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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第五章 ホントは心配だったみたい
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(2)

「真咲ぃーご飯よぉー」

 返事だけは一丁前に。はーい、と答えないと昔かたぎの祖父の機嫌を損ねる。

 気分は鉛の重たさ。枷となり足が進まない。のろのろと階段を降りたところで祖母と鉢合わせする。

「今夜は真咲の好きなハンバーグにしたさけ。これ、運んでってくれんけ」

 デミグラスの好きな味なのに。

 潰れた風船の残骸に似た平らな気持ち。

 祖父はダイニングで新聞を読んでいた。年より若く見える祖父だけれど、分厚い眼鏡をかけ、顔から新聞を遠く離す辺りは相応だと思う。

 テーブルに並ぶ夕飯は、白いご飯、漬物、わかめの味噌汁、鱈の西京焼き、お刺身にハンバーグ。

 メインは変えても基本は魚料理。お刺身は連日だ。

「夜のお客さんおらんさけ久しぶりにみんなでゆっくり食べれるわ」

 エプロンを外した母と祖母が連れ立ってやってきても、喜びめいたものは起こらず。

 いつも夜八時、夕食は独りが常。七時に全員が食卓を囲む貴重な団欒。そこで繰り広げられる会話はなんとなく、入りにくい種のもの。祖父母と母は共通のテーマを持つ。

 お店という。

 お隣の誰それがああとか今度の予約のお客さんがどんなとかうんいいねこの味で作ってみよかとか、……三対一、隔てられたボーダーライン。代名詞のオンパレで話が通じる辺りが。

 家族は三人から四人に増えた。

 なのに、目に見えない透明な膜を感じる。あたたかいはずの家族揃う食卓が。私はそんな悲観的な意識からなるだけ目を背け、お漬物から箸をつけ、咀嚼しテイスティングに集中する。

 たまにご飯一緒したときの父も、こんなだった。目を合わせず黙々と口に運ぶ。いただきますとごちそうさまはちゃんと言う。

 こんな気持ち、……だったのかな。

「そんで学校はどうなん、真咲は」

 間近にする母の笑み。いつもお店の手伝いで忙しくって、働いてて、私が学校通い始めてから顔合わせるくらいになって、久々に見る母は。

 すこし頬に肉がついた。

 はりと、つや。

 化粧薄くなってくまが出来てたって、充実した疲労から得られる、自活する女性に特有の自信めいたものがにじみ出ていて。

 父の一歩後ろに隠れてた頃の心もとなさが消え失せていた。

 父の影も、含めて。


 私は、裏切られた気持ちになった。


「別に」箸を置く。麦茶を喉に流し入れる。

「友達は、できたが?」

 それを飲むと、

 着火したごとく。

 空洞だった腹の底にいらだちが沸き起こる。

 そんな、呑気な響き。

 母は、郷里に戻っただけなのだ。

 羽根広げた安息。

 私にとっては異国の地だというのに。

 どんなところも分からない、僻地に連行されて、せせこましい思いをしていることなど知らずに、やわらかく包みこむ問いかけ。それこそが私の内面を激しく波立たせた。

「できるわけないでしょう」

 コップを叩きつける。瞬時にみんなの目が集まる。

「そんな簡単に馴染めるとでも思ってるの。東京から来た片親のよそ者なんだよ私は。みんなからどう思われてるか知ってる? お父さんがいないのってどんな感じ、ってクラスの子に笑われたんだよ?」

「ま、さき……」

 動揺に揺れる瞳孔、震わせる言葉。

 無理もない。

 私が激情をぶつけるのは初めてのことだ。こと離婚に関し。

「お母さんはいいよね。元々自分が住んでるとこなんだから。気楽に過ごせて。でも私はこんなところ、来たくなかった」

 目をつむり、腕を組む祖父が視界の隅に映る。気遣うよう祖母が席を立つのだって、阻むなにものにもならない。

「こんな……なにもない田舎なんて大っ嫌い。勝手に自分の都合で連れてきたっていうのにお母さんはなんなの。自分だけ楽しそうにしてて。私の気持ちとか考えたこと、ある?」

「いっつも考えとるよ」

 からだこっちに向けて、膝を揃えて座られたって、

「嘘だ」

 憐れむ、気遣うような目で今更そんな、見られたくない。

 同情なんかするくらいなら私、あのままの生活がよかった。

「どうとでも言えるでしょ口だけなら。私のことなんて見てもないくせに」

「本当やって。真咲のためにお母さん」

「気づいてた? 最初っから方言喋ってたの。帰ってくるのお母さんだけこっそり楽しみにしてたんでしょ。お父さんのこと嫌いだったんなら最初っから結婚なんかしなきゃよかったのに。わ、たしなんか……生まれてこないほうがよかったんでしょ。そのほうがお母さんっ」

