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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第三十一章 時として人と人の心を繋ぐ存在となり得ますから
113/124

(2)

 目的はお店の最奥の縦長のショーケース。


 店内に配置される位置も変わらない。ガラスケースのなかにあるのがブローチとかそのたぐいなのもおんなじ。――なのに、


「……無い」


 ――肝心のものが見当たらない。


「あの」焦って通りがかりの店員さんを呼び止めた。「前に、こちらの棚に、リスのブレスレットを置いていませんでしたか? リスのブローチとかいろんなアイテムを置いていたと思うんですが」

「ああ、……そちらでしたら」

 その店員さんの顔色が曇ったので、――大体の結果が見えてしまった。

「申し訳ございません。お客様の仰られたお品につきましてはお取り置きがございましたが、オープン当初の限定品でして、既に、販売を終了させて頂いております」

「もう、売っていないんですか」

「生産も終了しておりまして。申し訳ございません」

 自分より十以上年上の女性に二度も頭を下げさせては、こちらが申し訳無い。

「いえ。こちらのほうが、変なことを訊きました」と私は頭を下げた。

 すると店員さんの表情が和らぐ。「――お客様にお伝えするのが心苦しくも思うのですが、ご記憶にお留め頂いたことが嬉しくも思います。……実を言いますと私は、実物を見たことがございません。当時は別の店舗に勤務しておりまして、写真で見たのみです。それでも、リスの可愛らしい飾りが印象に残っております。覚えておられるお客様がおられることをうちの職人に伝えたら、きっと、喜ぶに違いありません……」

 ――この店で販売するジュエリーは全て手作りで、ゆえに、ちょっとお高めだったりする。

「私、こちらのお店に、来たんです」私は店員さんに微笑み返す。「一年前、子リスみたいなひとに連れられて……」

 ずっと隣で訝しげな顔をしていた紗優が瞳を輝かせる。


「――それって!」

 

 * * *


「――分かりました。ありがとうございます。……はい。失礼します」

 受話器を置くと、和貴は隣で待つ私に、あったよ、と笑ってみせた。

「――紗優の欲しがってるペンダントトップって『Cross Heart』のだよね」

「うん。シルバーで、月の欠けてる部分に透明な石がついてて、星がくっついてるの。こんな感じで……」

 片手で輪っかを作り、半月の輪に指を入れる動きをする。

 それを見て、和貴が頷く。「――そのデザインは一種類しかないんだってさ。だからたぶん確定。――念のため、帰りに紗優んち寄ってみるよ。雑誌は、紗優に返したんだよね」

「うんついさっき。百六十五頁に載ってるよ。赤い丸がついてるからすぐ分かると思う」

「そこまで分かってるんなら、心強いな……」

 ふっと目を細めて笑う。

 その表情を見て、自分が手のかたちをそのままにしていたことに気づいた。

 慌てて手を引っ込めると、再び、和貴が目を眇めて笑った。


 ――時は、一九九八年三月二十日。


 二年の終業式の帰りに、小澤さんや紗優、タスクたちとカラオケボックスに寄り道した日だ。

 和貴と私は、カラオケそっちのけで公衆電話に向かっていた。――紗優が私に貸した雑誌に載っていたアクセサリーを紗優の誕生日プレゼントとして渡すため、販売元を調べていたのだった。

 番号案内に電話すればお店の番号を教えてくれることなど初めて知った。

 調べさえすればひとまずどうにかなる、と高をくくっていた私は、


「じゃあ真咲さん、明日八時に駅前集合ね」


「――へ、えっ?」

 出し抜けに和貴に言われ驚いた。

 大声を出したつもりが、近くの部屋からのMALICE MIZELEにかき消される。――その歌声は遠くGacktに及ばない。

「畑中にまで行かないと売ってないんだよ。奥能登全滅……」大音量の歌に消されぬよう、和貴は声を張る。「――念のため、デザインが本当に合ってるか確認して貰いたいから、真咲さんに、僕といっしょに来て欲しいんだけど」

 両の手をうえに向けて気軽に。

 隣近所に出かけるみたく和貴は言うけど。


 ――車で三時間も離れた町に行くわけ?


