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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十四章 泣いてもいいですか
86/124

(1)

 今年もクリスマスイブと終業式を同日に迎えた。

 去年と同じく和貴は教室を一番にあとにする。急いでいたのは、お向かいの今井さんが体調を崩したのでお世話をするがために、今年は自分が講習を受けるために。いずれもお祖父さん情報だ。

 去年と違うのは、学校帰りに遊ぶ同級生が全体の七割程度に減少したということ。

 私がマキと図書館に行かず、二番目に教室をあとにしたということ。


「ただいま」

 正面玄関から呼びかければ渋い表情をした祖父がさっそくデパートの丈夫な紙袋を手渡してくる。そとの気候を考慮してだろう、この頃はお重をその袋に入れる。

「一郎によろしゅうゆうとけよ。ほんで。これが、最後やぞ」

 祖父の声が不機嫌なのは、冷たい外気が店内に雪崩込んだせいでは無い。

「うん。分かってる」

 私は子供っぽさを意識した弾んだ声で答えるが、お年寄りは残念ながら同じことを二三度言って聞かせる傾向にある。

 相手を、得心させ。

 自分自身が納得をするがために。

「おまえは自分のことに集中しい。もう、一郎の具合がようなったんは分かっておる。受験は冬が本番なんやろが。ほかのもんにうつつを抜かとる時間は無いはずやぞ」

 口を差し挟む余地も無かった。分かってる、と私はようやく言葉にし、

「明日から学校でずっと冬期講習だし、年末年始も勉強漬けだよ」

 カウンター内に戻りつつ祖父はこちらに一瞥をくれ、

「はよぅ帰るんやぞ」

「うん」私は嘘をついた。

 手を洗い、清潔なふきんで拭いてから包丁に対峙する。

 その眼差しは刃物よりも、鋭い。

「メリークリスマス」

 妨げぬよう口のなかでひそかに呟き、暖房の入らぬ肌寒い店を出た。

 暖房は開店直前に入れる主義らしい。ぬるい気持ちで食材に向き合いたくない……祖母から聞いたときに、祖父らしい、ポリシーだと思った。

 海からの水を吸い上げた大粒の雪が、音もなくこの町に降り続く。

 クリスマスイブというだけで、ただの雪景色がこの日を祝福する、幻想的なものに思えてくる。恋人同士が見るならロマンチックだと、幼子が見ればサンタさんがやってくる、と。そう思うことだろう。

 判断するのは常に、ひとびとの主観だった。景色のみならず、物事の全般において。

 自転車の椅子を拭いて濡れ度合いを確かめる。歩きにしようか迷ったけれど、路面を見た上で自転車で行こうと判断した。薄い氷を張ったどころか、白く凍結した路面であろうと構わずこの地方のひとは自転車に乗る。……車を持たず乗れずの子どもたちが主に。北海道でも似たようなものだと聞いたことがある。

 タイヤはスタッドレスにし、豪雪の日にはチェーンを巻かないと後続の車に大迷惑をかける。車種は無論4WD。だから、……この時期の大渋滞は、2WDの普通車なんか知らずに乗ってくる都会のひとびとの引き起こす、風物詩、だった。

