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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第三十二章 バイバイ、和貴
116/124

(1)

 暖かい日差しがからだを包み込むうららかな日和に恵まれた。


「いらっしゃーい」

 ――意外にも紗優が顔を出した。「来てたんだ。みんなは?」

 それらしき靴が玄関口には見当たらない。

「和貴は買い出し。タスクは夕方かもって。マキやったら……」

「聞かなくても分かるや」

「いまんところ連絡なし」ちょっと不満げに首を傾げる。――彼女もマキの遅刻ぎりぎりの癖を知っている。

「はい」紗優が身をかがめ、靴箱の傍にあるスリッパ立てからスリッパを出してくれた。私は留守番を頼まれていたであろう紗優に礼を言い、

「……遅くなってごめんね。買い出し行くんならみんなで行ったほうがよかったよね」

「なーんも。チャリでぱーっと行ってくるだけやから一人でも全然平気やよ。あいつ、いぃつもじいちゃんと二人きりやし、ひと来ると張り切るんよ。日頃からもーちょっと食事に気ぃつけたらいいと思うんやねけど」

「本当にね。……うちの親に差し入れするよう言っておこうかな」

「毎日のことやもん。本人の意識が変わらなどーしようもないわ」

「これを機に和貴が自炊に目覚めてくれればね。……お邪魔します」


 ――桜井家は、なんにも変わっていなかった。


 王将の将棋駒が靴箱に立てかけられているのも。

 狸の置き物がどっしり構えるのも、お線香を焚いたお家の独特の匂いも。


 しかし、異質の華やかな香りが鼻腔を突く。「紗優、香水変えた?」

「よぉ分かったね。こないだ買った、CHANELのアリュール」

「男変えると香水変えるって言うけど、大丈夫?」


 ――漫画で読んだ受け売りを元ににからかってなぞ見ると、


「宮沢。もう別れたのか」


 別人の声がした。


 見れば、玄関扉を後ろ手に押さえたマキが、立っていた。


 ――入り来るひかりが眩しい。彼の黒い服装が、より濃く見えた。


「――別れてなんかおらんよ。順調そのもの」と紗優はマキに反論する。「香水他に三つ持っておるんやから、気分によって付け替えとるだけ」

「玄関に鍵がかかっていなかった。気をつけろ」

 紗優の言い分を無視して入る。

 ――因みに彼は鍵をきっちりかけた。


 ……会うのが卒業式以来だ。


 扉が閉まると、彼の服装の柄が分かった。黒に見えたシャツは、よく見ると濃紺と黒のチェック。下に、彼には珍しい白のTシャツらしきものを着ている。襟は第三ボタンの辺りまで開いて。下は黒のダメージジーンズ。

 靴を脱ぐために、彼が屈むと、その首元からネックレスが垂れ下がる。シルバーのごついデザインは夏に見たものと同じ。――自分に似合うものをよく分かっている。もっとも……


 マキに似合わないものなど、見つからないが……。


「どうした。なにか、俺の顔にでもついているか」


 顔をあげたマキがこちらを見据えた。――鎖骨のうえに鈍くネックレスが光る。


 まさか、――言えません。


 あなたに見惚れていただなんて。


 ――マキは、脱いだ靴をきちんと揃える。そういうところで育ちが分かる。行動は大胆。言葉遣いは時折粗雑なくせに、変に几帳面なところがある。

 紗優の後ろを歩く彼は、いきなり振り返り、


「――体調も悪くなさそうなのにな。熱は、どうだ」


「あがっ」


 ――いきなり頬に触れられた。


 つめたくてあたたかいマキの皮膚が頬に染みこむ感覚。


 刺激が強すぎる……。


「――具合悪いんなら無理するなよ」そう言いつつも彼は手を離さない。「だだ、大丈夫だからっ」と私が首を振っても。


「大丈夫そうに見えない。顔の赤さが尋常ではない」


 大きく紗優が咳払いをした。

「えぇーっとお二人さん。いちゃつくのも結構ですが、先ずは和貴の両親とおばあちゃんに挨拶しませんか」

「い、いちゃついてなんかないってば。マキが、……」

「そうだな」

 すっと横を通り抜け、和室に入っていく。

 言い訳しようとした私は置き去りにされたかたちだ。

 そんな私に紗優が近寄り、声を潜めた。「――あんたには隙があるんよ。やからマキの強引さにつけこまれる。東京行ったらもっと警戒せんと、駄目やよ」

 突っ立ったままの私を、紗優は母のように諭した。


 ――

「マキって、和貴んち来たことあるんね」

「何回かな」

 ――マキが私に場を譲る。

 確かに、仏壇のある部屋も、お線香やライターの場所も把握していた様子。

 勿論私はいつもよりも手短に挨拶を済ませた。――タスクが夕方に来ると聞いている。蝋燭の火は消しておいて良いだろう。

「これ、なか、入れちゃったほうがいいよね」

 出したままのお供え机を入れるべきか紗優に問いかけたつもりだったが。


「――いい。俺がやる」


 隣に来たマキが、かっさらうように片づけてしまう。

 その素早い動きを見て思う。


 なんだか、――

 マキの優しさに甘えてばかりだと私は駄目人間になっちゃいそうだ。

 

「にしても、十四時集合って早くねえか。なにすんだ」

「マキは遅れたじゃない」

「おまえもだろ」

 ――皆、腰を浮かせ、和室に続く居間に入る。

 私はジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれに掛け、その椅子を引いて座るが、マキはソファを選ぶ。

 ――長い足をもてあます座高の低さだが、彼の足にはおそらく優しい。

「私は、遅れるってちゃんと和貴に電話したんだよ。うち、いまおばあちゃんが一人で留守してるの。ちゃんと鍵かけてとか戸締りのこと言ってたら遅くなっちゃった」

「じーさんとお袋さんは」

「東京。といっても埼玉。さき現地入りして引越しの準備してくれてる」

「ひでえ娘だな。親とお年寄り任せか」

「飛行機が取れなかったんだもん仕方ないじゃない。……本当は私も今日行くつもりだったんだけど、ネットで見たら満席で。明日なら空いてるのに。せっかくだしスカイメイトで行きたいじゃない」

「早割も使えよ」

「マキはどうやって行くの」

「スカイメイト」

「――なにそれ。馬鹿にしてんの」

「土日外さねえと取れねえ。そういうもんだ」

「はいはい」

 ――そのとき、紗優がお茶を運んできた。

 台所に背を向け、マキのほうを向いて話していた私は、紗優がなにをしているのかに気づかなかった。私に、――続いてマキに、お茶を出してくれた。「あ。ありがと」

「真咲やて時間ないなかでこうして都合つけとるんよ。そんな言い方せんでも――だいたい。あんた、真咲が来てほんとは嬉しいんがやろ」

「いいや」

 熱い茶を一口すする。

 彼は私をじっくり見据え、


「東京で、二人で会えるほうが俺はいい」


「げほっ」


 なにも飲んでいないのに私がむせたところで、――どたどたと玄関先が騒がしくなる。次々とスーパーの荷物を置くような音まで聞こえる。


「二時つっても、みんなで喋っておったらあっちゅうまやよ。もーすぐ和貴の料理教室が始まるし……」

 あまり気の進まないことを言うように、紗優が眉間に皺を寄せた。

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