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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第四章 キョーミない
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(3)

 この、小さなガラスのコップが私の器だとして。

 周りから被せられる言葉。

 好奇に満ちた視線。

 こんな人間だろうなという目測。

 それらを受けて縮こまる私自身。

 環境の違いに落胆する、気持ち。

 色んなことが水となって、私のなかを埋めていく。

 片親はまともに育たない。

 誰が、そんなことを言いだしたのだろう。離婚した子どもの犯罪率の高さ?

 私は、犯罪なんてものに興味は惹かれない。心理学という観点では別として。

 けど、大人からは色眼鏡で見られる。

 あのうちの子ども。

 親が離婚したとこの可哀想な子ども。

 気の毒だって、同情目線。


 水は都会の味に比べて美味しいとは言われる。でも味の違いは私の舌では分からない。思えば私が家で飲むのは水か麦茶ばっかりだ。選択肢が少ない。

 一人、居間で喉をうるおす。お客さんがいない日だからたまには。

 空となったグラスを爪で、はじく。

 きぃん、と響いた。

 風鈴に似た透明な響き。

 からっぽに、なってみたい。

 半分だけ、注いでみる。こぽこぽと音を立てて、注がれる。照明、陽の反射を受けてきらきら。傾けてかがやきを確かめる。ビー玉みたい。透明感。

 現実的には、きれい。

 ビジネス本ではよく、水とコップの組み合わせが、ポジティブな例えに用いられる。

 半分だけ入った水を、

 まだこれだけ残ってる、とみなすか。

 これだけしか残ってない、と嘆くか。

 当然前者が推奨される。

 私は、どちらとも思わない。

 満たされて苦しいと思う。

 喉をうるおす。一息に飲んでしまった。なんだかこっちに来てからやたら喉が渇く。どうしてだろう?

 自分のなかの汚濁めいたものをすべて空にして、綺麗なものでいっぱいにしたい。

 透き通ったこころを保ちたい、と願うのに。

 時折、どうしようもない苛立ちに見舞われる。

 真夏の夕立に似た激しさ。

 長く降り続く雨に似た虚しさ。

 行き場がない、この感じ。

 息が詰まる。

 人生で私がどうにかできることは少ない。できないことを見つけてしまった。

 もし、私の許容量がコップだったとすれば。

 超えたらいったい、どうなるのだろう。

 もろもろの気持ちは、どこに消えていくのだろうか。

 新しいなにかで埋まる?

 違うなにかが見えたり、するのだろうか。


 いつか来るだろうと私が想定するよりも早く。

 オーバーフローする瞬間は間もなくしてやってきた。


 * * *


 囲む人数は次第に減ってきている。歓迎だ。動物園のチンパンジーみたいな扱いは勘弁して欲しかったし。

 私、という人間への関心ではなく。

 遠くから来た、ちょっと特殊な家庭の、転校生。違う人種だということが単に、面白いのだ。

 みんなは。

 大人は。

 ……茶髪くんと、黒髪の彼と話すことはなかった。彼らと目が合う機会もなく。人とひとの隙間の向こうにああいる、そんな感じ。

 紗優もいまだ学校で見かけてない。来ているんだろうとは、思う。

 そういえば。

 いろいろとよくしてもらったのに。

 ありがとうの一言も私、言ってない。

 でも。

 お礼言うために近づくのってなんだか、……やましい感じがする。

 楽しい思い出へのおこぼれ、それをまた求めてるみたいで。

 仮に近づくんだったらもっと純粋な思いで接したい。

 興味本位ではなく、純粋な彼らへの好奇心で。


「でねえ、……都倉さん。とくらさぁーん?」

 肩を叩かれた。

「んもう、ちゃんと聞いとるん?」

 聞いてなかった。この子たち含む五人組がいつも輪の中心にいる。私はこちらの彼女の苗字を聞き逃したままだ。

「あのさーずっと聞きたかったんやけど」

 と、小澤さんが顔を寄せる。

 なに? と何気なく返す。

 すると耳のなかに、


「お父さんおらんくなるってどんな感じ」


 頬に、火が走る。

 これは、怒りの種だ。

 自分でも分かった。


 気の毒そうな目線をこちらに向けてくる。

 彼女の親切心とやらが私の導火線にちりりと火を点けた。


「都倉さんて、前の苗字はなんやったん」

木島きじま、だけど」

 机に手を置いていた彼女は、なにごともなかったように姿勢を戻す。

 私の脈は乱れた。

 聞き違い、などではない。

「ふつーの名前やね」

「小澤やてふっつーやんか。どこにでもおる名前やがいね」

「別れる、てどんな感じなんやろ? あたしにはよう分からん」

「彼氏もおらんがにあんたなーにをゆうとるが」

「理解できんよ」と首を振る。思い詰めた表情で、「一度は好きになった相手なんやろ? なして嫌いになるが。そいで離れて暮らすたって」

 一拍置く。と、

「都倉さんがかわいそうや」

「……もしかして、私の家のことを言ってる?」

 自説を繰り広げる彼女を見返す。

 周りの子が戸惑いに目を見合わせる。

 でも彼女は、譲らない。

 私の胃のなかがなにか、膨れ上がる。

「だってな。親が別れた子っちゅうんは大概ぐれるんよ? 寂しゅうなって」

 ――また、それか。

 いつもそうだ。いつも大人はそう言う。

「あたしらの知らん都会から遠くこんな辺鄙な田舎来てんし。寂しい思いしとるやろから仲良くしたれって、」


 お父さん、が。


 この一言が決定打だった。

 

 机を叩き席を立つ。

 あまりの音の大きさに周囲の目が集まる。

 だが構ってなどいられない。


「あなたの独善的な話にもお父さんの話にもキョーミない。放っておいてくれる?」


 瞬時に、彼女の顔が朱に染まる。

 それがどういう種の感情だか分かっている。

 が、興味が湧かない。


 静まり返った教室のなかで、私の出ていく音だけが残された。


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