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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十三章 振られ、ちゃった……
83/124

(1)

 十一月二十七日金曜日。天候は忌々しくも、曇り。


 一年で最も学校に行きたくなくなる日がやってきました。


「おい。都倉」


 往生際悪く輪から遠のいてアキレス腱を伸ばしているとマキに呼ばれた。水野くんも一緒だ。……二人は同じ三年三組だった。

 クラスが違うとそういう、交友関係がなかなか見えてこない。

「おはよ。なにか用?」

「用がねえとおまえに話しかけちゃならんのか」

 ストレートな物言いに水野くんが顔を背け、苦笑いを漏らした。


「おまえ。今年はリタイアするなよ」


 こちらに一歩を踏み込む、にこりともせぬ彼の真顔に、

 腕を抱え込みストレッチをしかけていた私の動きが、止めさせられる。


「それが、用事だ。うし行くぞ」

「ちょっと!」終わったとばかりに背を向けるマキを私は引きとどめた。「待ってよほんとにそれだけ言いに来たの? 嫌味じゃん完全」

 薄くて大きな背中が細かく震えている。ときどき、感情表現がこんなふうに豊かになる。

 水野くんまでも白い歯を見せて。

 そりゃあ、二人はいいよ。

 マキは毎日十キロだか走りこんでるし水野くんは陸上部の看板エースだったし。十キロ慣らしで走る程度なんて朝飯前だろう。

 でも私は、違う。

 去年は寝不足と内緒だけど生理痛もでバテて途中棄権した。

 その古傷をわざわざ触れに来るのだから、意地が悪い。

「……いつっまで笑ってるの……本当に怒るよ」

「わり」

 横を向き、収まらない笑いを手の甲で隠す。

 フグみたくほっぺた膨らませすぎたせいか。

 ぶほっ、

 と指で空気を抜いてみると、彼は両膝に手をつき、抑えていた笑いを開放させた。

「……ぼちぼち時間やぞ」水野くんがマキに目配せをする。「さぁーて。さくっと一位獲りに行くかぁ」

 最後は自分に言ったつもりだったろうが。


 それを許さない人間が、現われた。


「一位は俺だ」


 あの。

 このひと笑ってるけどさっきとはまるで違います目が本気です青白い炎のオーラが見えます。

 頭で警報が鳴り響くのだが、水野くんはいかにものんびりした調子を保ち、

「なぁーにをゆうとるが」鼻で息を吐く。「おれいまも走りこみしとるんやぜ。勝てるわけないやんか」

 この発言は不遜なものではなく、市や奥能登の大会を勝ち進み、個人で県大会にも出場したからこそ彼は言っている。

 マラソンのエキスパートを相手に勝つなんて言うのもおこがましい。

 なのに、マキは、私の顔色も水野くんのほうも余裕をもって見回し。

 悪魔も魅了されるほど瞳だけで艶やかに、微笑んだ。


「貴様は負ける覚悟をしておけ。去年の記録をぶち抜いてやる」


 宣戦布告と共に、裏門の男子の輪のほうへ歩き出した。

 置き去りにされたのも含め、水野くんは戸惑った様子。

「……めっずらしいなあ、蒔田が本気になるん。いぃつも手抜きしとんがに……」

「そうなの?」

 彼、なんでも本気で取り掛かりそうなのに。

 本気でも完走は難しい私が意外さを込めてそう訊くと、水野くんは指を一本立てて、「一位が、おれ」自分の胸を指す。「二位が桜井。三位以下は似たり寄ったりや……大体が陸部の誰かや。毎年こんなもん」ゆっくりと手を下ろし、マキのほうをきつく見据える。「あいつは序盤に仕掛けといて途中からペースをむちゃくちゃ落とす。嫌味な走り方をするんや。……自爆ゆうやつもおるが、体力有り余っとんがはおれの目に丸わかりや。マジで走れば結構いい順位に行けるはずなんやが……ま。あいつが本気だすんならちょーどいい」

 卒業する前にケリをつけられる。

 と水野くんは負けず嫌いな一面を覗かせる。

 そしてマキが校舎の向こうに消えても水野くんは動かない。男子のスタートは女子よりも早かったはず。脚力に本当に自信があるようだ。

 彼が走る前に、私には聞きたいことがあった。

「和貴も足が速いんだね」

「中学んときは市でトップクラスやったからな」いまはどーか知らんが、と手のひらをうえに向けた。「あいつより足の速いやつはおれしかおらんかった。続けておったらかなりの戦力になったはずなんやが……」

