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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第三章 やってみ?
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(1)


 自分でも嫌になる。

 この、ぐずぐずうじうじとした性格。


 あんな風に茶髪の彼から声をかけられても、おいそれと応じられないし。

 実際どんなひとか知らない。分からない。気軽になんて飛び込んで行けない。腰が重い人間だと、我ながら思う。

 嫌だったなら断ればよかったのに、言えなかったし。

 なのに時折悶々と考えてみるだけで。

 ああすればよかった、こうすればよかった。

 思ってるだけじゃなにも動かせない。世界はちっとも変わらない。というのも分かりきっているんだけど。

 こんな性格だから、神奈川の高校でもごく少数とそこそこ仲良くするだけで。大多数とはつかず離れず、表面上の付き合いばかりしていた。

 互いに電話をかける間柄の友達はいない。無論来たばかりの田舎にもない。

 ……私の人物を知るのは母と祖父母くらいのものだ。兄や姉どころか弟も妹もおらず。

 そんなわけで。


 高校二年の、夏。

 寂しい人間にふさわしく一人部屋に閉じこもる、暗い孤独な夏休みを私は過ごしていた。


 いたずらに蝉ばかりがうるさかった。


 * * *


『よかったら、明日も学校においで?』

 緑川高校――通称、緑高を訪れた日からちょうど一週間が経過した。

「外食する人多なってこっからが正念場なんよ」母は冷やし中華をすする。「親戚じゅう集まってみぃんな寿司とか店屋もん取るもんなげ。うちかて出前もするから仕込みもせんと」食べ終えてずず、と汁までを飲み干す。

 お盆から八月三十一日にかけて店は繁忙を極める。普段はこの地に住まない人々がこぞって帰省をし、親戚みんなで集まって寿司を食べるのが通例なんだとか。お盆よりも以降が忙しいのがこの地方の特色。

「真咲はゆっくりしとったっていいから」と器を手に母は慌ただしく消える。

 相変わらず手伝うようには言われなかった。どう見ても暇なのに。暇人。といっても、料理スキル皆無の私がうろついても何の役にも立たず。実際、台所に入ろうとすると「入るな!」と祖父に叱られる。食器下げるのだって廊下から祖母にお盆を手渡す有様だ。

 店は子どもが立ち入る領域じゃないとのこと。この調子だと私の料理の腕はゼロどころかマイナスだ。せっかく小料理屋に越してきたというのに。

 居間にはミニ冷蔵庫と食器棚が買い足された。私がいつでも冷たい麦茶を飲めるように。


『数Aの問題集あんなの終わんないよー』

 茶髪の彼の言うことは正しく、分厚くてそして厄介だった。向こうで使ってた数学の教科書が役に立つ。公式を開き、さあ150問目を取り掛かろうとしたときに。

「真咲ぃーっあんたの友達ゆう子が来とるよー」

 階下からの大声に私は危うく茶を噴きかけた。


 友達。

 心当たりなど皆無。緑川に来て出会った人間といえば祖父母の知り合いのみ、のはずだが――。

 眉間にしわが寄るのを感じつつ、昼間でも薄暗い階段を降りると。


「こんちはー」


 まさか。

 うちのみずぼらしい玄関にあの。

 茶髪の彼が、笑って。

 大きくこっちに手を振ってるだなんて。

 目を疑う。転ばぬよう気をつけて下りる。このスリッパ、滑る。

 私が近づくのを見て母は右後ろにずれた。二人並び立てない、狭い玄関だ。

「ひっさしぶりだねえ真っ咲さん。元気してたぁー?」

 あの。友達って。「えっと……だ。誰でしたっけ」

 口から出たのが何故かこれだった。

 見るに分かるほど茶髪くんは肩を落とした。気の毒なくらい前屈みに……毛先の感じ。ワックスで遊ばせてる。

 そんな髪をわしゃわしゃとかき回して、

「こないだ会ったばっかじゃんよー桜井和貴だよー」

 久しぶりって言ってたじゃん。

 でもそんな半ベソされると胸が苦しく……もとい、こっちが悪いことした気になる。


「ま。こんなのは放っといて」


 開きっぱなしの玄関戸に手がかかる。女の子の。ピンクのマニキュアが塗られた指先が。

 長い、艶のある髪をなびかせ、その子が颯爽と現れたときに、

 ――新しい風が吹き込んだ。

 太陽をいっぱい浴びて育った、健康的な肌の色をしている。それだって髪の光沢といったら、シャンプーの銘柄をお聞きしたい。アーモンド型の目がちょっときつそう。だけれど、厚い前髪の下の瞳がきらきら見開かれていて、私に対する無邪気な好意が見てとれた。

「あたし、宮沢みやざわ紗優さゆ。よろしくなー真咲ぃ」

 アメリカンに握手を求められる。……いい香り。薔薇の匂いがする。近くで見るとどきどきするくらい華やかな顔立ちだし「あたしのことは紗優って呼んで?」って言われれば尻尾振って頷いてしまう。香り眼力含めてなんて魔力。しっとりとなめらかな手の感触。

