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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第五章 ホントは心配だったみたい
16/124

(3)

 全員、七時きっかりにグラウンドに集合した。素直で従順なクラスメイトたちに対し、

「……なにやってんの。こんなとこじゃやれないよ。はい更衣室で内履きに履き替えて体育館にしゅーごー」

 午前七時七分。

 言い出した張本人が遅れて現れた。むしろ小動物の丸い目をして驚いてた。


「……なして体育館なが。こんなとこであんたリレーの練習やれっつうが? 走りづらいがいね」

 体育館内はひときわ声が響く。揃って全員が白線の内側に集まってしかもストレッチする辺りは生真面目だと思う。

 お待たせー、と倉庫へなにか取りに行った桜井和貴は戻ると、白いボール二つを手にしていた。

 ……バレーボール?

「んと今日はね、みんなの役に立ちそーな練習をしようと思って」

「はん」小澤茉莉奈が鼻で嘲る。「あんたアホちゃうん。バレーなんかしたって、――」

「バレーじゃない」

 示す。

 白線を。

 そこに一同の注目が集まるのを見て取ると、

「ドッジボールだよ」

 きゅっと口角をあげて微笑んだ。


 七時十四分。

「うわ、ちょ、あぶ」

 な、とすら言えない。舌噛む。なにこれ、あっちのボール避けたら全っ然違うとこからやってくる。戦場だよ。

 頭低くして凌ぐ歩兵。

 ボールが二個のドッジボールなんて初めて。

 ダブルドッジって、


 地獄だ。


「うおりゃああ」

 私の目の前で投げる、金曜に桜井和貴に突っかかってた男子。突っかかってた割りにはやる気満々じゃないか。

 ドッジボールで生き延びる秘訣は、上から三番目程度に勇敢な男子を見っけて盾にしとくこと。

 一二番は目立つ、ゆえに避けるが得策。

 その三番手と俊敏な子にサンドイッチされればある程度は嵐をやり過ごせる。

 この法則は一応はダブルドッジでも適用可能のようだ。

 女の子相手だと多少の手加減が入る、そこは逃さない。きゃ、怖い、くらい私だって言う。本気で怖がってるように見える……のは私の演技力の賜物だ。

「アウト」

 彼いい隠れ蓑だったのに。飛び出して取り損なうって典型的な言動。により防風林がまた一つ減った。

 おっと。

 いつの間に男子ゼロ。

 いやな流れだ。

 女の子ってくっついてキャー逃げるだけで基本弱い。すかさず外野からクロスボール放たれ、たと思ったらまたアウト。どこがどこだか、残像追うので精一杯。ばたばた。細かく運動靴の底が鳴らされ。

 気がつけば二人。

 肩で荒い息するの一人。


「……なんっであんたやの」


 それはこっちの台詞だ。

 小澤茉莉奈。


 咳き込みつつ目で他の味方を探す。敵陣外側、……入り切らないくらいぎゅうぎゅうだ。遠い。

 二対二十。

 降参です。

 諦めたからそれで試合終了でどうでしょう。先生私ドッジがやりたくありません。

 こういうときは花道みたく血気盛んな男子が登場して決めにかかる、はずが、……一同停止ボタンでも押されたごとく動かない。

 コントロールする司令塔が。

 ――居た、

 桜井和貴。

 こっちと敵陣を隔てるボーダーラインぎりぎりに立つ。

 静粛に、と言いたげに。立てた人差し指を鼻から唇に当ててる。片脇にボール抱え。

 少々妖艶に。

 見ている先は。

 対角線上、私の真後ろ。坊主の青い男子がボール持ってる。野球部かな彼誰だっけ。

 ここで同時に放たれれば終了するストーリー。

 何故なら私はボールをキャッチできない。因みに一度も投げてないし触れてもない。

 勝負の決する瞬間を待つのみが。

「……あんたは田辺のほう見とき」

 諦めていないらしい。背中合わせに小澤茉莉奈が立つ。

「桜井。こら、……桜井っ」

 怒ったように呼ばれ返事をしない、なにしてんのかなと思ったら、指一本でくるくるボールを回す、いや回そうとしてた。「うおあぶねっ」とこっちの陣地に転がしかけて慌てて屈む。こら相手んボールなっぞぉなにしとんがや和貴ぃと男子の声が次々あがる。ちょっと笑ってしまう。