 目をすがめて残念そうに水野くんは言う。

 いつか和貴に突っかかったのは、期待の裏返しだったのかもしれない。

 拡声器で先生がなにか言ってる。女子の輪のほうが騒がしくなってきた。

「私、そろそろ行くね」

「おれも」瞬く間に和貴とは異なるフォームで走りかけた水野くんが「あ」と足を止めた。「今年は完走できるよう頑張ってな、都倉さん」

 応援されたのに苦笑いをしてしまう。


 私の居る位置はほとほと彼らとは遠い。


 * * *


「どーこ行っておったん、もう!」


 ……や。

 元居た木陰に戻ってこなかったのは紗優だよ。


 腰に手を当てて仁王立ちしてる横には小澤さんが。トイレで出くわしてお喋りしてた展開が読めた。

「なんか、……久し振りだね、小澤さん」

 彼女が鼻を鳴らすと二房に纏めた髪の束が、揺れた。

「あんた、たまには四組にぃや」

「……そうだね」


 和貴とマキのファンの総本山が居るから三年四組には近寄りがたいのだが。

 と思っていた矢先、小澤さんの斜め後ろの、二時の方向にまさに、そのグループを発見した。

 土地が変わっても女の子集団の行動パターンは変わらない。流行の服みたくみんなが好んで着用する。

 意図的に睨み、こちらの意識を波立たせたうえで外し、波立たせる話をする。聞こえるか聞こえないかの加減で。

 私は気にしないよう、紗優のほうを向こうとした。

 なにかが引っかかり、動けなかった。

 ジャージの裾が後ろから引っ張られていたのだと気づいたのは、

「真っ咲せんぱぁい! おっひさぁ! ひさぶりぃー!」

 陽気な挨拶をされた直後だった。「石井さん……」

 あはっと笑った彼女もまた気づいたのか。

 舌打ちをし、――

 二時の方向に突き進む。


「おっめーら! さっきからこっちガン飛ばしてんじゃねえよ! しばくぞ!」


 ドスの利いた声に私は呆気にとられた。


「い。石井さん……」


 先方も出遅れた。

 自分たちにぶつけられているのだと認識するのに。

 周囲の視線を集めるでっかい声で石井さんは畳み掛ける。「和貴とマキ先輩モノにできん女のひがみやろ。だっせえ!」

「はあっ!?」

「なんやこの一年」

「喧嘩売っとんがか!」

 ……流石に女子グループから次々怒りの声が湧く。総勢七名。反応を見る限りにはこの全員が石井さんの一年或いは二年先輩。

 相手にするのも分が悪い。

 追いついて、石井さんを宥めにかかると――彼女の腕が震えていることに心底驚いた。歯の奥を噛み締める音まで聞こえる剣幕にも。

 ひとまずは、連れ去るのが先だと判断した。

「ギャルはすっこんどけ」と私たちの背に追い打ちがかかる。

 すると石井さんは奮然と私の手を払いのけ、


「その。ギャルやからって差別せんで面倒見てくれたんが真咲せんぱいや。あんたらこそ関係無いやろ。おばさん!」


 ……石井さん。

 接する当初、内側では様々な葛藤があったけれど、その言葉は素直に嬉しかった。


 この喋り方ができるのなら普段もすればいいのに。

 私は笑って石井さんに話しかけた。「おばさんって言ったら私もおばさんだよ」

「ほんっなことゆうとるんじゃないよぉー真咲せんぱいあたしぃー」

 ……また元の喋りに戻り、金髪に近い毛束を指に巻きつける。不思議なひとだ。

 視界の端に捉えていた、心配して駆け寄ってくる紗優と小澤さんが次第に大きくなる。「ストップ」とジェスチャーで伝え、私は、彼女たちのほうへ、何事もなかったかのように戻ろうとした。


「……そういうところがムカつくんよ。いぃつもわたし関係ありませんてスカしとるところが……」


 聞き取れるかきわどい呟きに、注意が引きつけられる。

 小さく、眼前に火花が散った。

 

