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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第十三章 そんなん言うたら、誰も恋できひん
48/124

(1)

 春休みのうきうき感が半減してしまった。


 会えなくなるから。


 好きな人ができると価値観が変わる。


 卒業式は先週終えた。三年生がいなくなり尚更広々として感じられる体育館にて簡素な式を済ませ、続いて各自教室にてホームルームを済ませ今学期が終了する。終わるなりやはり先生に呼び出された。今度は廊下に。

 進路希望調査の紙は本当は水曜日に提出せねばならなかった。欠席が続いた私は提出が遅れていた。

 朝出せばよかったのに。出さなかったのは諦めの悪さが残っていたからかもしれない。

 感情を交えず手短に要件を述べる辺りは流石に先生で、エモーショナルなところと事務的なところの切り替えがしっかりしている。

「私は一年間きみたちの担任をできて嬉しかった」なんて感慨深げに述べて小澤さんの涙を誘っていたのに。

 それでも、遅れてすみませんでした、と用意しておいて即座に提出する私もそこそこに大人の仲間入りを果たしたと思う。

 宮本先生はもうなにも言わない。

 ただ曖昧に笑い、

「進学組でないんなら私はきみの担任になるかもしれないな」

 と言い残して。


「まっさきぃーなーこんあと空いとるーよな? なあなどっか行かんかっ?」

 心なしか寂しげな後ろ姿を見送ってるところに紗優がやってきた。思うに、うちのホームルームはよそに比べて長い。

「いいけど、……みんなは?」

 戻ると教室内は音量のつまみを間違えたかの騒がしさだった。やかましいと呼ぶべきか。終わったーっていう開放感に満ち満ちていろんな話に盛り上がる面々。のなかでいちはやく気づいたのは小澤さんだった。

「まーたあんたか。真咲真咲て毎日うろついてよおも飽きんもんやわ」

 ホームルーム後にちょくでやってきた紗優に露骨に嫌そうな顔をする。

 毛嫌いされているのを読んで紗優は、

「心配せんだっても、あたしとあんたがおんなじクラスになることはないよ?」

「私もね」

「せやな……」目がまだ充血している小澤さん、彼女はタスクと同じく畑中大学への進学を志望している。「なんやろな、あんたと違うクラス振り分けられっと思ったらきゅーに寂しゅうなってきた」

「私いじめが愉しみだったもんね」

「そや。三年なったら誰いびり倒しゃあいいんか」

「ちょっと。そこ否定しなよ」

「あっはは」紗優が笑った。

「なあな。カラオケ、宮沢さんと都倉さんも行くやろ?」吉原さんきりのいいとこまで終わるの待ってたっぽい。

「和貴とタスクと、んーとマキも誘わんか?」

「蒔田くんならさっき帰ったよ」

 えうそ。

 私、……マキと今日、一言も喋ってないよ。

 これで学校が再び始まるまでの二週間を会えないだなんて。

 この春休みは部活がお休みで、海野住まいの彼と奇遇にもこの町で偶然会える機会なんてのも、ない。

 ……ああ。

 ちょっと前の私だったら学校がないほうが嬉しかった。

 やなテストとかも含めても、だったら、毎日マキに会えるほうを私は選ぶ。

「えっらい急いで出てったもんなあ」隣の子が意味有りげに笑い、

 畑高て休み入っとんのやて。会いに行ったんじゃん?


 こういう台詞で都度顔を強張らせないようにしている。

 私にできるのは薄笑いが、せいぜいだ。


 マキが、稜子さんと付き合い始めたのはあの、演奏会の日だった。


 私が目撃した場面は恋人同士として的確だったということだ。

 畑高生は皆で集まってバスで帰る。そのバスの発着所までマキは見送りに来た。稜子さんと二人過ごしたことを隠さず、周囲の注目を集めようとも見られていないかの振る舞いだったそうだ。

