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その日、マオはいつものように夕方の散歩を楽しんでいた。
人並みに紛れるようにしてふよふよと浮きながら、道行く人を眺める。楽しそうな人、悲しそうな人、急ぎ足の人、のんびりと歩いている人。皆それぞれ違っていて、見ていて飽きない。直接はかかわれないものの、そうやって周りの人々を眺めることが、マオは好きだった。
でも、そろそろ戻らなければ。好きな番組が始まってしまう。公園の時計を見てそう思うと、隆二の家に戻ろうとし、
「ちょっと、そこの幽霊のお嬢ちゃん」
丁度その時、右手からそんな声が飛んで来た。
穏当ではない声のかけられ方に勢いよく振り返ると、一人の青年がそこにいて、
「そうそう、お嬢ちゃん」
マオを指差しながら、にっこりと微笑むと続けた。
「神山隆二っていう名前の不死者、知らない?」
『いっ』
マオはその言葉を理解すると、咄嗟に叫んでいた。
『いやぁぁぁぁっ!! 不審者ぁぁぁぁ!』
神山隆二は、いつものようにコーヒーを飲みながら本を読んでいた。
元々彼にとって本を読むのは、暇つぶし程度の意味合いしか持たなかった。しかし、ここ最近、居候猫が居着いてからはどたばたしていて潰す暇が存在しない。そうなると、時間を作って意地でも本を読みたくなるから不思議である。居候猫の散歩の時間に、一人静かに本を読むのが、今の彼の密かな楽しみであった。
『りゅぅぅぅじぃぃぃぃ』
遠くから、居候猫の鳴き声が聞こえる。
時計に視線を動かすと、午後五時半になろうとしていた。居候猫は午後五時半から始まる、特撮ヒロイン物、疑心暗鬼ミチコの再放送をとても楽しみにしている。
毎回毎回、よく丁度の時間に戻ってくるよなぁ。そんなことを思いながら、片手を伸ばしリモコンを手に取る。スイッチをいれる。再び本に視線を落とす。もうちょっとで読み終わりそうだから、邪魔しないで欲しいなぁ。
『りゅーじぃー!! たぁいへんー!』
窓からぴょこっと居候猫の顔が生える。
「テレビならつけたぞ」
本に視線をやったままそう告げると、
『そんなこと! どうでもいいよぉ!』
マオが隆二の目の前で両手をばたばたさせながら叫んだ。
「は?」
思わず本から顔をあげる。
どうでもいい? マオが疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと? 彼女の中でひょっとしたら隆二よりも格上の、疑心暗鬼ミチコのことをどうでもいいだと?
「……どうした?」
知らず、低い声になる。一体何があったというのだ。
『大変なの! あのね、あのね! さっきね、そこでね! 知らない人に声をかけられたのっ!!』
それで? と流しそうになって、
「は?」
慌ててマオを見る。彼女の向こう側に、テレビが透けて見える。今日も今日とて、安定して、どっからどう見ても、完璧な幽霊だ。
「声をかけてきた?」
完璧な幽霊に声をかけてくるなんて、普通の人間じゃない。幽霊が見える人がいても、スルーするのが通常だし。
『うん! でね、その人に言われたの! 神山隆二っていう、不死者を知らないかって!』
「神山隆二っていう、不死者を知らないか?」
『うん!』
マオが頷く。
「神山隆二っていう不死者、か」
そこまで知っているっていうことは……、何だ?
『どうしよう! 一応ね、まいてきたけどね!』
マオはあせったように両手を無意味に動かす。
ぴんぽーん、チャイムの音が部屋に響く。
『うひゃっ』
驚いたようにマオが声を上げ、隆二の背中に隠れるようにする。壁にめり込んでいるが。
「隆二、いるんだろー」
ドアをがんがん叩きながら、来訪者は声を張り上げる。
「お嬢ちゃんのあと、つけさせてもらったから、ここだろー」
「まけてないじゃないか」
思わず背後のマオにつっこむ。
「俺だよー、俺俺」
『やだっ、オレオレ詐欺だわっ』
いつのまにオレオレ詐欺は対面方式になったのか。
「エミリちゃんにさー、住所訊いたのに教えてくんねーの、個人情報とか言ってー」
外の声は返事がないことを気にした様子もなく、続ける。
『……エミリ』
隆二の背後でマオが小さく呟いた。ぎゅっと隆二の腕を握る。それに気づくと、隆二は振り返って、一度マオの頭を撫でた。
先日の一件後、改めてエミリが謝罪に来たものの、マオはエミリのことは苦手のようだった。まあ、仕方ないよな、殺されかけたわけだし。幽霊だけど。
などと思っている間にも、
「りゅーじーあーけーろー」
ドアをガンガンたたきながら、声がする。
「……すっげー、無視してぇ」
「開けないとないことないことご近所に吹聴すんぞー」
聞いていたようなタイミングで外の声が言う。というか、
「聞こえてるんだろうなぁ」
小さくため息をつくと立ち上がる。
『隆二ぃ、大丈夫なの……?』
怯えたような顔をするマオに笑いかける。
「知り合いだから」
言って仕方なしにドアをあけた。
黒髪の男が、楽しそうな顔をして立っていた。
「お前さ、もうちょっと普通に来いよ。チャイム鳴らしたなら出るまで待てよ」
「待ったってどうせ隆二出る気なかっただろう」
「当たり前だろうが」
「じゃあ、こうするしかないじゃないか」
男は悪びれずに笑う。
「うちの居候猫が怖がるじゃないか」
そうして一度言葉を切り、
「京介」
相手の名前を呼んだ。