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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第十二章 見ちゃった
46/124

(3)

 また頭が揺れる。意識が落っこちそうになる。これでいったい何度目だろう、眠気が充満して自分が目を開けているのかそうでないのかすら分からない。

 休憩を終えた頃からこうした長い演奏会が初めての私は眠気を抑えられず。

 一曲目の『世界まる見え特捜部』のテーマの頃はまだ意識がハッキリしていた。

 ……少し、外の風に当たって休まれるといいですよ。

 とタスクに助言頂くのが申し訳なく。

 身を低くして客席を出る。

 入り口のテーブル付近でパンフを片してる子たちを見かけた。一年生だろう。……面識のない子に再入場をお願いするのにも抵抗を感じ、すこし、建物内を見て回ることにした。

 音楽ホールの大体が似たりよったりの構造なのか、二階まで吹き抜けで、私から見て左手の、正面玄関から見えるほとんどがガラス張りだ。そのせいか建物はかなり大きく感じられるけれども実際はさほどでもない。天井が高い。二階建てだけれど実質三階の高さはありそうだ。空は、来るときよりも薄暗さを増していた。そのせいでやや影を帯びた螺旋階段……さっきマキが女の子たちに話しかけられてた階段をのぼっていく。

 二階にあがっても代わり映えのない光景が広がっている。

 けども。

 頬に、風を感じる。

 ――どこか。

 窓が開いている。

 やわらかく撫でる程度の。

 その風に吸い寄せられ足が、動く。

 左を窓に右を客席に通ずる扉とした細い通路の先へ。

 突き当たりの小窓が開いていたのだった。換気のことも考えるとこのままがいいのかもしれない。伸びをするとうぅーんと声が出る。ずっと座椅子に座ってる姿勢は思いのほか疲れる。

 こちら側は裏手に当たるのだろう、建物を囲うように木立が広がり、虫のさえずりが聞こえる。濃緑の匂いが強すぎて臭いくらいだ。新鮮な空気を吸おうと、窓枠に手をかけ、顔だけを出したときだった。

