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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第三章 やってみ?
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(3)


 いつも朝市が開かれている、神社へ続く道。


 港から走る国道とT字型に連結する約二十メートルの朝市通りは、観光客向けの土産物屋や民宿、和食の食事処などが軒を連ねる。ふだんは朝市が終わる正午までと、唯一、お祭りの時期だけは終日車が通れない歩行者天国となって屋台がずらり並ぶ。夜などは明かりの列が滔々と続いて、闇のなかに浮かぶさまは圧巻。

 ……なのだそうだ。茶髪くんの言うところによると。

 現在圧巻というよりは舞台裏を見ちゃってる感じ。たこにキャベツや紅しょうがの入ったトレイを並べるたこ焼き屋さんや、景品のセッティングを調整する射的屋さん。二三人で骨組みを作り始めたばかりで、なにを出すのかまるで分からない屋台も。

 ほど近い海からの潮風に乗せられて、色んな匂いが混ざり合う。カステラ焼きたての甘ったるさ、ヨーヨーのゴム臭さ。麺とキャベツを汗かき混ぜ込むいかついお兄さん、首にかけたタオルで額を拭う口紅青みピンクのおばさん。匂いに紛れてるようでも人々の期待は隠しきれず、なにか、いまにも爆発しそうな熱気が漂っている。

 紗優もチョコバナナクレープ。茶髪くんは鈴カステラを口のなかに運ぶ。……割りと、早食いっぽい。映画館でポップコーン食べるスピードに近い。

「ふぁべる?」

「要らね」また舌打ち。「んな甘いもんよく食えるな。見ているだけで吐き気を催す」

 離れて彼は私と紗優のほうも眺め回した。

「人生損してるよマキって」いっぱいのほっぺのなかを消費するとがさ、と手を突っ込む。「屋台来て鈴カステラ食べないなんて残念すぎる。祭りの醍醐味だよ」

「してねえ」

「もう。なんとか言ってやってよ真咲さん」

 眉は困りに歪めていても、アーチを描く口のかたち。彼、いつも口角があがってる。

 そして、気になった。「ついてるよ」

「こっち?」

「違う。右のここ」

 いつも思うのだが、私は相手の側に合わせ、向こうから見て右である自分の左を指す。けどこれで正解された試しがない。最初っから逆の右を指したら指したでどっち? と聞き返されるのだ。なにかいい指示手段はないものか。

「ありがと。取れた?」

 近づく癖があるみたいだ、このひと。

 まじまじと見てしまうと。

 すこしばかりの苛々など消失させられる。

 整った、顔立ち。

 後ずさる私にくすり、と笑う口許の余裕。

 見惚れられることを自覚する男の子の人種。

『取っ替え引っ替え女と遊ぶようになってもうて』……素養はあると思う。いまだって、黒髪の横を歩いていたのがナチュラルに私のそばに回ってるし。

 食べるときはそりゃ黙ってる。無心に放り込んでぱくぱく。ちょっと俯き加減。足運びからして転びはしなさそう、だけど。……なにか見たことある感じ。なんだっけ。冬眠でもないのにこんないっぱいお腹に詰め込んで、って。

 子リスだ。

 冬眠前の子リス。

 動物番組で見る、どんぐりを口のなかにぱんぱんに詰め込む冬眠前の子リス。

「……ふっ」

 駄目だ、完全に重なった。尻尾だって見えるもん。必死についばむあの感じ。

「いま。笑ったれひょ。僕のこと?」

 だから頬がぱんぱんって。あんな無垢な目をしないで。

「……別に」

「そやなーよー見っとほんに子リスっぽいかもしらんなー」

 察した紗優が子リスくんを見える位置に動く。


「俺はオランウータンだがな」


 誰かと思った。

 能面の表情のなさで、こめかみに筋を浮かせて私たちを一瞥し。

 再び、動き出す。

 一同フリーズ。

 ……

「ぶ」

 子リスくんが噴いたのを皮切りに、爆笑の渦が起こる。黒髪の彼の無関心な背中に私たちの笑いが降り注ぐ。

「あーもーおっかしー」紗優なんてお腹押さえてひーひー言ってる。「蒔田が自分ネタにするん初めて見た」

「わ、たし。あの。謝ったほうがいいよね、彼に」

 スタスタ歩き去ってるし。神社着きそうな勢いだし。

「ぜーんぜん。僕なんかしょっちゅうマキからかって遊んでる」いやそれはそれで問題が。てか明らかにマキくんはあなたを大切な友達認定してる。「けどね。ああ見えて優しいやつだから。気にしなくていいんだよ?」

