?』
「用もないし」
それに、会うとどうしても過去のことを思い出して憂鬱になる。何年経っても何十年経っても変わらない自分達は時間軸から取り残されていることを、改めて認識することになる。だからなんとなく、お互いに積極的にあうのは避けるようになっていた。たまに、研究所絡みの依頼で会うことはあっても。
「俺、会って来たよ、二人に。ここに来る前」
「は?」
さらりと告げられた京介の言葉が、理解出来ない。
「は? 何、お前、わざわざ颯太と英輔にも会って来たわけ?」
「うん」
「なんでだよ」
そして何故最後をここにして、居着こうとしているのか。
「ちょっとみんなの顔が見たい気分だったんだ」
微笑む。そんな京介に、隆二は得体の知れないものを見つめる目を向ける。
「……大丈夫か、つかれてるのか?」
「どっちの」
「憑依の」
「憑かれてねーよ」
だって、お互いに会わないという暗黙の了解を破って、わざわざ会いに行くなんて、正気の沙汰とは思えない。
「色々と自分を振り返りたいことって、あるだろ?」
「いい年して自分探しってことか」
「うん、そんな感じ」
そんな感じなのか。
「……まあ、なんでもいいんだけどな」
お互い過度にかかわりたくないし。
「相変わらずだったか、あの二人」
「相変わらず、コーヒーと甘いものを愛してたよ」
「なら、いいんだ」
お互いがお互いの場所で、それなりにやっていてくれるのならば。たった四人の仲間だから、それなりに彼らの平穏を祈っている。
「っと、マオ悪い」
また話から爪弾きにしてしまった。少しむくれたマオに謝る。
『いいよー』
むくれたものの、隆二の方から謝ったからか、すぐに笑った。