 ――乗ってやる。


「じゃあ、どうしたら満足する?」

 私は石井さんを残し、彼女たちの面前に向かった。


「私がマキとも和貴とも口を利かなければ満足? それともあなたたちのうちの誰かがマキか和貴とつき合えればいい? ……そんな簡単じゃないよ。ひとの気持ちって」


 一瞬、全員が声を失った。

 しかし、顔を赤くした名前も知らない子が負けじと言い返す。「まっ、マラソン大会も完走できんかったやつがなにを偉そうにゆうとる」

 関係無いけど。「……そこ突かれると弱いんだよね」

「真咲せんぱぁい……」寄ってきた今度は石井さんに引き留められる始末。

「そんでまた倒れて、蒔田くんに頼るんやろ。病弱な振りしてやることが汚いんよ。だいたい、」

「完走するよ」私は遮った。

 グループのメンバーを眺め回し、ひとつ、私は持ちかける。

「それじゃ、……あなたたち全員より私が速く走れなかったら、今後一切、私はマキとも和貴とも口を利かない。それで、いいかな?」

 なっ、と叫んだのは石井さんだ。「落ち着きぃて真咲せんぱい!」

 心配してくれるのは分かるけれども――いい加減、


 我慢の限界だ。


 集団で動く彼女たちにも、浮ついたたった一人の自分にも。

 未来のことを考えるので忙しい。

 こんなことに煩わされてるヒマは無い。


 ざわつく集団のなかから、髪の長い子が、ゆっくりと、前方に踊り出る。

 その子が口を開きかけたとき、


「そりゃあ無理でしょ」


 肩透かしを食らった。


 ――彼女の声ではない。


 紗優のでも小澤さんのでもない、第三者の声だった。

 続いて闊歩する足音が。


「強がるのはよくないよ、真咲さん」


 声の主はぽんと私の頭に手を添える。

「か、ずき……」

 え。

 どうしてここに?

 周囲を見回す。左右と後ろにひとが集まり始めている。もともとそこにいたひとたちが明らかにこちらを注視している。自分はその中心に立ち、何故かそこに現れたのは、和貴。

「桜井くん……」

 初めて聞けた彼女の一言だった。

 男子は裏門集合だから、この場に彼が現れるのは、彼女たちにも意外だったらしい。

 やや緊迫した空気に不似合いな、軽快な調子で彼は口を開いた。「そーんな自分にプラスにならない条件出してどうすんの」

「口から出まかせで……」

「普通はね。罰とご褒美の両方言うんだよ。ご褒美のこととか考えてた?」

「ぜんぜん……」

「まったく。相っ変わらずおんもしろいねえ真咲さんは。普通は勝つために勝負を仕掛けるんだよ、負ける前提ってどういう」

 小さく吹き出し、濡れた下唇を人差し指の関節で拭う。

「あの。桜井くん……」

「ああごめん」ぱっと彼の手が離れた。

 私は、こんな態度を示す和貴のことこそ久しぶりで、戸惑いと、……心臓にときめきを覚えていた。そんな状況でもないのに関わらず。

「じゃあさ。こういう条件でどうかなあ」いやに大きな声で和貴は言う。私に寸時視線を投げ、「彼女。自分が勝った場合の条件考えてなかったからさ。そしたら勝負になんないし、第一、吉田さんよりも運動が得意な女の子を、僕はほかに知らない」

 前に出ていた女の子が顔を赤らめた。彼女が、吉田さんだ。

「始めっから勝ち確定の賭けなんかしたって面白くもないだろ」

「じゃ。じゃあ、どうするって言うの」

 女の子らしい、可愛らしい声をしている。吉田さんは。

「僕が乗る」

 少し歩いて彼女たちの注意を引く。あくまで条件を持ちかける側だというのに、ふてぶてしく、勿体つけてから笑いかける。

 それでも下品にならないのが。子どものようなあどけなさと、少女の可憐さにくるまれた、桜井和貴という人間の真性だと思う。

「僕が。男子で一位を獲る。……それが、条件」

 チェックメイト。

 水野くんと同じ仕草で、和貴は自分の胸を指した。

 一語一語を丁寧に発音し。

「僕が負けたならそのままグラウンドを十周する。ほんで後日、……キミたち全員とデートするよ。キミたちが負けた場合はグラウンドを五周する。……これで構わないかな? 秤にかけるまでもない条件だと思うけれど……」

 吉田さんが口を開きかけた。

 それはまたも、阻まれた。

 第四の存在の登場によって。

「こぉら! おまえらなーにを集まっておるんや。列に戻れ! 桜井、おまえは裏門集合やろがっ」

 竹刀を持った体育教師の一声で、雲のごとく私たちが散り散りになっていく。


「じゃっ、そーゆーことでヨロシク」

 ピースの形を作った手でおどけた敬礼をし、ウィンクと共に彼は走っていった。


「意味わかめ。和貴ってば……」


 まさに狐につままれた石井さんの呟きを聞きつつ私は自分の持ち場を目で探した。

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