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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十一章 うちの奴が世話になってます
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(2)

「あっ真咲せんぱぁーい」

「こんにちは」

 窓に背を預けていた石井さんが真っ先に気づいた。やーんひさぶりーと手を振ってくる……日焼けして見えるのは逆光のせいではなさそう。川島くんは変わらず色白だし。お店にかかりきりの夏休みを過ごしたのかもしれない。彼のおうちは出前もしているそうだ。

 私は夏休みを隔てて部活には初顔出しとなる。

 というわけで川島くんはちょっと驚いた様子。「先輩が来るん珍しいっすね」

「……そういうことばっか言うと先輩が来づらくなるじゃないですか」

「あ」頭をかく。安田くんよりも短く刈り込んだ坊主頭を下げ、「すんません」

 ううん、と私は首を振った。「……センターの申し込み行ってきたところなの。職員室行ったらちょっと寄ってみたくなって。……どこ座ればいいかな」

「ここあいてますよ」

 この部屋で唯一着席している安田くんが隣の席に視線を流す。

 教卓に肘をついて談笑を続ける石井さんと川島くんを尻目に自分の席に向かう。……タスクの時代ならばあれは許されなかった。時代は変わるものだ。

 デスクトップの背景も、ログオンパスワードも変わりがない。

「私、全然来てないから席、詰めちゃっていいのに」

 一クラス四十人を収容できる部屋に三人ぼっち。

 一席ずつ間をあけて座るのも寂しい感じがする。

 無視されるのは慣れっこなので、ほぼひとりごとのつもりで言ったのが、

「……先輩方が卒業するまで席は死守します」

 低い声でつぶやく安田くんに私は面食らった。「大袈裟な」

 大きくそっぽを向かれた。首を痛めかねない体勢でも、タイピングは可能らしい。

 私は席と席の間にある紙に手をかけた。向こうの窓を開けてあるためか、飛ばないよう乗せられた文鎮を浮かせ、

「課題のプリントだよね。一枚貰っていい?」

「常に人数分用意してあります」

 ようやく画面を正面に見据える。私はその滑らかな手つきを久しぶりに見ながら、

「ねえ安田くん」と一枚引っ張り出す。「私たちがあんまり顔出さなくなって実はすごく寂しいんじゃない?」

「だっ!」流れるような打鍵音が停止する。「誰がっ! 都倉先輩が例え顔を出すのが二ヶ月ぶりであったって僕は寂しくも何ともありませんっ!」

 代わりに訪れたのは静寂ならぬ、

 椅子を巻き込んで立ち上がる安田くんの騒がしさだった。

 ばつが悪くなったのか、

 押し黙って、彼は座った。

 石井さんと川島くんはどうやらこちらを見てけらけら笑っている。

 安田くんはキーポジションに両手を戻す。「どうして……部活対抗リレーに参加しなかったのですか。パソコン部員でしょう、都倉先輩は」

「近くで応援してたよ。私が出たって戦力にはならないし」

 パソコン部は可でもなく不可でもない、三位だった。タスクだったら「おめでとうございます」と言うんだろうけれど。

「そういう問題ではなくてですね、……」

「適材適所ってものがあるでしょう」

 戦力にならない人間を除外すべきだと言っていた安田くんが腑に落ちない顔をしている。なにかしらの執着心がこの部に関して芽生えたのなら、それは喜ばしいことだと思った。

 がっかりした、と彼は告白した。

 せっかくこの高校を選んだのだから、ここならではの楽しみを見つけて欲しかった。

 私がそうしたように。

 などとぼんやりしている場合でなく。すでに安田くんは自分の作業を再開している。石井さんと川島くんも着席済みだ。タスクバーの時刻を見る限り、本日の部活に参加する三年生はどうやら私だけのよう。