 最後に握手したのはいつだったろう。

「和貴くんも紗優ちゃんも。こんな狭いとこやとなんやさけあがってって?」

「いえ、お母さんお構いなく」凛、と彼女は答える。「今日お邪魔したのはですね。真咲さんにこのへんのこと案内したげようと思って来たんです」

 振り返ると驚いた目と目で通じ合った。当然だ。私が出歩いたのはこないだの一度こっきり。遊び友達なんているとは思わない。

 ふふ、とこちらの驚きひっくるめるみたく彼女は笑う。思いのほか不敵な感じで。

「ほんなら行こ、真咲? あたしなー真咲に会えるんずぅーっと楽しみにしとってん。外、出て待っておるから」

「でも。えっと。あの……」

 自分でも嫌になる。

 この、ぐずぐずうじうじとした性格が。


「遅うなってもお母さんちっとも構わんけど。向こうの親御さんに迷惑はかけんよう、日付が変わる頃には帰るんよ」

 母はお小遣いを三千円くれた。一体何時間遊ぶと思ってんだろう。知り合って間もない子たちと。さっき冷やし中華食べたばかりなのに。

「おーきたきた」

 美男美女のお二人に対面し、私は身なりを後悔する。

 邪魔な前髪はちょんまげで顔はすっぴん。白いコットンのノースリのワンピはほぼ部屋着で着倒してヨレヨレだし。ビルケン・シュトックのサンダルってああ小花柄のも持ってたのになんでこれを突っ掛けた。

 対して茶髪くんはヒップバッグ肩がけしてカーゴパンツに迷彩柄のコンバース。ミリタリーと小奇麗さの合わさった似合いすぎるスタイルだし。

 紗優は白のちびTにデニムのミニ。足元はサンダルで一見シンプルだけれど……伸びやかな素足を見せつける攻撃性。サラツヤのストレートロングが最高のアクセント。

 結局顔がいい人はなにを着ても似合うのだ。

 お二人に対して身なりどころか存在自体を後悔しそうな勢い。

 ちょっと羨望の息混じりでドアを閉めると、

「の。わっ」

 お二人ではなかった。

 裏に、もうお一方。


 黒髪の、彼がいた。


 閉まるドアの残像。暗がりから明るさへ変わるそこに。姿を現す存在に釘付けとなる。

 襟付きのシャツ、やや開かせた胸元の素肌にごつい鈍いシルバーのネックレス。全身が黒。この真夏に。でもすごく似合う。

 けどあの。

 ……

 睨まれてる?

 眉間にしわは寄ってない。なんだかあんまし表情が掴めない。ひかるガラス一枚に阻まれて。

 レンズを凝視する自分は惚けているように思う。

 奥の、瞳に。

 漆黒の色。憂いを帯びた、正体の掴めない目つきに。

 引きこまれている。

 いつまでも見ていたくなる。

 奇妙な、感覚。

 なんでただ見ているんだろう。

 舌打ちとか無視とかすればいいのに。

 意味が、分からない。

 動けなる意味がもっと分からない。

 瞳だけで拘束する呪縛。

 思考が乾いてなにも、言えなくなる。

 これ以上耐えられない、と思った頃、

「……ういっす」

 そっぽ向かれた。

「やっと出たのがそれかいね」

「へへ。マキ来てると思わなかったでしょーびっくりした?」

 頷くこともままならず。

 解放されたみたくほっと息を取り戻すと、門を出て彼は歩きだしていた。


 * * *


「紗優はうちの近所に住んでてね。小学校からの幼なじみ」彼女とはクラスが別で二年一組なんだとか。「僕とばっかつるんどるから女の子の友達まるきしおらんの。嫌じゃなかったら仲良くしたげて?」

 ひっどー、と思い切り頬を膨らます。うちの母に対して丁寧だったけど、素の彼女はもっとフランクな感じがする。

「けどなー、うちら付き合っとるん? ってよう訊かれんよ。やっぱ男女が一緒おると目立つんかねー」

 ビジュアルも関係していると思う。

 とは言わず一つ問うておく。「違うの?」

 ちっがーう、と整った髪をかき乱す……本当に違うようだ。念のため確認だったんだけど。

 もし、紗優の彼氏なら。

 近づいてはいけない。

 友達の彼氏とったとられたってそれこそ、嫌だもん。

「ただの友達なんにぃ」と紗優は強調する。「男女間で友情成り立たんて誰がゆうたがやろ? ほんっ、と、に、迷惑しとんの。だいたいあたしにはな。ちゃーんとつき合っとる彼氏が。彼氏がおっ……」