 それも、二人っきりで!


 泡を食う私に比べて、和貴はどうしてだか瞳を曇らせる。「大切なプレゼントだから間違えたくないし、……それにね。……最近、僕は、紗優の部屋なんて入らせて貰えない。僕にとっては大切な幼馴染みなんだけれど、いつからか、僕が異性というだけで距離を置くようになって……。


 それでも、僕は、紗優の喜ぶ顔が見たいんだ」

 からだを反転させ、公衆電話に向かって項垂れる。

「幼馴染みどころか、本当の妹みたく思っているんだ、紗優のことを。だから、っ」言葉を切り、目元を押さえる。「……駄目かな、真咲さん……」


「――駄目じゃないっ!」


 私は彼の肩に手を添えた。


 ――ところが。


「――なら、よかった」


 振り返る和貴。その口許が笑っている。


 ――やられた。


 ――その笑顔があまりに艷やかで色っぽくて、腹が立つくらいだ。


 私はその感情をそのまま口に出した。「――からかったんだね、私のこと……」

「なんのことだか」と和貴はすっとぼけるけれども。

 やられてばかりの私は負けじと言い返す。

「そうやっていつもいつもひとのことをからかって。なにが面白いの」

「ごめんごめん。だって僕、棒読みだったのに真咲さん、間に受けちゃうんだ、だも……」

 みなまで言わずぶくくと彼が噴き出すから、もう二度と和貴の心配するのなんかよそうと思った。


 できなかったけど。

 そして翌朝七時半には駅に到着した。


 そういう性分なのだ。


 ――


「これで、間違いないかな」


 私が頷いたのを確かめたうえで、近くの店員さんに呼びかける。「すいません。こちらのペンダントトップを頂きたいんですけど。……大切な彼女に、プレゼントしたいんです」

 きれいな声のトーンとモデルみたいな微笑の組み合わせに、近くの女性がまともに和貴を見た。――声をかけられた店員も顔が赤い。


 ――周囲の女性たちを魅惑して彼はいったいどうするというのか。


 口の開き方なんて三日月みたく綺麗なアーチを描いている。――本当に笑い方が綺麗だ……。

 呆れと羨望の入り混じった複雑な気持ちで、私は和貴に後を任せ、すこし、店内を見て回ることとした。


 そこで、見つけたのだ。


 控えめに佇むあのブレスレットを。


 それは、ショーケースの上から二段目に置かれていた。

 ちょうど目線の高さだったから先ず目につく。

 ショーケースのガラス張りの無機質な感じが、下に敷かれている、紺色の温かみのあるフェルトで緩和されていると思った。楕円形に広げられているアンティークのシルバーチェーン。――長さからしてブレスレット。手首にゆとりを持った長さで、放射状に秋を感じさせる葉っぱやどんぐりとで飾りつけられ、ハート型の留め具の対角にちょこんと、赤い実を咥えたリスが存在する。

 葉っぱの色は朱や茶や緑で、いろ鮮やか――シルバーチェーンとのいろの対比が見事だった。

 リスさんの咥える赤い実が最も目立つように彩色されている。


「わあ……」


 ――思わず手が伸びていた。ガラスさえなければ本当に触れていたかもしれない。ガラスに付着した指紋を袖口で拭う。――同じ段と下の段にも同じようなリスさんシリーズのアクセサリーが飾られている。ブローチや、ジャケットに留めるだろうピン。ブレスレットとお揃いの、どんぐりをついばむ子リスの小さなペンダントトップなど……


 一連のリスのシリーズにしばらくの間、目を奪われた。


 あまりに魅了され、鼓動さえ加速しているのを感じていた。


 一度、和貴のほうを気にして見てみると、――他の店員さんに愛想笑いなんかしている。……本当に、行く先々で女性を虜にする必要がどこにあるのだろう。なまじっか見目形がいいだけにたちが悪い。


 ここで和貴が、私に気づいた。


 へーき?


