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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十一章 うちの奴が世話になってます
74/124

(1)

 受験というものを暫く経験していない。

 高校は私立のエスカレーター式だった。

 着崩した夏物に身を通すことなど無く、ハードな追い込みもかけなかった中学最後の夏と比較してみると、今年の夏は行動範囲が狭かった。出かけたのは学校と図書館くらいのものか。

 紗優のおうちと、……桜井家のお墓にも行った。

 秋冬物のスカートを引っ張りだし無理して着ているが率直に、暑い。くたくたの夏物とどっちがましだったろう。女子生徒には夏物でないことなどすぐ割れてしまう、色合いの濃さで。……膝にこすれるプリーツの裾が分厚かった。

 いつの間に私は緑川高校に編入することになっていたが、他の選択肢はなかったのだろうか。向こうと同じく私立を求めるとしたら、畑高一本に絞られる。

 畑高に行くこととはつまり、親元を離れ、寮生活をするということ。……工業高校である東工に通わせるのも考えにくいし、やはり、緑高が最も無難な選択だったか。畑高は噂に聞く限り県内随一の厳格な進学校で、スポーツの分野にも強く、野球部は甲子園の常連なんだとか。吹奏楽も然り。……全国大会に出場できる実力を持ちながらハードな勉強もこなす稜子さんはすごいひとだ。エリート校に通う生徒だが、その手の学校に通う人が無意識のうちに誇示しがちな自尊心や圧迫感とは無縁だった。

 私は緑高の教室の扉を開いた。

 みんな、日焼けしている。有意義な夏休みを過ごしたのだろう。お受験の緊張を纏わぬ和やかな雰囲気のなか、近くの子に挨拶をしながら自分の席につく。

 自分の機嫌が別段悪くもなく良くもないのが分かった。


「とっくらさぁ~ん」


 赤と黒な面子と窓際で固まっていて、こういう、猫撫で声で呼ぶのは紗優に限られている。

 私が呼ばれるとは、意外だ。

 かばんを置いて、顔をあげる。

 と彼は、窓に寄りかかったまま、


「桜井とつきおうとるってホンマ?」


 教室のお喋りが一斉にやんだ。


 初対面のときと同じく、邪気のない、あけっぴろげた笑い方をしている。


 けどもこれ、――問題発言だ。


「祭りんとき見たんやて」


「や。ちょっと。しぃーって」

 私が足を動かすも、


「桜井に抱きついたやろ?」


 どこかからか女子の叫びがあがる。


「ちが。違うって!」


 私の掴みかからん勢いを、彼は言葉もろともするりとかわす。「オレ見てしもたもん。祭りんときなー、あんたらが屋台の横おるん」


 つまりは、目撃されたということだ。

 私と坂田くんを囲うように、ひとが集まってくる。

 ……

 引いたはずの汗が流れだす。

 まったく違うとも言い切れないし、かといって、認めると、和貴に、迷惑が、かかる。

 そりゃそうなんだけど。あれを公衆の面前で認めることとはわけが違う。

 なんで、こんなときに限って紗優と和貴はいないのか。


「あんさん、のーっぺりした顔しとんのに侮れんなあ? いつから桜井とデキとんのや」

「いやだから」

「へー桜井にカノジョかー……あいっつ高校入ってからカラキシやったもんなあ。めでたいめでたい」

「めでたくないってば」

「ちょっとお都倉さんっ。どっちから告ったが!」

「いやあのですからだから……」

「なんやのっはっきりしいやっ」


 あー

 どうしようどうしよう。

 魔女裁判だこんなの。

 ざわつきが大きくなるし右の肩掴まれてるし女の子の圧力感じるし、でもここで逃げたら事態がなおさら悪化する。

 といって顔赤くなるまま俯くって肯定するのと同じだし、


「悪かった。都倉」


 ただ一人。

 落ち着いた声があがった。

 戸口のほうから、みんなから頭一つ分抜けた影が動く。

 ひとだかりが面白いくらい道をあける。

 彼の動作に、何故だか自然と、周囲は従う傾向にある。


「なに。どしたの」

 疑問いっぱいのこちらに対し、彼は無表情で周りを見回す。

「俺がジェイソンの面つけて追い回したら腰抜かしやがったんだこいつ。マジでびびってな」

「……なんやあれ。おまえやったんかいな」


 はい?


