第四話:最初の値札
円卓に並べられた十二の自画像。その全てが、嘘と真実の絵の具で、歪に、しかし必死に描かれていた。ショーは終わり、いよいよ、最初の値札がつけられる時が来た。
『――審判を、始める』
蒐集家の、愉悦に濡れた声が響いた。 『最初の審判。議題は、「この中で、最も価値のない嘘つきは、誰か?」』
その言葉は、冷たい宣告だった。誰かを生贄に差し出せ、という命令だ。投票は、手元の端末から、匿名で行われる。与えられた時間は、わずか一分。ギャラリーの空気が、一瞬で変わった。それまでは互いを評価する「批評家」だった俺たちが、今度は、他人の運命を決定する「共犯者」になるのだ。
獅子堂の目が、鋭く光った。彼は、あからさまに、最初に告白したあの気の毒な若者――相田に、侮蔑の視線を投げかける。それは、無言の同調圧力だった。「我々の足を引っ張る、価値のない駒は、最初に排除すべきだ」と。彼の周りにいる、彼に媚びへつらう数人も、王の視線に倣って、相田を睨みつけた。 当の相田は、顔面蒼白で、まるで屠殺場の子羊のように、ただ小さく震えている。 鬼頭は、全てを諦めたように、目を閉じて腕を組んでいる。「勝手にしろ」という、自暴自棄の匂いがした。 神楽坂怜は、興味深そうに、この集団心理の動きを観察している。彼女の指先が、テーブルの上で、何か複雑な数式でも解くかのように、リズミカルに動いていた。
俺は、誰の顔も見ない。端末の冷たい画面だけを見つめていた。 「価値のない嘘」。それは、稚拙な嘘か。退屈な嘘か。あるいは、見え透いた嘘か。 俺は、迷いなく、相田の名前をタップした。これは、同情や非情ではない。ただの、最も合理的な判断だ。この場で、誰かを切り捨てねばならないのなら、最も反撃してくる可能性が低く、そして、誰もが納得するであろう生贄を選ぶ。それが、この手のゲームの鉄則だ。
一分後。投票は締め切られた。 正面のスクリーンに、円グラフが表示される。そして、一つの名前に、全体の票の八割以上を示す、巨大な扇形が突き刺さっていた。
【最も価値のない嘘つき:相田 ユウキ】
やはりな。 相田は、声にならない悲鳴を上げ、椅子から崩れ落ちた。
『決定だ。では、負債者へのペナルティを執行する』
蒐集家の声は、心底楽しそうだった。 『ペナルティは、「真実の暴露」。彼の稚拙な嘘の、その裏側にある、惨めな真実を、諸君にプレゼントしよう』
スクリーンに、相田の告白が映し出される。「プロのチェスプレイヤーで、日本選手権で優勝したことがある」。その「優勝」という文字に、赤いバツ印がつけられた。そして、その横に、冷たい明朝体で、真実が追記された。
【真実:高校時代の地区大会、一回戦で、わずか十分で屈辱的な敗北を喫した】
さらに、彼の嘘の動機までが、本人の思考を盗み読んだかのように、テキストで表示される。
【動機:生まれてから一度も、誰かに勝ったことがない。せめて、この人生の最後に、一度でいいから「勝者」になってみたかった】
それは、精神の公開処刑だった。 彼の矮小なプライド、惨めな過去、そして哀れな願望。その全てが、俺たちの目の前に、内臓を抉り出されたみたいに、無残に晒け出された。相田は、床に突っ伏したまま、子供のように嗚咽を漏らしている。 もう、誰も彼を笑う者はいなかった。ただ、明日は我が身だという、氷のような恐怖だけが、全員の背筋を這い上がっていた。
『さて、気を取り直して』と、蒐集家は言った。 『第二の審判だ。議題は、「この中で、最も価値のある嘘つきは、誰か?」』
場の空気が、再び変わる。今度は、恐怖ではなく、剥き出しの欲望。誰もが、自分が選ばれたいと、浅ましく願っている。
獅子堂の「分かりやすい英雄譚」。 神楽坂の「難解な天才譚」。 鬼頭の「不快だがリアルな絶望譚」。 そして俺の、黒崎譲の「共感を誘う弱者譚」。
誰の物語が、この歪んだ空間で、最も価値があると判断されるのか。
投票が、始まった。俺は、自分自身に一票を投じた。この投票で勝つ気はない。だが、自分の物語の価値を、自分でゼロにする気もなかった。俺の狙いは、目立たぬ中位。獅子堂という格好の「的」を、最初の王者に仕立て上げ、その影に隠れることだ。
結果は、スクリーンに映し出された。
【最も価値のある嘘つき:獅子堂 剛】
獅子堂は、鬼頭の物語と最後まで競り合ったが、僅差で勝利をもぎ取った。やはり、大衆は、不快な真実よりも、心地よい嘘を求めるものだ。彼は、勝ち誇ったように胸を張り、まるで戴冠式に臨む王のように、深くお辞儀をした。 俺の順位は、三位。計算通りだ。完璧なポジション。
俺は、満足げに息をついた。 だが、その時。スクリーンに表示された、俺自身の得票の内訳を見て、背筋が凍った。 俺の得票数は、「2」。 俺は自分に一票入れた。つまり、俺以外に、もう一人。 この俺の「弱者の物語」に、価値があると判断した人間が、この円卓にいる。
誰だ? 同情に流された、三上弥生か? いや、違う。彼女の視線は、もっと別のところを見ている。
まさか。 俺は、ゆっくりと、あの氷の女に視線を向けた。 神楽坂怜。 彼女は、俺のことなど見ていなかった。ただ、つまらなそうに、自分の指先を眺めているだけ。 だが、俺には分かった。彼女だけが、俺の物語の「構造」に気づき、その「計算された弱さ」という物語性に、価値を見出したのだ。
獅子堂という、御しやすい王が生まれた。 だが、それと同時に、俺の計算を唯一見破る可能性のある、最も厄介な敵が、俺の存在を認識してしまった。
蒔いた種が、予想外の芽を出し始めている。 それは、俺の計画を助ける果実になるのか。 それとも、全てを食い尽くす、毒の華になるのか。 答えは、まだ誰も知らない。