 そう彼はいつも恥じることも隠すことも持たない。堂々とした人間だった。

 私が熱を出して早引けした月曜日は朝からその噂で持ちきりだったらしく。

 なんのことはない。あのとき注目を集めたように感じたのは、噂の的であるマキが一緒だったせいだ。

 単に、それだけの理由で。

「なんっか。大事にされとって羨ましいなーしっかもあの蒔田にやろ?」

「……そーか? あいつ、いぃつも機嫌悪いしめんどくさいだけやんか。あれやと仏像とおるほうがマシやわ」

「なーんも分かっとらんなあ茉莉奈は? みんなの前でクールにしとんのに自分にだけに優しい、そーゆーんが女の子は嬉しいんよ」

「あたしかて女の子やわいねっ」

「つか蒔田ってさりげにかんなり優しいよ? こないだな、ダンボール運ばされたときさ、……北川てあいつ、うちらパシリに使うやんかしょっちゅう」私に向けて補足を加えた。男子の体育の先生で……サッカー部の顧問もしているのは知ってる。「つーかでっかいダンボール運んどる女子がおんのにみんなけっこームシすんのね。階段の前でさーこれ三階までかって思うとちょーブルーはいってさ、置くとなんかやんなったの。したらさ、んな往来で邪魔だ。……つって、持ってってくれたんよ。次の授業遅れたとき、腹壊しました、てでっかい声で言ったが、……あたしのせいながよ」

「なんや。腹壊した発言でちょっつ引いてんけど……そやったんね」

「蒔田くんつうたらなあ、調理実習で味付けひっどいことになったんに、残さんと平らげてくれた。同じ班の子みぃんな残しとったんに」

「肉じゃがやろ。あんっなしょっぱいんよぉーも食えたなー」

「後で謝ったんよ。したらな、詫びなどされる筋合いはない。それに、美味かったぞ、やってさ……」

「うわあ……いかんやろそれ」

 他の子が次々に頬を染め出すのに。

 私は一人、頭を殴られたかの衝撃を受けていた。


 なんだ。


『……おまえが来ねえと寂しがるやつがいる。いいから来い』


 なにを思い上がっていたのだろう。


 私にだけだと思っていた。

 私だけだと思い込んでいただなんて。


 彼には好きなひとが、いる。

 大切な彼女が、いる。

 表層的な態度では伝わりにくい、仮面の裏に隠された彼の本当を見抜いていたのは、私だけじゃなかったのだ。


 バレンタインは、二つの袋にいっぱいにチョコを貰った。お返しは一切しない。それでも、彼の悪口を言う子なんて噂レベルでも一人も現れなかった。

「げっ。桜井も呼びに行ったがかあいつは」

「田辺も連れてくりゃあいいがに」

 含み笑いをしたみどりさんは私の怪訝な顔色を見て、怒ったように小澤さんに向き直った。「あんた。なして都倉さんに隠しとるが。……茉莉奈な、田辺とつき合っとるんよ? 付き合いたてほやほやながよー」

「ひゅーひゅーだねーあっついねー」

「仏像よりも蒔田くんよりもたーなべくんが好き好きぃー」

「ちょいっ、やめいやっ」

 意外、だった。

 ひょろっとして頼りない田辺くんを、強気な小澤さんが好むようには思えなかったから。

 じゃあ、「田辺くんも呼ぼうか?」まだ教室のなかにいるから彼。

「野球部は……練習あっから。邪魔したあない。春と夏が本番なんやよ。ゆわんといて……くれんか。頼むわ」

 この場の全員が呆然とした。

 思ってもみない小澤さんの乙女な一面に。

 ただし、

 例外があっけらかんと場の空気を変えた。

「へっえー健気じゃん小澤さん。田辺っち大事にされてんねえアッハ」

「うっさいわぼけっあんたは黙っとけっ」

「あーあー僕にも春が来ないかなあ。独りもんは寂しいよねえ紗優」

 ここでそれを言うか和貴。後ろでタスクが苦笑いをしているではないか。

「もーいい。みんな揃ったとこやしはよ行かんか」見回して目立たぬよう出てきたいっぽい小澤さん。「あんま遅なっと部屋埋まってまうやん」

「きよかわにする?」

「あすこ東工生もおりそうやしわたなべにせんか」

 いずれにしても個人経営のマイナーなカラオケ屋さんか。何度か行ったことはあるので一部屋三千から三千五百円の一時間をみんなで割り勘する感覚にも慣れてきた。大勢だとマイクが回ってこないし少なすぎると割高になる、だからこのくらいの、十人弱がベストな人数なのだ。

