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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十七章 天然というのも罪ですね
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(2)

「いいっすよ先輩、鍵おれが返してきますんで」

「あのね川島くん、ハチマキ……」

「うわっち」

 がたがたとドアの施錠を確かめつつ額をぺちんと叩いた。

 午前八時五分。

 紗優とタスクは戻って来なかった。

 ホームルームまでたっぷり十五分残っているが、私たちは早めに引けることとした。教室に戻る前に別棟の職員室に鍵を返さなきゃならない。いつも鍵のことは男子がしてくれる。二年の川島くんなら再びこの棟に戻り三階まで駆け上がる。結構な手間だが、彼は、鼻歌を歌いつつ、人差し指に引っ掛けちゃりちゃりと鍵を鳴らす。その動きってなにかのドラマでキムタクがして流行ったと思う。

「また後でな」安田くんは一緒に行かないみたいだ。

「あ先輩、作業せんでも構わんので顔出してください」

「心がけます……」

「石井が」

 気落ちして頭を垂れたものの、

「石井が、先輩おらんと寂しいゆうて、……うっさいんすよ」

 邪気のない笑みを見せ、飛ぶような軽やかさで川島くんは走り去った。


 ハチマキをつけたまんま。


 彼、あのまま職員室行くだろうけれど……誰か注意するだろうか。先生方が笑いを噛み殺しそうだ。黙殺されて教室戻るなりクラスメイトに出迎えられたりして。へいらっしゃい!

「……なに笑ってるんですか。気色悪い」

 私は川島くんの寿司屋シリーズにことごとく弱い。

「ううん別に」そして私は呆れられてばかりだ。気色悪い扱いだし、最後まで先輩らしい頼もしい姿を見せられずじまいだった。

 安田くんは窓の外だかを一瞥し、ブレザーのポケットに片手を入れ、そこから拳を、親指を下にして突き出してくる。

 ひょっとして喧嘩でも売られるのかと思ったらそうじゃなく。

「あげます」

「……私に?」

 ゆるやかに拳が開かれ、落とされたものが私の手のなかに収まった。

 チロルチョコが三粒。スタンダードな焦げ茶色のと牛っぽい白黒の柄のとピンクの、ビスケットの模様が入っているのと。

 安田くんはいつもどおり私の目を見るのを露骨に避ける。

 ここ三階だけれど外になにがあるのか。ついと視線を外し手を下ろす。「……逆チョコです」

「そういうのがあるんだ? 知らなかった」

 ところで安田くんこそ、女子が放っておかない。

 髪がいい感じで伸びたし。

 パソコンルームじゃ気づかなかったけれど、実は結構背が高くって小顔だし。

「つくづく無知ですね。あなたというひとは」

「……ごめんね」私は手のひらに包み込んで、呆れるのを通り越して怒った彼に笑いかけた。「でもまさか、安田くんから貰えるなんて思ってもみなかった。嬉しい」

「……あ、あなたというひとは」

 二回言われた。顔赤くするくらい怒らせて逆効果だった。

 踵を返す安田くん。尾行するみたいでどうかと思いつつもついてこうと思ったとき、

「ちゃんと、あげてくださいね」

「うん?」

 ズックの足が止まる。

 肩越しに安田くんは冷徹な面差しで私を振り返り、


「本命に」


 痛いところを突いた。


 何度目か分からない回数でまたも視線がぶつかるのを避け、眉間に皺を寄せ、細い知的な目を細める。「暖房に溶かされる前にちゃんと食べて下さいね。さきに、行ってます。……お腹鳴ってるの聞こえましたよ」

「安田くん」

「まだなにか」

「ううん、ありがとう」

「いえ」

「安田くんも、今日は本命さんを大切にするんだよ?」

 ポケットに手を入れた安田くんが、一瞬、目を剥いた。

 またため息をついた。つくづく、……彼を不快にさせることしか私は言えない。

 呆れを口にした彼は、近くの階段に折れて見えなくなった。

 私は見送りながら二個をポケットに滑らせ、牛の柄を意識した包装を開いた。


「天然というのも罪ですね」


 溶かされた甘い、ミルクチョコの味がした。


「お昼屋上で食べんか」

 午後十二時二分。チャイムが鳴り終わるもそこそこに、お弁当と紙袋を手に紗優がやってきた。

 私は右のガラス窓と廊下のガラス窓の二枚越しに雲の様子を確かめる。「……寒くない?」淡いブルーの曇り空。雪こそ降ってはないものの。

 紗優は鼻の下をふくらませ得意げに笑った。

「その寒さがオツなんよ」

 ……理解できない。

 ともかく、提案や誘いの類を断れない主義の私は、乗った。

 昼休みの廊下が騒がしいのが昼休みの常。……なのだが、なんというか本当に騒がしい。男の子が意識的に振る舞うのは分かるんだが、女の子のエーッウソーッて高い声を何度も聞いた。

