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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十四章 泣いてもいいですか
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(3)

 申し訳程度に、テレビは点いている。

 小窓の向こうからの笑い声に負けるボリュームで。チャンネルを紅白に合わせると安室ちゃんが気になってしまうから、敢えて興味のないバラエティ番組にしていた。それだと点けてる意味なんて無いんだけど。

 疲れた心身に年越し蕎麦の温かさがじわっとしみた。普段はこんな夜中までお店を開けてはいないが、大晦日は特例で、近所のひとにお蕎麦を振舞っている。

 私はその恩恵にあやかる。

 本当は胃もたれがするので夜食はしない主義だけど……夜中まで勉強して消化すればいい。とろろの汁まで飲み終え、器を置いたタイミングで、けたたましく家の電話が鳴った。

 向こうの笑い声とどっちがけたたましいんだか。

 すぐにとる気配を感じなかったので、私は急いで椅子を立ち、近くの受話器を取った。「はい。小料理屋とくらです」

 沈黙。

 数秒。

 直後、

 かすかに笑う息を聞いた。「おまえか」

「まっ」

 自分の声が裏返った。

「マキぃ!?」

 かすかどころか声を立てて笑った。「そんなに驚くことか? おま……」

「だって。だって、びっくりした。なんで? うちの電話……」

「電話帳に載ってた。自宅のと店の番号がおんなじなんだな」

「うん。けど、珍しいね、マキから電話なんて……」

 珍しいどころかむしろ初めてだ。

 受話器から繋がるコードを無意識に自分の指が絡ませている。

 マキが、沈黙している。

 呼吸音が聞き取れないほどの静寂を共有する。

 けど私の鼓動のほうがうるさいかもしれない。

「勉強、頑張ってる?」

「ああ」

 二日前に会ったばかりだった。連日彼と、学校と図書館とに行っている。といっても、年末年始は流石に休みとなる。別れ際になんと言っていただろう。

 風邪引くなよ。おやすみ。

 ……二言だけだった。

 思い出して笑いそうになる。電話口でも彼は無口だった。

 私は柱に背を預け、壁時計を見る。「にしても、こんな時間に電話だなんて……」十一時五十八分。テストのお陰で真っ先に長針を確かめるクセがついた。「出たのが私じゃなかったらどうしてたの?」

「丁重に頼むまでだ。夜分遅くに申し訳ございませんが大切なお孫さんを電話口に呼び出して頂けませんか、とな」

 私は吹き出した。「なにいまの言葉遣い。もういっぺん言ってみて?」

 いつもより効力の弱い、てめ、しばくぞが聞こえてきた。

 テレビのなかの芸人たちがカウントダウンを始める。アナウンサーの声が金属的で耳障りだった。女優さんの振袖姿が、画面にいろを添えている。

「なにか、用事があったの、私に」

 お店のほうでも、みんなが秒読みを開始する。彼がなにかを言ったが、いつもの抑えた声量ではとても聞き取れたものではなかった。

「なに。もう一回言って? 聞こえない」

「おまえの、」

 十、

 九、

「こえが」

 六、

 五、

「聞きたかった」

 三、

「だけだっ」


 耳元で叫ばれる、臨場感だった。

 彼が言い放った瞬間に、新しい年があけた。

 一九九九年。

 ノストラダムスが人類の破滅を予言したという、不吉な年の始まり。

 まずは、……私の心臓が、爆発しそうだ。


「あ、の……マキ」私は受話器越しでも頭を下げた。「あけまして、おめでとう……こ。今年もよろしくね」

「ああ。それだけだ。じゃあな」

 言っておいて、一方的に切る。

 爆弾を残しておいて。

 おやすみなさい、を言う猶予もなかった。

 受話器を置き、引いたままだった椅子に戻り、蕎麦の器をどかし、机に、突っ伏した。

 いますぐになにかで冷やしたかった。

 頬が、熱い……。


 マキの言葉は確かに嬉しいのだけれど。けど、

 けど、……


『僕がずっと、真咲さんの声を聞いていたかっただけなんだから』


 違う。


 あれほどの破壊力を、持たなかった。


 目を閉じれば、電話口の向こうで、困ったように頭を掻いているだろう彼の動き。はにかんだ笑み。……うすく赤らんだ、頬。

 花の開いた瞬間を封じ込めた、優雅な笑顔。

 喉仏からほとばしる、屈託のない笑い声。


 一月一日、元旦。

 新しい年の幕開けに、私は自覚した。


 夢でもいいから、会いたかったのに。

 初夢に出てきたのは、声を聞いたばかりのマキではなく、ましてや親愛なる情を抱く柏木慎一郎でもなく、想い焦がれる和貴でもなく。

 繰り返しリプレイされる木島家の光景に幼き頃の情景。

 畳の部屋で母が慟哭する姿。

 無力な自分。

 幼き私を抱き上げる、いまは見ぬ父。

 軽々と抱え上げ、肩車をする、あの残像だった。

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