 言ったんだけどな、……部活寄ってくって。


 三年生の部活参加は自由だ。引退時期はいまのところ設定されていない。

 紗優は、専門の入試に備えて面接と小論文の準備を進めている。入試の時期を間近に控えていまが最も忙しい。

 マキとタスクは私同様に受験勉強の追い込みをかけている。順調に卒業後の進路が決定したのは和貴だけだ。彼は、地元の老人ホームに就職が内定している。市の郊外にあり車で通える距離にあるんだとか。


 帰ったのだろうか。


 和貴は最近、市の図書館に顔を出さなくなった。必要が無くなったからとはいえ、勉強熱心な彼は、ボランティアから戻ってきた夏休み後半はずっと通い詰めだった。真咲さん今日も早いねって、自分が先に来ているのに笑顔で。私は連日、あの彼の笑顔に密かに癒されていた。


 避けられてる?


 まさか。教室では普通に喋るし。

 いや。紗優と坂田くんたちと一緒にいるところに来ると、彼は黙って席を立つ。最後にまともに和貴と会話をしたのは、いつだったっけ――


「都倉先輩」


 遠慮した声量が充分に私の注意を引いた。


「……エンターキー押しすぎです」

「うわっ」

 画面のWordは改行だらけで最後に打ち込んだ文字が見えなくなっていた。

「僕は――」声を張り、石井さんと川島くんに宣言するように安田くんは言う。「帰ります。都倉先輩も帰ります」

「えっとでも私……」

 無視して荷物をまとめ出す。寸時迷ったが私も習った。

 久しぶりにお邪魔したのに考えごとばかりで全然集中できなかった。ならば意味がない。

「真咲せんぱーいまた顔出してなー」

 帰りも石井さんの大きな声を浴び、私は大きく二人に手を振った。


 * * *


「最近、どうなんですか」

「髪伸びたよね安田くん」

「蒔田先輩……放課後は図書室に篭りっきりですし、帰る時間も合わないものですから、僕は全く見ていませんけれども」

「一度切りそろえたの? 短めの角刈りって感じだね。様になってる」

「都倉先輩に褒められる筋合いが僕にはありません」

「褒めない筋合いも私には見つからないよ」

「うまく……行っていないようですね、その様子だと」

「あ。始業式の日に会った。おはよって言ってくれた」

 立ち止まって肩を落とす。安田くんの言動は、大袈裟にも思えた。

 高校の前を直線に通る大通り。振り返れば山の端から夕陽が私たちを追いかけてくる。薄紫からオレンジの、反物のような淡いグラデーションにうろこ雲が染められている。

 安田くんが過去を告白した放課後も、空はこんないろをしていた。

「口、開いてますよ」

 おっと。

 慌てて閉じると安田くんの呆れ目線とぶつかった。

 ぶつかったと思えば逸らされる。彼の私に対する応対は、……いつもこんな風だ。人間的な関心も持たれたくないといった様相。例えるならどじょうすくいをしている感覚。

 捕まえられても外さないのは、相手がマキの場合に限られる。

 紗優みたく可愛い女の子を見ても照れたりしないし、


『安田くんは蒔田くんに並々ならぬ好意をお持ちのようですね』


 ……変な意味ではないとタスクも言っていたではないか。

 変な考えを打ち消すとまた知らず口が開いていた。指摘される前に閉じ、安田くんに歩調を合わせる。

 追いついた私に彼はまた呆れ返った。ため息を大きく吐き、軽く睨むように、「ぼけーっとうえ見ながらそれでも転ばずに歩いたり、口を開いたり閉じたり……全く、器用な人ですね」

「他のところに活かしたいんだけどね」

「僕も他人ごとながらそう思います」

「ちょっと」

 滅多にないからかう姿をお披露目して思い切り笑う。やや細い目を細くしてくしゃりと目尻に皺を寄せ。……普段はキツそうなのに笑ったときとのギャップが女の子の目を引く。彼は、特に三年の女子に人気がある。年下で可愛い男の子、というのが彼女たちの評価だった。