「走ってる都倉見たやつ居ねえのかよ。すげえ逃げざまだったぞ」

「見た見た。すごい形相でどしたんかと思った」

「……脅かしたら脅かすだけびびんだぜこいつ。それが面白くてついな、夢中になった」

「ひっど」誰か女子が言う。うっわーそらひでえ、と坂田くんがうんうん頷き、「そらぁオレかて桜井でもなんでも抱きつきたぁなるわ」

「おめーの場合は宮沢だろ」

「したら役得やがな」

「とにかく。悪かった。都倉」

 話の腰を折り、

 すまない、という表情を作って私の前に立つ。

 仏頂面だったのが。

「おいこら。てめえ俺の机に置いておくなこんなもん。返すぞ」

 と、一変して怒った声色で持っていた袋を投げる。本かなにか入ってるみたい。ばしっと坂田くんが受け取るそれを、隣の来栖くるすくんが覗きこみ、

「新作?」

「そんなとこ」

「それさーひょっとして」近くの女子が引きつり笑いをしている。


「それだけだ。じゃな」


「あ」


 ……っという間にマキが背を向け、一組の教室を出ていく。

 ひとだかりも見る間に解体されていく。

 私は、興味を失った彼らの間を、駆け出した。


 ゆったりと歩く彼は二組の前に差し掛かったところだった。私はちらほら残る人目を気にしつつ、彼に追いついてから呼びかけた。

「待ってよ。……さっきのなに。追っかけたってなんの話よ」

 聞こえていないのか。

 無視をして進む彼の、行く手を阻んだ。

「だいたい、祭りのときは会わなかったでしょう」


「見かけた」


 乾いた声で言い、ようやく顔をあげたマキは……

 どうしてだか。

 ひどく、悲しげに笑った。

 それはどう見ても作り笑いというタイプの、こちらの胸を締め付ける自嘲的な笑いだった。


「そういうことにしておけ」


 くしゃっと髪をかき回し、彼は、……自分の教室に消えていく。

 呆然と見送る。わけが……分からない。

 ひとの気配を感知などしなかったのだが、


 すぐ後ろで口笛があがった。

 驚いた私はよろめいて結構本気で右の肩を壁にぶつけた。


「さ、かたくん……酷いひとだね、あんな風に晒し者にするなんて。教室であんな大声出したら、騒ぎになるに決まってるじゃない」というより痛い。肩口を押さえ、にやにやしながらこちらの様子を窺う彼を睨みつける。「困らせて楽しんでたんでしょう、私のこと」

「おもろかったんは確かや。……せやけど都倉さん。あんさんはオレに感謝はすれど、恨む必要はあらへん」

「な……」なに言ってるの。

 口元が緩みっぱなしの彼は、室内でも無意味にかけていた眼鏡を外した。こいつ汚れてきてもうたなーなんて言いつつ。

 ふうーっと息を吹きかけ、


「桜井と都倉さんが噂になるんが、蒔田は嫌やってんな」


「え……?」


 眼鏡のレンズを白く曇らせる。胸ポケットから出した、眼鏡用には見えないタオルハンカチで荒っぽく擦る。

 再びそれを装着し、


「もーちょいマシな嘘つけへんもんかね。都倉さんはオレより見込みあるで。気張りぃ」


 からから下駄のように笑いを転がし、彼も、去っていく。


 廊下のリノリウムをズックがついては離れるリズム。

 私の心拍はあれよりも動揺している。

 ……マキは、


 私と和貴が噂になるのが嫌だった――?


『見かけた』


 どの場面を彼は指した。稜子さんと待ち合わせるマキを私が目撃したとき、

 それとも、


 和貴にすがりついたあのとき――


 苦しくなり、胸を押さえた。

 ずるずるとしゃがみ込んだ。

 だって、


 彼の言葉が無かったらどうなっていた。


 ――動揺と混乱は視野を狭くする。

 自分から続く壁に手を添える、一つの存在に気がついていたら、


 私の小さな世界の一つが、変わらずに済んだのかもしれない。

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