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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第四章 キョーミない
11/124

(1)

 ずーっとこっちにおるつもりなが。大変やねえ。娘さんおんのやったけ。一人? ほいでまだ、高校生なんやて? 難しい年頃やわねえ……気ぃつけてみとらな。こんなことあんまゆいたくないんがね、離婚したうちの子ってどーしてもぐれたり、非行に走ってまうんやて。親の愛がないて寂しゅうて。うちのやてあんな甲斐性なしやさけ、だいすけが外でほんにどんな子やか分からんもんやわいね、最近なにゆうても無視するがね。ほんにあの子、生意気になってもうて困ったもんやよ。

 ほんで美雪ちゃん、身ぃ固めるつもりないんが? なにゆうとんが、まだまだこれからやがいね。わっかいんやさけ、その気あんねやったらいいひとおらんかわたし、探したるわいね。


 ――まただ。

 気分が悪くなる。


 よこしまな好奇心。人々の下卑た笑い。あけっぴろげた興味の在り方。

 本当に心配する人間が、あんな風に。働いてる母に。他のお客さんの面前で、訊く?

 聞かなければいいのに、小さな窓越しのお店から聞こえる会話の内容によって私は、凍りつく。

 静かに冷蔵庫の戸を閉めて、静かに背を向けて、足音を消して気配を消して、冷たい麦茶のガラスボトルを胸に抱え、居間を、出る。

 ガラス戸は開いたまま、階段だって静かにのぼる。

 音を、立てず。

 息を、殺して。

 心を、潰して。

 部屋に入って扉を閉めると、やっと、肺に酸素が通じる。

 一階の居間に冷茶を取りに行くと決まってあんな会話を耳にする。大人たちが口にする内容は判で押したように同じ。離婚した母への関心、非行に走らないか、娘への懸念。心配を装った勘ぐり。

 さっきみたいに再婚しないのか、あけすけに問いかける大人だっている。

 信じ、られない。


 繭にくるまり私を守る自室に戻ったって、

 窓から射す淡い日射しに暴かれてる感じがする。

 逃れられない。

 隠れようとする自分からは。

 出ようとしない自身からも。

 祖父が、店に私を入れたがらないのが幸いした。私は晒されずに済んでる。

 いまのところ。

 先のことは分からない。こんな風に部屋にこもってばかり、いられない。

 登校拒否なんかして親を困らせるつもりはない。

 けどすこしだけ。

 もうちょっとだけ慣れる時間が、欲しい。

 夏休みが終わるまで残り一週間。この一週間だけは、子どもでいよう。移行するための猶予期間モラトリアムにしよう、と私は決めた。

 勉強机へ、移動する。グラスにお茶を注いで、端に置く。下が濡れるのでコースターを一枚ずつ。南西向きの窓は夕方から日射しが厳しい。遮光カーテンなんて欲しいのは贅沢なんだろう。障子の和紙は新品に張り替えられた。本をズラリ並べて日よけにしている。

 時間を潰せるものがあるのはいいことだ。

 苦手な数学とか化学は避け、好きな分野の本ばかり読みふけっていたいんだけど、本当は。

 白紙に自分の文字を埋めていく。白いエリアが黒に変わる。オセロとパズル。埋まっていくことへの達成感。難しいことに向かう緊張感。入っていく文字と数字の羅列。数列と化して意味ルールを成す。頭の引き出しに情報を整備していく。

 漢文古文を終えて乗ったところで例の数Aの問題集の登場。残り三分の一。九月一日には間に合いそうだ。

 ――彼は、終わったのだろうか。

 シャープペンを握る手が、不意に止まる。

『こんなんで満足しちゃあいけないよ? キミにもっと面白いもん、見したげる』

 午後六時。勉強を始めて三時間が経つ。椅子を立ち、手を上に伸ばし、ストレッチ。連日長時間座っていて関節が固くなってる。

 姿見に自分が映る。

 うーん、と大きく伸びをするあのしなやかさとは、重ならない。

『ここ。ちゃーんとついててあげるから。怖くないよ?』

 障子窓を、そっと開く。

 薄暗い雲がかかった、真夏よりも大人しい、秋への変化を帯びた空。コバルトブルーが強度を増す。空の色は誰のこころよりも素直な色をしている。あのなかに溶け込んで海が実在する。目に見えるものが全てでない。街灯は少ない。駅前とは違ってひと気のない町田の奥の住宅街だって、もっと明るさを提供してくれていた。夜中になると目をつぶってるのが分からない真暗闇は先ず、東京では拝めない全体だ。面白いほどに瓦屋根で統一されていて、緑化運動など今更に不要な緑の豊かさ。うちの二つ前の国道の、肌色のコンクリートの民宿の丸くくり抜かれた窓。あすこから明かりがこぼれる以外はなんだか無人島。流れ着いた先にこんな静けさと闇が、あった。そう、この町は静かなんだ。

