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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十六章 その、薄汚い京都弁をやめないか
92/124

(1)

 一途に、最初から最後まで一人の人間を想い続けること。

 これぞ、人間の美徳だと思う。

 見返りを求めぬほどに美徳の精度は増す。自己犠牲というかたちとなって。

 心変わりをすることは恥ずかしいことで避けたいこと。

 でも、その新しい気持ちを受け入れたい――欲求が世間体や自身の倫理観と相反する。そして認めないことから、葛藤が発生する。

 認められればたちまち解消する。

 人々の内面の問題はそのようなものだ。


 志望校に関してはもうすこし現実的に捉える必要がある。

 倫理観はさておいて、自分の目指したいところと、目指せるレベルのぎりぎりを見極めて、選択する。

 私は、第三希望だった私立大学を第一志望に変更した。

 一月の下旬。

 緑高から同校を受験するひとはおらず、私一人で東京に向かう。

 なにげなく選んだつもりだった。奇遇にも大学名に『東京』が付く。場所は埼玉だ。

 東京心理大学よりは私の現実に見合った選択であり、そして入れるかもしれない、ぎりぎりのレベルだった。

 二種指定だけれど臨床心理士の受験資格を得られる、大学院が敷地内に併設されている。これらも私の希望を満たす条件だった。

 敷地がいやに広いのも、……レンガ造りで中庭に池があるのも、……柏木慎一郎のことを思い出させた。


 ――自分なりに興味が湧くものがあるというのなら、その気持ちを大切にするといい。


 おじいさんからのマフラーの一房を握り。

 ポケットのなかの三つのお守りを確かめ。


「……行こう」


 この扉が未来に続くことを願い、建物に踏み込む。


 ナイフのように神経を、研ぎ澄ませる。

 いままでにない、いい感覚で集中した。


 * * *


 ドアチェーンをかけるなり、立ちくらみがした。

 一人行動で気を張っていたのだと思う。

 靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、マフラーを外し、コートを脱ぎ、ブレザーと、次々ハンガーにかける。

 ビジネスホテルに泊まるのは、これが二度目だ。一度目は、夏のオープンキャンパスに行ったとき――柏木慎一郎に会って以来となる。

 二年ぶりとはいえ、私はもともと東京に住んでいたから、他の子みたいに地下鉄の路線図が分からず苦労することはない。親についてきてもらう必要も勿論。

 が、見知らぬ街で慣れぬ部屋にひとり。

 ……心細くもなる。

 緑川の家にいるときは、ひとりで生きている気になっていた。しかしこうして離れてみると、同じ建物内に家族が居ることがいかに私を温めていたのか、それがよく分かる。

 幸いにして大学やホテルの場所は分かったし、落とし物も忘れ物もしなかった。が、なにかがあったときのために誰かがついていると心強い。

 肩こりのする制服から持参の部屋着に着替え、バスタブにお湯を張る。コンビニで買っておいたおにぎりをその間に食べた。参考書を片手に。

 包装を袋にまとめてごみ箱に捨て、カーテンの隙間を開く。

 緑川で目にしないたぐいの高層ビル群。明かりが灯る部屋の多さ。マッチ棒サイズの光る車が高速を走る。時刻は夜の七時。……ご丁寧にも正面のライトアップされたビルがそれを伝える。

