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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十一章 うちの奴が世話になってます
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(3)

「へー猫耳なんやぁーよーできとんなあ」

「あ、んまり引っ張らないで。ちゃっちい作りなんだから」

 と声を抑えて行動主体にささやく。

 その横を、和貴が通り過ぎる。

 去年は、こうやって抱きつかれてるのを、引き剥がしてくれた……。素知らぬ顔してウェイターの仕事に従事している。

 ええいもうヤケだ。

 やけくそで怜生くんを強く抱きしめる。


「都倉さぁん、オレのこともぎゅーぎゅーしてえ」


 そんな私たちに接近したのは坂田くんだった。伊達眼鏡をかけている。


「……よくもそういうことが言えるよね。好きでもない女の子相手に」

「ほんまに好きな子やったらゆえへんもん。ひび割れたおはじきなんやでぇオレのこーころは」

 ビー玉でしょ。

「ちょ、あんさんなにをわろとんのや。こー見えてもほんまオレガラスのハートなんやて。純情で一途まっしぐらなんやで」

「こー見えても、って自称する時点で自分がそうでないことを自覚している」

 ぬわにおぉっ、と頭を抱え込んだまま近くの男子をどつきにかかる――そんな坂田くんの発案だ。三年一組の猫カフェは。

 猫カフェといっても。

 猫好きを満足させるぬこさんがわらわらたむろうカフェではなく。単に、猫耳をつけたウェイトレスにウェイターが応対するというだけだ。跪いてお帰りなさいませお嬢様と出迎えたりなどもしない。窓にカーテンに似せたレースがかけられテーブルにはコットンレース、使用する茶器は全てカフェで扱う白磁器……少女趣味な感じでインテリアが施され、女子は手持ちのパフスリーブのブラウスにウエストの位置の高い綿素材のスカートを各自身に着けている。男子は制服にサスペンダーなんか足して。ふざけてひげなんか描かれた男子もいるけど……あれは油性ペンだったと思う。大丈夫だろうか。

 猫耳のほかに猫らしさを示すのは肘先までの猫柄の手袋。指先は布で覆われないタイプ、これ手作りなんだとか。あんまりかわいいとは思えないが作り手側の、猫らしさを求める意志の問題だろう。エプロンに尻尾も縫い付け、半端なミュージカルキャッツの劇団員状態とも言える。さてこれがどう評価されているかは、ひとまず、客の入りを見る限り悪くはない。マキが一緒のクラスにいた去年ほどではないにしても。

 なお、坂田くんに、The Red and the Blackなテイストにしないのかを尋ねたところ、「んな野暮なことはしたない」と一言で返された。

 野暮がなにを意味するのかは分からないけれど、要はオレいろに染めたないといったところなのだろう。

 内装を見る限りこんなメルヘンチックな趣味があったとは予想外だったのだが、彼は夏休み中はライブのしどおしだったらしい。緑川のみならず畑中まで行ってきたのだとか。

 本気で音楽の道を進みたいのかもしれない。

 客の引き始める午後三時過ぎを見計らい、紗優と坂田くんに離れることを伝え、私はもうひとつの持ち場に向かった。


 一応は私も部員だから。


「あれ。……結構繁盛してるんだね」

「あー都倉先輩ぃー手伝ってくださーい」

「うん」あ。エプロンをしたままだ。手袋も要らないか……

「は、外さなくていいですそれはっ!」

 外そうとしていたのを、自席でタイプ打ちしてる安田くんがすごい剣幕で叫んだ。

 ……どうしたんだろう。

「安田は都倉先輩の猫娘姿を見とりたんですよ。察してやってください」

「よっけーなことゆわんといてくださいっ!」

 ちょっと訛った。安田くんがゲームだかタイプ打ちだかを披露しているのか、スゲーと小学生男子が何人も取り囲む。

 川島くんと石井さんは、パソコンを操作する子どもたちの周りを巡回し、適宜、実演を交え操作方法の説明をしている。

 後ろの入り口から入った私は、前方の教卓周辺に、見るからにマニアックなオタク集団を発見した。細いジーパンをインにしリュックを担ぐ眼鏡の同世代の男の子たち。……タスクはともかくとしてマキも混ざっている。

 一二年生だけでうまく回している。

 託児所ってのはこの学祭にはないんだけど、半ばそんな扱いかもしれない。ほっぽっておけばどこに行くのか分からない小学生の子どもたちを、高校生の私たちが面倒を見ているのなら安心なのかも。

 後方の、机を置いてないスペースで保護者である母親たちが談笑している。

 窓際を背にして待つ女の子たちは、退屈していた。何人かは机に座って足をぶらぶらさせている。

 暇を潰すアイテムがこの室内には見当たらないのだろう。


 あちらを、どうにかするのが先決だと感じた。


 彼女たちのほうへ近づいた。窓に向けて置かれた座席にノートパソコンがぽつんと一つ。これは彼女たちの興味を引かなかったようだ。

「……猫や」

「かわいー」

「えー変やて」

「手袋キモくない?」

「んなことないて」

「えーだっておばさんやよ」


 ほう。

 十八歳を捕まえておばさん呼ばわりとはいい度胸をしている。


 私は彼女たちの視線を感じつつ、すぐそばの椅子に座った。

 あるソフトを起動する。

 一応はウォーミングアップ。手首をコキコキ、肩を鳴らしながらいざ。

 演奏する曲目は――


 猫ふんじゃった。


 ディスプレイに映し出されるのは白と黒のキーボード。無機質で感情のない、二階調の世界。白鍵に黒鍵のひとつひとつがキーボードのキーに対応し、或る音を鳴らせば或る音が返す。

