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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第十六章 ケジメです
56/124

(1)

「久しぶりやんか」

 あくる朝に三年四組を訪ねる。

 戸口に顔を見せるなりやってきたのは小澤さんだった。「あんたな、もーちょっとこっち顔出さんかいや」

「タスク知らない?」そういう意味ではないと知りつつも彼女の後ろから顔を覗かせる。彼の席はあの辺りだったかと。

「長谷川やったら……」だるそうに首の後ろをぼりぼりと掻く。「一度かばん置いてって、図書室で勉強しとるがよ。……いぃつも七時には来とるな」

「七時!?」大きな声が出た。「すごいんだねタスクって……」気にして声を落とす。

 後ろの教室内を気にせず小澤さんはふん、と鼻を鳴らす。「家でやるか学校でやるんかそんだけの違いやろ。すごいでもなんでもあらへん」

 関西弁の使い方がちょっと変な気はするが。「小澤さんも朝早くから来てそんな勉強してんだ……」

「あんた。あたしが勉強するんがそーんなおかしいんか?」

 やっば。

 軽くおべっか言ったつもりが教室の子の視線がちらつくし小澤さん怒らせるし逆効果だ、

「ありがと。またカラオケ行こうね小澤さん。じゃっ」

 退散退散。


 あんった。今度はちゃーんと人の歌聞きなやっ!


 と勉強してる人への迷惑を顧みない圧力に背を押された。


 ……やれやれ。


 中庭は葉桜の季節を迎えていた。椿の花はいまが見頃なのか、新緑を基色に、白に淡いピンクのいろが咲き乱れる。

 廊下からこの庭を眺められるのはいいことかもしれない。

 受験生の焦燥をいくぶんかは癒してくれるだろうから。


 三年の教室の一つうえの階にある図書室前の廊下には、窓を向いて長机が三つ並べられている。

 手前の端っこに座る彼は無論中庭など鑑賞しておらず。

 彼以外に誰もいない。教室で勉強しそのままホームルームに突入するのが大方なのだろう。

 机に突っ伏して学習する体勢は遠目には寝ているように見えなくもない。

 真剣なのにも関わらず。

 パソコンルームだと、着席した私が周回する彼にやや高い位置から教わるのが常だ。

 つむじを見下ろせる高さがなんだか新鮮で、なんだか笑みの止められないままに彼に呼びかけた。


「タスク、おはよ」


 傍に寄るまでも気づかず。

 反応は珍しくも遅れた。


「と。……くらさん、おはよう、ございます」


 そして戸惑いを目にするのも、切れ切れの言葉を聞けるのもこれまたレアだった。

 ところが、彼の向かう対象を確かめると……自分の口許から笑みが消滅する。

「勉強してるのそれ、……物理?」

 私にはまったく分からない化学記号と数式の羅列。……目眩が起きそうだ。

「ええ」

「昨日ね、ちゃんと安田くんと話せたの。だから、伝えておこうと思って来たんだ」

「そうですか」


 驚きもしないタスクに拍子抜けする。

 まるで「おはよう」とでも言われたかの、……さっき私が現われたときのほうがよっぽど驚いていた。


「……お二人に任せておけばうまくいくと信じていたからです」


 私のこころを読んだ彼の口許がニヤリと笑う。

 瞳が、窓からの朝の日差しを受けてややオリーブがかって見えた。


「あ、のね。それだけだったの。じゃあ、また」手短に去ろうと思った。勉強を邪魔するのもなんだから。


「言い出しっぺは僕でした。どうやら、説明不足でしたね」


 独り言なのか、

 それとも私を呼んでのことなのか。


 躊躇いながらに確かめれば、タスクは窓を見上げそして、

 左の手でペン回しをしていた。

 それも回しにくい、軸の太いドクターグリップを。

 タスクの利き手は右だ。


 引き寄せられるように近づいていた。

 机に手をつくと視線を受けて彼は、目配せをして微笑んだ。


「信じてみる。任せる。……といった言動も、これまでの僕には起こりえなかったことです」笑みを消す。ノートに肘をつき、指と指を絡ませる。「自己責任が蜜の味でした。失敗しようが上手く行こうが、一人でするほうが気楽でした。他人の分を負うのは重たい。……パソコンを扱うだけの目的ならば何も、集う必要はありません。部屋にこもって一人キーボードを叩いていればいいだけのこと」


 組ませた手に額を預け、


 まるで神に祈るかの、

 あるいは懺悔とも呼べる姿勢を作る。

「――関わることによって気づかされた部分は多々あります。僕は未熟です、なのに。自分の力を過信していた。……人前で立つのも似合わないと思い込んでいました。裏で動くのが性に合っていると。……誰かと関わることと、表立って振る舞うことは、いままでにない、別種の感情を与えてくれました。教えているように見えて実際、教わっているのは僕のほうです。新しい発見が重なり、……日々が輝いている」


 話の方向性がつかめない。


「レベルが違うなどとも思いません。レベルを規定するのはあくまで主体であり、言うなれば恣意的な基準です。その人が何に重きを置くかで基準は変わる」


 けど傾聴することにした。


「決して大会など目指す大それた部活ではありません。それと比べれば競争心の程は劣る。だが、みんなが目標を持って、フラットに動ける場所であること。……あくまで僕の理想論ですがね。扱うのは0と1のみで示される、無感情で無機質な世界ですが、関わる中でお互いを尊重できる。それが、――」


「思いやり?」


 私は声に出して伝えた。


 不意を突かれたのか、

 いままでに見ない独白を続けたタスクが顔を上げ、


 破顔し、

 子どものような無邪気な声を立てて笑った。


「なるほど確かにそうですね」と。


 理性や理知を取っ払った笑顔だった。


「気分転換に本でも読みます。――都倉さん、またあとで」

「うん」


 いつもとは違うタスクの様子が気がかりで、

 図書室に消えるのを見送って私は去るつもりだった。


 ところが戸に手をかけたまま一旦、止まる。

 思考を一巡させ、

 或いはなにかを忘れたのか、


 すらすらとされど呆れたように肩をすくめる。


「――マインスイーパなんてくそつまらねえとぼやいてたくせに。……もっと、僕を騙せる言い訳は浮かばなかったのでしょうかね、彼は」


 彼って「なんの話?」


 誰のどんな呟きも拾い上げるタスクが、

 微笑んだ気配を残し、室内へと消えていく。


 消えきると私はハッと口を押さえた。


 ――四箇条の辺りから、なんて嘘だ。


『なんであなたのようなひとがこの部にいるんですかね』


 全部を聞いていたに違いない。


 いまさらに気づいても、

 彼を追うのも、ならず。


 右の肩口に健やかなる朝日を浴びながら、彼の残した暗号のような記号を目で追うだけでますます、混迷と焦りめいたものが深まるばかりとなった。

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