 と私が口パクで訊くと、大きく頷き左手でマルを作る。


 ――もうちょっとだけ待ってて。


 と言うのが、聞こえなくても、伝わった。


 またショーケースを戻り見る。

 ――リスに似た和貴を見た直後のせいか、魅力が倍増して見えた――特にあのブレスレットが。手首に巻いたら、鮮やかな葉っぱがしゃらしゃら揺れる――そんな音まで想像してしまった。自分が身につけたときのイメージまでも浮かぶ。――それはそれは可愛いことだろう。


 大好きな和貴と偶発的にこのお店に来て、リスのブレスレットに一目惚れ。


 なんだか、偶然とは思えない運命的なものを感じた。……けれど、私には手の出ない値段だった。

 だったら、もっと手の届くようなブローチとかにすればいいのだけれど、どのみち、お高いことには変わりないし、私の欲しいものはブレスレット以外にない。


 ――恋慕の情に近かった。


「真咲さんお待たせ」

「う、わ」咄嗟に口許を押さえた。――好きなものに見惚れてだらしなく緩んでるに違いなかったから。

「……買えた?」と訊くと、和貴は「買えた」と言って、片手で小箱を持ち上げて見せた。――紺色の包装紙にシルバーのリボンでラッピングされた小箱を。――思うに、こういうお店のラッピングは本当に綺麗だ。ただの紺色の包装紙じゃなくて、うっすらとブランドロゴの入った、高そうな紙を使っている。

 私は、紗優が驚き喜ぶ様子を想像した。「――喜んでくれるといいね、紗優」

「ぜったい喜ぶよ。真咲さんが頑張ってくれたんだからさ」

「あ。そうだ。お金……」

「あとでいいよ」

 ――よくよく考えれば、一万円の高い買い物だ。

 正直に言うと、懐が痛かった。このときは自分の家が極貧だと思っていたし。

「他に、見なくて平気?」

「平気」

 和貴が店内を見回しながら言うけれど、これ以上見てしまったら、心残りが倍加するだけに思えた。

「……大体は坂田に出されるから安心して。お祝いごとってことでひと集めて、そっから出すつもりだから」


 ――顔に出てましたか。


 和貴が小さな声で言うから気にしていたことを悟られていたことが分かった。

 私はそんな気の回る彼を見あげて訊いた。「紗優のお祝いパーティってどこでするの」

「『よしの』だよ。昨日のうちに伝えといた。あいつ、任しとけ! ってゆってた」

「へえ……」

 ――『坂田には近づくな』――あんなことを言っていたが、和貴には、ああいう険しい顔など似合わない。

 いつも――からかったり、笑ったり、おどけるようにしていて欲しい。

 私は余裕の笑みを浮かべたつもりだったが、何故か和貴が慌てて見せる。「だってさ、仕方ないじゃんよ。あの店があいつんちで、それで仕方なく……」

「ふぅーん」

「なんっで真咲さんがにやけんだよ。僕は単に紗優のためを思って……」

「ありがとうございました」

「あ。――ありがとうございました」

 私に続き、和貴が店員さんに挨拶をするけれど――


 出口へと進む足が重たく感じる。


 後ろ髪を引かれるとはこのことだ。


 ――後ろに取り残したショーケースに鎮座するあのブレスレットが目に浮かび、この胸に迫る。


 可愛い、可愛い、子リスさん。


 欲しかったなぁ……。


 ――ため息が出るのをこらえ、重たいガラス戸を押さえて待ってくれている和貴に続き、店を出た。――店を出るなり和貴は、うぅーん、と猫みたいな伸びをした。からだが柔らかさの分かるしなやかな動きだった。