 そこまでしか言えなかった。

 ばしん、と強烈な音を近くに吹っ飛んだ。

「真咲ぃっ」

 椅子ごと崩れた。奇妙に床をつく、手をつく体勢に。

 母の支えが入る。からだを起こそうとする。

 そんな私を見下ろし、祖父は声を怒りに押し殺す。

「……親を侮辱するんも、大概にしろ」

 頬じゃなくて全てが痛い、軋んで悲鳴をあげた。

「おじいちゃんにはわかんないよ、私の気持ちなんてっ!」

 母を振り払う。どうにか立ち上がって、口のなかの血の味も厭わず。入り口で出くわす祖母の見開いた眼も、追ってくる母の真咲っていう叫びも何もかも無視して。私は。


『逃げてばかりだな』


 一人の世界へと逃げ込んだ。


 * * *


 天候快晴。腹が立つくらいピーカン。

 窓に映る私。

 気分最悪。

 鏡なんか見たくない。口切れてる。

 ガラス越しにもまぶたが腫れてる。ぷよっぷよ。

 ……行きたくない。

 行きたくないよ。

 でも顔洗って歯を磨くのは人間としての務め。

 どんなに強く顔こすったって、腫れなど流れ落とせるものでもなく。

 あの学校ってみんな化粧をしない。厚化粧でもない女の先生が目立っちゃう不思議現象。私だってそんなにしないけど、全員がこぞってノーメイクなのは珍しい。

 全くしないのには抵抗があるので、私は眉尻を描き足す程度に留めている。

 こんなときは、困る。あんまし塗りたくると浮く。しないと悲惨なお岩さん。二者択一のチョイス、間をとってまぶたと口周辺にコンシーラー叩き込み終了。傷口にちょっと染みたのが切ない。マスクでもしようか、……九月なのにな。目許ぱんぱんだからバレバレだし。

 も、いいや。

 まだ七時ちょっとだ。一階に降りて昨日のことはありませんでしたーって朝ごはん食べれるほど私図太くないし。ハンバーグ食べそびれた。三時間目体育だからお昼前絶対ぐーぐーお腹鳴っちゃう。なんか考えるのもやだ。早めに家出てしまおう。でもどこ行く? 屋上で彼と鉢合わせしたら気まずいし、教室も居心地悪いし。図書室は……あ。

 委員会サボった。

 どうしよう。

 ますます行きたくない。

「……あれ?」

 ドアを開いたところでお盆が。

 いつもの、赤と白の市松模様の風呂敷はお弁当。白いお皿の上におにぎりが二個。……よく見れば短冊の手紙がついてる。

『真咲へ。よかったら食べてください。昨日のハンバーグ、美味しくできたからお弁当に入れておきました』

 具は、私の好きなたらことツナマヨ。

 部屋で独り、しょっぱいおにぎりを頂いた。


 視線を集めてるなんて思うのは被害妄想だろうか。監獄。刑が終わるのを待つ囚人……環境が変わって以降、自分とは違う色んな立場の人間のことを想像している。いいことなのか。

 こっち見て秘密の話をする面子のなかに小澤茉莉奈が必ずいる。

 

 ――こんな顔してるからって、なによ。

 誰に迷惑かけてるんじゃないんだから、


『放っておいてくれ、とまた言うのか』


 放っておいて。


 黒髪の彼以上の仏頂面に務める。表情筋を使わないのって存外楽だ。

 仮面を被ってるのに等しい。

 傷つくことから自分を保護するための。


 それでも、いつも以上に見られてる意識は絶えずつきまとい。その意識こそがいつも以上に私を居心地悪くさせていた。放課後が待ち遠しく。ホームルーム終わってさあ帰ろうと思ったときに。

「ぜんいーん、体操着着替えてグラウンドしゅーごーっ」

 無常にも体育委員の声が響く。……ああ、全員リレーの練習があるんだった。もう一度泣きたい。

 喋ってても寝てても色んな子が集って声かけあってスポーツバッグ持って体育館に向かう。

 残暑きつい九月の容赦なき紫外線を浴びるはずだ。日焼け止めは忘れた。

 教室の戸を閉めるのは私が最後だった。


「受け取る時は後ろ見んと手ぇ。手ぇだけだして」

 と懸命に練習するわずかなクラスメイトを尻目に、喋ってる子たちがほとんど。来た意味がない。日陰に入りたい。立ってるだけで砂埃すごいし。

 広いグラウンドの片隅にて。トラックの近く。

 くっちゃべってるグループの群れにもあぶれ。練習組にも入れず。

 時間を、持て余す。こういうのって誰か仕切んないとうまくいかない。小澤さんは……五人組の輪でまたドラマの話だ。今度は『フェイス』の最終回。non-noは愛読誌だからりょうさんのことは知ってた。