「うちら女子だけなんやからあんた手加減しいや」

 屈む動きがぴた、と止まる。

「あたしは構わんけどこのひと。運動神経ゼロや。見とれば分かるやろ。逃げるしか脳があらへん」

 ……なかなかに沸点に触れるお言葉だが事実は事実だ。鼻を鳴らすのも少々余計な演出だが。しかし彼女の言い分に頷ける、何故なら組んだ腕の筋が盛り上がってる。喧嘩するなら腕相撲以外がよさそう。ソフト部だと聞いたがライトかキャッチャーやってそう。後で誰かに確かめよう。

「それは、できない相談だね」すこし間をおいて桜井和貴が身を起こす。「僕はね。勝負ごとで負けるのが嫌いなんだ」

 肩の前に片手でボールを据える、ボーリングで投げる直前のポーズで四方をゆったりと眺め回す。

 誰がどこにいるか頭に入れてる。

 ――彼は。

 戯れる猫だ。淡い瞳の奥でなにか計算を働かせながら、他方積極的に愉しむ。口の端がゆるみ。楽しみを前にして爛々と瞳輝かせてる。

「弱点があれば狙うのは当たり前……あ」目が合う。「誤解のないよう言っておくと、僕一応フェミニストだからね」

 花を開かせるような笑顔。

 あの微笑みに何人の女子がやられたのだろう。

「そんじゃ行くよー」

 唄うような調子で。

 ところがスピーディーに、再戦の火蓋が切られた。


 空を飛ぶ、ボールの高さ。

 ジャンプしても届かない。拾えない。どのみち私には拾えない。

 ワンバウンド。してどこへ、ってさっきのボール持ってた男子の方向へ。

「こらあんたっ」すごい勢いで体操着の背中を引っ張られる。「あんっなチャンスボール取らんてあんたほんにやる気あるんかっ!」

「だ。だって怖いっ怖いんだもんっ」

「たーなべぇー! あんたあたしにかつけたらどーなるかよう覚えときぃっ」

 ……田辺くんは。

 ボール二つ片手ずつに持って、戸惑ったご様子。ちょっと色が白い。

 首かしげる。

 投げた。

 判断、委ねたって感じ。今度は左右に振り分け。

「えーとどっち見たら」

「右っ」

 右。

「違う右右右ぃっ」

 ……あ。

 背中合わせなの忘れててつい。

 逆向いた。

 ら、

 ニカッと茶髪くん笑ってた。

 無邪気な子どものスマイル、

 されど同時に獲物をゲットする勝者の確信。

「ぎゃ」

 私は後退った。

 顔をカバー。

 目までつぶった。

 ばちん、と平手打ちに似た強烈な響き。こないだの祖父のビンタよりもよっぽどすごい。

 静寂。

 恐る恐る開くと。

 逃げずに挑んだ小澤茉莉奈のたくましい背中。

 ……腰低くしてキャッチしてる。足首と足首の隙間からボールが見えてる。

 もう確信した絶対キャッチャーだよ小澤茉莉奈。

「……こんなんが」怒りでわなわなと声震わす小澤茉莉奈。「こんなんがあたしに通用するとでも思っとるんかぁっ!」

 二度言った。振りかぶった。すごい、大リーグの投手みたいに大きく振りかぶって。むしろ私避ける。

 それなのに桜井和貴、笑顔。

 危ない、危ないって。

 のに、

 腕組みほどかず、

 顎をしゃくる。

「Watch your back」

 英語。何故。

 て思ったときに私。

 失念していた。


 もう一個のボールがどこにあるはず?


『後ろにご注意を』

 目が、合った。

 割りと近くで。

 前のめり。

 重心ブレない、

 甲子園の投手のフォーム。

 貴公子らしき、彼が。

 美しく攻撃の矢を放ち終えた瞬間だった。

 撃つ。

 背中。

 誰の。

 決まってるじゃん、

 あぶな。

「いっ」

 ……と思ったときにはもう。

 顔面にすごい衝撃を食らった後だった。


 * * *


「アホか。あんったほんまにどんくさ。顔面ブロックなんか初めて見たわ。バレーでなら分かるたまにある、スピードあっからな。せやけどドッジで普通やらんやろ。百キロも出とらんもん……避けれたやろがいね」