 嬉々として出ていくみんなを待ち、教室を出る。

 後ろ髪を引かれる感じがあった。

 来たばかりの頃に一人寂しく座ってた自席がすぐそこに。体育祭の張り紙のされてた壁……最初はいがみあってた小澤さんの席。遠かった宮本先生の教卓に、窓際でいつもくっちゃべってる男子の存在。

 でかい図体してるのにいつも寝てばかりいたあの彼の、席と。

 もうみんなの荷物が残っていない、ロッカーが。

 懐かしいとも思えるこの教室に、半数ほどが残って喋っている。立って座ってそれぞれが、去りゆく時間を惜しむように。

 これが、

 二年四組という最後の空間だった。

 例え同じ学校に通っていても、同じメンバーで揃うことは二度と無い。小澤さんとも違うクラスになることだし、

 マキとも、勿論……。

 こういう、ひとつひとつのステップを乗り越えていくのが大人になるということなのだろう。

 幾つもの出会いと別れが必然となる。

 気づいて手を振ってくれた男子に手を振り返しながら、私は独り、感傷的な気持ちに駆られた。

 そこに。

 私の肩を、叩く、手があった。

 顔を傾けると頬に、プニと人差し指が当たる。

「古い。和貴」

 見えなくても分かってる。

 こんなこと誰にも言えないけど、骨っぽい彼の手の感触は……私の感覚に刻まれている。

「引っかかる真咲さんも古いよ」

 ぶくくっ、と腰を曲げて笑う。

 始まった。和貴の笑い上戸。

 目を細めて冷たく睨みをきかせるとますます煽るのか。涙目となった目許を拭う有り様で。

「そんな顔しない、しなーい。ほぉら。笑って?」

「笑える原因をちょうだいよ」

 一旦微笑みを口許に仕舞い、和貴は咳払いをする。

「ほしたらこれ言ってみて。ピザピザピザ……」

 十回十回クイズですか。

「古い。本当に古すぎるよ。正解はヒザね」

「違うよ真咲さん。答えはヒジだよ?」

 真顔で自分の肘を指す和貴。

「あっ……」

 得意げに言い放った私って。

 

 しばしの沈黙ののち。


 どちらからともなく吹き出した。

 腰を折り曲げる和貴を見て、

 私もお腹を押さえた。


「あんったらなーにを笑とるが。置いてくよっ!」


 四組のボスと呼ばれる小澤さんのドスの利いた声が廊下を響いても、私たちの笑いはすぐには止められなかった。


 * * *


「雑誌、返すね。これありがとう」

 小澤さんが今井美樹の『PRIDE』を熱唱するさなか、私はこっそりと紗優に差し出した。

「あーれー? あげたつもりやからよかったんに」

 お見舞いグッズのうちの一つを、ませっかく持ってきてくれてんし、と紗優は受け取ってくれた。

「紗優って欲しい物に赤く丸、つけるんだね」

「あ、あ……」和貴みたく頭に手が伸びる。「恥ずかしいなあ。買えんがについつけてまうんよ。なんでやろ……」

 競馬をするおじさんのような癖につい、笑ってしまう。

「春休みってどうするの。どっか行く?」

 からだを捻りかばんに仕舞いつつ紗優。「んー暇やね。家族で旅行するくらいかな」

「へえ。どこに行くの?」

「飛騨高山。パパがドライブ好きやしあの辺にいぃつも車で行くんよ。去年軽井沢やった」

 いいなあ。「うち絶対旅行なんて行かないよ。お店があるから。一度でも行けるだけ羨ましい」

「ん……」

 空いてるならいっぺん遊ぼうよ。私んちでも紗優んちでもいいからさ。

 気軽に誘おうと思ったのに、

 憂いを帯びた眼差しになにも、言えなくなった。

 彼女は彼女のなかに思考を閉ざしている。

 俯き、指を絡ませ、ぽつり。


「春休みなんて、嫌いや」


 紗優……?


