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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第八章 嫌いになろうと思ったけど決めたんだ
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(4)

「うっひゃあめーっちゃ豪華。いいんですかぁこんなにぃ」

 ひゃーっと驚く紗優にどうぞお召し上がりください、と優雅に仲居さんは微笑む。藤を淡くしたお着物が似合いの。

 浴衣に着替えて広間の大部屋に通され、会席料理に舌鼓を打つ。ふぐのお刺身に白子だなんて。うちの小料理屋の食事よりゴージャスだ。

 タスクがトイレに立ったときに私も席を立つ。

「あ都倉さん。女性用でしたらあちらから回られたほうが……」

「わ、私お金もなにも払ってないのに。いいの。あんなに頂いちゃって」

「……気にして箸が進んでなかったんですか」

「や、あの」

「いいんですよ。僕も当初、旅館に泊まらせて頂くのも申し訳ないですから自宅部分か、どなたか違う方の家にしようかなど検討したのですが……考えるほどに蒔田くんの旅館がベストでした。近くて、遠い。修学旅行気分を味わえるとなると」

 パソコン部の合宿です、てタスク、言ったのに。

「宿泊代のことは蒔田くんを通じてご両親に相談した所、……お友達のおうちに泊まるだけなのですから、気にせずどうか、楽しい時間を僕らに過ごして欲しい、とのことでした。番頭さんなんて貴女のご事情を知ってむせび泣いたそうですよ? ですので。蒔田くんとご両親のご厚意に遠慮なく甘えてしまいましょう。……言わずにおいたのが裏目に出ましたね。至らず申し訳なかったです」

「え。えーっとそんな」

 むしろ。そこまで考えててくれたなんて。

「僕らが成人してからじゃんじゃん泊まってくれれば元は取れる、と仰ってました。女将さんが」

「え!?」

「嘘です。笑わせられないならジョークとしては失格ですね。さて。戻りましょうか」

「え。タスクトイレ」

「……貴女の様子が気にかかったので。振りです。戻って美味しいお食事を、うんと平らげてしまいましょう」

「……タスク」

「ええ」

「あの。見えないところで沢山考えててくれたんだね。ありがとう」

「どういたしまして。ですがね。動いたのは蒔田くんのほうです。ゆえに蒔田くんにこそ受け取って欲しいですね、貴女の笑顔とその台詞は。……彼。自宅に誰かを呼ぶのは初めてだったようですよ」


