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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第八章 嫌いになろうと思ったけど決めたんだ
29/124

(1)

「こんちはー」顔を覗かせるのは和貴だった。丸い目をしてきょろきょろ室内を見回す。「……あっれえ真咲さんだけえ? 誰も来とらんが?」

「うん。取りに行ったの私が最初で……」ドアを後ろ手に閉める和貴に向けて鍵を掲げる。「いつもタスクが行くじゃない? 下田先生、珍しいなってちょっとびっくりしてた」

 キーアクセサリーなしの鍵がそんな珍しいのか。

 鍵のところで視線を止め、

 どんどん私に近づく。

「……ふぅん」

 椅子を引いて、彼は座り、


「壁紙ポスペなんだね?」


 急激に頬が熱くなった。

 なんてことないただの一言なのに。

 自意識過剰の結果だ、そしてこの意識こそが頬を熱くする勢いを加速する。

 喉の奥に溜まる唾を飲み干し、私は鍵を机に置く。が必要以上に音を立てた。「う。うん。可愛いでしょ」平静を装いディスプレイに向かう。

「だねだねー」屈託なく隣の机に頬杖をつく彼は、……知ってて言ってるわけじゃない、よね。

 パソコン部ではみんなが情報処理の授業で使うパソコンを使用している。部に現時点でなにか購入するだけの予算は与えられておらず、したがって日々向かうのはこのディスプレイ。分厚くて見た目が旧型テレビと相違ない。それに手垢のついたお揃いのキーボードがセット。

 お世辞にも豪華とは呼べない。

 変えられる部分は各自鋭意工夫して変えている。

 ログインIDは無論授業とは異なるし、ログオン後の壁紙やOutlookの設定などなど。

 同じものを使いつつ細かなところで個性を出したがるのが私たち学生の趣味嗜好といったところだ。

 こないだ紗優が壁紙をGLAYの四人が並ぶ写真に新調した。「なーなー真咲もなんかオシャレなんに変えようよー」私は別に変えるつもりなどなかった。Windowsに初めっから搭載されている『花見』がそこそこ気に入っていた。ピンクを背景に花弁が舞う桜吹雪は女の子に人気がある。

 私が考えを改めたのは、

 白い背景にでっかく。

 画面越しに微笑みかけるポストペットのくまさんに出会えたときだ。

 これだ、と思った。

 私はそれを口にしなかったのだが表情で伝わったらしく。意味深な笑みを浮かべ手際よく紗優が設定してくれた。


 その紗優といえば本日はお休みとのこと。滅多に学校を休まない彼女だが11月ともなれば風邪が流行る、特に一組ですごい勢いらしい。早く治って欲しいな、と思いつつ新着メールをチェック。僕が遅れた時のために課題を、……抜かりないなタスク。送信日付が昨日だ。

 くまさんに代わって、

 茶色い瞳が視界に飛び込む。

 なにが起きたのか理解が遅れた。

「……近い。和貴」

 現状を把握すると手で追い払う。和貴がディスプレイと私との間に顔を突っ込んでた。ポスペ真似て手が招き猫のかたちをしていた。

 ごめんごめんと口では言いつつも悪びれる様子はなく。自席に戻らず、紗優の席に座る和貴を一瞥する。

 ブレザーの間から覗く、赤いセーターの色。前を閉じるのが好きじゃないみたいだ。アーガイル柄のVはベストだろうか。きっとそうだろう、セーターを重ねるともうちょっと腕の辺りがもこもこする。

 学校指定のベストを着るのは模範的優等生くらいなものだ。着るのは私たちの間でダサいこととされている。この地方が極端に寒いせいだろうか生徒のインナーに学校は寛容で、私服が暗黙に許可されている。男子なら黒やグレーのベストか長袖を選ぶのが普通なのだが……あんな郵便ポストめいた鮮やかな赤は彼以外に着れない。