 私は校内の噂や情勢にことごとく疎い。得るのはいつもクラスの女の子経由で、紗優と同じクラスになってからはこと紗優が唯一の情報源となった。そして自分が噂のネタとなった時期以降はますます縁遠くなった。

 なにか、あったんだろうな。

 という疑問が頭をもたげるも、凛とした横顔になにも言えなかった。

 彼女が渡す数は結構多いし、もしかしたら撒く目的もあったのかもしれない。彼女は艶やかな笑顔で、今年は手作りのチョコをしっかりと渡し、男の子たちの虚栄心を満たしそして彼らを一様に骨抜きにしていた。


 オレンジの扉を開くなり、私は飛び跳ねてうえに誰も居ないことを確かめる。ジャンプする動きが可笑しかったのか、紗優は笑い混じりで出入口の裏側に回りこみ、そしてお弁当を広げるなり、衝撃の事実を明かした。


「和貴なぁ、――今年はチョコ貰わんのやて」


 風呂敷に手をかける私の動きが止まった。

「つっても、……貰わんのは本命チョコやよ。義理は貰うとる」私の顔色を見て、落ち着かせるような声色で説明を加えた。「毎年誰彼かまわず受け取る博愛主義者のくせして、本命は受け取らん。……なに考えとんのか分からんわ、あいつ」

 膝の上に私は風呂敷とお弁当を置いた。落とさないように留意しつつ、箸箱から箸を出し、「女子が騒いでたのってそのせい?」

「そやよ。……なんやと思っとったん」

「うーん……」

 卵焼きから行くか。ほうれん草とカニカマを巻いてあって、美味しそう。私はそのかたちを崩さないよう持ち上げる。「……紗優はあれでもう全部?」

「なにが?」

「今日のノルマ。……というか渡す義理チョコ」

「坂田以外全員」

「ふえっ」私は卵焼きを口のなかの右に寄せた。「マキと和貴にも渡したの?」

「和貴は、ホームルーム始まる前に会うたし、マキにもな。さっき、廊下で」

「そっか……」

 私はあの二人を残すのみだ。

 一人で渡すのは心細い。

 ちゃんと、渡すべきなのだ。

 ――本命に。

 ミートボールが私に勇気を与えてくれないだろうか。

 あこれ、手作りだ。美味しい。

「――真咲は和貴に渡さんが? 好きですぅ! て」

 激しく咳き込んだ。

「ああ、……あ、大丈夫? ほらこれ飲んで」

 拳で胸を叩いた。紗優に渡される私のミルクティーは適温でなく、買ったことを後悔した。落ち着いて、いろいろと飲み込んでから私は自分から口を開いた。

「だって、……本命は貰わないんでしょう」

「真咲」

「もう一ヶ月足らずでお別れなの」

 なにに対して私は怒っているのか。

 なにか言いたげな紗優が視界に映る。

「全然和貴に会えないし……私は東京に行くんだよ。もう何回会えるかも分かんない。なのに……残り少ない時間。波風立てずに穏やかに過ごしたいよ」

 振られて悲しい気まずさを味わうんじゃなく。

 なにに対し、私は言い訳してるんだろう。

 二個目のミートボールを箸で持ち上げた。

「真咲はそれで後悔せんが」

「分からない」

 味覚と感情は著しくリンクする。

 さっきほどミートボールが美味しく感じられない。

「紗優のほうこそどうなの。……さっき、タスクと話せた?」

「ん。まあ……」

 卵焼きを食べてるにしては浮かない顔をしている。彼女の食事のペースもこころなしか、いや、間違いなく遅い。

「なにか、あったの?」

 二個のプチトマトをお弁当のなかでいじいじと箸で転がす。後ろ向きな気分の正体は、

「……迷うて言うとった真咲の気持ち、あたし、いまなら分かるわ……」

「タスクと誰とを?」

 恋愛関係には特攻型の彼女が、ためらうように言いよどみ。

 そこで目にする紗優は。

 恥じらう、恋を覚えたての女の子そのものだった。


「あの、……アホ」


 ――坂田くん!


