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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
最終章 イヤリング。
122/124

(3)

「お誕生日、おめでとう、和貴」

 真顔で受け止めたかに見えた和貴が、ぐにゃり、顔を歪め、――

 腹筋を震わせる。

「なんで笑ってるのよ」

「だって真咲さんさぁ、ずぅっと時計ちらっちら見てるからさあ」

「……十二時びったしに言いたかったんだもん」

 拗ねてそっぽを向く。

「こら。こっち、おいで」

 肩をとんとんノックされる。

 振り向けばぷに、と頬に指を食い込ませるのが、かつての、常だったが、


「来なきゃあこっちから行っちゃう」


「う、わ」

 私は顔を覆った。

 掛け布団を捲り、ベッドを立ち上がり、私の左側に、回りこんでくる。

 いくらなんでも、和貴は裸だ。

 ういしょ、と彼は布団に入り、「なんで目ぇ覆ってんの」

「だ、だって」

「恥ずかしい? 真咲さんのからだなら全身くまなく見たってのに」

 引き寄せられ、彼の腕のなか。

 私は両手を外した。

 一旦、お風呂に入ってからだを洗い流した。勿論別々に入ったけれど、それが無意味なほどに、互いを、抱きしめあっている。いまさらながらに、彼の骨格とか、からだのパーツを素肌で感じ、……

 俯こうとした顎先を摘まれた。


「恥ずかしがってる顔、もっと僕に見せて」


 赤面しつつ顔を起こす。

 私の反応を待つ、彼の真顔に、生まれて初めて、自分からキスをした。


 湯気が立つほど顔を赤くしたのは、和貴だった。

 口許を押さえ、俯こうとする彼の顔を下から覗き込む。

 笑って彼の胸板に顔を埋めた。

 あたたかくって広くって私のことを受け入れてくれる。女の子に生まれてよかったと、こころの底から思う。

 愛しい気持ちが止まらず、気がつけば首筋や鎖骨にキスをしていた。

「どうして――真咲は僕を焚きつけるかなあ」

「……そんなつもりは」

「ナチュラルに刺激するくせはやめてもらいたいよ」

 愛おしくて私は額を擦りつけていた。

 その肩を和貴は掴み、――

「だっからそういうのがさあ」

「えっ」

 乾いた笑いで逃れようとしても逃れられるはずがなく。また和貴に触れる心地よさを知った私は、日付が変わっても結局、和貴の肌を貪り続けた。


 ――だるい。

 なにこの倦怠感。重い。腕が、添えられている。

 寝ぼけてどかしてしまった。

 重いまぶたをあげ、時計の位置を探す。……壁掛け時計。あもう荷物に積み込んじゃった。置き時計を見る。

 九と十二のところに針がある。……うちにこんな時計あったっけ。

 素早く顔を起こし、自分の一糸纏わずの状況を確かめ、

 自分の状況を認識した。

 こんな眠りこけたの生まれて初めて。ってほど初めてじゃないけど。で私が緑川を出るのは十時。

 ――現在の時刻は朝の九時!

 慌ててベッドから飛び出た。

 隣で眠る和貴は、起きる気配が無い。安らかな子どもみたいに、寝息を立てている。

 脱ぎ散らかした衣服を纏い、その彼に近づいた。

 その愛しい頬に触れた。彼が私にしてくれたように、滑らかな頬を包み込んだ。

 私を好きだと言ってくれて、

 全身全霊で愛してくれて、


「ありがとう」


 眼球が眠る動きをしている。一晩じゅうずっと起きていて、疲れたのだろう。

 琥珀色の髪を撫で、薔薇色の唇に唇をそっと重ねた。


「バイバイ、和貴」


 せっかくの誕生日の日なのに、一緒に居られない未来を選んで、ごめんね。

 あなたの傍に居られなくって、ごめんね。


 音を立てず彼の部屋を出、玄関先に転がっていた自分のかばんを掴み、正真正銘。最後の桜井家を出た。

 いまならば、柏木慎一郎の元を去った母の気持ちが理解できた。

 好きだからこそ、愛しているからこそ、自分から離れなければならないときがある。

 立ち去るときは静かに、とこころに決めていた。


 ――愛し愛された余韻に浸る、ドラマティックな時間もゆとりもなく。

 帰ったら祖母がおかんむりだった。

「何時やと思っておるん。わたし、車も持っておらんで送っていかれんのさけ、タクシーでも呼ばなと思って、心配したわ。はよ荷物取ってこんかい」

「……はい」

 生まれて初めて祖母が怒るのを目撃した。


 ――こんな広かったけな、この部屋。

 ほとんどの荷物を残さずがらんどうだった。

 来た当初は荷物に埋もれていた。汚かった。自分なりの城にしようと画策し、そうなった。たった一年半のあいだだけれど、私を育て、生活を見守ってくれた、思い出の場所だった。

