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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十五章 俺のようにな
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(3)

 大学入試センター試験が十五日、二日間の日程で始まりました。

 とはこの時期お決まりのニュースだ。

 県内には畑中市以外に大学が無いために試験を受ける会場が必然、同市に絞られる。遠方に住まう受験生は前日に市内に入り、二泊をする必要があるので、早い段階でビジネスホテルを押さえておく。駅周辺にホテルは多いが上限がある。緑高では告知のうえ団体行動で現地までの移動もろもろを行うが――他の学校も似たようなものだろう。道中、貸切バスを何台も見かけた。もし向こうに親戚知人がいるならばそのおうちに泊まり、試験会場まで車で送迎して貰う。以外の大多数は駅前から市内バスで向かう。

 私は大多数だ。

 私が試験を受ける会場は、畑中大学――タスクや小澤さんなど国公立狙いのひとのほとんどが受験する国立大学――だった。駅の南西に位置する、周辺にぽつぽつとファミレスを取り揃えた程度の、昔はなにもない山だったに違いない、観光や喧騒とも隔てられた場所だ。学生は大学の近くに住むのが一般的で、彼らはバスか原付かで移動をする。裕福ならば車でも。繁華街が大学から駅周辺からも離れて立地されたことを含め、一極集中型の都市に慣れた私の目には、畑中の風土が物珍しく映った。

 会場に向かうバスに乗るなり、事前に手荷物を何度も確認したにも関わらず、忘れものをしていないか私は不安に駆られた。

「落ち着け。受験票さえ忘れてなければどうにかなる」

 私の指はその紙を引き当てた。

 なので、かばんの金具を閉じた。

「万一忘れたとしても、俺が取りに帰ってやる。……安心しろ」

 耳元でそう言われ、挙動が落ち着くと同時に、静かな車内で注目を集めてしまい、タスクが咳払いをした。

 緑川から出る長距離バスでも、この市内バスでも、会場でも見知った顔をちらほら見かけた。座席の前後左右が緑高生だった。

 でも、ここからはひとりきりの戦いとなる。

 安心感と孤独と緊張感とに包まれた二日間を過ごした。


 私は緑川に来た当初、この地を僻地と表現した。

 交通手段と気候の面においてもそれは間違いでは無い。

 第一に交通の便が悪い。畑中までバスで三時間弱。同市は他県とは違い、新幹線を通しておらず、長野や新潟などで乗り換えが必要となるのでそこから電車と新幹線の乗車時間だけで四時間、乗り換えを入れれば半日。飛行機ならば、中継点の畑中で一時間近く待たされ、そこから一時間のバスに揺られ、県内唯一の空港へと。羽田まで五十分程度だが緑川からその空港までだけでゆうに五時間を要す。

 しかも、飛行機の場合、特に一月二月は日本海上空の大気が乱れるため、定刻通りに到着しないこともしばしだ。新幹線と比べても、東京に行くのはどっちもどっち。強く効率的なほうを推し難い。

 降雪量は、温暖化が進み、マキが小さかった頃のように膝まで積もることはないにしても、東京に比べると段違いに多い。畑中大学への坂道が白く凍結しているのは例年なのだそうだ。だからみんな早め早めの行動を心がける。幸いにして、降雪量は少なくさほどの支障は無かったのだが――関東地方で大幅に交通機関が乱れたと報道された。

 会っていないとはいえ、前の学校の同級生がみな無事に受験できたかが、気になった。

 確かめる手段が無いにしても、願うしか、無かった。

 柏木慎一郎が教鞭をとる東京心理大学に入学するには、センター試験で高得点を取らなくてはならない。最近の模試ではB評価にあがったが、肝心のセンターで取れなくてはなんの意味もない。