 危うくお弁当をひっくり返しかけた。食欲減退なんぞ消し飛ぶ。

 頬を染めた紗優は咄々と語り続ける。「やってあいつ、……ひとがいくら無視しても無下にしても追いかけてくるんよ。生粋のアホやわ。……なんかもう、おらんと、落ち着かんなってもうて……風邪で休んだ日なんか調子狂って、パフェ食べに『よしの』行こうかと思うた。気づけば、……目で探すようになってもうたんよ。正直にゆえば、あいつがおらん日は、寂しい……」

 九回の裏、逆転ホームランだ。

 恋愛も野球も最後までなにが起きるか分かりやしない。

「今朝な、タスクと話したんよ。……玉砕。……宮沢さんの幸せを願っています、なんて言うんよ。けどな、……前ほどショックやなかったんよ。そんで気持ちが逃げておるだけなんかもしらんけど……」

 不屈の精神で紗優を追い続けた坂田くんを知っている。

 誕生日の日にエスコートしたかったはずだ。でも彼は好きな人を喜ばせる道を選んだ。

『オレもおんなじ立場になりかけとる』

 そんな想いが、あの言葉に込められている。

「素直に、動いていいんじゃないかな、その気持ちに」俯いて胸を押さえる紗優に私は素直な気持ちを伝えた。「気になるなんて立派な恋のサインだよ。いつから?」

「……誕生日んときかな」

 私は微笑んだ。

 きっとあの行動が紗優を動かした。

 紗優がようやくプチトマトを摘まむのを見ながら、私は最後のミートボールを食べにかかった。「相談してくれてもよかったのに。……水臭いなあ」

「やって真咲はお父さんと受験のことで手一杯やったやん」

「その通りだね」

 気遣いありがとう。

 目配せをする彼女に答え、お互いにお弁当の中身を空にする。

 胸いっぱいながらも食べる時間が、幸福だった。

 すこしの沈黙を切るのは、秘められた彼女の決意。

「――ま」


 放課後に坂田呼び出して、告白する。


 ……本命のハート型、作ってきてもうたし。


「……い」


 やった。


 ぽつりと落ちた言葉、

 それが精一杯胸のなかに広がる。

 抑え切れずお弁当を退けて飛び上がった。


「ぃやったあっ!」


 金網のフェンスへと走りだす。やったやったと飛び跳ねる私に紗優がちょっと呆れている。「急に、……どしたが」

「だって! 嬉しいんだもん! だってだって」ああもう言葉にならない。「こういうときこそやったやったダンスでしょう! 紗優も一緒にしようよっ」

「えー」

 半笑いながらも、紗優が腰を浮かす。


「やったやったやったやったやった」


 またしながら笑えてきた。「ああもうなにこれ、ああ」……この程度で肩を上下させるのが情けない。「おめでとう、紗優」

「分からんて。振られるかもしれん」

「坂田くんならこうするに決まってる」

 喜び勇んでハグをした。

「せやと、いいなあ……」

 すごく近くで薔薇香る紗優の本音を耳にした。

 安堵の息を漏らす。幸福に気持ちが満ちていく。

 それなのに、私は。

 フェンス越しに眼下を見やったのがいけなかった。

 中高所恐怖症のせいではない。

 体育館の裏手ではなく校舎側という、オーソドックスだかマイナーだか分かんない場所に呼び出しただろう女の子が、ひとり、男の子の元を走り去る。

 振られた側の走り方って決まっている。一目散、という形容が正しい。

 受験でやや落ちた視力で、三階建ての屋上から眺めるという厳しい条件であっても、見間違うはずがなかった。

「……どしたが真咲」

 身を固くしたのが伝わったみたい。なんてことのないように、なんでもない、と返し彼女の手を引いてさっきの場所へと促した。「どこで告白するか決めてる?」

「決めとらん。……どこにしよ。屋上かなあ」

「思い切って教室でとか」

「……ひとごとやと思って。そんなん晒し者やんか」

「目につかない場所がいいよね」


 好きなひとの特徴を見間違うはずがなかった。

 あの人一倍明るい、髪の色を。

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