 実際は同級生なんだけれどね。

「だいだい、みんなどうなのって訊くけど……」真っ先に坂田くんのへらへら笑いが思い浮かぶ。「マキにはちゃんとした彼女がいるんだよ。どうしようもないじゃない」

 交互に動く自分の足先を眺めている、後ろ向きな気分。

 ちっとも前に進めている感じがしない。

「一度も見かけませんでした」

「え?」私は立ち止まった。

「蒔田くんと柴村さんですよ……変ですね。二人とも海野に住んでいるのに。向こうでデートなんかするとすぐ誰かに見つかるんです、そして迷惑なことに広まるんです。海岸沿いか、海野に一つだけのカフェか。互いの家を除けばデートスポットなんか片手で足りるほどしかないエリアですから、緑川よりも悲劇的ですよ」

 私は安田くんを見た。悲劇的という表現もろもろ引っ掛かったが――自分が噂でも広められた経験を思い返すかのような嫌悪感も。が、見据えられれば逸らすか嫌がるかする彼は、眉間に皺を寄せ、深刻に、内面で、原因を追求している。

 稜子さんのことも先輩づけしていなかった……旧知の間柄なのだろうか。

 私は、マキと稜子さんがデートをしていたことを明かさず、代わりに笑って、打ち消しにかかった。「……変じゃないよ。マキはこの夏図書室に入り浸りだったんでしょう? 稜子さんだって離れたところで寮生活してるんだし」

 ところが、彼の表情は晴れない。

「部活が八月の早々に負けたので、柴村さんは夏休みいっぱいを地元で過ごせた……それが。長い間東京に行ってらしたようです。……遠距離恋愛をする二人が、逢瀬を重ねられる貴重な夏休みを何故、離れ離れで過ごしたのでしょう」

 東京の大学を見学にでも行ってたんじゃない? と言いかけた言葉を飲み込んだ。

 私は、部外者だ。

 本人たちのいないところで勘ぐり囁き合うのを、下世話な噂話と言う。

 私が抵抗感を持つ一方で、彼は上を見て、彼の考えを継続する。「ましてや彼女が傷心なのですから、男なら何だってできることはするでしょう。気晴らしに海に連れ出して気分転換させるとか」

 今年、畑高の吹奏楽部は全国大会への出場を逃した。全くの無名校が駒を進めたのはちょっとした騒ぎとなった。新聞プラス同級生のお喋りで私はそれを知った。

「安田くんて……優しいんだね」

「ば、馬鹿言わないでくださいっ!」

 上気したと思えばまた顎先を摘まみ、黙考に戻る。……私はなんとなく、彼の黙考を妨げるのが悪いように思えたので、なにも話しかけずにおいた。

 駅の改札口に着く。

「じゃあね、安田くん。送ってくれてありがとう」

 都倉先輩を送ったのはついでです、礼なんか言われる筋合いはありませんくらい返されると予想した。

 黙って去られるのももう一つの選択肢だった。

 だから私はなにも言わずに見送る。

 ……小さく手を挙げて返すマキの残像が重なった。何度も見送ったあの後ろ姿が。

 それが、不意に立ち止まる。


「気になりますよね、二人のこと」

「う。ううん別に」


 私の声色は嘘をつけなかった。それが、いけなかったのか。

 安田くんは振り返った。

 すこしずつ顎先をあげ、

 唐突な笑顔へと変わる。


「すこし、調べてみます。あなたのために」


 それは、

 恋心を持たない私ですら射抜かれる微笑だった。


 動悸を覚える筋合いもないというのに。

 どきどきする胸を押さえ、ホームに消える彼を見送っていると、例の駅員さんの粘っこい視線を感じた。どうもとか頭を下げてその場を凌いだ。


 ……安田くんは。

 なにか企んだら怖いひとだと思う。情報収集に事欠かさない。タスクのパソコン部遺伝子を一番受け継いでいると思う。

 そんな彼の続報を私が受けるより早く。


 ――真実が白日の下に曝されることとなる。

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