第3話 ブラック化前史③ はじめての選手権
高校サッカーの大会は、主に三つの盛り上がりを持っている。
1つ目は、5月から始まる高校総体、通称インターハイだ。
その予選は、わがM県においては県総体とか、インハイ予選とか呼ばれ、優勝校は全国大会に出場することになる。全国大会の結果は、一回戦からキー局のサッカー番組やテレビニュースで取り上げられるし、決勝は生放送される。
2つ目は10月から始まる高校選手権大会で、これも全国大会に繋がり、その決勝は国立競技場で行われる。全国大会は年末年始を挟んで行われるため、冬の風物詩とも呼ばれ、テレビ中継も多く、注目度も高い。
3つ目は、県総体を挟んで春先から年末にかけて行われる「リーグ戦」だ。負けたら終わりのトーナメント戦とは異なり、一定期間を通じて総当たり戦を行う。この「リーグ戦」は、全国規模のピラミッド組織を作っている。ピラミッドの頂点に君臨するのが、「高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ」で、プロの下部組織や高校の部活動を含め、全国に3900ある18歳以下の登録チームから、たった24の選ばれしチームが参加できる栄光のリーグだ。その下には、関東ブロックや、東北ブロックといった、ブロックごとのリーグがあり、これを「プリンスリーグ」と呼ぶ。ここに行くだけでも相当にすごい。さらにその下には、各都道府県リーグがある。その各都道府県もやはり、内部でピラミッドを構成していて、わがM県におけるトップの1部リーグには、県内の強豪校10チームがひしめいている。その下に、2部リーグがこれも10チームで構成されている。その下に3部リーグがあり、3部A、3部Bの二つのリーグが各12チームで並立している。その下の4部リーグは、最底辺のリーグだ。数が多ければ4部A、4部B、4部C……と並立していくし、数が少なければ一つのリーグにまとめられる。ちなみに、当時の白鷺高校は、下から2番目の3部リーグに所属していた。
以上のことから、M県の高校サッカーにおける選手の引退の節目というのは、3つに分類される。
まず最初に訪れる節目が、5月の県総体。
進学校のサッカー部員の多くは、ここで引退して大学受験のための勉強に入る。
次なる引退の節目は、チームの強さによる。なぜかといえば、さっき説明した「リーグ戦」は、1部、2部が12月まで試合を消化し続けるのに対し、3部や4部は9月に終わってしまうからだ。
当然、上のリーグにいる方が名誉だし、強さの証明にもなる。上のリーグに行けば行くほど、サッカーに本気で取り組み、すごい実力を持つ強豪と対戦できるのだ。
どうすれば上のリーグに上がれるのかといえば、そのリーグで上位に入るしかない。逆に、再開になってしまうと下のリーグに落ちてしまう。また、昇格・残留を争って入れ替え戦が行われることもある。
このシステムがあるため、特に3年生は「後輩に上のリーグへの昇格をプレゼントして終わりたい」「降格の屈辱だけは絶対に避けたい」といった熱い思いで戦うことになる。
そして3つ目の引退の節目が選手権予選だ。
言わずと知れた高校サッカーの花形大会であり、3年間の集大成であり、サッカー推薦での大学進学や、プロを目指す選手は、選手権の全国大会で結果を残すことが高校での最終目標となる。
上記の3つのどれを公式な引退とするかは、各チームによって異なるし、いわゆる「選手権までがんばる」か否かは、各個人に委ねられている。
わが白鷺高校は特色のある複数の科を持つため、科によって大まかな進路が異なっていて、各クラブにおける引退時期もまちまちになっている。
1組の理数特進(通称りしん)、4組の国際特進(通称こくしん)は、5月にインターハイを終えると、受験のため例外なく引退する。逆に引退しないと常識を疑われたりもする。ごくたまに、推薦で早く大学が決まった3年生が復帰したり、教育学部体育学科への推薦を目指す3年生は監督と相談して週3なんかで顔を出したりもする。
2・3組の理数、5・6組の国際の生徒は一応、全員が共通テストを受けるが、国立2次まで行く生徒は少数派で、多くがAOや推薦で私大や専門学校への進学を決める。ここに所属する部活愛あふれる選手は、県総体が終わっても次の節目に向けて練習に参加することが、ままある。
7~10組の普通科は、6割が進学、4割が就職といったところだ。進路活動と部活との両立が最もしやすそうに思われる普通科の生徒だが、なぜか5月の県総体が終わると、さっさと引退してしまって、卒業式の日まで部活には顔も出さないケースが圧倒的に多いという。
普通科では進学を目指すにしても、共通テストを受ける生徒はごく稀で、なおかつ相当の努力家に限られる。それ以外は、指定校推薦やAOでさっさと合格を決めて遊びにうつつを抜かすのがデフォルトになっている。
普通科で就職する生徒は、夏前から企業選びが始まり、9月に就職試験を受け、合格ならすぐに内定の連絡が来る。試験のプレッシャーが大きいからか、内定後は遊びや自動車運転免許の取得やらにシフトする生徒が多いようだ。
長良先生がサッカー部の主顧問となったのは夏前だったから、加入時点で既にビッグイベントの一つである県総体は終了していた。
部はガタガタの状態だったから、その時に残っていた3年生はわずか1人だった。
しかし、長良先生のもとでチームが息を吹き返すと、5人の3年生が戻ってきて、合計6人となった。
県総体が不完全燃焼のうちに終わってしまったのが心残りで、たとえ勝てなくても、やりきったという充足感とともに区切りをつけたいという思いが燻っていたのだろう。
戻ってきた3年生のうちの1人は国際特進の生徒で、5月に引退しないなんて、ありえないことだった。
彼は成績優秀だったこともあり、担任および学年主任から再三にわたって引退するよう、説得とも勧告とも脅迫とも言えるようなプレッシャーを受けたが、両立を固く誓って逆に論破し、浪人覚悟で選手権までの現役続行を決めた。
白鷺高校サッカー部は、彼ら続行組の3年生6人、新しい代である2年生10人と、1年生9人を合わせた総勢25人で夏を迎えることになった。
夏休み中は長良先生にとって、サッカーというスポーツに対しての理解が深まっていった時期だが、この「必ず毎日、最初から最後までグラウンドに顔を出し続けてくれる素人監督」兼「準備・後片付けも手伝ってくれて自主練も最後まで見てくれる(というか、ただ見ている)珍しい大人」のもと、チームは活性化し、練習内容も進化していった。
前任監督が例年申し込んでいた菅生高原での夏合宿プランに参加したり、長良先生がおっかなびっくりでマッチングした練習試合をこなす中で、彼らの勝負強さは育つことになった。
驚くことに、素人監督の率いるチームは、夏の終わりから3部リーグのラスト4試合を4連勝して選手権予選に突入していった。




