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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第五章 ホントは心配だったみたい
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(4)

 スコップで掘って掘り返す。土を。掘っても掘っても得られない。私なにを求めて同じこと繰り返す? 飽きちゃったよ。つまんない。遊んでくれる子誰もいないんだもん。小花柄のピンクのワンピース。おしゃれしてこうねってお母さんが買ってくれたばかりの。初めて着るの。やっぱり泥ついちゃった。分かってるんだけどね、やることがないの。

 集まるとみんないつもむつかしい顔してる。

 おばあちゃんとおじいちゃんのおうち。

 私ここで待ってなさいって言われるの。

 縁側からあがっちゃ駄目って。

 でも、暇だもん。

 やることないもん。

 みいちゃんきいちゃんにね、このおうちの脇に連れてかれたの。知らないでしょ。バケツ逆さにしてざざーっと頭っからかけられた。最初ね、遊んでくれてるのかと思った。でも違った。だって私だけだった。バケツ私がひっくり返したんじゃなかったんだよ。靴のなかにも砂入っちゃって悲しかったの。

 おばさんに言ってもね。

 真咲ちゃんが悪いことしたのよ、てゆうから私ね。

 大人しくするの。

 誰にも言わない。

 信じてくれるひとに言わないと、真実はややこしくなる。

 お母さんにもないしょ。

 ……お母さん。

 こないだ泣いてたでしょ。私知ってる。お手洗いから出てきたときうさぎさんの目をしてた。

 お父さんには言わない。お父さんお母さんのこと心配しちゃう。

 大切なことは大切なひとに言わないと。大切さが逃げていく。

 あったかく包んで、守るの。

 わたしいい子にしてる。

 おばあちゃんとおじいちゃんとお父さんとお母さんが、畳のお部屋でね、大切な、おはなししてる。

 お庭から見てるのあんまり好きじゃないんだ。

 怖い顔してるもんみんな。

 怖い話してるもんみんな。

 ――もう一人。

 どうしたら。

 こんなことに。

 責任。

 てなに?

 聞いちゃいけないってみんなの目が言ってるから私、聞かないよ。盗み聞きするの悪い子がすることでしょ。だからね私ね。おばあちゃんが大切にしてる花壇。この一角だけ掘り返していいって言ってくれた。掘って。埋めて。こっそり種蒔いたらどんなことになるかな。春が来てお花咲いておばあちゃん喜んでくれるかな。私、おばあちゃんの喜んでる顔見たい。そうだ、お水汲んでこよう。私も喉渇くもん。みみずさんだっててんとう虫さんだってお花さんになる前のお花さんだってきっとそうだよ。ピンクのじょうろだけで足りるかな。裏手に回ったら蛇口がある。この細い道で私泥かけられるの、大人は見えないでしょ? だからあんまり通りたくない。けどみんな喉乾いてるんだもん。我慢しなきゃ。走れば平気。うん平気。ホース、……抜いたら駄目だよね。シャワーのみず面白くって私遊びたくなる。壁、濡らしちゃ駄目だよって怒られるんだけどね。

 さっき固めてみたの。足でいっぱい踏んづけて。お花さん痛くないよね。我慢してね。ゆるゆるだとあったかくならないの。ここに。お水を。

 ほら。

 見て。

 一人でできたよ。

 ピンクのマーブルのとこにピンクのお花。

 きいろのマーブルのところはひまわりさん。

 シロツメクサで囲ってみた。

 すごいでしょ。

 ねえお母さん。

 ……

 お母さん?

 手で顔隠してる。

 にらめっこ?

 違う泣いてるんだ。

 おじいちゃん。

 なんで。

 なんでそんなに怒ってるの。

 声が、怖いよ。

 顔が、真っ赤だよ。

 お母さんなんか悪いことした?

 だったら私がごめんなさいする。

 お母さんね、私知らないと思ってるだろうけどね、私のことで色んなひとに謝ってるの。

 おばあちゃんにもお父さんにも。

 真咲のことお母さんが守るってゆってくれたの。

 だから私だってお母さんのこと守るの。

「お母さんっ」

 通せんぼしないで。

 お父さん。

 服濡れてる?

