4−4
いつもどおりの散歩道、件の土手に現れたのが一人目の死神だった。視線の先にその姿を見つけて、隆二は思わず足を止めた。
「どうしたの?」
数歩先で、茜が不思議そうな顔をして振り返る。
赤い着物、長い黒い髪を束ねることなく、風になびかせている。見たことがある。逃げ出そうとしたあの時、最後まで阻止しようと尽力を尽くしていた少女だ。ああ、もう、少女ではないのかもしれない。そんなことはどうでもいい。<kbr<逃げなくちゃ逃げなくちゃ逃げなくちゃ。
ぐちゃぐちゃになった思考回路から、慌てて今すべきことを引っ張り出す。
「隆二? ねぇ、本当にどうしたの? 真っ青だけど」
茜が心配そうに眉をひそめて近づいてくる。それに合わせるように、二、三歩後ずさる。
「……隆二?」
茜が少し傷ついたような顔をした。
「違う、そうじゃなくて」
思わず言い訳がこぼれ落ちる。茜を避けようとしたわけじゃなくて。言い訳なんてしてどうする。もうここには居られない。逃げなくちゃ。
「だけどごめん」
世話になったのに。いきなりこんな風に消えようとして。早口で言い切ると、きびすを返す。
「隆二っ」
茜の慌てたような声が背中にかかり、
「U078」
遠くから、だけどはっきりと聞こえた声に足が止まった。
「逃げても無駄ですよ」
冷たい声。足が縛り付けられる。動けない。
「……ゆうぜろななはち?」
茜が小さく呟く。
ああ、茜はそれを口にしないでくれ。せめてただの、ただの化け物だと思っていてくれ。
「U078?」
たしなめるような声色で呼ばれて、ゆっくりと振り返る。
心配そうな顔をした茜の後ろに、死神がたっていた。
「ごきげんよう。ご無沙汰ですね。随分と楽しそうな暮らしをしていらっしゃるようで」
死神は淡々と、顔色一つ変えず続ける。嫌味のような言葉だが、恐らくただ事実を評価しただけだろう。この死神が、嫌味なんてそんな人間味のあふれることを言うわけがない。
死神と隆二の顔を見比べ、茜は少し隆二に近づいた。そしてそっと隆二の右手をとる。慈しむように手を握られる。思わず、それに縋り付くように力をいれた。
死神はその光景を見ても顔色を変えることはなく、
「勘違いしないでください。貴方を連れ戻しにきたわけじゃありません」
「え?」
少し、高い声が出る。もしかして、もう許してくれるのか。もう諦めてくれるのか。もう飼われることはないのか。
一瞬浮かんだそんな希望は、あっさりと斬り捨てられた。
「私たちはもう貴方達を兵器としては必要とはしていません。そこで選んでいただきたい。ここで、証拠隠滅のためにおとなしく消え去るか、または必要に応じて我々の力になるかを」
死神が告げる。
「……必要と、していない」
小さく呟くと、死神が頷いた。
ああそうか、もう兵器としてもお払い箱なのか。それでも、化け物としては利用価値があるから、利用出来るならば残しておこう?
「……消滅か、隷属か」
かすれた声が漏れる。
また、隷属? 逃げて来たのに? また?
