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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第九章 暴力反対……
34/124

(1)

 迫る足音に机のうえのプリントを慌てて隠す。

「あらあんたどしたが? 読むんやったら新聞、新しいんおじいちゃんところやわいね」

 間一髪。

「ええーと韓国の大統領選挙がなになに……合併新党であるハンナラ党が、野党が勢力を伸ばす中でどこまで票を伸ばせるか……」

 しかめっ面でえへん、おほん。

 ここまでする必要なかったみたいだ。

 母、エプロンのポッケから出したものに夢中。

 何食わぬ顔して私は昨日の新聞を畳み「お母さんそれ、ハマってるね」注意をそらす。

「なんよ。休憩入るたんびになんやら気になってもうて……」

 今頃たまごっちにハマる人がいるとは。

 私の周りでもかつて流行った。

 画面のなかの無機な黒点よりも生身の人間を静観するほうが私は面白かった。

「じゃ私出かけるね。帰り七時くらいになると思う」外のほうが集中できるし。

「どこ行くが」

「学校の図書室」

「ほんに真咲は……勉強熱心やわねえ」

「期末試験とパソコン検定が近いからね」

 不自然じゃなかったかな、なんて気にしながら、締める扉の隙間の母もしっかり眺めておく。

 初めてゲーム買い与えられた子どもが居た。

 ……無関心というかなんというか。

 責めることはならない。

 朝早く夜遅く、睡眠は四時間足らず。たまに夜中に階下の物音で起こされるし。真咲起こしたらならんやろ、祖父に叱られたらしいけど。これは祖母による情報。

 起きてる時間の殆どを店のことに費やす。調理師免許の取得が当面の目標だと言う。働く前後に祖父から調理のこと経営のこと諸々を学ぶ。

 夕食はお店のと別に私たちのぶん、毎日作ってくれてる。お洗濯お掃除に手を抜かず。玄関の生け花が三日同じことはない。

 昔っからこうなんだ。母は。

 東京にいた頃も専業主婦なのに働いてばかりいた。PTA役員や町内会の係りにボランティア。地元の図書館で本の朗読や点字翻訳をしたり、病院で入院してるひとの介添えしたりで本当……内気な性格のくせして家でじっとしてられない性分なのだ。私とは逆で。


『いっつも考えとるよ』


 それだから、父との溝も深まったのだと想像する。

 事実父方の伯母や祖母からの風当たりも強かった。家業の手伝いを暗黙に求めるくせしていざ手伝えばつまはじきにする。受けるストレスを母は以外の誰かの役に立つことで解消していたようだ。


『本当やって。真咲のためにお母さん、』


 それは現在も変わらない。


 ブランド品を身にまとう。授業参観にユキトリヰのスーツにハンティングワールドのバッグで来るプチブルジョアの部類に入っていたのがいまはさっぱり。自分のための買い物なんて一切してないし、髪なんてこっちに来て一度切ったっきり。頻繁に飲んでいたヴィンテージもののワインも断ち、飲むのは麦茶のみ。体重が落ちたと思う。

 東京では想像し得なかった質素倹約っぷり。

 同時に、東京では金銭気にせぬ生活を送っていたのだと思い知る。

 隔てるドアを閉め、凭れて新聞の内側に丸め込んでいたものを広げ、


 進路希望調査


 名前以外空白のわらばんしを手に小さく肩を落とした。


 * * *


「先月パソコン検定を受けた者は結果が届いとる。下田先生んとこ取りに行くようになー」椅子ががたがた響く中で宮本先生は声を張り、「あーっと都倉ぁ。ちょっと来てくれるかー」

「はい」

 教室を出て、廊下から回ってきた先生と合流する。

「話がある。進路指導室で話そう」

「はい」

 道中宮本先生はにこやかに話をしてくれた。

 これから受け取るパソコン検定準四級合格のこと。部活のこと。成績のこと。期末、随分頑張ったんだなって。

 かようにして続く褒め言葉とは大概の場合が悪い話の前触れだ。

 後に来る罪悪を褒めることで解消しようという人間のこころの働き。ある意味で防衛機制だと思う。

「進路希望調査を見た。これは、ちゃんと考えた結果か?」

 ほら来た。

 ちょっと怖い顔してる宮本先生の後ろにうちの高校の年鑑が並ぶ。赤、青、黄……年代によって色変えてるっぽい。

「都倉の成績やったら私立いいとこ行けると思うんやけどな」私のよそ見を咳払いでいなす。「国公立やったら文系だけっつうバランスどうにかせんと厳しいやろうが、……選ばなければどこの大学やって行ける力は持っとる」

 宮本先生は私の担任であるだけでなく不得意な生物の担当教師でもあるためバランスの悪さを重々承知だ。

 自分でも思う。

『遺伝』でつまづくだなんて致命的だ。

「自分の将来のことなんやぞ。親御さんには相談したんか」

「はい」

「……そうか」

 一番目の質問に対する答え、ゆえに嘘はついてない。

「都倉は勉強好きやからてっきり進学志望やと思っとってんけどな……」右の髪に触れる私を見ず前髪をぼりぼりと掻く。プリントを睨んだまま「大学を出とかんと就けん職業は世の中に沢山ある。例えば教師になりたいんやったら四大出とかなならん。……公立でも私立でも奨学金貰えるとこはあんねぞ。ちょっとでも興味があるならどんなことやったって相談しなさい。先生が調べたる」

「はい」ありがとうございます。

「一月にもう一度調査をする。その結果を反映して、きみたちのクラスが分けられる。平たく言えば、三年の三四組が四大進学、一二組が以外の就職短大専門のコースだ。……なんか分からんことはあるか?」