 両手を挙げたガッツポーズのままで彼は首を後ろに捻った。「――なんか、お腹空かない?」

「そうだね」

 十二時を過ぎていたから、確かに空腹を感じた。

「途中にカフェがあったじゃん、そこでご飯にしよっか。それとも別の店がいい?」

「ううん、私のあの店がいいって思ってた」

「じゃ決定」

 ――建物から続く白い大理石の段々を降り、路地に出る。

 てくてくと一本道を歩いて行く。


 ――と、突然、あっ、と和貴が声をあげた。「やっば。プレゼント用に袋貰うの忘れてた。さき、言ってて」

「私も行こうか」

「いいよ真咲さんは。――混んでる時間かもしれないから、悪いんだけど、席取っといてくれる? このまっすぐ行った角にカメラ屋があったでしょ、そこの二軒どなり」

「流石に、……お店の場所は覚えているよ」

 私が頷くと、――彼は、にっこり笑い、走りだした。


 てくてくと歩きながら考える。――確かに和貴は、プレゼントの小箱を裸のままバッグに入れていたけど、……

 袋なんて最初に貰わなかったのかな。


 いくら方向音痴でも一本道なら無事にたどり着く。はずが……角を曲がる際右か左かで迷ってしまった。往復の復路は左右が逆になるから、危ない。――内心焦ったものの、右を向けばすぐカフェの旗が見えたから、安心した。

 カフェはガラス張りで、窓から大体の席が見渡せるつくりだけれど、念のため、ウッドデッキのテラス席を選んだ。――気持ちのいい天気だし、外気を感じながら食べるのもいいかと思った。――思えば、緑川にオープンテラスの店は存在しない。そういうお洒落な店が、本当に皆無なのだ。――『よしの』が私たちのニーズに見合うなかでハイクラスの店だが、残念なことに、テラスが無い。


 そんなことを考えているうちに、息を切らした和貴がやってきた。


 ――あの俊足の和貴が呼吸を乱すくらいなのだから、相当急いで来たのだろう。角をダッシュするのは見たが、まさか、『Cross Heart』を出てからずっと走ってきたのだろうか。

 椅子を後ろ手に引いて座る彼に、私はレモネードを差し出した。「はい、これ。喉、乾いてるかなと思って頼んどいた」

「サンキュ。いまちょーどそういうのが飲みたかった」

 すぐ手に取ると少年みたくごくごく飲み干し、


「ありがと、真咲さん」


「い、いーえ」……笑顔が爽やかすぎて照れてしまう。

 頬が熱くなるのを感じ、私は視線を下げ、アイスミルクティのストローに口をつけた。――目の前の男の子らしい骨ばった手が動く。シャツの胸の辺りを掴んでぱたぱた風を送る動き。――真夏に男子がよくする無造作な動作。


 彼の動きのひとつひとつに、惹きつけられる自分を、私は感じていた。


 続いて、彼は、手を挙げ、手の甲で額の汗を拭う。――その様子を見て、私はポケットからハンカチを差し出した。「……使う?」

「――いいの?」

「二枚持ってるからいいよ」

 私は席を立ち、渡そうと思ったけど――


 私の手が彼に伸びていた。彼のこめかみに、そっと添える。


 彼の、色素の薄い瞳が私を捉える。


 それは、見開いたと思えば、ふっと和らぎ――


「ありがと。真咲さん」


 ――そのまま花ひらくような笑みを浮かべる。――その一瞬が。


 あまりにも美しすぎて、私は息が止まった。


 動きも止まってしまい――不自然に思われるかもしれない。と思いつつ、ゆっくりと、ハンカチをテーブルに置き、元の椅子に座った。――どういうわけだか。


 いつも、私が照れる言動に対して、からかいで返す彼が、


 ――黙って、私のことを見つめていた。


 私は、彼を見つめ返し――ミルクティのストローに口をつけた。――互いになにも言わず。


 それでも、私は、自分の心拍数があがるのを感じていた。


 ――思えばこのとき。


 ちゃんと意識していたら。


 確かに、私はマキに惹かれていた。好きだと自覚した直後だった。けれども、同時に、すこしずつ和貴に惹かれていたのも事実で。


『大好きだったよ』


 部活の合宿の夜、眠る彼にそう告白した。


 でも、口から自然とこぼれ落ちる言葉が、――過去形だった。

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