(2)
三月の二十八日という日は、私たちの希望を反映したような、すこぶるの晴天だった。
天候に恵まれて気分は良好。
「おっはよ真咲ぃ。……可愛いかっこしとんなあ」
うちに迎えに来た紗優には勿論内緒にしていた。
主役に相応しいミニスカート姿だった。
よしのでパフェ食べようよと事前に言っておいた。小澤さんも好きなあまおうパフェ食べに行こうよって。でも食べることになるのはあまおうの誕生日ケーキだってことをいまだ紗優は知らない。
道中、私は旅行の土産ばなしに相槌を打ちつつ、複雑な気持ちを噛み締めていた。
楽しみという思いとほんの少しの寂しさと。
告白すれば、後者のほうが強かった。
『真咲は一人で抱え込みすぎや。なんやってゆうてぇや。あたしたち、親友やろ?』
打ち明けてくれても、……よかったのにな。
実はね今日あたしの誕生日なんだよーって。
そしたら秘密なんて全部吹き飛ばして紗優が主役なんだよって私あけっぴろげて張り切っちゃうのに。
だから、
内面の葛藤を隠して明るく飛騨のマスコットのキーホルダーなんて手渡してくれる紗優のことが、本当はもどかしかった。
水くさいな、なんて。
つまりは。
私のなかで紗優のことは、なんでも打ち明けてほしいなって友達に思える、そんな間柄にいつの間にかなっていたのだった。
「あり? 和貴やよなーあれ。……めっずらし」
内心ですこし驚いた。うーんと不自然なことして勘づかれるとサブライズにならない。
私たちに気づき、腕時計から視線をあげた。「タスク見なかった?」
「ううん」答えたのは紗優だ。
「十時に来いつっといたんに」
「あんたらさびしなあ。男二人で甘いもん食うがか?」
「僕は坂田に用はない、あるのはタスクだ。……中けっこー混んでるし席確保したほうがいいよ」
「ん。あんがと。じゃね和貴」
私も紗優に続くと和貴はこっそりウィンクしてくれた。
後で聞いたところによると、彼は入り口で案内していたらしい。今日はお祝いしたい人だけの貸し切りだよって。
「……模様替えでもしたんかいな」
入ると二十畳ほどの開かれた空間が広がってるはずが。
前方が背の高い間仕切りに隠されてなにも、見えない。
「あこちらへどうぞ」顔に見覚えのあるウェイトレスさんが案内してくれたのは入って左手の、――
かつて坂田くんが、稜子さんのことを語った場所だった。
私が坂田くんの座った椅子に、紗優がいつかの私と同じ位置に座る。
歌が、流れだした。
Elton Johnの『Your Song』……あれ。聞いてない。
私が頼んだのってケーキを用意してもらうってだけなんだけど。
「この曲あたし好き。生歌やんか……」
お喋り好きな紗優が黙って頬杖をついてうっとり。
聴きいるのを見ていると、予定外だなんてことなんかどうだってよくなってしまった。
洋楽に詳しい緑川の人々なら誰もが知ってるかもしれない。私が知ったのは菅野美穂目的で観ていた『イグアナの娘』の主題歌でだ。
お花畑で微笑む天使と、
包むこむような男性の優しい歌声。
映像と想像の混合に揺さぶられていると、
一部で悲鳴が起きた。
いや私もだ。
なんの前触れもなく、
室内のすべての照明が、落ちた。
素早く、カーテンが引かれる。
真っ暗だ。お昼前なのに。
お店の人たちが、紗優の後ろの仕切りを外していく。
現れるのは、
布を被せられた円卓のテーブル。座ってる人々。全テーブルにキャンドルがともされる。
暗闇を煌々と炎が揺らめく、幻想的な雰囲気で。
人々の影ですらアクセントとなる。
そう、人の多さにも私は驚いた。全卓が埋まってる。見知った顔もちらほらと。