 そんなのいいタオルなんかいらない。

 私お母さんのところに行きたい。

 だって。

 泣いてるもん。

 泣いてるときね、お母さんだったら私のこと抱き締めてくれるの。

 私だってそうしたいもん。

 邪魔しないで。

 いやだいやだ。

 お母さんは大丈夫だからって言われても私信じないよ。

 ねえお父さん。


 あなたに抱きついたのはいつが最後だったでしょうか。


 お父さん。

 ふくらはぎが、太くてぶよぶよで、お腹もちょっと出てて、授業参観のときに汗ふきふきして恥ずかしい感じの。見目形のいいお父さんじゃなくっても。

 私にとってたった一人のお父さんだったんだ。


 だから私。

 本当はね。


 離れて暮らすのなんて嫌だったんだ。


 言えなかったの。

 誰にも。


 お母さん私のために泣いてる。

 あんなのもう。

 私見たくなかったから。


「元気でな」


 どうしてそんな風に言えるの。

 言わないで。

 離れないで。

 いやだ私お父さん離したくない。

 苦しくたっていい。

 首が締め付けられる。

 絞られる。

 絞られたっていい。

 これ離したら二度と、会えなくなるよ。


「真咲さん、真咲さんってば」


 揺さぶられる。

 肩を。

 私。

 ――この感じ。


 知ってる。


 はっ、と息をついたときに。

 覗き込む琥珀色の瞳を知る。

 驚きとか、心配とか、に満ちた。

 真っ直ぐ垂れ下がる前髪。同じ色した眉毛。肌、白めの。長い、まつ毛の影の憂い。……ぽつぽつ水玉の穴の開いた、白い低い天井の染み。取り替えの時期の近いまたたく蛍光灯。……不可思議に私の視界は歪んで膜が張っている。

 千千に乱れ、胸が肺が、苦しい。

「どったの真咲さん。夢でも見てた?」

 すこし浮いていた背中が。

 肩を支えられ戻される。

 掴む力に反して。

 穏やかな問いかけだった。

 私が認識するのを認識すると、柔らかい笑みを与える。

「べ、つに……」

 喉が、詰まった。顔を振るとこぼれた。背けて、拭う。

 会いた、かった。

 二度と会えない。

 顔すら出してくれなかった。

 押し潰されそうな重みを抱きながらそっと堪える。精神の整理を試みる。みっともなさとか見られたこと含めて。

 茶髪くんが、ベッドから離れて、外っかわのカーテン向いててくれるのが。

 ありがたかった。

「……いま、何時だか知ってる?」

「う。ううん」ティッシュで鼻を拭う。

「開けてい?」

「……うん」と呼吸を整える。彼が片手をかけて開くカーテンの隙間から見る壁の丸い時計は、

「うそっ」十二時? 「そんなに寝てたの私」

「もーぐっすり」両手をポケットに入れて可笑しげに肩を揺らし、ポロシャツの背中が波打つ。「ばっちり見ちゃった、真咲さんの寝顔。気持ちよさそーにすーすー」

 嘘つき。

 うなされてたのを。

 呼び戻してくれたくせに。

 明るくそらされたらどう返せばいいか、分からない。

「田中先生は?」

「あ、」彼がカーテンを引いた、その開きに滑りこむタイミングで田中先生の姿が入り口に現れた。桜井くんお留守番ありがとーって。赤のヘビ柄のポーチは生理用……ではなくお化粧用みたいだ。田中先生のもち肌、お粉はたいて白くなってる。

「都倉さん。目ぇ覚めたんね。よう寝とったけど具合はどう?」

「平気です」上体を起こす。

 と田中先生は私の額に手を当てる。「熱もないし大丈夫そうやね、赤みもないし……そんでも無理せんと。おうち帰ったっていいんやよ」

 うんうん、と茶髪くんは同意する。「田中ちゃん。僕もそう思う。早退万歳」

 そんな、あっさり。

 ボールかすった程度で。四時間強眠れてみんなよりむしろ元気だよ。

「それと。真咲さんには見舞いが来とるから。んじゃ田中ちゃんお昼買いにいこーっ」

 なんか追い出したい意図を持ってか、戻ってきたばかりであ、ちょっとと戸惑う田中先生の背を押して出ていく。

 入れ違いで現れたのは、


「これ。あんたの荷物」


 小澤茉莉奈だった。


「更衣室に置いとった着替え、こっちが教室の荷物。机んなかのものとりあえずぜんぶ詰めといた」なんか渋い面して片手ずつに持ってる。「これ持ってさっさと帰りぃや」

 意外な行動に目を見張る。

 でも相手が誰であれ、お礼は言うべきだろう。

「あ。ありがとう」

 ベッドから抜けてズックを履く。靴下ぶ厚くて履きにくい。靴べらが欲しい。小澤茉莉奈を待たせてる感じが私を落ち着かせない。私の目は赤くないだろうか?