 買い出しの時間を外した、午後の一時半。大通りの車通りはいまだ少ない。

 この道をこんなふうに、滑らないよう気を遣い走るのも最後だと思うと、外気にさらされた膝頭の皮膚が、感傷めいたものに震えた。


 私は桜井家の鍵を持っていないので呼び鈴を鳴らす。

 持っていても和貴の家族ならば、必ず、そうする。

「いらっしゃい、お嬢さん」

 カウント三十秒。確かにおじいさんの足は良くなった。ドアの開け閉めの所作に以前の、からくり機械に似たぎこちなさが消えている。

 私は人間のおじいさんに気取った挨拶をした。

「メリークリスマス、ですね」

 玄関に入る前に肩の雪を落とす。

「正確にはクリスマスイブですので明日のぶんをお伝えします。メリークリスマス」

 ドアの鍵をかけて室内に目を戻せば、おじいさんは密かに肩を震わせていた。

 なんだってすぐ笑うのも、和貴と、おんなじ。

 また彼との共通点を私の無意識が見出そうとする。

 恋心に基づく探究心というものは、尽きない。

 私は、極寒のためかやや丸まった和貴のおじいさんの背中を目で追いながら、先週、おじいさんから聞いたばかりの話を、思い返していた。


 和貴のお父さんは仕事が忙しく、帰宅が深夜に及ぶ時期があった。

「父さんが帰ってきよるまで僕起きて待っておるっ」

 小学校に入りたての和貴はそう言ってきかない。どうして、とお母さんが理由を訊くと、

「父さんがいっしょけんめー働いとるがに、帰ってきたら起きとるが母さんだかやったら父さん、寂しいがや」

「あのね、……和貴。あなたが遅くまで起きているほうが父さんは心配するわ。子どもなんだからしっかり、寝なさい」

「僕は、父さんが寂しい思いするんが我慢ならんっ」

 強情なのか健気なのか分からない主張をする。

 もっとも和貴はお父さんが帰ってくるときまでにはぐっすりと眠ってしまっていた。お母さんがいくらゆすっても起きず、ソファーで眠りこけてお父さんに抱き上げられ子供部屋のベッドへと運ばれる。

 そして翌朝必ず怒るのだ。

「なんっで起こしてくれんかったが!」

 ……毎朝かんしゃくをおこされてはたまったものではない。お母さんは、いっそ一度本気で和貴を叩き起こしてみようかと、本気で悩んだそうだ。

 ある晩、お父さんは呼び鈴を鳴らした。

 ほんの、出来心だった。

 父さんはちゃんと起こしたんだぞ、和貴が起きれなかったんだぞ、と言ってきかせるがために。

 しかし。和貴は、飛び起きた。丸い目を開いて玄関へと一目散。お母さんが追いかけるのも間に合わなかった。

「どうして、……父さんが帰ってくるって分かったんだ。和貴」

「んー?」父親の胸に顔をうずめて擦り付ける動きをする。「僕。すごく耳がいいもん」へへ、と得意げに今度は指で鼻の下を擦り、「あんま聞かん音が鳴ったらすぐ分かる。やから火事起こっても逃げ遅れる心配ないよ。ほんで。……んな時間に鳴らすお父さんしかおらんがや」

 以来、呼び鈴を鳴らすのがお父さんの帰宅の合図となった。

 眠っていても必ず飛び起きる。凄い勢いで玄関まで駆ける。

「裸足でなぁ……足音が階下のひとに迷惑やろに靴下も履かんで……ほんに。手のかかる子で困ったもんやよ。わたしが鳴らしても、そうなげから……」

 お祖父さんにそうこぼしながらも、お母さんは口許をほころばせていた。

 パブロフの犬さながらに、呼び鈴が鳴れば父親か母親かと飛びつく。

 尻尾を振る忠犬のような幼い和貴が目に浮かぶ。


 真夏の激しい大雨が路面を叩きつく、嵐が訪れたかの夜だった。

 和貴のお父さんとお母さんが亡くなられたのは。

 マンションで和貴はお留守番をしていた。――もし彼が後部座席に乗っていたら、お祖父さんは大切な孫も、喪っていた。

 遠い遠い親戚のかたが呼び鈴を鳴らす。

 在宅者がいないのかと思える、静けさだったそうだ。

 和貴は、好きな番組があるから、たまたま家でテレビを見ていた、はずが。警察からの電話にも出ず。あまりに遅い両親の帰宅に彼はなにかを予感し、一人震えていたのかもしれない。

 些細な物音に敏感な和貴が、呼び鈴を鳴らしても出なかった。

 訃報を知らせに来たひとは、何度も鳴らし、一旦帰ろうかと思ったときに、小さな、足音が動くのを感じた。

 いやに幼い声が、告げた。


「どちらさん?」


 魚眼レンズを覗かなくとも家族で無かったことを和貴は即座に認識した。

 病院に行っても、なにが起きたのかを分からない彼に、おじいさんは童話の比喩を用いて言って聞かせた。おまえのおとうさんとおかあさんは星になった。手の届かないところに、行ってしもてんぞ、と。