 からからと窓を開けてみたって、例えば渋谷みたいな喧騒は訪れない。網戸越しに細かく訪れる微風は湿気を帯びて、ちょっと冷たくなってきた。ほのかに潮の、薫り。

 目を閉じれば、自然と。

 再生してしまう。

 あの夜の、興奮を。

 あれは、一夜限りのまぼろしだったのかとすら思えてくる。

 真夏の夜の夢。

 あざが消えるのが、惜しく思えたくらいだ。

 楽しかった記憶の、証明だったから。

 ……楽しかったんだ。

 私は。

『怖い?』

 世の中は怖いことばっかりだ。

 窓を閉めた。障子を閉めた。

 私はそんなに分かりやすい人間じゃない。

 会いたいな、とか。

 嬉しかったな、とか。

 思わないというならそれは嘘になる。

 紗優とあの二人に会うことはない。私、この町の道筋がどんなだか、記憶してない。

 流されるまま辿るだけだったのに、恋しくなっちゃってる。――矛盾してる。

 寂しくなったとき。みんなは電話で通じてた。でも私誰の連絡先も知らない。

 ポケベルだって持ってない。父が持たせてくれなかった。どのみち打ち合う友達もいないし。

 椅子を引いてゆっくりと、座った。回転させる。足を机の下に滑らせる。足と足を揃える。靴下一枚越しの畳の感触。ノートをめくる、紙と紙との重なる余韻までも響く、静寂のただなか。

 私のいる世界は。

 耳をすませば、車の怒ったクラクション、電車の走るレール、開かずの踏切のかんかんとした響きが届くはずだったのに。

 この違和感は、ヘッドホンで大音量で再生した直後の音のなさに似ている。残響。やがては消えてしまうのだろう。

 冷茶で乾いた喉を満たす。

 意識をまっさらにし、その手触りを確かめる。

 平静と平穏。

 ペン先をノートの余白に押しつけ、一旦引っ込め、数回振る、ドクターグリップ。


 夜がこんな長くて静かだなんて知らなかった。


 朝は基本、食べない派。けどこの町に来て、変わった。

 祖父が朝食をとるのは朝の五時。母と祖母は支度の落ち着いた十時すぎ。私は七時。祖父母と母はお店の状況によって若干前後するけれど、私はそうしなきゃと定義付けられてるみたいだった。

 戦争を知る世代の祖父は残さず食べろと言う。朝からご飯一膳は重たい。ので半分にしてもらってる。祖母が祖父の見ない隙を見計らってよそう。珍しく焼き海苔がついてた。お醤油をつけて食べる。テレビもない、台所でみんなが働いてる空気だけは伝わる。私だけのダイニングテーブル。

 今朝がいつもと違うのは、私がこれから出かけなきゃならないってこと。

「ごちそうさまです」

 置いといていいから、という祖母の言葉に甘えてそのままにして二階に。洗面所とトイレが部屋と同じ階にあるのはありがたい。前の家に比べて唯一のメリット。母もこんな風に過ごしたんだろうか。少女時代を。鏡の前で歯を磨いて、海苔がついてないかとか気にしたり。

 新調した制服に袖を通すのは二度目。試着して以来だ。あの気にいってた制服と比べるとのりがきいてぱりっとしてる。一年半も着てちょっとくたびれてたんだ。そういうのは新しく変えてみないことには気づかない。

 男子のボトムは無地の紺で、女子は小洒落たつもりか紺と深緑のチェックの柄。紺のブレザーは……一応着てったら、と親に言われた。しっかりした印象に見られるから。

 全身鏡のなか。

 頼れるなにかを求めて見たのに、胸を張れない、頼りない自分がいる。

 一式揃えたのに、どこか不揃いで。着慣れない体は、新入生。

 プリーツスカートの丈もうちょっと詰めないとバランス取れない、背の低さ。見た目の幼さ。……なにもできない子どもだって思われるのがいつも、いやだった。同級生のなかでも弱っこいって解釈される。事実からだは弱い。ほっといてもかまわれたり知らないうちに庇われることだってあった。私を嫌うのは大概は強い感じの女子だった。