 彼だから着こなせる。

 イギリスにこんな男の子がいそうなトラッドスタイルで。

 ふわっふわの茶髪を遊ばせるように、

 いつもからかうような笑みを口許に乗せ。

 長い手足を持て余し前かがみで指回しなんかしてるさまは、性別を超えた可愛らしさがある。

 彼の倒錯的な魅力に囚われてるのは私だけでなく、あまたの女子が彼を見る度にきゃあきゃあ騒ぐ。

 桜井和貴の弱みといえば背がやや低いことだろうか。それでも、ある女子がこのように語っていた。

『あのでっかい目がいいんよ。すごくキレーで吸い込まれそうになる』――同じ目の高さで、或いは下から見つめられるのが彼女たちにはプラスに作用する。和貴を嫌うひとなんているんだろうか? 彼、誰に対しても人当たりがいい。マキとは真逆だ。

 ……マキは。

 一見とっつきにくいくせして、――優しい。

 見た目通り親切で優しいのが、和貴だと思う。

 隠れ和貴ファンの子に、ならパソコン部入ってみる? と持ちかけてみたところ「やだやだいいっ」全力で拒否された。

 やだって。

 そんなに抵抗ありますかねパソコン部。部員募集のキレーなポスターにだーれも反応しない。あれさりげに凝ってるんだよね。ハンドライティング。私は色を足しただけでタスクの力作だ。


「まさーきさん。僕に見惚れすぎ」

 確かに私は彼の方を向いていたが考えごとをしていた。はいはいそうでしたね、と受け流す術も私は身につけた。言われ慣れてる。

 ところで。

「その袖、なんか長くない?」

「ああ……」私が自分の手首を持ち上げると和貴も鏡写しの動きをする。袖をまくり手首の腕時計に触れて、「だよねえ。制服買うときじーちゃんと買いに行ってさ、そんときワンサイズおっきいのにされたんだよ。ほら昔のひとって物大事にすんじゃん? 背ぇ伸びっさけいまぴったしなん買っとくとかんならず買い直す羽目になっぞーって口酸っぱくゆわれてさあ」

 膝に添えるほうの袖口を見れば手首を完全に覆う丈だ、座っててこれなら起立するともっと長く見えることだろう。

「高校生で背が伸びるひとなんているの」中学の三年で成長の止まった私がそう訊くと、

「僕は毎年、二センチずつ」なにか恥じらうように頭をかく。

「いま身長何センチだっけ」

「168」

「その調子で行くと……32歳になる頃には二メートル超えだね。ジャイアント馬場になっちゃうよ」

 アポー。

 ……なんで真似してんの。

 うろうろしてる。

 しかも。

 似てる。

 関根勤に。

「アポー。ん馬場チョぉーップ」

「ちょ、も」随分手加減したチョップを食らい私はそれを払った。「できないじゃん課題。和貴も自分の席戻ってやんなよ」

「こんなおっそいほうが悪いっ」開き直った。顎しゃくれさせたまんま。「いったいあいつら日直に何時間かけてんだよ。うし。迎えに行こ」

「え私も?」

 タイピング中途なんですが。

 あ鍵掴んで出てく。

 じゃあついてくしかないじゃん。


 夏が終わると寂しくなるのが緑川の町、合唱コンクールまで終わると寂しくなるのが緑高のこと。

 目立った学校行事がしばらくなくなる。

 校内に残るのは文化部員か受験生か。

 運動部は冬に大会などもなく。目の上のたんこぶの先輩方が引退し二三ヶ月も経てば二年生たちは築いた牙城に慣れ、気が緩んでしまう。グラウンドを走る野球部の引き上げが早いのはそのためか。小澤さんの所属する「女子ソフト部はこっちじゃなくて裏のほうで練習してるんだよ」和貴いわく。