 すこしほぐれた気持ちで料理を完食し。

 地下の卓球場で汗を流し、また温泉に浸かる。

 今頃は寝っ転がってお菓子ばりぼり食べながら紗優とあてどのないガールズトークしてるはず、――

 だった。

 紗優は寝顔もべっぴんさん。

 私は。


 眠れなかった。


 お布団のなかで何回も寝返りを打つ。ぐるぐる。

 同じなにかをさまよう。

 廊下に出る。

 静寂があった。

 そこのだだ広い窓から、海が見え、砂浜が見える。

 汽笛が、鳴る。

 あんなにも海が、近い。

 淡い月のかがやきに。

 誘われ、足が動いた。

 番頭さんが受付の席を外したのを見計らい。

 からころ、下駄を鳴らし。

 国道渡ってすぐに、海が。

 通りは静かで。

 車の走らない。

 無人島に迷い込んだ錯覚を覚える。

 いつも目にしてる光景とは異なる。

 はるか海の、高潔と。

 近い、船の汽笛に。

 鼓膜に染みる、潮騒の気配。

 遠く灯台が網膜に僅かなひかりを与える。

 砂浜を進む自分の音が、ずぶずぶと、飲まれていくことさえ心地良く思えた。

 死の衝動はこんな風に起こるのかもしれない。

 母なる海が手招きをする。

 死者の境地を想像するのを打ち止めにして流木に腰を下ろす。どこにでもあるんだな、こういうでっかい木が。

 流れ着く運命を予測していたのかな。

 この木は。

 静謐な闇が。

 昼間とは違う姿をさらす。

 表面のゆるやかな波が、怖くもあり。

 太陽と人間の解釈で姿を変える。

 そこに実在するのは変わらないのに。

 見る気持ちの方向性が。

 真実を、定義する。


「へっ、ぎちゅう」


 上着くらい持ってくればよかった。

 腕をさする。

 十一月だもん。

 肌寒いよ。

 私、

 ……

 なにやってんだろ。

 みんながお膳立てしてくれた旅行で一人ぼっちを選び。

 こんなところに。


 泣くために、


「おい」


 出かけたものが引っ込んだ。

 振り返れば、影が。

 浴衣の、――腰の位置の高い、


「何時だと思ってる」


 彼だった。

 乱暴にカーデを投げつけてくる。あ落とさずに済んだ。

「着ろ。風邪引くぞ」

「あ、りがと」

 まさかくしゃみの失敗まで聞かれてたのか。

 浴衣で袖は通せず、肩から背中にかける。「……あったかい」

 マキの、におい。

 マリンノートの香りが、……近い。

「寒いんなら戻って、寝ろ」

 そうだね。

 意味合いを込めて頷く。

「眠れないのか?」

 またこくり。

「和貴のことでか」

 動けず。

 固まった。

「……船んなかで言い争ってたろ」

 ふるふると横に振る。

「うそつけ。和貴に聞いたぞ、嘘の見分け方ってやつを。いまのおまえは左上を見ている」

 うそつきは、どっちだよ。

 ずっと海だけ見てて、

 いま初めて乗り出したくせに。

 目が、合ったときに、

 マキが、歪んだ。

 たまらず。

 自分の膝に突っ伏した。

 馬鹿みたいだ。

 見られた。

 喉が絞られるみたいに、苦しい。

 色々なこと考えてわけわかんない。

 もう。

 和貴が。

 なんで。

 マキは。

 誰にも無関心ってポーズ決めてるのに。

 弱ってるときに限って優しいんだろう。

 私のことなんか、気づかないで欲しい。

 ……できるだけ、しゃくりあげないよう。

 息を押さえ。

 肩震わせないように。

 静かに。

 噴き出すものと向き合っていた。

 マキは。

 煙草好きなマキは。

 実家の前だからか、

 吸わず、

 ただ、 

 なにも言わず。

 それでも、いてくれた。


 何度目か分からない汽笛を聞く。

 嗚咽は収まり、胸の嵐が落ち着きを見せた。

「――時々、夢に出る。天然芝のピッチで出来る日があってな」

 彼は、口を開いた。

「湿度も気温も高え。ピッチ上の体感温度は47度超えだ、くそあちい日だった。しかし気分も身体もキレキレだった。実際、よく動いた。気持ちわりいほど動けた。思えば、……前触れだったのかもしれないな。調子こいてんなよって戒めだ。案の定だ。いつもより長めの芝に足元すくわれた。いつものドリブル。相手の股下抜いたつもりがな、スパイクが入るのは分かっていた。誘ったからだ。引っ込めるタイミングがコンマ一秒だかずれた。それでも行けるって感覚で動いた。結果、足の先が逆に曲がった。近くで見た奴が気味悪がってたな。それが、」

 流石のマキでも、間が、空く。

「最後の試合だ」

 重い後悔と苦しみを乗せて。

「今でも悔やむことがある。怪我して辞める奴もいれば諦めずに戦う奴もいる。俺は前者だ。尻尾振って逃げ出したじゃねえかとな」

「そんなこと、ない」

 私は顔を起こした。

「私、怪我のこと詳しくない」和貴に聞いた程度しか「事情も知らない。でも。あんな……」

 傷の残る膝を、

 誰にも分からせないように、

 歩いていたんだ。

 夏休みの日だって。

 隠すようなこっそりとした引きずり。

 それこそが彼の、矜持、だった。

「あんな……足引きずるくらい、ぼろぼろになるまで頑張ったんでしょう。それまで頑張ってきたことは消えない。マキのなかに残ってるんだよ」

 こちらを向いていたマキが。

 見開いた白眼を、落ち着かせる。

 頬の筋肉がわずかに緩んだ。

「……腫れ物に触れる扱いが少し。遠巻きに見て気の毒がり関わらないようにする奴らが大半だった。動けない俺には周りがよく見えていた。退院してもベッドで眺めてる天井と世界は変わらなかった。勿論、俺の空席なんかとっとと埋まっちまった。誰に顔を合わせるのも嫌な日々が続いた。敗北を感じるからだ。周りの誰よりも、――俺が。俺自身に関わることにうんざりしていた。そんなときにな。誰とも違うことを言ってきた奴が一人いる」


『とりあえず諦めちゃってさ。またやりたくなったらやればいいんじゃない? 自然とやりたくなるときがくるからさ』


「あっけらかんと言いやがった。そいつを一発殴り倒した。一日足りとも休まずてめえの持つ全てを注ぎ込んできた。他の何も俺には見えていなかった。それを。簡単に言われてたまるかってな。……そいつは俺の拳を食らって吹っ飛んだ。この辺りが切れてたな。だがな。その切れたうまく喋れない口でいったいそいつが俺に何と言ったか。分かるか?


