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碧の青春【改訂版】  作者: 美凪ましろ
第二十九章 努力します
104/124

(1)

「卒業生の皆さんは廊下に出て、整列してください」

 スピーカーから聞こえてくる抑揚のないアナウンスを合図に、各自が席を立つ。

 いつも仕切る宮本先生に代わってクラスの会長と副会長が私たちを促す。これがクラス役員としての最後の仕事になるだろう。

 三月三日の晴れの日に卒業式を迎えた。

 紺のブレザーの胸元を飾り付けるこの芍薬のコサージュが、私たちの旅立ちに花を添える。大量生産のチープな造花であれど、見ていて感傷的な気持ちになった。

 ふわりと花開く瞬間を思わせる彼の笑い方は芍薬に似ている。

 いくら教師に静かにしろと言われてもしたくないのが私たちの性分で。高校にあがっても卒業間際になっても本質的なところはなんら変わらない。ましてや――ゴールが間近で教師がいないと来た。だから、普段の倍以上の喧騒に廊下は満ちていた。

 私はお喋りに加わらずただ一点をじっと見ていた。

 髪のいろを探せばすぐ見つけられる。

 私の斜め前で彼は、いつもどおりに笑っている。

 二月に入ってからほとんど学校に来ず、卒業式の予行演習ですら欠席した。

 聞いたところによると、ちょうどその日は畑中市で行われる葬儀にはるばる出向いていた。末期がんで亡くなられたかたの。紗優は勿論おじいさんもおそらく知らないかただろうと言っていた。

 彼は、老人ホームのボランティアで知り合ったいろんなひとと個人的に交流を持っていて、折を見て老人ホームやそのかたのお宅を訪れていた。

 葬儀の場では、和貴のことだからおそらく――悲しい顔なんて見せず、それと分からぬかたちで気配りをしていたのだと思う。悲しみに沈むひとびとのこころを癒すべく。ときに、笑い話なんかしたりして。

 思えば、和貴が辛そうなのをあんまり見たことがない。

 マラソン大会のあと自ら走り込んでいたときや、こないだの保健室のときくらいのものか。

 物事に動じない鋼の精神の持ち主、と考えるよりも、顔に出さない性分だと思うほうがしっくり来た。坂田くんやマキと比べてみても。

「ちょ。こら。痛いっての」

 甲高い彼の声を私の聴覚は捉えた。子どもみたく後ろから友達の男子に小突かれ振り返りざま唇を尖らせる。彼は、トレードマークのふわふわな髪をばっさりと切った、マキよりも短髪となっていた。前髪が眉毛よりも短く、サイドは勿論のこと、全体に三四センチ程度と思われる。

 なにか、削ぎ落としたかに見える彼からは、うちに秘める悲壮な決意のほどが感じられた。

 唯一、痩せぎすだった体型がやや元に戻った辺りが、私を安心させた。

 大きかったブレザーの袖丈もちょうどだ。卒業を前にしてようやくだ。

 とその袖が、動きを止め、歩く私は追いつくかたちとなる。

「真咲さん」

 私はすぐに顔をあげられなかった。袖から出る骨の感じられる彼の手を見ていたい。そもそも――

「おはよ。髪、切ったんだね、和貴」

 三週間ぶりに見れる、花の開く彼の笑顔をまともに受け止められやしなかったから。

「うん。仕事すんのにちょっと邪魔でさ」

 照れたように頭を掻く癖は変わらず。

 なんとなく、……身長も伸びた気がする。

 見上げているこの胸が痛くなる。

 和貴は手を下ろし、「今日ってなに歌うんだっけ」ブレザーに片手を入れ、私と並んで歩き出す。

「『蛍の光』と、校歌だよ」

「……歌詞覚えてないや。一題目いちだいめならなんとなく分かんだけど」

 歌詞の一番、二番のことをこの地方では一題目、二題目と言う。小澤さんに逆に驚かれ私は記憶した。「口パクでいいんじゃない?」

「真咲さん案外適当だね」

「他人事ですので」

「言うねえ」和貴の口元が笑う。

「知ってる? ――蛍の光って、日本だと卒業式や閉店間際のデパートで流れる曲だけど、外国だと違うんだよ」

「知らない。教えて?」

 きょとんとした目で和貴が私を見てくる。

 好奇心や興味をそのままに映す綺麗な瞳を横目に見、私は答えた。「原曲はAuld Lang Syne オールド・ラング・サインって言うの。日本とは違って、旧友との再会と交流を懐かしむ歌詞なんだ。だから歌詞の通りに、みんなで集まるパーティの最後に歌ったりするし、あとは、大晦日のカウントダウン前にも流れるんだよ」

「……詳しいね」

「ペンパルから聞いたの。……昔ね、イギリスとアメリカの子と文通しててね。二人ともマイケルって言うんだ。アメリカの子のほうは、日本のアニメが大好きでいつか秋葉原に来たいって言ってたなあ」