 Tシャツの裾のしわを伸ばしてると、

「これで借りはチャラやからね」

「……借り?」私が受け取るとどこかきまり悪そうに目線を足元に外し、

「あんた。あたしんこと庇ってんろ。蒔田が投げたボール。……桜井が教えてくれた」

 ……ああ。

「それとな。他にも。あたしがあんたにどういうことをしておったのか……」

 彼女の喋りは、人を操作したがる人間の強い調子を持つ。いまは弱々しく歯切れが悪い。もじもじと指絡ませてる。

 お昼どきってのもあって保健室前の廊下を抜けるひとが増えてきた。購買がこの先にあるから。

 そんな人目を気にせず。

 勢いよく、


「すまんかったっ」


 小澤茉莉奈は頭を下げた。九十度近く。

 寝ぼけた頭では一瞬なんだかわけが分からなかった。

「いっ」下げたままの彼女。髪、逆さ。動かない。「いいよ別に。気にしないで」

 手を振ろうとしたらかばん持っててできない。とにかく顔上げてと言うと、小澤茉莉奈は殊勝にぽつぽつ語り始める。「……あたしな。離婚しとるとこのうちっていい加減やと思うとって。中学んときな。あたしめっさデブで。ごっついじめられとってんよ。いじめとるやつらな、みぃんな山中町住んどる連中でみーんな親離婚しとるんよ。そいつら馬鹿ばっかやし絶対緑高行けんがは分かっとった。そやさけあたしむっちゃ勉強してん。一緒になりたなかったし、必死やったわいね。中学のあたし知っとるやつもおるけど知らんやつもいぃぱいおる。やっと解放されたー思ったんに。あんた見たとき『またか』思うてん」

「またか、って」

「女のきつい田中ってやつにあんためっさ似とる。顔やのうて雰囲気がな。ちっさいんに一人ツンツンすまして気取っとるとこがまるきしかぶっとる。そいつみたくあんた、地味な振りして裏番張っとるんやないかって」

「……謝ってるかけなしてるかどっちなの」

「せやけど桜井は言うんよ。都倉さんはそんなひとやないて」

「……彼が」またも彼。「なんて言ってたの私のこと」

「玄関まで送ったる」

 肩透かしを食らいつつも。

 肩を並べて無人の保健室を出る。

 手のふさがった私に代わって小澤茉莉奈は扉の開け閉めをしてくれた。

 顔を赤くして俯きながらも。

 人間の第一印象ってあてにならない。

 ……コントロールしたいタイプの人間だと思ってた。桜井和貴とは違うかたちで。

 この世のものが全て白か黒かに分けられると思っていて、そのある種の信念に基づいて迷い子は助けてあげる。

 歯向かうものには容赦せず。

 そんな分かりやすい、決断力と正義感の持ち主、というのが彼女への印象だった。

 いまの彼女。

 自分からふっかけて大喧嘩してそのあと生まれて初めて友達に謝る小学生の女の子そのもの、だった。

 繊細。

 壊れやすい。

 男子に強いこと言えて。

 速球ひるまずキャッチできるたくましさを持っていても。

 ……ああ。

 見た目で判断されるのが嫌なくせに。

 ――私こそが見た目で判断しているんだ。

 黙りこくって。

 私の歩く速度に合わせてくれてる。

 関わってみなければ人間なんて分からない。

 話してみなければ本当のところなんて掴めない。

『お父さんおらんくなるってどんな感じ』

 あの言葉だって。

 悪意によるものなのか。

 単に聞いてみたかっただけなのか。関心。好奇心。

 ……あれ。

 

 心配してくれてるだけだったという可能性を見落としてる。


 その方式が私の望むものと違うだけであって。

「……ふ」

 ぐにゃぐにゃ考えてるうちに可笑しくなった。

 だって。もし、そうだったら、私……。

「なーにを一人で笑とるの。きもちわる」

 殊勝さはどこへ。

 いつもの強気に戻っていた。

 可能性の一つ。

「変わらない」胸を張って私は答えてみる。「違うと思えば違いはある。寂しいと感じることもあるけれど」

 それだって、ひとをいじめる動機づけにはならない。

 私だってだ。

 小澤茉莉奈だって。

「変わらない。一緒と思えば一緒だよ」

「あんたがなに言いたいんかさっぱり分からん」

 でも彼女、笑った。

 重かった石を取り除いた、あけっぴろげた笑いだった。

 笑う背後に、中庭。

 の向こうの職員室。

 人影。

 眩しいなかに。

 ――宮本先生。

 こっち見て微笑んでるように見えるのは、目の錯覚?

 止まって、目を凝らす。

 隆盛な緑が焦点をずらさせる。

「ボサっとしとらんとはよ、帰るんか帰らんがか。あたし昼まだなんやからねっ」

 自分から送るって言ったくせに。

 でも、怒ってるの見てほっとした。

 駆け出しながらちらともう一度光の行方を確かめたときには既に、跡形もなく消え去っていた。


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