 うぉおい、足、早すぎ! と早足の彼は駆ける。も、待ってえな、と紗優が追う。

 早いのはどっちだろう。

 全員食べ終えてた。

 私は取り残される。アイス溶けてぬちゃっとしたぬるいクレープ。食べるのが遅いとこんなふうに損をする。思い返せば小学校の、給食の時間は。規律を仕込みたがる教師の格好の餌食だった。

「真咲さーん。はやくーっこっちおいでー」

 気がついた茶髪くんが手を振ってくれる。

 けど。

 私は振り返すのがためらわれて、何故かできなかった。


 塩川神社、と刻字された石壁の門を横目に、赤い鳥居をくぐると、冷えた、おごそかな境内の空気が出迎える。されど足元から伝わる熱気。サンダルの素足にまとわりつく砂利、止まっては足首振ってはして進む。

 お参りでもするのかと思った。

 一行は素通り。

 境内を抜けて背後に門と朝市通りを残し、神社を正面に見て右手に回ると、暗い影が落ちる場所。囲う鬱蒼とした木々が作り出すその影のなかに。

 ――お神輿。

 ほとんどが金色。少々の赤と、黒とで彩られた塊が紺色の布の上に佇む。鎮座、という表現が正しい。荘厳で、歴史の重たさを感じさせる鈍い輝きが、薄闇のなかでちらり、放たれる。

 すこし大人が遠巻きに見守り、怖いもの知らずの子どもたちはわーと取り巻く。うち一人の女の子が突然にねーおにーちゃーんって彼に駆け寄る。……意外にも応じる。本当に意外だ。日焼けした子で顔は似てない。初恋を覚えたてのお年頃の子の必死な話しかけに対して、仏頂面だけれど無視はしてない。和やかで、色にするならやわらかい黄色いオーラが彼らを包む。

 注意を神輿に移す。

 存外、大きい。

 どっしり構えた博物館の展示物の迫力。重そう。いったい何十キロあるんだろう?

「これ、何人で担ぐの」

「んー十人くらいやろか」

「神社のは展示用だから特にでっかいの」茶髪くんが補足する。「担ぎ手はまだいたい二十人かな……数えたことないけどね。町によって神輿のでかさも変わる。これとあんま大きさ変わんないのを野郎五人で担ぐとこもあるんだよ? 血の気っぱやいやつらだけどさ」

「へええ……」ふんどし姿とかテレビで観たことある、あんな感じなのかな。神輿を支える棒が縦と横方向に走っていて、柱並みの太さ。オランウータンみたく子どもがぶらさがってても倒れない重量感。うっかりしてるとお腹ぶつけちゃいそうだ。回りこむときに気を遣う。

 縦に前に突き出てるとこが激戦区、と茶髪くんはガイドする。その花棒はなぼうに触れ、ナチュラルに女の子の頭を撫でると、

「ほら。正面から見てごらん?」

 初めて知った。……鳥居が、あるんだ。小さい神社を模してるのか。さっき見たような朱の、鳥居。奥に金の鳥居、家紋の入った賽銭箱に似た箱へと繋がって……名前の分からない飾りだってあってたくさん。全部が、金。水戸黄門みたいな家紋だって色んなものに入っている。丸い飾りのついたすだれがしゃらしゃら揺れる。

 きらびやかで。

 絢爛豪華。

 元禄文化。

 江戸の華、……色んな単語が頭のなかに飛び交う。大河ドラマのオープニングがオーバーラップする。

「緑川って人口三万も行かない、小さい市なんだけどさ。三十三のちっさい町に分かれていてね」と大都市育ちの彼は語る。「祭りのときはその町ごとに神輿出すんだ。町対抗って感じですごく盛り上がる。町じゅうみーんな騒いで練り歩いてね、さっきの砂浜にぜーんぶ集合すんだ」

