第4話 ブラック化前史④ 選手権2回戦
わがM県における選手権予選は、毎年50校近くが参加し、本大会同様、トーナメント戦で優勝チームを決める。
鏡合わせになった2つのトーナメントの山を、中心に向けて勝ち上がっていき、それぞれの山を勝ち抜いた2チームが、決勝戦に臨む。
トーナメントの四隅のシードを飾るのは、インターハイの優勝・準優勝校と、1部リーグの上位校だ。
残りは抽選で組み合わせが決まり、1回戦を勝つとベスト32、2回戦を勝つとベスト16という具合にトーナメントは進む。
くじ引きの結果、白鷺高校の名前は、トーナメントの左上に位置する大きなシードの脇の、小さな山に入った。つまり、1回戦を勝つと第1シードの高校、すなわちインターハイ予選のチャンピオン校である師厳館高校と当たる組み合わせだった。
菅生高原で他県の強豪校のBチームと試合をした際、彼らのフィジカルの強さを痛感した白鷺高校は、選手権で当たり負けしない攻めを実現するために、夏の終わりごろからから二つの工夫をしていた。
1つ目は、筋力トレーニング。器具を使った本格的なトレーニングを定期的にメニューに組み込んだ。
2つ目は、体幹の強化。ぐらつかない体を作るために、アップ段階で5種類の体幹メニューを取り入れ、体幹持久力を測定して、少しずつだが向上を実感していた。
この体幹トレーニングに関しては、もう一つ、独自の取り組みを行った。
相撲だ。
長良先生とキャプテンが相談し、最も足腰の強い選手を見定めるために相撲大会を2度、行った。
選手からは異論も出たが、長良先生が生徒会から廃棄予定の綱引きの綱をもらってきて土俵を自作し、キャプテンが皆にそれを見せながら説得した。
長良先生は安全に取り組みを行うため、オフの日に名門の相撲部を持つ佐十商業高校まで赴いて、相撲部監督から安全で公平な運営のためのレクチャーを受けた。
その熱意に感心したのか、佐十商業相撲部監督は、土曜日に行われた第2回白鷺高校サッカー部相撲大会にかけつけてくれて、行事までしてくれた。
1回目は放課後の進路行事と重なって参加できなかった生徒や、インフルエンザで休んでいた生徒もいたため、改めて土曜日を使って、2度目の相撲大会が行われたのだ。
相撲が思いのほか楽しく、選手たちに好評だったということもある。
二度ともにナンバーワンになった2年生は、それまでボランチの3番手だった選手だった。
聞けば、お父さんが相撲の巡業稽古を見に行くほどの好角家で、小学生の頃から3兄弟に遊びの相撲をさせたり、四股を踏ませたりといったことはしていたそうだ。
相撲少年団も見学に行ったことがあるらしい。
しかし、1番上のお兄さんが陸上競技、2番目のお兄さんがバスケットボール、3番目の彼がサッカーと、相撲とも格闘技とも関係のないスポーツに行ってしまい、内心さみしく思っていたそうである。
そこへ、三男からサッカー部で相撲大会が開かれると聞いたお父さんは、俄然、張り切った。
当日までの2週間、お父さんの指導で毎日、四股を踏み、てっぽうを打ち、股割りまでできるようにしたそうだ。
股割りというのは、両脚をほぼ180度に開脚して座るという相撲の文化の一つであり、簡単に言えばハードな柔軟体操ということになる。
相撲部屋では入門者に対して、ケガ予防等の観点から稽古初日に股割りをさせる伝統があるそうだが、大抵は一人ではできないので、兄弟子たちが何人ものしかかって、無理矢理に開脚を手伝うという。あまりの激痛に涙を流し、絶叫することも珍しくはないらしい。
彼の家では、風呂上がりのリビングでお父さんと2人のお兄さんがのしかかって股割りを手伝ったそうだが、すごい声と物音がするので、お母さんが心配して見に来たほどだった。家族の皆さんは、三男の涙を数年ぶりに見たという。
股割りまでしたのはすごいが、実は以前から彼は、体幹が強く倒れない選手ではあった。
本人も内心、そのことを誇りにしていたし、そもそも彼がボランチをやっていたのも、少年団の監督が彼の当たりの強さに注目してポジションを勧めたのがきっかけだった。
少年団のころは、突っ込んでくる相手にぶちかましていれば十分に貢献できたし、たくさん褒めてももらえた。ヘディングも上手だったので、競り合いに強く、地域のトレセンにも選出されたことがあった。
だが、高校サッカーになると、ボランチにはたくさんの役割が求められる。
彼は、ヘッドアップして状況を広く捉え、効果的なパスを出すのが苦手だった。
まさにそれこそが、彼をして3番手の控えたらしめている原因だったのだ。
そんな彼をFWに据えて攻めさせると、見違えるほど、チームの攻めにタフさが備わった。
部内相撲大会優勝→FWコンバートという流れに気をよくしたのか、彼は毎日、居残ってダッシュとドリブルの自主練習をするようになった。
オフの日に、何度も陸上部に顔を出して指導を受けたりもしたらしい。
そして、相手のタックルやスライディングにも滅多に倒れず、縦のドリブルで活路を切り開く強さを持った選手として成長しはじめた。