 本当の私はそんな弱くはない。違わない。弱くなんかないって思いたいのに。

 内面で気が強いくせにアンバランスに幼い外見は、私の劣等コンプレックスだった。

 目の下にくまができている。……あんまりよく、眠れてない。ダイアナ妃の事故のニュースに釘付けだった。布団に入りながらもなかなか寝つけなかった。

 派手なクラッシュ。大破した車の映像が蘇る。

 一人の、彼のことが思い浮かんだ。

 頬を、叩いた。

 しっかり、しろ。

 スタンダードな黒の学生かばんを手に取る。こちらも新品。シールなんて勿論貼っつけてない。もう一度なか確かめて金具閉じて、姿見で後ろ姿に糸くずとかついてないかチェック。いざ。

「行こう」

 玄関でローファー履きつつそれでも出てきたくないなあって願望が潜んでた。引きこもりの後遺症。家を出るのはそうだ、彼がうちに来てくれて以来。

「真咲ぃーあんたおべんと忘れとる。ほら」

 ……ランチバッグに入れてくれたお弁当はどう見てもビッグサイズ。

 母が手作りの弁当こしらえてくれるのって体育祭とかイベントのとき限定だった。こういうところまで田舎仕様になるのか。

 感慨は湧かず、行ってらっしゃい、の響きに背を押されて扉を開く。

 朝の光。

 陽の光が真新しくギラついていて一瞬躊躇したけど、後ろに引かず、光のうずへ飛び込んだ。

 モラトリアムよさらばと胸の内で唱えながら。


「えー東京から来た皆さんの新しい仲間を紹介します。クラスは二年四組、……」

 なにかの罰ゲームだろうか。

 現在私は壇上に立っている。卒業式のときくらいだステージあがるなんて。みんな、見てる。こっちを。

 ――登校初日は職員玄関から入ってと母づてに聞いた。皆さんに紹介するからって。けど皆さんって。

 全校生徒。

 職員室で宮本先生から説明受けてたらいきなりおじさんに連れられてこれだ、このざまだ。全校生徒数一ケタの離島の転校生ならまだ分かる。

 けどこの緑川高等学校、そこまで規模は小さくない。四十人かける四クラスかけるの三学年、先生は入れて五百は固い。人口三万人も行かない町だと聞く、町の人間の六十分の一がこの体育館に集結していると考えたら……とんだ、晒し者だ。

 なにをそんなに話すことがあるのか、中身のないことを学年主任がずっと喋り続けてる。えーとかーあーとか交えて汗ふきふき。みんなダルそう。私もダルい。スラックスってかパンタロンは学校以外ではお見かけしない。おじさんってこういうズボン好きだよね。

「ほんなら都倉さん、み……みなさんにご挨拶を」

「は?」

 うそ。

 なに譲ってんですか学年主任の先生。汗拭きたいのはこっちのほうだよ。え、なに。

「マイクの前へッ」

 わ。

 ハウリングして響いた。手で促されたらこんなの逃げられない。

 とりあえず、……進む。

 テレビとかであがって噛むひとをだっさーとか笑うもんだけど。

 実際。

 二十四どころか一千の瞳の矛先が自分に集中するって感覚。これ、味わった人間じゃないと分っかんないよ。

 なにこれ。

 金縛りにあったみたい。

 けど震えてる。うわ緊張してんだ。

 よりによって、こういうとき聞かないでぷいーっとそっぽ向いてるヤンキー出てくればいいのに長すぎる朝礼に貧血起こす子現れてくれないのか。

 みんな、きちーんと起立してる。髪染めてる子一人も居ない……真面目だ……。

 ……マイク。高すぎる。ずらす。汗に、滑る、落としそうになる。きゅきゅっと止める。

「し、しっかりせいや、都倉っ」

 そんなこと言われても。

 私なにを言えばいいの。

 ステージってさりげに高くって見下ろすと喉の奥が気持ち悪くなるもうなんか眩暈が起きそ、

「と」

 声、出た。よしこのまま、

「ぐらまさきでず」

 噛んだ。

 ……痛い。

 猛烈に痛い。

 舌が。

 おでこが。

 俯いたまま顔起こせない。

 薄目開くと前髪に遭遇。はっ、とみんなが息を殺す気配。た、にんから自分どんなふうに見えてるだろう。想像するのすら恐ろしい。マイクにおでこ突撃……もう自分イタすぎる二重の意味で。

「以後お見知りおきを……」擦りながらようやく言ったのに。

「ぶ」

 ぴくり、肩が動く。

 そっから、大爆笑。

 爆笑のうちをもう誰のなにも見れないでステージから逃れた。もうやだ。

 でも唯一、見逃さなかった。


 黒髪だらけの生徒の中でひときわ明るい髪をした子が、お腹押さえて笑ってた。

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