よくよく目を凝らせば、入り口から見て右の、私から遠い部屋の隅になにかいつもと違うものが置かれている。黒い箱のような。
私がそれがなんのためかと理解したのは、伴奏が始まってからのことだった。
赤い髪が箱の上から覗き、
誰でも知っているあの曲のイントロを奏でる。
この場に集う、何十人もの人間が声を揃え、たったひとりのために歌う。
ハッピバースディトゥーユー。
「なにこれっ」
席を立ちかけた紗優が私を驚きの眼差しで問いかける。
私は笑顔で歌うことで応える、それが答えだから。
ディアさーゆー。
とまで言われれば流石に分かったみたいで、うそおっと叫んで顔を押さえた。
喜びのどっきりにかけられた反応が微笑ましい。
「うぃーっす。みんなーサンキュなー今日はーオレらのー紗優が誕生日っつーからなースペシャルに祝ってやろーぜー」
箱型のピアノの前からこちら側を向いた背面に移動する彼はやはり、坂田くんだった。
髪だけでなく服装も赤と黒の彼のなりをしている。
「なんながこれ、あたし、聞いとらんよ。真咲が仕組んだがか?」
私は、彼女の背後を見ていた。
この室内で立っているのは、前方のバンドのメンバーと紗優を除けば。
「お誕生日おめでとうございます、宮沢さん。……向こうまでご案内しますよ」
タスクだけだった。
狐につままれた顔してるのをさておき、肘を、差し出す。女性をエスコートしていく紳士なタスク。
なんと。
背中にさりげなく手まで添えてる。
気づいた私、恥、……ずかしくなった。いや私が照れても仕方ないんだけど。
おめでとーなんて言われてる。口笛もどっかから飛ぶ。なんかもうこれ……恋人同士じゃん。結婚式じゃん。
前方にワゴンが運び込まれ、うえに乗ってるのはどうやらケーキのようだ。
「ケーキ入刀っ!」
冷やかすギャラリーにタスク苦笑いしつつも、結局……してた。写真撮ってる子まで現われた。あ田辺くんだでっかいカメラ持ってるの。
「なあプレゼントがあんだよなあタスク?」
「ええ」
いまだ暗い室内に細く光が射しこむ。
全員が注目をする。
開け放たれた扉から弾丸のごとく飛び込むのは、
「ねーちゃーんっ!」
怜生くんだった。
テーブルとテーブルの間を縫って走り、勢い余って坂田くんにダイビング。完全に、倒された。鈍いマイクの音がゴンと。……この手のマイクの音はすこし私にはトラウマだ。
「ってえなクソガキ」
性格までも赤と黒モードなのだろう……坂田くん。タスクがマイクを引き離すものの彼のつぶやきはしっかりマイクが拾っていた。
クソガキ呼ばわりされても気に留めぬ怜生くんは、
「これえ。真咲と和貴と長谷川とマキからあ。ほんでえ、こっちはー」
手に持つひとつひとつを無垢な意志を持って説明していく。うんうんあんがとお、とひとつひとつ頷き頭を撫でてる姉の紗優。最後に差し出したのは家族の似顔絵だ。たまらず、といった感じでひしと紗優が弟を抱きしめる。拍手が起こる。
こころあたたまる光景だ。
ところが、抱きしめられてる怜生くんを妬ましげに見てる男子に気づいて出かけた私の涙は引っ込んだ。
やれやれ、と入り口のほうを見たときに。
様子をうかがうおじさんとおばさんを発見する。
……なんだ、紗優。
忘れられてない。ちゃんと大事にされてるよ。
「ところでおまえら、足りてねえんじゃねえのか?」
マイクがオンになってる。
どうしたのかと思ったらタスクと、怜生くんの肩を持つ紗優が端に移動する。
「バースデーライブといこーぜ! 来い! てっめーら」
カーテンが開く。
全部の窓だけでなく坂田くんの背後の。
なんと、赤と黒の弾幕が貼られたステージがお目見えする。
テーブルのキャンドルも店員に客に一斉に吹き消され、わらわら席を立つ観客は前方へ。