「……もう、疲れた」
思わず口からこぼれ落ちた言葉に、自分自身で驚いた。ああ、そうか。もう疲れたのか、自分は。化け物として今後も生きていくことに。それならば、もう、ここで終わらせてもらった方が楽なのかもしれない。だって自分は化け物だから。このまま一生、永遠という一生を人間との間に線をひかれて、それを踏み越えることを許されずに、失った人間としての日々を指をくわえて見ていくぐらいならば、
「俺は、もう……」
「隆二っ」
強い声で名前を呼ばれ、右手を引かれた。
はっと我にかえる。
茜がこちらを睨むようにして見ていた。
「ゆうぜろななはち? そんなもの知らない。貴方は、神山隆二よ」
力強く茜が断言する。聡い彼女は、全てはわからなくても隆二が選ぼうとしている道を察し、咎めた。
「……俺は、化け物だ」
「だからなに? もうそんなこと、今更気にしない。あなたが優しい人だってこと、知っている」
意思の強い瞳。だけど、隆二を掴んだ手は小刻みに震えている。
それを大切だなんて、思わなければよかったのに。
でも、思ってしまった。認識してしまった。この震える手を持つ少女を、神山隆二は大切だと思っている。ここでの生活を続けたいと思っている。彼女を悲しませたくないと、そう思っている。
「……わかった」
吐息と共に言葉を吐き出すと、死神に向き直る。
「あんたらの言うことを聞く。だから、ここに居させてくれ」
そう答えた。
「そうですか」
死神は頷いた。
「では、なにかあったらまた来ます。逃げても無駄ですから」
淡々とそれだけいい、すぐにその姿を消した。最後まで、表情をかえることなく。
「……いっ」
死神の姿が消えて、茜が小さく悲鳴のように言葉を漏らすと、へなへなとその場に座り込んだ。慌ててそれを支えた。
「いまのは?」
「……死神だよ」
答えながらも隆二の足からも力が抜ける。
仕方なくそのまま、二人して土手の草むらに腰を下ろした。
「死神?」
「俺にとっては」
「……そう」
怖い人ね、と小さく茜は呟いた。
右手は茜の手を握ったままだった。離すのが躊躇われ、そのままにしておく。茜から手をふり払う気配もなかった。
「……俺さ」
「うん」
川の流れを見ながら、口を開いた。
「元々は人間だったんだ」
「……え?」
「元々化け物として生まれたわけじゃなくて。もう、どれぐらい前かな……。覚えてないけど、人間として生まれて、家に金なくて、俺体弱かったし、売られた。それとも、俺、自分で行くって言ったんだっけな。親と俺、どっちが先に言い出したんだっけ。もう覚えてないや」
とりとめも無くこぼれ落ちる言葉を、茜は黙って聞いてくれた。
「売られたのが、さっきの死神がいる変な研究施設で。戦のための兵器を作るとか言って、色々な子ども集めてて。すぐにはなにもされなかったけど。だけど、そのうち実験はじめて。なにがどうなったのかわからないけど、俺は成功したんだ。成功したから、化け物になった。人より優れた身体能力と、死なない体を持った化け物になった」
隣が怖くて顔が動かせない。茜は今、どんな顔をしているのだろう。だけど、一度溢れた言葉はとめられない。
「U078は、俺の実験体としての番号で。ずっと、そうやって呼ばれてた。あそこでは。殆どの実験が失敗して、成功したのは俺を入れて四人。四人で相談して、逃げた。研究所から。怖かったから。このまま兵器として扱われることが」
「……兵器は生き物ではないから?」
隣から小さい声。
「え?」
思わず隣を見ると、茜が少し心配そうに眉をひそめて、首を傾げてこちらを見ていた。
「化け物は生き物だけど、兵器は生き物ではないから? 兵器だったことが嫌で、ずっと隠していた?」
「……ああ、そうかもしれない」
確かに、化け物だと暴露することは簡単にできたが、兵器だったことはできれば言いたくなかった。
「尊厳もなにもなく、ただ物として扱われるのが怖かったんだな。自分が消えてしまうようで」
「さっきの人、隆二を道具としてしか見てなかった」
ぐっと手に力がこめられる。
「そんな人には、隆二は渡さない」
思いがけない言葉に、間抜けにも口をあけて茜を見つめる。今、なんと言った?
「逃げて、ここまで来たの?」
そんな隆二に気づくことなく、茜が問いかけてくる。
「あ、ああ」
「そう。……ならずっとここにいればいい」
まっすぐに茜が目を見てくる。
「隆二がなんだって関係ない。人間でも化け物でも兵器でも、隆二は隆二だから」
意思の強い瞳に見つめられて、
「……うん、ありがとう」
素直に小さく隆二は頷いた。
人間として生活していくことが出来なくても、化け物としてでもここで生活できるのかもしれない。
「帰りましょう」
茜が微笑んで立ち上がる。握ったままの手を軽く引かれる。その手に掴まるようにして隆二も立ち上がった。
特に会話もないまま、帰路につく。けれども繋いだ手はそのままだった。
会話がないその空気も、悪いものではないと、寧ろ心地よいと隆二は思った。思っていた。