 幼い彼に理解が及ぶはずもない。

 長距離運転で疲弊したドライバーの運転するトラックに、両親の車が正面衝突され、ほぼ、即死だったことなど。

 和貴は幼児番組を見て笑っていた時間帯だった。

 和貴のお祖父さんは車を持たない。この土地のひとにしては珍しく。駐車するスペースは家の前にあるけれど。好んでのんびりと徒歩で町中を歩く。どんな険しい丘の上だって。

 季節を肌で感じるのが好きなのだそうだ。

 家を明けることが多いが、帰宅時は呼び鈴を鳴らす。『わしが戻ってきた』ことを。必ず戻ってくることを彼に伝えたいがために。

 和貴も、約束したわけでもないのに必ず鳴らす。

 それが、彼なりの愛情という、答えなのだろう。


 * * *


 平日は夜の八時過ぎになることもあるから、思い切りかけられない。そのぶん、昼間に来れる日は『強』にして思い切り。掃除機を持って二階に上がり、せっかくだからあまり使わない客間もきっちり掃除することにした。

 最後だから。

 迷ったけれど、和貴の部屋も。……勝手に入るなんていけないかな。でも掃除機をかけるくらいなら、と。

 忍び寄る泥棒の心地で、されど掃除機のうるささとともに、自己弁明をする。

 ベッドの下に柄を入れるとエロ本が吸い込まれて出てきたのには苦笑いを漏らす。

 ベッドカバーは白黒の市松模様。カーテンが白。ミニカーペットは黒。こと和室は、どのような色合いを用いるかで、そのひとの個性が見える。好きな色に、好きなものが。

 白と黒だ、和貴の場合は。

 フェミニンな外見をし、衣服は白を好む彼からするとこのチェスボード風の、硬質な雰囲気が、意外な選択に思えた。

 脱ぎ散らかしたTシャツに靴下がそのままだしクローゼットを開いたまんま。

 勉強机に、たまたまいまトイレにでも行っているかの臨場感で、ノートとテキストと筆記用具とを置いている。シャープペンは無論左側に。座ればすぐにでも勉強を再開できそう。

 勉強机に備え付けの棚にも、黒いペンキに塗られた本棚にも、介護関係の本がぎっしり。……上下逆さに突っ込まれている本も。

 知らない和貴を垣間見た気がして、頬が緩む。

 床に散らかされた衣服を元通りに散らかし、私は彼の部屋を出た。


 一階に降りると、驚いたことに。おじいさんが玄関の拭き掃除をしていた。短い脚立のうえでドアの上部を。足元には青いバケツが。

「どうしたんですか。急に掃除なんかして……」

「ちと早いと思うたが、年末の大掃除始めようと思うたげ」

 私は脚立がしっかりしているか目で確かめた。「まだ万全じゃないんですから、無理しないでくださいね」

「わーっとる」

 一郎はこうと決めたらテコでも動かん。

 ……と祖父が評した通りのひとだ、おじいさんは。あの意気を削ぐのも無粋というもの。

 私はすぐ近くのコンセントを入れ、掃除機の強のボタンを押し、掃除機に負けない大声で歌い出した。調子はずれの私の歌声に笑いながらおじいさんが加わる。

 曲目は『りんごの歌』、続いて『川の流れのように』。

 いずれもおじいさんの好きなレパートリーだ。歌詞は自然と暗記してしまった。

 細い廊下をかけて一旦玄関に戻ってくるところで、まさに。

 その玄関の呼び鈴が鳴った。

 自分の心臓に急ブレーキがかかる。

 慌てて掃除機のボタンを押して消す。こちらからは玄関に張り付くスパイダーマンのように見えるおじいさんが対応した。

 宅急便の、ひとだった。

 なにを、……期待していたのか。

 和貴はまだ講習を受けている時間帯だ。帰宅するはずもない。

 コンセントを引き抜き、ダイニングに掃除機を持ち込み、川の流れのようにの続きから歌い始めた。

 結局、私は三ヶ月の間を、和貴に知られることなく、桜井家に通い続けた。

 おじいさんの足がほぼ完治した以上。

 私の受験が間もなくである以上。

 和貴に私がこんな気持ちを抱いている以上、この家を訪れる大義名分はもはや見つからない。せめて、……家中を磨きあげてから帰ろう。私が訪れた痕跡もろとも、髪の毛一本残さず消し去ってから、去ることにしようと、そう決めた。

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