 合宿期間中に作ったプログラムだった。

 みんながインベーダーゲームに夢中になるなかで私はひとり、これに夢中だった。

 ピアノもろくに弾けない私が唯一弾ける曲。

 裏方の部分を作り上げた達成感もろとも、鳴り響く度にそれを感じられだから楽しかった。


「なんやこれ、どーなっとんの」

「なして鳴んが」

「このおねーさん尻尾がついとる」


 黒目を大きくする女の子たちが周りに群がるのを感じながら、おもむろに、猫のように口元を緩めて弾き鳴らす。

 最後の二音は派手に叩いた。


 途端に、

 拍手が、起こった。

 いや教室の、……みんなだ。

 教室前方でも、

 座っていたはずのタスクが立ち上がって拍手なんかしている。

 マキですら見ている、こっちを。


 顔が火を噴くかと思った。


「えっと」大したことしてないのに、無意味に目立った。慌てて椅子から腰を浮かしかけたところを、

「なーなーもいっぺん弾いてー」

 腕を引っ張られ、戻される。他の子もわらわらまとわりついてくる。

 無垢な、黒い瞳を持つ女の子たちが。

 ……可愛い。

 私は一度腰を浮かせ、スカートを整えて座った。「……言っとくけどおねーさん、この曲しか弾けんがよ」

「駄目じゃん」

「レパートリー増やさな」

 苦笑いしてしまう。事実その通りだった。ひとみ、なにを失礼なことゆうとるん、と遠巻きにお母さんが言っているが、大丈夫です、と口パクでお伝えした。

 おかっぱの、利発そうな女の子に声をかける。

「えーっとそしたらひとみちゃん。弾いてみる?」

「えーピアノあたし弾けんがに」

「大丈夫だよ。おねーさんが教えたげるから、やってみよ? ここ座って」

 すとんと、座った。座高がちょっと高くて床から足が浮いている。台が要るほどでは無さそう。

「えーあたしも弾きたいてー」

「うんみんな順番にね。そしたらこっから時計回りでひとみちゃんから順番やからね」

「待てんてえ」

「あたしエリーゼ弾けるがよ」

 ベートーヴェンのか。「へえ。凄いねえ」

「おっねーさん早く早くぅ」

「はいはい」

「はいって一回しかゆったらならんがよっ。先生がゆうとった」

「……はい。かしこまりました」

「かしこまらんでええて」


 都倉真咲十八歳。

 小学生に形無しです。


 * * *


「おまえ方言喋れんだな」


 ノーパソの電源を落としていると背後を取られ。

 いきなり話しかけられるのは心臓に悪い。

 ふへっと奇声を発した私を、和貴ならぶくくって笑い飛ばしてくれるのに。

 パソコンを閉じつつ、私はマキを振り仰いだ。「喋ろうと思えば喋れるよ。……けど突然緑川弁喋り出すのってなんか、抵抗があって……」

 親を恨んでいたのに。

 緑川弁を話し始めるというのは、この土地を認めるということ。

 そんな自分をさらすということにも等しい。

 ちっぽけな私のプライドがその邪魔をする。

 壁を作った方が、人間付き合いは簡単だ。

 こんな心境を……仏頂面のこのひとは分かってくれるだろうか。


「かもしれねえな」


 そんなはずがない。


 エプロンをつけ、腰紐を結ぶ。マキは立ち去らずじっと私の行動を見ている。……調子が狂う。他人に関心を示さないはずの彼は、時折こんな風に黙って人を凝視する。「一組が気になるから私、行ってくるね」

 だいぶ人がはけたからもう大丈夫だろう、ここは。

 ああ、と答えるマキの横を抜ける。


「頑張れよ」


 思いもよらぬ、応援を受けた。

 言葉とは裏腹に、にこりともせぬ真顔で、……やっぱり、彼の感情のほどは読み取れない。

 嬉しいんだけど「なんか、優しすぎて気持ち悪い」

「しばくぞこら」


 そうこなくっちゃ。


 奮然と言ってのけるマキに、私は笑った。

 笑って彼を見たままドアを開いた私は、前方への注意が遅れた。


「ごめん、和貴」

「……いや」


 言葉だけは返されるものの、関心の一切は別のところにある。

 表情のない瞳で向こうを見る、その目線は揺るがなかった。

 生きている人間なのに凍りつかせる怜悧な冷たさが、そこには確実に存在した。


 水野くんの一件以来に見る、彼の顔だった。


 すり抜け、後ろ姿を振り返るも、まるで遠い他人のように感じられた。


 私は、嫌な予感を抑えられなかった。


 和貴、


 なにがあったの。


 その背中に祈るように問いかけても返されることなどなく、無論答えなども見当たらず、虚しさが募るばかりとなった。

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