 目が、合った。ばちっと、


「……うぜえ」


 や、私ではありません。

 なんかすごくこっち睨んでくる彼女たちに泡を食いながら声の主を振り返る。

「あ」

 驚くと右の眉があがるのは彼の癖なのだろう。

 白眼が、大きく。

 表情崩さないひとが驚きを示した。


 慌てて逸した。


 こんなの。

 こんなひっどい顔してんのあなたと関係ないですからって叫びたい心境だった。

 あんなやり取りごときで泣いたとか誤解、されたくない。そんな弱くない。

 左向けば睨んでる女の子たち、右向けば驚いた彼の残像。どちらを見ることもできずまさに袋小路。前門の虎後門の狼とか言ったかな。

 いたたまれず深緑色のだっさいジャージの膝掴んで俯く。早く過ぎ去れこのとき。


「みぃーんなぁー。ちょっと聞いてぇー」


 見なくたって分かる。やや甲高い声は。

 不規則に集う人間のなかを突っ切る、茶髪くん、

 ――桜井和貴。

 彼が動けば周りが道をあける。

 見かけるたびに。

 祭りの日を思い起こすたびに。

 私は、思う。

 行動原理は支配によるものではない。

『いいから、楽しんじゃえよ?』

 ……あんな風に言う彼が、力を行使して誰かを従えるはずはなく。

 周囲が思わず行う。魅せられてか求めてか、と考えるのが自然だった。彼の、人を動かす力の在り方は。

 陽光を浴び、髪の色存在をかがやかせ、片手を挙げて進む桜井和貴は、キリストのように空気を変えた。

「こんなんじゃーさーちっとも練習になんないよ」止まって半笑い。苦笑いのようなものを浮かべる。私からは彼の表情がよく見える。他のクラスメイトが自然と彼を囲う輪を作るのも。「なにやってもだーめ。火曜日にしよ?」

 伸びをする動き。しなやかな筋肉の質と、からだのやわらかさを感じさせる。

「は。なにゆっとるが、なして火曜なんや。おれ今日部活休みにしてんぞ」

「月曜は祝日。グダグダやってても意味ないじゃん。だからスパッと仕切り直し。三連休でリフレッシュしてさ。ま……ホントはランニングか筋トレして欲しいとこだけど」

「リフレッシュなんかするわけないやろっ」躍り出たのは小澤茉莉奈。「休み中やてみんな部活しとんの。あんたなんかと一緒にせんといて。半端な陸部とは違うげよ」

「だねえ。だよねえ」語感が茶髪くんを攻撃してるにも関わらず、可笑しげな笑いをこぼす。「イラついたとこでなにやってもノんない。だから火曜。朝七時きっかり。このグラウンドに集合。一限目体育だからちょーどいいや。ホームルームなしにしちゃってさあ。みやもっちゃんには僕から言っとく」

「はあ?」別の男子が今度は、「桜井てめなにを勝手に仕切っとるげ。大体お前はっ」

「お前が、――なぁに?」

 響きは穏やか。なのに目の色が一変。可愛らしい猫が凄む豹に変わる様に背筋がぞくりとした。誰も気づいてないのか。

 ふっ、と息を漏らすとまたあどけなさを取り戻す。

 彼独特の、いたずらっぽさのなかに、私は、手のなかの獲物を弄ぶ攻撃性を垣間見た気がした。

 振る舞う笑顔ですらも。

「一人でも欠けたら僕アンカーやんない。田代たしろ、僕のぶんも走ってみる?」

 それは困る、と言われた男子の顔が叫んでた。困る、という意識がたちまち伝染する。きっとこのクラスで一番足が速いんだ彼。

 うそうそ冗談だよ、と笑ってても、夏の日の笑顔とは別種で。気圧されて未だ青ざめてる男子の反応を味わうように茶髪くんは悠然と、「んじゃー素敵な週末をー」と歩き出す。

 アイドルのように手を振りながら。ゆったりと。

 残された人々は立ち尽くす。

 ただ二人。

 なにも言わず逃げ去る私と、茶髪くんの後ろを黙って従う黒髪の彼を除いて。

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