 すべては、この日にこそ。

 気の引き締まる二日間を終えれば、移動時間を利用した、長くて短い休息が訪れる。畑中から緑川に戻るバスの車内にて、運転手以外の全員が熟睡していた。

 行きと同じく、こちらにからだを預けにかかるマキを窓際に押しのけ、

 行きとは違い、英語を流すイヤホンを外し、私もうたたねをする。

 私はおおよその結果を悟った。

 休息を含めた、覚悟を固める時間だった。

 私立大学を三校受験することとなる。

 当初の予定通り。


 一月十八日は、それまでの鬱憤を晴らすかの快晴だった。路面の氷が溶けて水浸しとなる。ブーツを避けて長靴のほうがよかった。

 一組での挨拶もそこそこに、私は二組のいつも座る後ろの隅の席で赤本を読み始める。立ち上がって談笑する者は誰も居ない。

 早く採点したいと誰もが思っている。

 先生が教室に入ってくると、待ってましたとばかりに自己採点を開始する。

 センター試験から持ち帰った自分の回答と正答とを突き合わせ、その結果が――学校内だけでなく予備校や然るべき組織に流れ、数値化しデータ化し、展開される。受験生はそれを利用して自分の立ち位置を把握し、今後の対策を練る。

 採点後の教室は悲喜こもごもの寸劇と化した。

 途中からやったあと飛び跳ねる男子。よかったなーと声をかけるその友人。

 なんとも言えない顔で頭を掻く優等生。肩を落とし、……静かに涙を流す女子の姿も見られた。

 私はどちらかといえば、後者の立場に近かった。


 宮本先生と話をし、職員室を出たところで、扉に降りかかる影を感じた。

 冬の柔らかな逆光にて暗く染まる、壁によりかかるシルエットを凝視する。日が落ちるのが早くなった。

「どしたの。……職員室に」

「入らない」

「行く?」

「行く」

 コートとかばんを装備済み。万端な彼は、普段通りに先を進む。

 コートのボタンを片手で留めながらその背中に、続く。


 ――待っていたのかな。


 一組の前じゃなくてこの職員室の廊下で。

 結構、順番がつかえてたから、……時間かかったと思うんだけど。


 縁起を担ぐわけではないが、歩くときに足元に気を遣う。傘は開かなくても平気だった。外の風が朝よりも強く感じられ、玄関先でマフラーを結い直す。

 おじいさんからもらった、真っ赤なマフラーが風になびいた。


『あんさんが希望する大学に入れるよう、わしも、願うておる』


 ああ言ってくれたおじいさんの期待にも、応えられなかった……。


 虚しくてやるせなかったけれど、後悔してもどうしようもない。


 校門を出て細い道に差し掛かったところで、私は切り出した。


「私ね。私立に絞ることにした。……生物と日本史が、駄目で……」


 駄目。

 の一言を言うときが情けなかった。声色もそういう女々しいものになった。


「生物なんて六十八点だよ。平均以下だもん。終わってるよね」


 図書館へと続くいつもの道。

 目をつぶってても歩けるかもしれない、濡れた道を辿る。


「せっかく……教えてくれたのに。ごめんね」


 彼の背中がずいぶん遠く広く感じる。

 冷たい風に、揺るがない。

 泣き言にも動じないあの彼は、こんな女々しさと無縁なのかもしれない。


「やっぱり、……始めるのも遅かったし、足りなかったんだと思う」知能も努力も。「……けど英語とかは結構良かったから、私立の滑り止めは確保できた感じだよ」


 切り替えなくてはならない。

 間を置かず戦いが、待つ。

 こういう感傷の置き場所も、含めて。

 後悔を捨て去り、悔恨をバネにし、新たな目標を設定しそして、挑むのだ。


 五分経過。時間を大切にするマキは一言も口を利かない。

 角を曲がったのを利用し、私は彼の様子を窺った。「どうしたの。黙りこくって……結果、マキはどうだったの?」

 顔を下方に伏せていた。