 走りが軽やかな彼は、階段を降りるときはひょこひょこ。ランニングとは異なるステップで一段飛ばし飛ばし。

 跳ねながら降り。

 遊ぶように歩く。

 ちっちゃな頃は雨の日を、長靴履いてぱしゃぱしゃ、水たまりをきっと楽しんでいた、そんな少年だったと想像がつく。

 ちょっと猫背気味で。

 ズックのつま先を見ていたり。

 時折眩しそうに私の左手の窓を眺める。

 影が落ちる廊下を踏みしめ。


 誰かと歩けば私の内面に必ず誰かが表象される。


 ――彼との違いを。


 素敵だった学園祭の余韻を持ち越してるのは私だけだ。

 彼は変わらない。

 チャリのふらつくおじいちゃんが来れば庇うのも。あのおじいさん道変えればいいのに。

 ……沈黙して歩くのも、私の癖になっている。

 目が合うと、すこし開かせて、微笑みに変える。

 そういう癖が彼に身についてるんだろう。


「おい置いてくぞー」

「待ていや」

 購買で残り物のパン買ってたっぽい男子の高い声が届いた。放課後なのにまだ売ってるんだ、運動部なのかな。

 それで向こうからやってくる五人組は、廊下の幅いっぱいに広がり、私たちとすれ違うにも譲る気配がない。

 和貴が、先を行く。

 私は後ろに。

 ちょっと……苦手だった。男の子の集団のギャハハってふざけてるノリが。シャッターを下ろしたばかりの購買と職員室の間の空き空間に私は寄った。ここから中庭が見えることをたったいま知った。


「あいっかわらず女とばっかおるげな」


 誰に言われたのかと思った。

 中庭から目を戻す。

 一人が、一人を向いて言う。その対象は、

「女みてーなツラしやがって。桜井、おめー走るよりちゃらちゃら遊んどるほうが似合っとんなー」

 はははっと彼らが揃って高笑いを浴びせる。

 漫画みたいに統一された種の。

 快不快で言えば、間違いなく不快にさせる質だった。

 なにも返さず、

 背筋を伸ばし、

 先を歩く背中を見ていて、


 我慢がならなくなった。


「ちょっと」


 振り向きざま呼び止める。


「なにいまの。女と歩いててどこが悪いの。あなたたちみたいに人が来ても道譲らないよりマシだよ」

「まさ、きさんっ」

 素早く肘を引かれる。

 止める彼の意志が伝わる。

 でも、

 彼らは、止まっていた。

 笑いが収束する。

 静止した時間が再び動き始めるとなんだこいつ、そんな目線が戻ってくる。

 が見た感じすごく真面目そうな彼らは、不良みたく唾を吐いたり舌打ちしたりもせず。

 誰が反応を返すか、なんとなく互いに目を見合すそんな気まずい雰囲気が漂う。


 一人を除いて。


 唯一私から視線を外さなかった人物だった。

 睨むに近かった面持ちを薄笑いに変え、ゆっくりと、進み出る。

 ズックの底がにちにちと響く。その響きを愉しむような余裕をもって。

 角刈りのスポーツマンぽい彼はこの場合ガムでも噛んでれば様になりそうだった。

「……四組の、転校生やったよなぁ」

 尋ねるまでもないことを。全校集会に出席してないのか?

 無視した私の睨みを気にせず彼は鼻を鳴らす。「なーんも知らんのやろこいつんこと」顎で指した。私の後方を。「都倉さん、教えたるわ。そいつはな、友達から女奪って遊んどるよーなやつや」

 掴む、力が、緩んだ。

 私は確かめる。

 彼のことを。

 いつもみたくおどけた反応を密かに期待していた。

 私が自分のそんな期待感を正視したのは、いつもの笑みの消え失せた、

 例えるならば、

 笑い方の知らない人形に似た表情に遭遇したからだった。


 かず、き?


 目を合わさない。

 認めるように伏せている。


「あんたとおんなじ苗字のやつが畑高はたこうにおる。戸倉っつうんや」


 ――ああ、都倉さん。


 足元に視線を落とし、「おれの前の彼女」と彼はひどく自嘲的に笑う。「遠距離の隙突いて手ぇ出しといてぇな。桜井はおれに、奪うのが楽しいっつったんやぞ。嘘やと思うんやったら確かめてみい。奪ったら奪ったで飽きたっつーてポイ捨てや。……お陰で陸部にはおれんようになった。次期部長のおれに喧嘩売ってもうてんさけな」

 幽霊部員だと宮本先生が言っていた里香さんが匂わせていた理由。

 タスクの発言に、……異常なほど怒りを露わにした。


 ――おそらく彼は最初から貴女のことを名前で呼んでいたはずです。


 初対面で真咲さんと呼んだ。

 いま目の前にいる表情の失せた、和貴が。

 裏付けを与えられても私は取り残されている。

 同じように表情が失せていることだろう。

 そんな私に、

「あんたも桜井の餌食にならんようせいぜい気をつけるこったな」

 忠告めいたものを残し、彼は彼の所属する群れに戻り、消えていった。廊下の先を、私たちから見えなくなる先へと。

 