 言いながら久しぶりに思い返した。

 中学の頃の話だ。

 初めの一二年は熱心にやり取りしてたけど三年目を過ぎた辺りからぽつぽつと途絶え、自然消滅してしまった。

 住所が緑川に移り名前も変わったから、向こうから届いても私の元に届かない。もしかしたら向こうの事情も、私みたく変わっているかもしれないけれど。

「なるほどねえ」

「うん?」

 くい、と下唇を親指で引っ掻くようにする。

 些細な仕草でも彼のそれは目を引く。

「ずっと、謎だったんだ。真咲さんが英語得意な理由。……留学したんでも洋楽聴くんでも洋書読むんでもなしに」

 薄いピンク色の口元を凝視してしまう。

 ほころぶのは、花の開く瞬間に似ている。

 こんなふうにやや得意げな和貴でなくとも、私には、和貴を嫌いになれる瞬間など、見当たらない。

 たとえその瞳が冷たく突き放したいろを浮かべようとも、いずれは、いまのようなあたたかいいろに変わるのだから。

 彼は、私の凝視を受け止め、小さく鼻を鳴らして笑う。

「真咲さん最後のほうずっと一位取ってたでしょう。すごかったよねえ」

「どして。和貴に、模試は関係ないのに」

「だって、そりゃあ」

 息を呑み、その口を手で押さえた。

 慌てたかに見えた彼は、「僕、相沢んとこ行ってくる。またね」手を一度振り前方へ走った。


 ――お、望みどおり、マキのところに行ってくる。……じゃあね。


 あんなことがあったのを気にするのは私だけだ。彼は、気にしていない。数多い友だちとのやり取りのなかのひとつに過ぎない。

 相手のことを想う率が片想いと両想いとでは絶対的に異なる。

 気軽に話しかけられる彼を見て、私は、自分のほうが重たすぎることを、実感した。

 保健室前まで来たところで流石に、やかましいと注意が入った。田中先生の注意はいつも効果的だ。女性教師に特有のヒステリックな言い方をせず声が男の人みたく低いから。私たちがこれから入るべき体育館は目と鼻の先なのだが、時間調整のためだろう、足止めを食らった。いつもこの三年生が主に過ごす校舎の出入口と体育館とは緑色のマットが敷かれているだけなのだが、今日はレッドカーペットが花道を彩る。この出入口から近い順で四組から順に動くほうが効率的だと思うが、一組から順に入るのはとにかく決まりごとらしい。どこの学校でも。したがって、出入口から最も遠い私たち一組が保健室前に並び、後ろに二組、……と続くが四組はいまごろ教室を出て最後尾に並ぶ様子。それでも二組の面子と喋りながらで緊張感など見られない。

 前方に目を戻せば、列の先頭にて。紗優の手が坂田くんの頭をヒットする場面を目撃する。

 二人は、――恋人同士だ。

 私が東京に行って住居を決めた翌々日に、紗優が恋の成就を明かした。

 彼女が彼への想いを私に打ち明けた日に彼女は告白し、無論、彼は受け入れた。

 のだけれど、――

「あのアホ。あたしが告白して、なんてゆうたと思う」

「さあ?」この話の振り方は相手が明かしたい意志の表れだからとぼけた。

「『待っとったえ』……やって。あいっつ。ひとが勇気振り絞っとるんにへらっへら笑ってな、『宮沢さんがそーゆーてくれる日を首なごうして待っとってんぞ。さ。さ。オレの胸に飛び込んでおいで!』……て。ったく」

「それで紗優は飛び込んだの」

「せんわ。むかついたから、はたいといた。グーで思いっきし」

 ああ、やっぱり。

 関西人ぽいくせに突っ込まれ役なのよね坂田くんて。

 だがそれ以降紗優がどんなに坂田くんのことをあのアホ呼ばわりしようが、……想いを遂げられた者だけが見せられる表情をしていた。

 嬉しいって気持ちなんて、隠しようがない。弾むボールのように。

 私は、嬉しかった。

 以降、彼らの言動に目立った変化は見られず、彼が彼女をからかい、彼女が彼をはたく構図は変わらず。

 でも、こちらの先入観が関係してか、

 仲裁や介入すべき危なっかしさが消え、

 夫婦漫才でも見てる安心感がただよう。

 ちょ。待ていや。いーたいって。

 ……などと坂田くんが頭を押さえてようが。なにしでかしたんだろ坂田くん。

 紗優が恋の成就を伝えきたその日に、もう一つ、私は幸せな報告を受けた。


「合格した」


 彼の言い方はいつも簡潔で明瞭だ。

「そうなんだ。おめでとう」

「ああ」

「ちっとも嬉しそうじゃないね」

「そんなことは無い。非常に、嬉しい」

「私ね、住むとこ決まったの。一昨日、母と上京して、決めてきた」

「どこに住むんだ」

わらび

「……そうか。俺も決めねえとな」

「合格したら急に忙しくなるよね。……どのへんに住むか、検討つけてる?」

「兄貴が川口だから、近距離にするつもりだ」

「あ。うちと近いじゃん」

「まあやつらが引っ越す可能性も高いんだがな。……兄貴が借りてる部屋は、とてもじゃないが二人では住めない」

「ああ、ねえ、……いい不動産屋さん知ってるよ。紹介しようか?」


 私がからかい口調で言ったのだが、彼の返答はそれを上回るものだった。


「おまえが薦めるものならなんだって俺は乗る」


 ……冗談だ。そう間に受けるな。


 とフォローまで付け加えて。


 赤い絨毯を踏む心境はそんなものに染まってしまった。

 私は、式のたぐいで滅多に涙しない。小学校も中学の卒業式も、高校でクラスのみんなに色紙と花束を渡された場面でも、……父とお別れしたときも泣かなかった。

 そういう、女の子が泣くのが風物詩で、なくてはならぬエッセンスの場面でちゃんと泣ける女の子は、役割を果たしていると思うし、自然にできる辺りが羨ましく思う。

 なので面の皮の厚いまま式次第を終了するつもりが、

 最後の最後。

 大したセンスのない、愛着も沸かない、数えるほどしか歌ったことのない、でも二回程度でどうにか覚えた緑川高等学校の校歌。

『清く正しく』なんてフレーズに、思い出の数々がこみ上げ、不覚にも。

 卒業生の女の子らしい声で歌ってしまった。

 最後の最後で。

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