 見間違いかと思って瞬きをする。

 ――否。

 後ろ姿でも分かる。

 時折、強く吹く風に。木々に向かって堂々と立つ姿は、


「マ、」


 呼びかけたそれは叶わなかった。

 私が振り向いた彼の名を口にする前に。

 建物の死角となっていた、

 私がもう少し身を乗り出していれば気づいたはずの存在に、

 ……気づいたからだった。


 畑高のセーラー服を着ている、

 本日一番輝いていた、彼女に。


 二人の間の、開かれていた距離が。

 会話をするにあたって自然な距離を作りなおす。

 こんな。

 覗き見めいたことなどやめようと思ったのに、足が、命令を拒否する。

 見たい聞きたいという好奇心は、私のこころの殆どを覆う恐怖心のようなものに打ち勝ってしまった。

 薄闇に紛れて彼の表情は掴めない。元から掴めないひとであるにしても。

 風の立てる不吉な葉ずれが聞こえるなかで。

 なにか、……深刻そうな話をする空気だけが伝わる。

 二人の会話がここからじゃあよく聞こえない。

 夜闇でも赤だと分かる袋を彼女が差し出すのはプレゼントだろうか。

 首を横に振る彼は、傍観者になど、気づかない、

 彼女しか見ていない、彼の口元を、凝視しても。

 たった一つ。

 私に聞き取れたのは。


「一臣っ!」


 引き裂かれる、

 悲痛な、叫びだった。

 くずおれる、

 飛び込む、

 その胸に。

 ……震えている。

 きっと、泣いている。泣いているんだ。

 私が、自分のからだの震えを覚え始めたときに、そして、私は――見た。


 稜子さんに答える、私の知らない彼の手を。


『うぜえな。離せよ』


 ――からだに力が、入らない。

 自分のなかのなにかが崩れていく。

 不可思議と。

 窓枠にかけた手は剥がれずにその位置に留まっている。

 腰が抜けたみたいだ。

 奇妙にしゃがんだ状態で、ずるりと膝頭を滑るプリーツスカートの裾と、白壁を視野に入れたまま、頭のなかを大音響で心拍が響く。

 うまく、呼吸が、……取れない。


「――さ、――ん?」


 聞き取れなかった。

 それでも、

 自分が呼ばれたのだと分かった。

 顔をわずかに左に傾けるだけでひどい労力を要した。

 底抜けに明るい調子で、

 ステップを踏むような足音がホールの床を鳴らす。


「どったの真咲さん、気分でも悪いの?」


 一方でホールの内部からときどき、どん、となにかが響く。なんの曲を演奏しているのだろうか。

 反応の悪い私に対して、

 素早く。

 気遣う感じで、踊り場からこちらにやってきた彼が、

 つと窓の外を、見やる。

 間違いなく彼が見ようとしてる、その先は――


「駄、」

「うわっ」


 いろんなものが落ちる音がした。

 私のどこにこんな力があったのか。

 もろとも、後ろのぶ厚い扉にぶつかった。

 そこで、和貴は止まっていた。


 けどそれは、

 なんの妨げにもならなかった。


「見ちゃった」


 頭のすぐうえで、

 可笑しげに、こぼす息を聞いた。


 動けない。

 なにをどう整理したらいいのかが分からない。

 もう一度、てっぺんに吹きかかる息を感じた、


「真咲さん。大胆だよね、こんなとこで」


 顔を起こせば。

 人二人入れる程度の閉鎖的な、埋め込み式の扉に押し付けたままの。

 異常に近い、接近値にて。

 タックルした状態の私は、

 自分がなにをしているのかに気づいた。

 慌てて、離れようと、思考が働く。

 その前に、肩を、支えられていた。

 こちらの目を見透かすように覗き込み。

 おどけた感じを取り除いた、

 どこか真剣な眼差しをして、

 けどもいつもと同じ、

 くすぐったい、

 遊ぶような口調で彼は、言った。


「泣いてもいいよ」


「泣いてません」


 私はうまく笑えなかったらしい。


 男の子は体温が高いのか、すごく熱い。

 ジャケット越しでも伝わる、締まった筋肉の感じが。

 息が、苦しい。

 触れる、私の至るところが熱を持つ。

 強く押し付けられておでこで感じる首筋の体温であったって。

 頭の後ろを撫でつける手のひらの感じも。


 なのに。


 痛くて痛くてたまらない。


 飛び込んだそのときに。

 彼女を抱きしめる彼が頭を過ぎったのはどんな因果だろうか。


 耐えられないほどの、

 こころの鏡が割られた痛みに。


 抱きしめられているはずの私は、

 熱を知ると共に、震え続けていた。


 ――和貴が、私のために買ってくれたミルクココアと。


 マキとタスクとで買ってくれた、バレンタインデーのお返しのマウスパッド、


 その二つに傍観されながら。


 * * *


「なんでさー金曜さーなんもゆわんで帰ったが。あんた戻ってくるんタスクとずぅーっと待っとってんよ」

 翌月曜、かばんを自席に置く私を紗優が廊下に呼びつけた。

 ごめんごめん、と詫びつつも、

「帰りはマキも別だったの?」

 ここが気になっていた。

「ん。途中で席立ったってタスクが気づいとったし……やっぱ先帰ったんかねえ。電車の時間へーきやったと思うんやけどなあ」

 客席に戻らず、紗優たちとも合流せずあのまま、稜子さんと過ごしたのだろうか。

 目線が下へ下へ落ちる。

 こめかみがうずく。

「あおっはよー和貴ぃ」

 だから、近くにまで来ていた和貴に気づくのが遅れた。

 ……今日は顔を、覗き込まないんだ。

「おはよ」

「おはよう」

 一日ぶりに見る和貴は、頭に手をやりながら、いつもどおりに花のこぼれるような笑みを浮かべていた。

 あの大きめのブレザーに隠された精悍な肉体に抱きしめられたのだと。

 思い返すだけで顔から発火しそう。

「なんか真咲、顔あこない?」

「ぜんぜん」

 顔を振ると頭痛が酷くなる。

「……さき教室入ってるね。んじゃガールズトーク楽しんで」

 入ってく和貴をやや腑に落ちない表情で紗優は見送る。

「和貴が入ってこんのって珍しいなあ」

「そう?」でも正直私は助かっていた。

「頭よお掻くやろあいつ。あれ困ったときのクセ」

 知ってる。

 なんだか紗優の観察眼を感じるから話を変える。「紗優も二人で帰ったんだよね。タスクとなにか話した?」

「うーん特には。エヴァ語ったくらいかなあ……」

 十分です。

 これは、元通りになるのも時間の問題ではないだろうか。

「それよか紗優『も』ってどういう意味なが。あんたこそ和貴と二人で帰ったんか?」

 鋭い。「や、うんあのほら、タスクと紗優を二人にしたげたほうがいいかなって思って……」

 嘘などついていないのに。

 こんなしどろもどろになるのは。


 ――タスクと紗優、二人っきりにしたげよっか。


 あの彼の労るような優しい響きを。

 振動の伝わる、腕のなかで直接的に聞いたからだ。


「ふぅん? なんやら匂うなあ。なぁんか隠しとるやろあんた」

 う。

「や、ぜんぜん、別に」

「ちょー言ってみぃやこんのぉー」

「いひゃ、」頬、引っ張られちゃあ。「いひゃいいひゃいひゃゆ」

「……何やってんだおまえら」

「あ! おっはよーマキ。あんなー真咲がなーなんか隠しとるよーやから白状さしたろ思って」

 よ、けいなこと、言わないで……。

 細かく首を振る。

「都倉、顔色悪くねえか」

「そお? 照れて赤いだけやんか?」

 あやっと離れた。

「へーき。それよりそろそろ教室戻ったほうが」

「行くぞ」

「ふえ?」

「保健室。……宮沢、こいつ早退するかもしれねえから長谷川にでも言っておいてくれ」

 あ、うん、という曖昧な声を腕を引かれながらに聞いた。

「あの。マキ、私別に……」

「熱あんだろ。いいから体温測ってとっとと休め」

 驚いた感じで道をあける人々が目に映る。

 それも、視野が段々狭まり、一メートルくらいを入れるのが精一杯になってきて、

「あらあら都倉さんどしたが。顔真っ赤やないの」

「は、い、……ちょっと気分が」

 ターコイズブルーに赤紫の花があしらわれた強烈な柄を目にすると益々脳が熱くなった。


 熱は八度三分あったそうだ。

 それから寝不足をすこし補充し、結局、マキの予言通りに早退した。


 具合悪いんなら無理して学校来んと、休んで構わんがよ。

 かばん、蒔田くんが持ってきてくれてんよ。なんかよう気ぃ利く子やわねえあの子。


 うっとりとした田中先生の響き。

 稜子さんをマキが抱きしめる姿。

 私を受け止めた、和貴の力強さ。


 いろんなできごとが頭のなかを回り続け、

 家の玄関に着くなり倒れこんだ。


 その日を含め私は三日間学校を休むこととなった。

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