「別れたばっかなの」言いよどむ紗優のあとを茶髪くんが引き取る。

「なんよそーなんよ。……てなしてわざわざゆうん。まだ乙女の傷口が癒えとらんがに」

「話振ったのは紗優のほうだよ」

「ろくに彼女作ったことない和貴になんか言われたないわ」

 うそ。意外。

「僕、結構人気あるんですけど」

 ……作った経験がない、のではなくて、特定を作らない、と受け取るのが妥当だ。

「あんたってみんなから男として見られとらんもん。かっこいーってゆわれるよりキャーかわいーってゆわれるほうが多いやろ」

 得意げに言い放つ紗優に対し。

 ずっとにこやかに喋っていた茶髪くんが珍しくも。

 怒ったように向こうを向く。

 否定はしなかった。


 * * *


「うーみー!」

 紗優。走りだすと。堤防あがっちゃうとパンツが見える。

 いたたまれず後方を向く。

 私の居る世界は、知らない間にこんなにも綺麗だった。

 平凡な通りを一本隔てたそこに、海。ジグソーパズルで見るかの景色。海沿いの道があてどもなく続く。堤防のすぐ下。すぐそこの紺碧がまっさらな太陽を含んで、波もろともきらめいてる。空の色もはるか澄んだこの明度。海とつながる悠久を自適に舞うかもめ、を追うと――

 一つの黒い存在。

 私たちと離れて歩く彼は 茫、と眺めている。

 空を、だろうか。

 立ち姿一つも画になる。彼含めて絵画になりそう。


「ひょっとして、惚れた?」


 遮られる、違う、茶髪くんのどアップ。

 ちか、近いって。

 もつれても転ばずにすんだのは単に、後ろに堤防があったからか。

 なのにこのひとはずいずい接近する。「んーとねーちょっと訊きたい」小顔だ。顔のパーツが大きい。間近に見ると宇宙人みたいだ。「真咲さんはさー、彼氏。いないでしょ?」

 い。いない。けど、「……それがどうかしたの」

 バレバレだなんて。そしてなにこの答え方。はぐらかす感じが我ながら嫌だ。

 こちらの思惑知らず、彼はきひ、と笑った。

「ちょーどいいかもしんないなー」

 途端彼が身を引く。綺麗な顔を彼から見て左に向ける。私がさっきまで見ていた黒髪の彼のほうを。

 そこには。

 いつの間にあんなとこに移動したのか。

 からだを宙に浮かせ。

 地と水平な右足、そのサンダルの足先を彼の脇腹にめり込ませ。

 飛び蹴りを食らわす瞬間を目撃する。

 もろとも、くずれた。

 だ、

「大丈夫っ?」


 身を起こすのは紗優が先だった。怪我は、ないだろうか。素足なのになんて無茶を。

 一方。

 先方がスカートであることを気にするどころか、ずれた眼鏡をかけ直す彼からは青い怒りの炎が立ちのぼる。

「てめ、なにしやがる」

「あんた起きとるんか寝とるんかよー分からんもん」べーっと舌を出す。内容には不覚にも同意。

 膝を払う彼は、黒のパンツがちょっと白くなってるのを気にしてる。「俺なら起きてるが」

「たましいが抜けとる」

 デニムの裾をぱぱっと払って立つ。

 そんな紗優に彼は舌打ちをする。不快感を隠す気がない。膝頭に手をかけ、起き上がろうとすると、

「あ」

 私と声が重なる。紗優のほうが実際動いた。

 けども、右足を崩しかけた彼は、差し伸べられた手を借りず、軸にした足でぐっと踏ん張る。

 冷たく見返す。「気を遣うくれえなら乱暴すんじゃねえ」

「……ごめん」すまなさそうに俯く紗優との間に「まあまあ」と茶髪くんが入る。「悪気はなかったんだよ。紗優は、単にね。マキにかまって欲しかったんだよ」

「そやよ。年寄りやないんになにをぬぼーっとしとんの。せっかくみんなで来とるんに。あんたいったい、なにを見とったん」

「かもめ」

 私と、同じだ。

「遠くのかもめよりも近くの僕たちに集中してちょーだい」

 他人だけどさ。

 苦笑い混じりの彼の手を払うと不意に、目をくれる。

 黒い瞳、涼しげな面差し。

 視線が絡んだと思えたのはごく一瞬で、彼は、私の姿など透けてるかのように、遠くを見やった。

「向こうで祭がある」

 祭り?

 顎をしゃくる先は、……砂浜だろうか。この道からまっすぐ続く白い広い砂浜。手前に駐車場と掘っ立て小屋が目につく。

「神輿は見たことあるか?」

「テレビでなら」

「ほんもの見たことないん」語尾を上がらす紗優。素足で飛び蹴りなどしたものだから所々擦れてる。「あたしらはもー毎年ゼッタイ行く。夏はそれしかないもん」

 真夏の大事なイベントだよね、と茶髪くんは紗優と顔を見合わせる。「だから。真咲さんにも見てもらおうと思って」

 もろに食らった。

 星が飛ぶウインク。

 すごい、破壊力。

 思わず胸を押さえたほどだ。

「……ちょっと時間が早かったね。なんも店あいとらんけど。海。あっちの海、行ってみようか」

 腕時計を確かめ、最後には子どもに語りかけるトーンで彼は言ってくれる。

 小学生よりまともな返事がならなかった。


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