「ありません。大丈夫です」

「そうか」

 席を立つ。先生より先に。

 寒空のもとに鮮やかな花をつけた中庭の椿はこころに華やぎを与えない。

 就職希望。かっこ家事手伝いかっこ閉じる。

 これが私の生きる道。

 生活に余裕がないのは分かっている。祖父母も母も特になにも言わない。けど贅沢なんて全然しない。牛肉食べず豚か鳥ばっか。

 老人二人でほそぼそと暮らしてたとこに母と私が割り込んだ。

 私が住むだけで要らない負担をかけてる。

 息をするのもお金をかけさせてる――気詰まりに思うことすらある。

 緑川には大学がなく、最寄りで国立や私大が畑中にあるだけで、自宅通いできる距離にない。

 つまりは、進学を希望するということは、一人暮らしを望むということ。高い学費に加え、アパートの家賃に生活費。学費プラス月に十万かかるとか聞いたことある。


 駄々を言うつもりなどなかった。

 元々あの家に住むべき人間ではなかった。よそ者の私は。


「ああ、……来てるね合格通知。都倉さん。おめでとう」

 合格の結果を頂き、寒椿の花を見てまた一つ嘆息をもらす。


 町田にあのまま住んでいたら。

 選ばずどこかの大学に入れた。


 ますます気が塞いだ。


「マキって意外とパソコン得意なんだね」

 背丈のみならず検定レベルも上の、タスクと同じ三級に合格した彼は、――あったかい教室でも零下の屋外でも表情が変わらない。

 けど舌打ちして顔を背け、

「意外とは心外だ」

 あっちゃ。

「ごめんごめん」

 追いつきかけた足がずるり、

 滑っ、

「うわっち」

 両足を突っ張る。差してる傘を挙げてどうにかバランスを取れた。

 はー危なかった。

 くく、と目の高さの位置で喉が鳴る。

「おっまえ奇跡的だなその動き」

 足がハの字になっちゃってる私。

 そうですねちんちくりんなメリー・ポピンズですね。

 差し出される手は。

 ……受け取れない。

 私だって照れ隠しをすることはある。

 というよりお借りすると私は。

 口走りかねない。

 ありがとうだけじゃなくってそういう……

 マキは。

 傘を持ち替える。

 決まりの悪さもなく。

 無表情に無口に進む。

 さっきより速度を落とす。

 ドリフのオチよりお約束な……彼の言動。

「雪。今日もすごいね……」

 降りしきるサイレントスノウ。海が近いがためか、東京では見ないこんな牡丹雪が、白めの空から次々再生される。

 降っても降っても止まらない。

 悲しいときの、涙みたいだ。

「……毎年こんなだ。これでも俺が小さい頃よりは減った」小学校ん頃は膝くらいまで積もったと彼は言う。

「それでよく電車が止まらないよね。東京だとほんの数ミリ積もっただけで動かなくなるんだよ。雨が降ると必ず二三分遅れるの」バス通学ならもっと悲惨なことになる。雨の日は三十分早く出るとクラスの子が言っていた。

「東京と比べて電車の本数が格段に少ない。一時間に一本程度だからな、凍結しないよう駅員がこまめに線路の雪かきをしている。俺のように通学に使う奴もいるし、一応は観光地ではあるから、この程度で止まっては話にならん」

「そっか」

「……波の花」

 いきなり、ストップする。

 あ私、隣に来てしまった。

 どうしよう。

「わざわざそれ目当てで来る奴もいる。聞いたことねえのか」

「……ない」

 それより。

 ブルーの傘で淡く照射されるマキの、白い肌がすごく綺麗で……

 神様、もう少しだけ、見ていたい。

「残念な奴だ」

「そうですか」

 可愛くない私の返答など気に留めずブーツの足先見ながらさくさく暗誦する。「日本海の荒波が繰り返し岩肌に叩きつけられ、海水中の植物性プランクトンの粘性が白い泡状となる。その泡が風に煽られ花のように舞うから『波の花』――見られるのは低温でかつ海水の綺麗な場所に限られる」

「詳しいね。私、初耳だよ」

「だから雪の中をろくに歩けねえんだ、これだから都会もんって奴は」

「マキだって生まれは違うんでしょう」

「京都生まれってだけだ。生粋の海野育ちだが文句あっか」

「だったら海野弁か京都弁喋ってみなよ」

 和貴はたまに喋るよ名古屋弁。

「海野弁なんかねえよ」

「じゃ京都弁。あでもマキのガラじゃないよね、おいでやすって言われても気持ち悪い」

 い。

 言い過ぎた。

 鋭い眼光が飛ばされる。

 で、も。

「そ。そーやってなんだって睨んで解決するのはよくないっ。慣れれば全っ然怖くないもん。あのね、黙って睨んでばっかないで悔しかったらなんか口で言い返してみ」

 素早く動いた。

 口ではない。

 マ、キの、手が。

 びっちりと私の、鼻を、口を、唇を覆い。

 押さえつけてる。

 手袋越しとはいえ。

 か、

 感触が……!


「おいおまえ」


 明日の、

 放課後、

 空けとけ。


 やや屈んだマキ。

 うすら青ざめたマキは、傘とかばんとで両手が塞がり呼吸もままならず苦しみ悶える私を見据え、

 一音一音を響かせてむしろ笑った。


「ぶっは」

「覚悟しとけよ」

 息取り戻すこちらを見向きせず、手早く傘を畳み、改札の向こうへと消えていく。

 そんな彼のシルエット。

「ぼっ。暴力反対……」

 そんな程度で。

 こんな程度で。

 真冬のくせして耳も心臓もガンガン熱い。

 季節外れの蚊の鳴く声しか出せなかった。

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