 押し殺した低音が、その薄い唇からゆっくりと、紡がれる。

「……俺は。そんなに信用ならないか」

「――へ?」

 間抜けた声を出す間に、腕を、掴まれていた。

 強い。

「昨日の帰りも作り笑いしやがって……」

 震えている。どうしてだか。

「ぺらっぺら口先だけで喋りやがって……」

 怒りにで、だろうか。

「俺は取り繕うおまえになんざ興味が無え。つれえんなら正直に言えばいいだろが。なにを隠すことがある」

「……言ったところでどうなるって言うのよ」

「聞いてやる」

 白い眼光が飛ばされ、私のからだがすくんだ。

「それで? マキに話したところでなにかが変わる? 私がセンターでコケたことに変わりはないじゃない」

 私を掴むマキの力は強くないのに、私はそれを振りほどけない。

 縛り付けていたようだった彼のひかりが、ここで、減じた。

 まつげにかかりそうな髪の成す影に、暗く、目を、細める。

「ろくすっぱ手付かずだった二教科三年分を、九ヶ月で取り組んだ。……おまえはよくやった」

 同情。

 精神論。

 慰め。

 まさか彼からそんなものが吐き出されるとは思わなかった。

 失望が喉元をせり上がる。

「違う。結果が出なきゃなんの意味もないよっ!」

「ちげえのはおめえだ」

 上気する私に対して、マキは、顔色を変えず断言した。

 そういう意志の強さを持ちながらも、傷口でも触れるかの痛みを交え、顔をゆがめ――

「それだけじゃねえと、言ったのは、……誰だった?」

 つと視線を落とす。

 私を掴む自身の手にではなく、もっとしたの――

「あ……」

 理解した。

 傷つき痛みを残す彼の、潰えた夢の正体を。

 伏せた顔を起こしたときに、見る者の胸を締めつけられる彼の目線に、絡め取られていた。

「無駄なことなんか一つもねえんだ。おまえがやってきたことに。……仮に今、おまえを慰められるのなら、足の一本くらい安いもんだ。なにしろまだ歩けんだからな」

 作り笑いをするマキが、滲んで見えた。

 噛み締めた奥歯が震える。

 彼が舌打ちをするのを聞いた。次の瞬間、

「我慢なんかすんじゃねえ」

 荒っぽく引き寄せる、その腕のなかに自分がいた。

 シャリシャリしたダウンコートのナイロン生地。冷蔵庫に保管されたかの冷たさが、すぐに、潤いを帯びてしまう。

「コート、汚れちゃうよお……」

「……かたちあるものは全て汚すためにある。少し、黙っておけ」

 彼の手は誰かの頭を押さえつけるためにあるのか。

 きついほど抱きしめられますます苦しい。

 目から鼻から口から溢れる激情に息も、できない。

「俺は、おまえの事情を知らん」

 彼の力が、緩んだ。

 頭の輪郭を大きな手で、支配する。

 それなのに彼の追及は、どうしても優しい。

「あの大学に入りてえ理由が、あったんだろ。あんなに躍起になるとは……」

 柏木、慎一郎の居る大学に、入りたかったの、私は。

 心理学者として尊敬しているけれど、それだけじゃなくて、もう一度会って、確かめたかった……。

「和貴のじーさんの世話もしながら、よくやったとは思わねえか」

 誰が、マキに、言ったの。

 紗優かな……。

「この強情っぱりが」

 髪をかき回す彼の手が、吐き出せと誘発している。

 コートを媒介として彼の胸に全てをぶつけた気分だった。

 喉の奥が狭まり、泣きじゃくりを立てる。二三度、荒っぽく頭を叩かれた。「まったく……俺の前で強がるなと言ってなかったか」

「言っでだい」

「ひでー鼻声」

 首根っこを引っ張られ、

 目を剥いたマキと遭遇した。

「……鼻水出てんぞ」

 見られた羞恥と離して欲しいという願望が噴出した。

「こら。動くな」

 丁寧にティッシュなんか拭かれてどうしたらいいのか。

 目も、鼻も。

 待つあいだの気まずさといったら。