「めっ、ちゃくちゃ綺麗なんよー。お神輿いっぱいでピカピカなって」

 三十以上のお神輿が海に集まる姿。暗い波に映えてきっと壮観なことだろう。

「まね。僕たちが用のあるのはこのお神輿じゃないんだけど」ポケットに片手を突っ込む。「行こ? マキ」

 あれ。

 思いのほかあっさり。

 みんな行っちゃうの。

 私神輿間近に見るの初めてだった。

 もっと。

 じっくり眺めたかったのに……。

 後ろを従い、サンダルに入る砂利を気にしていると。


「こんなんで満足しちゃあいけないよ?」


 ポケットに手を入れたまま、肩だけで振り向いた彼は、


「もっと面白いもん、見したげる」


 熱が出そうだった。


 彼らの世界は、めまぐるしい。新しい環境に飛び込むってこういうことなのか。

 そこからすこし歩いて今度は、宮川町商工会議所、という場所に連れ込まれた。(古めかしい看板が立てかけてあったから分かった)東京だと畑の隣にありそうな。おじさんおばさんがたむろう、畳ばかりの狭い小屋のなかを。慣れた様子で茶髪くんと紗優は進む。おーありがとー。おじちゃん頼むねーって応じつつ。

「ママ」

 最奥にて。

 そうだここが目的地だったのか。お父さんお母さん……と弟さんかな? が集まるところへ走り寄る。

 お父さん親戚じゅうからんなべっぴんさんよう捕まえたなぁって突っ込まれたと思う。

「あれ。頼んだやつ持ってきてくれた? サイズ合うかちょっと心配しとんけど」

「袖まくれば調整できるから大丈夫やわいね。あらあ、――」

 膝を立てて座ってたお母さん。腰を浮かすときに膝を気にする所作。

 お着物だ。

 えんじ色の。……女優さんみたい。この辺のおばちゃんって大阪のパーマかけたおばちゃんなのに。綺麗に年を重ねた女性の、割烹着まで似合うはんなりとした美しさ。

 紗優と目のかたちが同じだ。

「真咲ちゃん、やよね?」うっふふと笑う、思いのほか露わな笑い方も。「紗優がお世話かけとります。あーら、ほんに、いちゃけな顔しとるがいね。うちの紗優はきかんおてんばやさけ羨ましいわ」

 うがっ。

「とっ。とんでもないっ、おおお邪魔してますっ」

 直立してお辞儀をすると、後ろで茶髪くんが笑った。

 だってこんな綺麗なお母さんにまじまじと見られて「かわいい顔してる」なんて言われたら私どうしたらいいか。

「ねーちゃーん。ねーちゃんばっかずるいて。僕やって担ぎたい」

 スカートを引っ張る少年。……彼もお母さん似だ。

 紗優は弟の頭を撫でると、しゃがんで、姉の顔をして微笑む。「だーめ。身長足りんもん。……そや。入り口に田中くんおったよ。怜生れおのこと探しとった」

 えーどこどこー、と釣られる。まだ幼いお年頃。

 その走りかけた弟くんが、私の前でぴたっと止まり。

「じゃーねーまさき」

 姉より目が丸っこい。茶髪くんを小さくして髪黒くした感じ……てああ。

 なんか心臓がいくつあっても足りない。

「ママね、手伝いせなならんさけ行くわ。あんたんこと待っとってんけど」この地方ではあんた、と呼ぶのが普通っぽい。うちの母だって私をときどきそう呼ぶし。「はい。忘れんうちにこれ。カズくんとマキちゃんのぶんも入っとるから。ほんなら……真咲ちゃんもマキちゃんも今度、うちに遊びに来てくださいね」

 微笑んで奥の台所に消える。

 疑問が一点。


 マキ、ちゃんて。


 振り仰いだ。たぶんちょっとニタついた。

 それがいけなかったのか。

 鋭く睨まれる。だからなんでこのひとこんな敵意むき出しなの。

 はいはーいと配っていく紗優。なんだろう、……服っぽいけど。邪魔にならないよう私は避けると、

「はいこれー真咲も」

 ……

 反射的に差し出し、両手に乗っかった。

 赤い。綿でできた、白い太い襟のラインが入ってる。家紋っぽいのがあるのは……胸元に位置するのか。

 固まった私の反応を晴れがましく紗優は笑う。なにをぼさっとしとるん、と。

「はっぴ。真咲のぶんやよ」


「……なんですと?」


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