「行くぜ。せぇーのっ。Red!」
「Red!」
「&!」
「&!」
「Blaaaaack!」
「じゃー、ついてこいっ。Nirvanaの『Breed』ぉおおお!」
今回も付いて行けなかった私は思った。
坂田くん。
あなた、ライブがしたかっただけなんて言わないでよ。
* * *
「ありがとうね坂田くん。いろいろしてくれて……」
お手洗いの前で待ちぶせた。
悪趣味かと思ったが、でなければ常に仲間に囲まれてる彼が一人になりそうな機会など生涯見当たらない。ホールを出たここは細い廊下の突き当たりに男女のお手洗いがあって、幸い、人目につかない。
「礼なんか言わんでええて。オレ宮沢さんのためにしたんやで」
当の紗優はステージでマイク離さずいま『未来予想図』歌ってるのがこっちまで聴こえる。タスクがピアノ弾いてるし赤と黒関係ないし、もう、めちゃくちゃだ。
「和貴と二人で考えてくれたんだよね。大変だったでしょう」
他校の制服の子も出入りしてる。五十人どころか百人近い人間が老若男女問わず入れ代わり立ち代わり。友達がいないなんて誰が言ったのだったか。
呼びかけて秘密を保つだけでもさぞ骨が折れたことだろう。
「オレ。バンドの奴らに声かけただけやで。桜井がツテ当たってくれてんし」
「でも。こんなに盛大にしてくれるなんて、思ってなかった」
「頼まれてんて」
後ろの洗面台に寄りかかり、尖った革靴の先を見ていた顔を起こす。
勿体ぶった言動と取れた。
「蒔田にな」
それが、
得意げな眼差しと共に彼の名を明かされたときに、
私の胸のうちに嬉しさと驚きが入り交ざったものが到来した。
「だってマキは、」それが言葉とともに充満していく。「きょ、今日来れないって……」
「ほんでも友達にいい思いして欲しいちゅうんは都倉さんとおんなじやで? 来れんでもなんだってもな」鼻の下を人差し指でこする。「宮沢さんの好きな曲っつうてもオレ、クラプトンなんかふだん歌わへんし。せやから楽譜来栖に借りてな、えっらい練習したんやで。あんなホモ男の歌なんかどこがいいんかまったく分からんわ。オレにしとけっちゅうねん」
……プロと比べるのも。それはさておき、「やっぱり坂田くんの生歌だったんだ……いつもと歌い方が違うから最初分っかんなかったよ」
「宮沢さんも気づかへんかったらオレ泣くで」
おいおいと泣き真似なんかするから。
仕方なしによしよしと頭を撫でる。……振りだよねこれ。
「せやからオレゆうたやろ。厄介な男やて」
前髪と前髪の隙間から、ちらり、射すくめるかの瞳を覗かせる。
「あー……まそですね」ぽりぽりと頬を掻く。
「おお自覚してんなおめでとさん。赤飯炊かんと」
拍手なんかされたって「めでたくなんかないよ。自覚したところで一方通行なんだし」
「そんなんゆうたら、誰も恋できひん」
息を吐き、顎をしゃくった坂田くん。
その動きに気を取られ。
頭の後ろを引かれ。
引き寄せられたのだと理解したのは、
額に、感触が加わったあとのこと、だった。
「な。にすっ……」
おそろしく間近をキープしときながら、
彼は、
眉を下げ、思いのほか、
演じる彼の余裕を消し去り、
こころのどこかが痛むそれを押し隠すかの痛ましさで、悲しげに笑う。
「オレもおんなじ立場になりかけとる。似たもん同士これからもなかようしよな」
だ、れが……
突っ立ったままの私を坂田くんは肩で避ける。
私は俯き前髪を払った。なんだか熱くって、彼の、か、感触が残ってる感じがしたから。
今後人の目につかない場所で彼に近づくのはよそう。髪を払いながら私はそう思った。
それが。
ある誰かを炊きつけるための言動だとはつゆほどに知らなかった。