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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第十七章 大好きだったよ
59/124

(1)

 カーステレオから流れるのは『やさしさに包まれたなら』。


 鼻歌程度に口ずさんでいた紗優に石井さんが加わればそれは大合唱となり。


 熟読していた『八代将軍吉宗』のハードカバーから顔をあげおまえらうっせえぞっとマキががなるも。


 至って気にせずタスクはウォークマンでなにかを聴く……また私には分からない、坂田くんに分かるであろう洋楽に違いない。


「この体勢、いつまで続くんですか」とせせこましく三角座りをする安田くんがこぼすも、聞こえなかったらしく和貴は「……けっこー飛ばすんですね、下田先生て」と前方を見て眉を上げ、「運転は性格出っからなー」と宮本先生が豪快に笑う。


 スピードをぎりぎりまで落とさない。赤信号にて、フロントミラーに映る、ちらっと後方を確かめる怜悧な眼差し。


 を追えば、……口開けて川島くんが寝ていた。


 全窓が開け放たれている。ステレオ全開、通気性重視。田舎道を飛ばすバイク音が耳をつんざこうが私たちのお喋りなど止められやせず、いわんやこの熱気をや。

 パソコン部員と引率教師たちを乗せたこの空調の悪いワゴン車が一路向かうのは、畑中高校の合宿所――


 きっかけは。

 ゴールデンウィークが明けて早々の、石井さんの発言だった。


「えーっなして合宿行かんがぁーやって、アキもエリもみぃんな行くんよぉー行きたい行きたいーないんねやったら今年から恒例にしよーよー」


 ……なお。石井さんの言葉遣い以前にタメ口については。


 慣れっこのタスクは「そういう部活ではありませんから」と悠然とかぶりを振り、

「ま個性的でいんじゃない?」とフェミニストはやはり笑う。


 礼節にうるさい彼が「いい加減にその口の利き方をどうにかしやがれっ」と怒鳴ろうが、髪をくるくる指に巻きつける当人から「やっだぁーマキ先輩てばこっわぁーいアハハ」とあしらわれる始末で要するに、諦めた。


 マキは同じ注意を二度できない。

 二度するのがめんどくさいから。


 私は幼い頃から木島の家に行く度に遠まわしに直接的に注意を受けた。口の聞き方目上の人間に対する態度諸々をだ。えーっやだやだーと駄々をこねる従姉妹が猫っかわいがりされるのに対し、同じことを言ってみると伯母上から卑しい子ね、と聞こえよがしに言われた。

 大人たちのものの見方は子どもたちの社会にリフレクトする。

 集まる年齢一桁の子どもたちは、ちょうど、手下や目下の者を作り、威張ってみたいお年頃だったので、大人からなんだか冷たい目線を受け、年齢がもっとも低く、ついでに言えば身長も一番低い私など最適の人材だった。

 階層社会の最下層に位置させるための。

 むかつくーなんて言葉使う子なんか木島の血統とは違うってお母さんがゆっとったもん――こう私に伝えてきた従姉妹については先ず自分の身内に関してへりくだる言い回しを使うところからスタートすべきだと思うのだが。

 色々苦心した末に気づいたのは、


 都倉の血が、いけなかったのだ。

 彼らにとって。


 要は、言葉が良かろうが悪かろうがなんにせよ嫌うための材料にされただけのことだ。最終的な料理の出来栄えは変わらない。それがたまたま田舎の方言に向けられたという。

 上京して十余年経とうがなかなかに方言の与うる特有のイントネーションから解放されきれなかった母が気づいていたかは定かではない。


 ただし、私には影響した。


 私の話し言葉がやや同じ年代の子たちと異なるのは、なにも読書好きだったことの恩恵のみでなく、木島の人々の与うる教育の賜物でもあった。

 自分の体験から察するに、なにかタスクもそういう経験をしたのではないかと思うことがある。

 誰かの前で、丁寧な言葉遣いをしなければならない必然があったのではないかと。

 話を元に戻そう。


「合宿ですか……ありませんね。昨年の秋に僕たち三年生で蒔田くんのお宿にお邪魔したのですけども、あれは正式な部活動としてではありませんでしたから」

「えー三年だけで行ったん!? ず、るーいそんなんっなーな和貴やって行きたいやろぉー」

「……僕は別に。ま、受験組に支障が出ない時期ならいいんじゃない」

「したら六月! 来月行こなー和貴」


 ……だから。

 なんで和貴だけ呼び捨て?


 すごくむかつくんですけど。


 ともあれ、なかなかの行動力の持ち主の彼女がしたことといえば、タスクリスペクトを解除し和貴フレンドリーモードを稼働するに留まらず。そこから近辺の宿を探し出し宮本先生に下田先生を説得し、然るべき宿が無さそう、なら空いている畑中高校の合宿所を借りる交渉をさせるところまでの威力を発揮した。

 発言から一ヶ月も経っていない。

 あれだけアクティブに動けたら私の人生もちょっとは変わったのかもしれない。


「あーっほらあれあれーっあれやよねーっ」

 緑川から車ではや三十分。緑の中を走り抜けてく真っ白いバンに乗せられれば白亜の建物が見えてくる。合宿所というよりは鬱蒼とした森に潜むなんとか少年自然の家といった外観だ。ブルーの屋根の色や、丸くくり抜かれた各窓の子供っぽさといい。事実、元は自然の家だったのを畑中高校が買い取ったのだそうだ。