 ――良かった、と笑っていた」


『生きるの諦めとるような顔しとったけど、僕殴れるくらいなら全然問題ないよ』


「それが、」


『僕は、キミより全然弱くて、挙げ句に悪人になる予定なんだ。ね、高校生活どうでもいいって思ってんなら、こんな僕の友達になってみない?』


「和貴……」

 マキは前方の海をきつく見据える。「あいつが何を企んでいたかは知らねえ。しかし、当人が意図していたほど悪人扱いはされていない。陸上部の一部を除いてはな」

 購買の近くですれ違った五人組を思い返す。

「多少の噂が流れようとも大抵の奴は気にしない。和貴の人柄を知っているからだ」

 静かに、視線が、流れてくる。

「おまえの知る和貴も、――同じじゃないのか」

 私の知る、

 ……和貴は。


『そーんな緊張しなくていいってば真咲さん。同じクラスなんだからさ。仲良くしよ?』

『でもね。すっごく面白いから僕、真咲さんにもやってみて欲しいなって思っただけなんだ』

『なんか。悩んでるんなら相談してよ。僕、こう見えても広いよキャパ』


 いま私の様子を見守ってる、

 もしかしたら怖そうだなって遠巻きに見てるだけに終わった、

 彼がいなかったら関われなかった彼のことを。

 彼が、どんな風に語っていたのか。


『誰か蹴落とそーとか考えたことないんだろね。いまどき珍しい純粋な性格してるよ』


 濡れた頬を拭い、

 ようやく、

 一つの結論を導き出す。


「初対面のくせして壁作らなくって……優しい。自分のことじゃない、周りのこと、気にして、ばっかりで……」


『見てて思ったんだけどさー悩まずにどーんとぶつかってくのがいいよ?』


 アドバイスまでしてくれていたんだ、和貴は。


「それが、和貴だ。誰かを守るためなら自己犠牲も厭わない」

「……自己犠牲?」

「自分がいくら傷ついても構わないと考える奴だ」

 自分のことも和貴のことも、感情のないトーンで話していたマキがふと。

「……俺に遠慮してるのかもしれないな」

「なに、それ」

 そっぽ向いてたマキが戻ると、珍しくも自分だけで笑った。「詳しくは言えねえ」

 私は相当ひどい顔をしているのか。差し出されるティッシュを受け取りチーンと鼻をかむ。ついでにビニール袋にごみも入れてしまう。

「あ。いいよ」私が持ってて。

「捨てる。どのみち俺んちだ」

 あ、そうですが。

「あの。マキが和貴の話をしてくれるのは嬉しいけど、和貴が直接私に言ったことが真実だから。そのね……」

「ああ」

 分かってるって口ぶりをする。

 他人から又聞きする話は、気持ちの真実性を希釈してしまう。

 だから。

「直接確かめるのも真実だけどね。いまの話を踏まえて」

 くしゃり。

 頭を掴まれる。

 お父さんみたいな大きな手が、

 なのに女の人のように繊細な彼の。

「――戻るぞ。冷えてるから風呂入っとけ」

 離れてくのが惜しいなんて私、どうかしてる。


 どうしようもない。


「お風呂って24時間入れるんだね」

「ああ。夜中出歩く客もいるから玄関も開けている。周辺に少しだが飲み屋があるからな」

「番頭さんがいたよね。夜中も働いてるなんて、大変なんだね」

「仕事だからな」

 マキは。

 スピード、落としてる。

 並んで歩くと身長差に驚くけど。

 さっきは。

 目の高さ、変わんなかった。

 座高の高さもまるで違うのに。

 背筋丸めて……聞いてくれていた。

 私、このカーデ。どうしよう。

 ……脱ぎたくないな。

「坊っちゃーん、ようこそお戻りでっ」

 玄関に入るなり、ひとのよさそうな顔の丸い、来るときに裏手で出迎えてくれた半纏のおじいさんがマキに走り寄る。

 涙目だ。

「お嬢さんもようご無事で。わしゃあ心配しましたんですよ」

「え、っと?」

 両手わしゃっと握られてます。

「くぉんな夜更けにおっ嬢さんおひとりでふらふーら出てきますもんでわしゃあ、なんかあったらあんさんの親御さんに顔向けできんですってわたしが追っかけようとしたんですが、坊っちゃんが……坊っちゃんがぁ」

「……源造さん」

 カーデが落ちてしまったのか、

 マキが手渡してくれる。

 のだけれど、目つきが鋭い。

「ご、めん」

 受け取るにも、……

「あっ」ぱっと手が離れた。「こりゃこりゃあすまんかったですんな。すっかり冷えておいでです、さーさお風呂もいつでも沸いておりますんであったまってください」

「あ。あ、ありがとう。ございます」

 ずいぶんフレンドリーなおじいさんだった。

 マキの背中がちょっと怖いんだけど。

 あれ。

 そういえば、マキのさん付けって初めて耳にした。

 呼び捨てが常だよね?

「おい。俺は寝るが、部屋の名前は覚えてるよな?」

 私の方向音痴はマキも知っている。場所より名前忘れたら部屋に戻れなくなる、マキらしい気遣いだった。

 私は笑って答える。

「二階の藤壺」

 源氏物語に登場する悲劇の女性の名前だ。

 夫に真実を隠したまま源氏の、不義の子を生む。どんな心境だったろうか。

 話振っておいて聞かない。二階への階段をのぼるマキに、

「待って。これ」

「やる」

 私、

 その背中が名残惜しい。

「マキっ。あのね、あ」


 ――ゆえに蒔田くんにこそ受け取って欲しいですね、貴女の笑顔とその台詞は。


「ありがとうっ」

「いや。早く寝ろよ」

 顔すら見ずにそっけなく。

 でも。

 礼を言われる筋合いはないって言われるよりは、進歩したかな……。

 消えていくマキの姿を、私は、消えてしまっても。

 胸にカーディガンを抱きながら。

 ちょっと冷えたからだと、温かい気持ちをもってずっと、見守っていた。

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