「くおーらそっこ! 人が歌っとんがにくっちゃべっとんな!」

 マイク越しに叫ばれ、揃って背筋を正した。

 以後お喋りにうつつを抜かせず。

 その曲が終わるのを待って部屋を出ると入れ違いで和貴に出くわした。

 から訊いてみた。


「紗優って春休みが好きじゃなさそうなんだけど、なにか理由でもあるの?」


 上を向いて顎を摘まむ。

 迷っているようだ。

 あそうか。言えない事情があるって場合もある、でそこのとこを和貴に負わせることになっちゃう。

 こういう気が回らないところが私の至らなさなのだと思う。私にとって以上に和貴には紗優が大切な友達なのだ。

「あの。いまのは気にしないで。じゃ私お手洗いに」

「いや」

 和貴はおそらく反射的に私の肘を掴んだ。

「あ。ごめ、ん」

 すごく顔が赤くなるのが分かった。

 どうしても、私、……

 その腕のなかに、

 抱きしめられたことを意識してしまう。

 見ぬいてなのか、軽く微笑んで和貴は壁にからだを預ける。倣って壁に寄りかかる私に顔を傾け、

「紗優の誕生日っていつだか知ってる?」

「知らない。そういえば……」

「三月の二十八日。て必ず春休み中っしょ? 昔っからそれやだったみたいでさあ。学校あんなら友達におめでとーって言われんじゃん。女の子って誕生日会? ての? そーゆーのやりたがるよねえちっちゃい頃から。そーゆーんも自分が行くだけで一度もされたことないが寂しがっててさー。女の子の友達少ないんも隠れて悩んでるし」

 いつも明るく振舞おうとも、内面まで明るく振舞えているとは限らない。

 誰だってそう。

 悩みのない人間なんてこの世に存在しない。

「去年なんてさー怜生が熱出しちゃってさ、おばさんにも忘れられてたんだよ。まだまだ手ぇかかんからね怜生は。僕がね、じーちゃんからのお使いで買ったケーキとお花持ってったらおばさん、ああっ忘れとった! ってすんごい驚いてたや」

 思い出したようにくすくす笑う。

「今年は大丈夫だといいんだけどさ」

「じゃあ」

 私は和貴に向き直る。

「私たちでお祝いしようよ」

 透き通る瞳が、大きくなる。

「だって。紗優にはいっぱいお世話になってるし、なんかお返ししたげないなあって思って。一年に一度しかない大切な日なんだよ? 楽しく過ごして欲しいよ」

 嫌いや、だなんて。

 あんな悲しいこと呟かせるんじゃなくって。

「……そだね」

「誰からも祝って貰えない誕生日なんて寂しすぎるよ。自分が生まれた意味を失うような、まさにアイデンティティ・クライシスなんだよ」

「なに、それ?」

 和貴は吹き出すけれど、彼も同じような孤独を知っているはずだ。

 

 私の誕生日は。

 物心ついた頃から、父が祝ってくれることは無かった。

 母が手作りケーキを用意してくれるのは嬉しかった。でもケーキなんて既成品でも……ううん、無くたって構わなかったから、一度でも。

 父と母の揃った、あたたかな誕生日を経験したかった。

 それは二度と叶わぬ、夢。

 去年の夏の私の誕生日は、離婚の手続きで慌ただしい母に忘れられていた。

 

 あんな思いを、紗優にはして欲しくない。


「なんか、……紗優が喜ぶことしてあげたいな。食べ物絡みならよしののパフェがダントツなんだけど」

 どうしたんだろう。

 黙って聞いていた和貴が、途端に苦々しく息を吐く。「……坂田に訊いてみるよ」

「どうして坂田くん?」

「よしのってあいつのおうちなの。知らなかった?」

「うっそ」

「カウンターのなかでコーヒー淹れてる腕ムッキムキで似合わない薄ピンクのエプロン着てるリーゼントのおじさんあれ、坂田のお父さん」

「いたっけ?」

「僕的にヅラかぶった海坊主」

 それを覚えている限り人違いはしなさそうだ。

 吹き出すのをこらえ話を戻す。「じゃ、プレゼント。なにがいいかな」花束なんていいだろうか。「悦ばせるのは和貴の得意分野でしょう?」

 軽い皮肉のつもりが。

 大きく肩を落とす。

「あのごめん、冗談だったのに……ね。私紗優の好みってそんなに詳しくないから、教えてくれるかな」

 こんな風に和貴と話しながら紗優のお誕生日会のプランが作られていった。

 よかったね、紗優。

 ただひとつ、残念だったのは。

 マキが、用事があるからと言って来られないことだった。

 言われなくても分かる。

 稜子さんと会うためなのだと。

 こんな、胸の奥が焦げる想いがいったいいつまで続くのか。


 終わりが見えなかった。

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