 たった一個の家具である、勉強机。そこにはもう花瓶は残っていない。母が、ドライフラワーにしようと屋根裏に干してくれた。しおりにでもしたら送ったるわ、と言った。

 ――障子窓を見れば、柏木慎一郎が訪ねた朝を思い出す。

 母は、柏木慎一郎の奥さんと電話で話した。常識的に考えれば、母は許されないことをしでかした、憎むべき相手かもしれないのに、


『明石の御方みたいな人ってほんとにおるんやね』


 ――柏木の子を産んでくださり、ありがとうございます。


 涙ながらに母に礼を言ったそうだ。

 

 ひととしての格が違う。とそう母は漏らした。


 明石の中宮におのれを重ねるのは図々しい気がするから、柏木と女三の宮の子である薫大将にでも自分を重ねようか。性別も美のステータス値も違うけれど、奇遇にも父の名は『柏木』さんだし。

 すると木島の父はさしずめ黒髭の中将といったところか。

 醜男で髭が濃いし。

「真咲、はよせんかっ」

 要らぬ妄想をしていると階下から叫ばれた。――そう、時間がなかったのになにをのんびりしているのか。急いで部屋を出ようとしたが、一旦立ち止まり、

 扉を閉める前に、礼をした。


「一年半のあいだ、ありがとうございました」


「バスんなかで食べたら酔うてしまうかもしらんな。ほんでも空きっ腹で乗るよりかましやろ。おにぎり。食べておきなさい。駅着いたらでも構わんさけ。水筒やと荷物重たなるしペットボトル、買っておいたわ。あとな、酔い止め。忘れんと、飲んでおきなさい。ほれ」

 早口で言う祖母から受け取り、口に含む。

 ミネラルウォーターを返すと、私は肩をすくめた。「なんだか子どもみたいだね」

「子どもっちゅうかうちの大切な孫やわ……」

 祖母の目に涙が浮かんでいることに、私は気づいた。

 しわだらけの手が、私の髪を撫でる。「……ちっさい赤ん坊やと思うとったがに、いつのまにこんな大きなってんろうねえ」

「背が学年で一番低いし、全然伸びる気配ないよ」

「あんったは、もう……」

 抱き寄せられ、私は目を閉じた。「私ね、……この家に来たとき、お母さんを恨んだ。向こうでの生活が恵まれてたのに、なんでこんな田舎に連れてきたのか。だいっきらいだと思った。幼い頃数回訪ねただけの、おじいちゃんおばあちゃんとも住むの、抵抗、あって。……でも」

 顔を起こし祖母の細腕に触れた。

「この手でいつも支えてくれた。こころを開けばみんな、……腕を広げて待ってくれていたのにね。ずっと、気づかなくって、ごめん。

 ……おばあちゃん。離れていても家族であることには変わらないから。短いあいだだったけれど、ありがとう。お世話になりました」

「嫁にでも行くんかいや」祖母が泣き笑いをする。ぼろぼろの泣き方に思わず笑いながら、ペットボトルとおにぎりをボストンバッグに入れ、そのボストンバッグを手に取り、さっきまで下げていたかばんを肩にかける。

「駅まで送ってくわ」祖母が急いだ様子でつっかけを履く。私は笑って振り返り、

「駅まで一人で歩きたい気分なの。おばあちゃんは留守をよろしくね」

 ――まったくこの子はもう。

 呆れ声を聞きつつ、立てつけの悪い扉を開いた。

 そのまま閉じれば簡単に終わるストーリーだった、のだが。


「真咲。――蒔田くんちやのうて泊まったん、桜井さんちやってんろ」


 扉の隙間から顔を覗かせた祖母に反応したのがいけなかった。

 どうしてそれをっ、なんてワイドオープンさせれば誰にでも嘘がバレる。

「やぁっぱりそうながね。……じいさんたちには内緒にしておくわ」

 うっしっし、と笑う祖母にちょっと呆れた。「流石、……長生きするよおばあちゃん。クロレラと養命酒と青汁とローヤルゼリーを愛飲してるだけのことはあるね」

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 扉を私は自分で閉めた。内側から鍵のかかる音をちゃんと聞いた。

 同時に、自分の、和貴への想いに鍵をかけた。


 ――さあ、行こう。


 新しい未来へと私は歩き出した。

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