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第1話 偽りの少女、起動

「――だから、この仕様はどうにかならないのかと言っている!」


放課後の静寂に包まれた旧視聴覚室。俺、海堂院律己(かいどういんりつき)の焦燥に満ちた声が、埃っぽい空気を震わせた。


目の前に立つのは、銀灰色のショートウルフを揺らし、ARグラスの奥から氷のような視線をこちらに向ける少女――桂坂深琴かつらざかみこと。この超先進技術学園「私立・鳳翼女学院」において、生徒でありながら特別技術顧問という特異な立場を持つ天才だ。


そして、俺の唯一の協力者でもある。


「問題ない。理論上、身体再構築プロセスにおける初期形状の保持は、対象の心理的安定に寄与する。要するに、君が男だと強く意識している限り、その“こんもり”は正常な初期値だ」

「正常な初期値があるか! これを女子校で、しかも下着一枚の状態で笑いものにされる身にもなってみろ!」


俺が指さす先、それは自分自身の股間だ。

今の俺は、制服のスラックスを脱ぎ、ワイシャツ一枚という格好。そして下半身には、場違いにもほどがある、一枚のショーツだけを身につけている。


それも、ただのショーツではない。

深琴が開発した、次世代のジェンダーシフト・デバイス《アルテミス》。それが、このレースの縁取りがついたショーツの正体だ。


「……フッ」

「おい、いま鼻で笑ったな?」

「データ上の揺らぎを観測しただけだ。君の羞恥指数が閾値を越えたらしい」


深琴は表情一つ変えず、手元の半透明なコンソールをタップする。そこに表示されているであろう俺のバイタルデータが、きっと真っ赤に染まっているに違いない。


これが、俺の日常。

いや、二重生活の始まりだった。


すべては、一年前に亡くなった姉・海堂院美咲の死の真相を突き止めるため。

ここ鳳翼女学院の生徒だった姉は、公式発表では「実験中の事故」で死んだことになっている。だが、姉が俺に遺した暗号化データは、その死が意図的な「口封じ」であったことを示唆していた。


データに隠された最後の鍵は、この女学院の最深部にあるサーバー「サンクチュアリ」の中。そして、そこへのアクセス権限を持つのは、選ばれた優秀な女子生徒だけ。


男である俺が、姉の無念を晴らすには、この方法しかなかった。

――女子生徒「海堂院律花かいどういんりつか」として、この女の園に潜入する。


「……準備はいいか、律己。起動シーケンスに移行する。タイマーは12時間。効果が切れる前に、必ず一人になれる場所でデバイスを解除しろ。再適用には30分のクールタイムが必要だ。いいね?」

「わかってる。……だが、その前に一つ」


俺は深呼吸し、意を決して深琴に向き直った。


「その“こんもり”、本当に消えるんだろうな?」

「……消える。再構築が完了すれば、モデルデータ通り、完全にフラットになる」


深琴はわずかに眉をひそめ、心底面倒くさそうに答えた。その僅かな感情の揺らぎに、俺は少しだけ安堵する。


「――よし。始めろ」


俺の言葉を合図に、深琴がコンソールを操作する。


「《アルテミス》起動。生体認証……クリア。身体再構築プロセス、開始」


瞬間、ショーツ型のデバイスが淡い光を放ち、ひんやりとした感覚が腰から全身へと広がっていく。

それはまるで、冷たい水に身体が溶けていくような、奇妙な浮遊感だった。


視界の端に、半透明のARウィンドウがポップアップする。

【骨格データ再形成……完了】

【筋繊維再配置……完了】

【体脂肪率調整……完了】

【声帯位相変異……完了】


自分の身体が、まるで粘土のように作り変えられていく。

身長が縮み、肩幅が狭まり、ごつごつしていた手足が、滑らかな曲線を描き始める。何より、股間にあったはずの違和感が、すぅっと消えていくのがわかる。


そして、脳に直接流れ込んでくる情報。

重心が低い。手足が軽い。肌が、空気に触れるだけで少しだけ過敏に反応する。

これは、擬似的に神経系にフィードバックされる「女性の身体感覚」。頭ではわかっていても、慣れることのない感覚のズレだ。


鏡はない。だが、見なくてもわかる。

今の俺は、もう「俺」ではない。


「――律花りつか


深琴が、静かにその名を呼ぶ。

俺がこれから名乗る、偽りの名前。

そして、その外見は――幼い頃、姉と一緒によく遊んでくれた、姉の親友・橘詩織さんのものだ。彼女もまた、姉と共にこの学園の闇に消えた。


「……うん。ありがとう、深琴ちゃん」


口から出たのは、俺自身の声変わり前の声によく似た、少し高めのソプラノだった。自然と背筋が伸び、内股気味になる。


これが、「海堂院律花」の完成だ。


「最終チェック。問題ない。これが君の学生証UIDと、女子寮のルームキーだ」


深琴から手渡されたカードには、見慣れない少女の顔写真と「海堂院律花」の名前が刻まれている。

ここ鳳翼女学院は、完全な女子校。生徒も教師も、用務員さえもすべて女性。男性の存在は一切許されない、閉ざされた楽園だ。

男の目がないからか、ここの生徒たちは驚くほど無防備だ。廊下で平気で着替えの話をしたり、友達同士で抱き合ったりするのは日常茶飯事。

そんな場所に、俺はこれから飛び込んでいく。


「それと、これを」

「これは……?」


深琴が差し出したのは、新品の制服だった。ブラウスに、チェック柄のスカート。


「君が男に戻る時、体格差で服が破れるリスクがある。効果が切れる前に、必ず肌着一枚になって解除すること。そして、これが“律花”の替えの制服だ」

「……助かる」


俺は、いや、「私」は、手早く制服に着替える。

ぶかぶかだったワイシャツが、今は胸のあたりで少し窮屈に感じる。スラックスの代わりに足を通したスカートは、ひらひらと心もとなく、太ももに当たる感触が落ち着かない。


「じゃあ、行ってくる」

「ああ。何かあれば秘匿回線で連絡を。それと――」


深琴はARグラスをくい、と押し上げた。


「次は、その“こんもり”で騒がないように。データのノイズになる」


その言葉に、私は頬が熱くなるのを感じながら、旧視聴覚室のドアを開けた。


夕暮れの光が差し込む廊下。響くのは、女子生徒たちの明るい笑い声。

これから12時間。私はここで、完璧な「女子高生」を演じなければならない。


スカートの裾をぎゅっと握りしめ、私は一歩、女の園へと足を踏み出した。


――偽りの少女は、今、起動した。

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