 働くひとがいる。生きているひとがたくさんいる。

 そう思えば、……ひとりでいることの寂しさも乗り越えられるような気がしたけれども、どうしてだか。

 開放感よりも孤独の強い夜だった。


 右肩への圧迫で目が覚めた。痛い。軽く肩を回す。首も。

 カーテンをすこし開かせたままで私はベッドに寝ていた。

 何時だろう。

「……げっ」

 二時間経過。ベッドサイドの時計が嘘つきでなければ。

 ご飯食べてお風呂に入って気持よくベッドで就寝。……猛勉強をするのが受験生の常なのに。まったく、いいご身分だ。

 自分に呆れつつ、髪を撫でつける。

 電話が目に留まった。

 緑川を出てから家に連絡していない。到着したとも言ってないから、心配してるかもしれない。

 足に引っ掛けていたスリッパを落とし、ベッドに完全に乗っかって受話器を手に取る。

 ……出ない。

 腕時計を見た。腕時計をし直した記憶は残っていないのに確かめる言動、これも受験生のサガだ。

 うちの電話は留守録に変わらない。お店の番号に留守録がついたらそれはそれで面倒だろう。

 のんびりと三分経過。

 今度こそ、本当に不安になった時分に、ようやくして向こうの受話器があがった。

「お母さんっ。居間だけじゃなくってちゃんと台所につけたほうがいいよ。私の部屋になんか要らないから……」

 電話に出るのは母と相場が決まっている。

 勢いこんでそう伝えたところ、


「――僕は、キミのお母さんじゃないんだけどな……」


 受話器を滑り落としそうになった。

 いつかと同じ台詞、そしてその、甘やかな声色は。


 くす、と笑う余裕のブレスを聞いた。「声、枯れてんけどだいじょうぶ? 風邪、それとも寝起きなのかな……」

「な! なんで和貴がそこにいるのよっ!」

 耳がきぃんと鳴った。

 驚きのあまり。寝起きで叫んだがために。

「……じーちゃんとご飯食べに来てんの」私が叫ぶと見越して受話器を耳から話したのだろう、間を置いて和貴は言う。「あんな美味しいご飯毎日食べれて幸せだね、真咲さんは。……うちに、ちょくちょく差し入れしに来てくれてたみたいで」

 ゆったりとした調子だがその一言は。

 ――地雷原だ。

「お礼に来たつもりが、まーたご馳走になっちゃって……」

 どうか、余計なことを祖父母が言っていませんように。

「新造さんとうちのじーちゃんがもーできあがっちゃって。……あ変な意味じゃないよ? 弱いくせにお酒好きなんだねあのふたり。どっかからつっかえ棒持ってきてさーちゃんばら始めるし黒澤明語りだすしも、めっちゃめちゃだよ……」

 神さま仏さまイエスキリストさまお願いします。

 なんまんだぶなんまんだぶ。

「どしてお経唱えてんの?」

「や。なんとな、ぐ、は、はっ……」

 ぐじゅっ!

 ちょっと真咲さん大丈夫!? と言う和貴の声を、一旦置いた受話器から、鼻を噛みながら聞いた。

「ただのくしゃみ。髪、乾かさずに寝ちゃったからかな……」

 空いた手で後頭部を撫でつける。寝ぐせがついたのが目に見える。

「……真咲さん、髪、伸びたよね」

 その彼の台詞で首を後ろに捻る。

 壁備え付けの大きな鏡に映る自分を見る限りは、確かに。

 東京を離れた頃は肩までの長さだった、それが、胸元に届いている。

「僕は一分で乾くんだ。天パだしテキトーだけどさあ、真咲さんくらい長いと大変そうだよね……」

「うん、まあ……」

 毛束を摘まむ。

 父に似たこの髪を愛しいと思う。

「さらさらストレートで羨ましいよ。天使の輪があってさ、いつも綺麗だよね」

 一言一言が胸を突く。

 和貴は、髪の流れを殺さないように撫でる。彼の穏やかな気質を表すように。マキが上からぐしゃり、と撫でるのが多いのとは対照的に。マキは破壊神だから。

 和貴が褒めてくれるのならば、いくらでも髪の手入れをしよう。

「……あ。おばさん来たみたい。代わるね」

「和貴……」名残惜しさが言葉に出た。

「受験、お疲れさま。また学校でね」

「……うん」

 母には無事試験を終えたことを伝えた。

 手短に電話を切り、夜中まで勉強をした。

 ただし、

 髪を再び洗い、念入りに乾かすという作業は怠らなかった。

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