 背中の後ろにも腕が回されているというのも。……かばん。落としたんだろうか。私もだろうか。持っているんだろうか。私にはそれも分からない。

「も、……止まっだがらだいじょうぶ。離じで」

「いや、もうすこしこうさせてくれ」

 せっかく拭いて頂いたのに、涙と鼻水の再歓迎だ。

 感情が崩壊したのか、恋をしたせいか。

 歓迎されるとまた遠慮しなくていいんだよとばかりに、涙が止まらなくなる。

 しゃくりあげる私に、彼は、勿体つけて解き明かす。「ひとつ、いいことを教えてやろう」

 私は頷いた。

「下旬からもれなく俺と私大受験ツアーに出られっぞ。どうだ。喜べ」


 ……


 もしかして。


 私は顔をあげた。ひどい状態だが構わず。

「泣きたいのはマキのほうだったりして」

「ちげえ。俺は元から私大一本だ」

「センター利用の私大も狙ってるって言ってたじゃん……」

「……そうだ。その通りだ。悪いかっ」

 開き直る。

 珍しいマキの姿を見て、ようやく笑みが漏れた。

 しかし。

 腕の拘束力は強まるばかりで――

 自分がだるまかハムになったみたいだ。

「そ。そろそろ離してもらって、いいかな」

「困ったな。右手がいうことをきかん」

 ……マキってこんな冗談言えるひとだっけ。

 彼は上体を離し、私の両肩を抱え、――いつかと同じ体勢で。

 でも、愛おしむような眼差しで、不敵に微笑む。

「おい」

 背中を屈め、こんな近くに存在する。

 やだ、


「――三度目の正直があると思うか」


 心臓が爆発するかと思った。

「い――」

 流される。

 こんなのはいけない。

 私の、前髪を掻き分けるマキから、


 ――逃げなくては、


 私が、好きなのは、


「ヒューヒューだねーアッツイねー」


 懐かしのフレーズに、飛び退いて、離れた。

 子どもの声だ。

 私たちが後ろにしていた、白の門扉の向こうに子どもたちが三人四人、……いや五人。


「よっ! お熱いねーお二人さーん」

「チューすんのぉ?」

「するやろ」

「えーだって女の人嫌がっとるやーん」

「まんざらでもなさそー」


 この場には不似合いな、ぼきぼき指を鳴らす音が響いた。

 というより地雷でも踏まれた、剣幕が。


「て、めえら……いてこますぞ」


「うっわーこわー」

「ケンシロウみたーい」

「そんなんやから片想いなんやよ」


 かっ、と目を見開いた。


「うるせえっ!」


 門を壊して飛びかからんばかりの肩を両手で引っ張った。「さ。騒がしくてごめんね。マキ。早く行かないと席埋まっちゃうよ。行こうよ」

「くそが……」

 悪態をつきつつ、転がった自分のかばんを拾い、そして私のかばんも拾った。


「おねーさんまたねー」

「うんじゃあねー」

 手を振り返す私を「馬鹿馬鹿しい」の一言で一蹴する。

 その彼に追いつき私は疑問を口にした。「ねえ。いつも言ってる『いてこますぞ』ってどういう意味?」

「……しばくぞ」

 さきほどとは打って変わった厳しい目で私をチラと見る。

「子ども相手だから、分からないような言葉わざと選んでるんでしょう」

 リレーのときみたく、後ろ手に差し出されるかばんを私は受け取った。

「うるせえ」

「……それしか言えないんだよねマキって。ボキャ増やしなよ」

「うる」

「せー?」

 背中が、震えた。

 私はその背をパンと叩いた。


 ありがとうとごめんねの意味を込めて。


 関わるほど、私の思いは相違点を吐き出すものとなること。

 関わるほど、彼への思いが強くなってしまうことに。


『真咲さーん』


 まだ明るく白んだ空に、真夏に置き残した大好きな彼の笑顔が、浮かんでは消えていった。

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