 返す言葉もなく冷たいタオル当てて俯くしか脳がありません。

「小澤さんもほんにきついことゆわんと。都倉さん、気分わるない? ベッドどれでもつこうて休んどっていいから」

「……はい」

 気分は別段悪くはないが。

 羞恥で燃えてしまいそうです。

 手当てをして頂いた丸椅子からベッドに移動する。三つあるうちの窓際に。

 ベッドまでついてきた小澤茉莉奈は、寝そべる私を見下ろし、心底呆れた息をついた。

「……しゃーないから宮本先生にはあたしからゆうとく。寝てな」

 乱暴に布団被せて小澤茉莉奈は消えた。

 ああ。

 ……恥ずかしい。

 顔面にボールを受けた直後。クラスメイトみんなが駆け寄ってきた。大丈夫!? 痛くない!? ほ、ほ、保健室。担架っ。

 ……担架て。

 全然歩けるし。特に女子がものすごく心配そうな目をしていた。なまじっか鼻が痛い程度ってのが情けなかった。深刻なら心配される価値があるんだけど。でも鼻血出てないのが不幸中の幸い。

 これでつー、と垂らしてたら新たな転校生伝説誕生だ。これ以上恥を晒してどうする。

 濡れタオルをどうしようか、置くとサイドテーブルの木目に染みこんじゃうし。ベッドを降りようとしたところを先を読んで田中先生が来てくれた。「も、冷やさんで平気?」

「平気です」

 タオルを受け取り一旦間仕切りカーテンの向こうに消えると、戻って、私の頭の下の枕の位置を整えてくれる。

 首を浮かす。

 顔のすぐ傍を通る白い腕。女の人のお化粧の匂い。

 ……お母さんみたい。

 缶詰の白桃なんか食べたい。学校を休んだら母が必ず部屋まで運んでくれた。熱が出ても私それが楽しみだった。治りきるまでの間、けだるい感覚を持て余しながら、お母さんにいくらでも甘えていられる。糖度の強いシロップと、お休みしてるほんのりとした甘みの組み合わせが私は好きだった。背中にぶ厚いマットレス、この感じも久しぶり。せんべい布団と寝心地が違う。向こうとは違う、消毒液臭い保健室、どこかかび臭さがあっても。

 なんとなく、気持ちがいいのかもしれない。

 ここにいていい、って言われたからかも。

 白い二重カーテン越しに伝わる陽の光。

 顔を傾ける。

 淡い光の方角へと。

 ……あれ。

 変だな。あくび止まんない。まだちょっとひりひりしてるのに。

 そういえば私、

 ――すごく。

 睡眠不足だった。

 最近三四時間しか寝てない。

「眠そな顔しとるねえ」

 顔ほころばす田中先生。ころころしてて観音様みたい。宮本先生とおそろの白衣であっても服装は真逆。甘い蜜を求むミツバチだって選ばなさそうな毒々しいお花の柄のカットソー。どこでそんな色の服を買うのだろう。

「……眠っても、構わないですか」

 肩のとこまで布団をかけてくれる。「どのみち寝るがいね。いくらでも寝とったって先生、構わんのよ」

 一限目なんだったっけ。ノートどうしようか。

 もう、

 ……いいや。思考放棄。

「あり、がとう、ございます」

 考えたくない。

 楽で気持ちいい。

 とろとろとした誘惑に身を任せてみたい。

「眠れ、なくて、本、ばっか読んでます……」

「なにを読んどるん?」

 シャッ、とカーテンを閉める気配。

「河合隼雄の、カウンセリングを考える、です。……私ユング派じゃないんですけど……日本の社会に根ざした心理学を」


「悪かった」

 ――密かに寒かったんだ。

 お布団から出してる手が。

 肘の下から手の甲、空気が表面を刺す。

 動くとまどろみが消えちゃう。

 から動かせなかったの。

 手首を持たれ、

 入れられる。

 被せられる。

 残される。

 皮膚のぬくもり。

 低い響き……お父さんみたいだ。

 でもちょっと感触が違う。

 お父さんの手のひらはもっと皮がぶ厚い。指が太い。手が小さくって私と大きさあんま変わんないの。お父さんのお誕生日に手袋買うときに知った。頭オーデコロンぷんぷんだもん。お母さんとシーツまとめ洗いしてるときね、枕くさーって笑ってたんだ。

 マリンノートをほのかに。

 こんな風につけるなんて知ったら。

 お母さん、お父さんの浮気疑っちゃうよ。

 眠っこい誘惑振り払って私確かめたかったのに、

 ねえお父さん。

 いつも消えちゃう。

 いつも私、気づくのが遅いんだ。

 後悔先に立たずってことわざでいつもお父さんのこと思い出す。

 ねえお父さん。


 たまには私のこと思い出してくれてる?

 

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