 ――取っ替え引っ替え女と遊ぶようになってもうて。


 ――高校入ってすっぱり手ぇ引いたっぽいし。


 矛盾する混乱する。

 いままで見てきたことのなにを。

 どれを信じれば、いいのか。

 掴まれる感触が失せていた。

 彼の手は下ろされていた。

 俯いて下唇を噛む彼の姿を。

 私は認めたくなかった。


「あーあ。ばれちゃったらしょーがないね」

 沈黙を破る。

 耳を疑う台詞だった。

 場違いに明るい響きを交え、顔を起こすと、

 ――和貴は笑っていた。

 口のかたちも声色もなにも。

 なのに。

 目だけが、違う。

 屈託のなさ、おどけた感じ、からかうテイスト。

 これまで見知ったなにもかもが失われている。

「本当、なんだ……さっきのこと」

「どーしよーもないやつだから関わらないほうがよかったのにね? 水野くんの言った通りで、」

「やめて」

 自らを嘲る人間の調子に気持ちが悪くなる。

「どして」

 理由を訊くのを好きな私はいまみたいな和貴を知らない。

 さっきの彼は――

 五人組でいるとき。

 集団でいられるときこその強がりを表した。はははって大声で笑った。

 なのに。

 彼女のことを話し、私に伝えるとき。

 気づかなかったのだろうか和貴は。


 どんな悲しい瞳をしていたのかを。


 恋を失った人間の、痛みを。

 知らなくっても、想像してみることはできる。

 ましてや。

 自分の行った行為のせいだったとしたら。

 同意を求め私は彼を見つめたつもりだった。

 冷たく、はじけた。

 救いを欲する内心を見透かすような笑みが、

「……聞きたくないの? さっきの話はぜんぶホント。僕はね、水野くんの大切な大切にしてる戸倉さんをね、奪ってそんで一ヶ月も経たないうちに捨てちゃったの」

「なんで。そんなこと」

「退屈しのぎに」

 平然と肩をすくめる仕草を私は、なにかの見間違いであって欲しいと願った。


 知り合って間もないうちに、和貴は私によくしてくれた。

 私の人間を分からない、逆に私が誰も信用していない頃に、うちに来て、夏の夜に連れ出してくれた。

 やってみ? って惑う私に面白いこと、見せてくれた。


「和貴は……」絡みつく震えを振りきり私は断言した。「和貴は、そんなひとじゃないよ」

「ふぅん。真咲さんの言うとこの僕って――」

 どんな人?

 問う手が、

 袖の長い手首が動き、

 白い指先が、

 

 私の頬に添えられていた。


 あたたかいはずのそれは。

 解体される弱者を見据える強者のエゴにも似た、

 いままでに感じたことのない酷薄さを帯びていて、

 背筋に鳥肌を覚えた。

 驚いた私は、息をすることも、身動きすることも、叶わなかった。

 ふぅ、と唇から息を漏らす。

 喉仏が、鳴った。

 冷たい皮膚が頬を沿い、

 輪郭をなぞり、

 馴れた手つきで、顎先を辿る。

 指先に持ち上げられ。

 傾けた顔が、

 整った顔立ちが、

 冷酷さが、近づいてくる。

 目を閉じた、長いまつ毛の行き先に。


 まばたきさえも許されなかった。


 ふ、と息が吹きかかる。

 止めた、至近距離が。

 持ち上がったまぶたが、

 いろが、私の動揺を見据え、


 さきほどの彼らよりも妖艶に、あざ笑う。


「これが僕。キスくらいどうとも思わない」

 

 透明な水晶に影を宿した彼の瞳は。


 私を拒絶していた。


 ずる、ずる、と震え、足が後退る。


 それ以上を確かめることを私の全神経が拒否していた。

 

 幾度も段に突っかかる。

 どうしたのかと知らない生徒の目線を浴び、振り払い駆ける。

 勢い止まらず、

 パソコンルームに駆け込んだ。


 無人の部屋にてひかるディスプレイが一台取り残されている。


 ピンクのくまさんが私に微笑みかけていた。


 惨めな思いで私は消え去った。

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