 遠く見えていたペンションのようなそれが見る間に大きくなり、

「着きました」

 やや急なブレーキに、荷物のどさどさ崩れるのに紛れて「わっびっくりしたっ」川島くんのくぐもった声が聞こえた。


「マキ。荷物下ろすよ。安田たちあのままじゃあ動けない」

「ああ」

 後方の荷物室を気にする和貴と前後を入れ替わり、助手席の宮本先生と話し込む……なにか、真剣な様子だ。部長は大変だ。

 宿決めのところまでは石井さんがしたけれど、それ以降は殆どが彼の仕事となる。

「……都倉、おい」

「まさーきさん、降りてえ」


 綺麗な顔二つに覗きこまれていた。

 驚いて後ろに逃れる。

 仰け反る。

 には至難な車内では頭をヘッドレストにぶつけるのが関の山だが、……


「せめえ場所で驚かすんじゃねえ」


 ったく、とこぼし、ぶつける結果を阻止した、

 彼の手が、ホールドしている。

 ボールでも掴むみたいに。

 ボールでない人間である私は、

 髪の毛越しに感じる彼の手の感触と、

 伝導する熱に、

 

 顔が究極に熱くなる。


「ごめんごめん」

 やや間を置いて彼は謝るけども、……本気で悪いなどと思ってやしない。

 和貴は私をからかって遊んでいる。


 ところで、

「……マキ。そこに居られると車から降りられない」

「あ?」

 こちらを向いたマキの眼光は。

 ぞんざいな言い方をするけれども認識していないのか、

 つまりは頭の後ろを押さえられたままで、

 和貴よりはよっぽど遠くてもそれでも、普段の彼に対する距離よりは断然近いわけで、

 耐性のない私の心臓をバクつかせるには十分だった。

 ブレザーの下に隠れる上腕二頭筋の細く締まった感じや、……思いのほか筋肉のついた太い首一つとっても。

「おい。とっとと降りろ」と前列の紗優たちを急かす彼を見ていると、

 ふっ、と鼻で笑う息を聞く。

「……なによ」

「なんでもない」

 むぅとむくれるも、この頬が熱い。


 泣いてよいいよと和貴は言った。

 感情が透けて見えるようなんですよと別の彼は言い当てた。

 とどのつまりは、周囲からすれば私は非常に分かりやすい人間であって、

 もしこんな私の想いがマキに迷惑をかけるのみならず、部活中にみんなにも気を遣わせているのだったら、

 ……それだけはなるべく避けなければならない。

 と足元だけを注視しながら、彼に続いてバンを降りた。


「遠い所をよーうおいでなすった」

 荷物を下ろしている私たちのところに、横手の森から老夫婦が出迎えにきた。建物を挟んでこの駐車場のちょうど裏手に管理人小屋があり、そこに住まわれているそうだ。ひとを疑うことを知らない、田舎のひと独特の笑顔で彼らは語る。訛りが強くないことから、リタイヤしてから移り住んだのかもしれない。

「お世話になりますっ」

 タスクの呼びかけて横一列に並び、一同礼をする。……パソコン部って文化部のくせしてこういうところが体育系だと思う。

「ほしたらなんか用でもあったら遠慮なくゆってくだされ」宮本先生に宿の説明をすると、思いのほかアッサリと裏の庭へと消えて行く。

 年寄りはとかく立ち話を好む。

「あったしいちばんのりぃー」

「待ていや」

 駆け出す石井さんと川島くんに続いて安田くんも、ぼ、ぼくが先ですよおなどと叫びつつ先を争って建物の入口へ。……安田くんが加わるのは少々意外だ。

 さて荷物は、

 ……マキと和貴が運んでる。というより入り口の前までほぼ運び終えてた。一度に三つ四つ持てる男の子の力ってすごいと思う。和貴は目が合うと笑顔で首を振る。両手で手を合わせるジェスチャーをすると上腕二頭筋を強調する感じで肩をすくめた。下田先生なんて車停め直しに行ったと思ったらぷかぷか煙草吸ってるし。泊まるのは私たちだけなのだから車の位置なんて気にしなくていいのに。だだ広い駐車場の隅に黄色の軽トラが留められているのは管理人ご夫婦のものだろう。

 こういうのが気になってしまう辺りも、私は体育会系の気質なのかもしれない。

 荷物運びに関しては手を出さなかったタスクはまさに教師の落ち着きっぷりで、子どもみたく走り回る新入部員を見守り、

「……若いですね」

「なに言ってんの。タスクは安田くんと同い年でしょう」

 最も近い位置にいる宮本先生と紗優を気にしながら控えめに言うと、

「……そうでしたね」

 すっかり忘れていたのか、頭を掻くタスクに私は笑った。

 緑に囲まれるここは、鼻から吸い込むとなにか独特の、土の腐ったような、新しい果実のようなそれらが混ざり合った表現しがたい匂いがする。それでも私の五感は、気持ちよく刺激されていた。緑川とは違い、潮の薫りがしないのも私には新鮮だった。

 ぐっすり眠れそうだな、そんなことを期待した。


 また寝苦しい一夜を過ごすことになるとも知らず。

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