選手権1回戦の相手は五区高校・協帯高校からなる合同チームだった。
合同チームというのは、単独で試合の人数を集められなかったチーム同士がくっついて、出場資格を満たしたチームのことだ。
ちなみに、サッカーは両チームそれぞれ最低7人いれば、試合が成立する。
こういう合同チームは、派手に強いということは滅多にないが、人数が揃っていなくてもサッカーをがんばりたいという強い意志を持った生徒がきちんと在籍している。
加えて、1人か2人は、高い能力を持った選手がいることが多い。
この時も、五区高校のトップ下は中学時に県トレセンに参加していた選手だった。
一方で、なんとか人数合わせをしようと駆り出されたような選手がいがちなのも、合同チームあるあるだ。
五区・協帯合同チームも、明らかに素人と分かる選手が混じっていた上、当日欠席があったとかで11人より1人少ない10人でのチーム構成だった。
3部リーグを4連勝して勢いに乗っていた白鷺高校の相手ではなく、この試合、白鷺は6-1で快勝した。
そして、1週間後の2回戦。
チャンピオン校である師厳館高校との対戦の日を迎えた。
10月下旬の、爽やかな秋晴れの日だった。
会場は、海蔵市にあるGQエレクトロニクス運動公園競技場。
数年前にできたグラウンドで、人工芝の緑色が鮮やかに新しかった。
その第一試合。
キックオフは9:00。
菅生高原での練習試合で、試合前のアップを怠ると序盤に失点してしまうことを学んでいたため、白鷺イレブンはこの日も7時に集合し、入念なアップをして臨んだ。
戦術的には、1トップに相撲の彼を、左右のMFに持久力のある選手を据え、体力が続く限り相手DFおよびキーパーにプレッシャーをかける愚直な戦術で挑んだ。
試合開始とともに、相撲の彼がセンターサークルからドリブルで縦に20mほどを突破した。
相手はチャンピオンチームで、その緒戦、無名の白鷺高校を相手に、どこか油断があったのは間違いない。
師厳館のスタメンは1軍選手7人、準レギュラー3人、2軍から上げたばかりの選手1人という構成だった。
こういうのを普通、1.5軍という。目標は全国大会でどれだけ勝つかなのだから、県予選は決勝戦までを見据えて、疲労やけがのリスクを考慮したり、手の内を隠すことを考えたりしながらマネジメントしていくのだ。
少し意表を突かれたような形で、師厳館MFの一人が強めに削りに行った。
そのプレッシャーの圧は王者さながらで、相撲FWは恐怖を感じる程だったが、腕を使って相手の体をさばき、倒れずにボールを前に転がして、縦の突破を続けた。
続けてもう一人ボランチの選手が、さっきのMFの選手とサンドする形で、明らかにファウルと分かる、イエローまでありそうな削りを食らわしてきたが、少しよろけながらも振り切ってバイタルエリアに突入した。
師厳館のようなチャンピオン校だと、相手がこの手のヤケクソじみた先制攻撃を仕掛けてくることは割にあることだった。
が、今回の突破にふざけ感やチャラチャラしたところはなく、こんなに真摯に真剣に、ある意味では礼儀正しく誠実にこれをやってこられるのは、少なくともその世代にとっては初めてのことだった。
前を抜かれて、師厳館の守りは一瞬、後手に回った。
一方、白鷺は左右のMFとトップ下が波状的に攻め上がっていた。
正確にボールを狙ってきた相手CBと競り合いになって、ルーズボールとなったところ、白鷺のトップ下で、国際特進の覚悟を決めた優等生が勢いよく拾い、力みのない良いフォームで左足を振り抜いて、浮き球を右サイドへポーンと送った。トップスピードて駆け上がっていたのは、右MFのサッカー小僧(3年)だった。胸でのトラップが、やや大きくなってしまったが、相手ボランチと徒競走のごとく競り合いながら、右のペナルティライン際、ゴールからの角度、約40度の地点で無理に体を捻るようにして、シュートともセンタリングともつかないグラウンダーの速いボールをゴール方向に送った。
ボールは、地を滑るように薄くバウンドする一直線の弾道で相手DFの間を抜け、向かって左のゴールポストに当たるか、逸れるかという軌道だったが、逆サイドから詰めていた白鷺普通科3年の左MFが、やや無理のあるタイミング、無理な歩幅ながら、飛びつくGKの右手より一瞬早く、ポストへの激突を避けながら左のアウトサイドのつま先で捕え、際どく押し込んだ。ゴールの上のネットに突き刺さる鮮やかな先制弾。彼は右回りによろけながら一回転し、ゴールの真後ろからゴールインを確認すると、両手を広げながらベンチへと全力疾走した。仲間と抱き合って団子状態になる。
開始20秒のゴールだった。
師厳館の選手はあっけにとられていた。
あの師厳館から、1点を先制。
白鷺の選手たちは口々に快哉を上げ、感動と興奮で涙ぐんでいる選手もいた。
が、ピッチの選手たちが、浮かれることはなかった。
目指すべきは勝利。
そのことをよく分かっていた。




