第二話:三つの告白
スポットライトという名の断頭台の上で、気の弱そうな若者は、まるで取り調べを受ける容疑者のように、脂汗を浮かべていた。ギャラリー中の視線が、無数の針となって彼に突き刺さる。そのプレッシャーに耐えかねたように、彼は上ずった声で、ほとんど悲鳴に近い自己紹介を始めた。
「ぼ、僕は相田……ユウキです。ええと、職業は、プロのチェスプレイヤーで……その、日本選手権で優勝したことがあります。休みの日は、近所の野良猫に、餌をあげたり……してます」
沈黙。 それは、同情や憐憫ではない。あまりに稚拙な「物語」に対する、冷え冷えとした侮蔑が凝固した、重たい沈黙だった。 嘘が、見え透いている。 プロのチェスプレイヤー、という設定はいい。だが、「日本選手権優勝」という、取ってつけたような栄光。あまりに安っぽい虚栄心の匂いがした。嘘をつくなら、もっと上手くつけ。物語を語るなら、もっと聞く者の心を揺さぶってみせろ。この場の誰もが、そう思っていた。彼の物語は、値札をつけるまでもなく、価値ゼロだった。
相田が、泣き出しそうな顔で席に着くと、スポットライトは、まるで出来の悪い役者には興味がないとでも言うように、すっと動き出した。そして次に捉えたのは、あの威圧的なスーツの男だった。 男は、待ってましたとばかりに、ゆっくりと立ち上がった。その所作には、先ほどの若者のような狼狽はない。むしろ、主役の登場を待ちわびていた大俳優のような、自信と風格さえ漂っている。
「私の名は、獅子堂剛」
声が、ギャラリーによく響いた。彼は、一人ひとりの顔を睥睨するように見回し、まるで演説をぶつように、自らの物語を語り始めた。
「かつて、私は小さなNPO法人を運営していた。だが、私の理念に多くの支援者が賛同してくださり、今では数千人規模の組織を率いるまでになった。私の人生の喜びは、ただ一つ」 そこで彼は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。 「人の、笑顔を見ることだ」
完璧な物語だった。 苦難からの成功、社会貢献、そして人間愛。ケチのつけようがない、美しい英雄譚。何人かの参加者が、彼の言葉に感銘を受けたように、小さく頷いている。 だが、俺の鼻は、その完璧すぎる物語の中に漂う、微かな不協和音を嗅ぎ取っていた。嘘の匂いだ。 彼の物語は、使い古された英雄譚のテンプレートに、細部まで磨きをかけて仕上げられている。だが、それ故に、生きた人間が持つ、矛盾や、淀みや、汚濁といった「手触り」が一切ない。嘘は、大筋の経歴ではないだろう。あそこまで堂々と語るからには、裏付けがあるはずだ。嘘は、もっと些細で、しかし彼の物語の根幹を成す部分に隠されている。 あの、取ってつけたような「善性」の部分に。
獅子堂が、万雷の拍手でも待つかのように、満足げに席に着く。 スポットライトは、再び、気まぐれな猫のように動き出した。獅子堂の放つ強烈な光とは正反対の、最も暗く、静かな場所へ。 白いワンピースの女。彼女が、光の円の中に捉えられた。
彼女は、立ち上がらない。ソファに座ったまま、俯き、きつく握りしめた両手を、自分の膝の上でさらに強く握り込んだ。スポットライトの光が、彼女の震える指先を、残酷なほど白く照らし出している。 やがて、消え入りそうな、しかし澄んだ声が、ギャラリーに響いた。
「……三上、弥生と、いいます」
「看護師を、しています。人の役に……立てるのが好きで、この仕事を選びました」
言葉の一つ一つを、まるで割れ物を扱うように、そっと、そっと紡いでいく。
「今は……とても、怖いです」
それだけだった。 三つの、あまりに飾り気のない告白。 獅子堂の物語が、油彩で描かれた重厚な肖像画だとすれば、彼女のそれは、数本の線だけで描かれた、淡いスケッチのようだった。 だが、厄介だった。 この告白は、物語ですらない。ただの事実の羅列に聞こえる。しかし、このゲームで「事実だけを語る」ことはルールで禁じられている。つまり、彼女の三つの告白のうち、どれか一つは、必ず嘘なのだ。 看護師ではないのか? 人の役に立つのが、本当は嫌いなのか? あるいは――。 「怖い」というのが、嘘なのか?
俺は、彼女から目を離せなかった。 この女は、嘘を“事実”という名の透明なベールで隠す天才か。あるいは、自分自身ですら、どこからが嘘でどこまでが真実なのか、その境界線が分からなくなっているのか。 もし後者だとしたら、それは、この歪んだ品評会において、最も手強い「物語」になるかもしれない。
ギャラリーの空気が、変わった。 獅子堂がもたらした熱狂は冷め、三上弥生の告白が残した、静かで、底なしの不気味さが、じわりと全員の足元から這い上がってきていた。
スポットライトが、三度、動き出す。 次に選ばれるのは、誰の、どんな物語か。
光の円は、ゆっくりと、しかし確実に、俺の隣へと向かってきた。 そして、止まった。 光の中に捉えられたのは、あの冷たい目のメガネの女。彼女は、それまでの誰とも違う、全く温度のない、ガラス玉のような瞳で、こちらを見つめていた。 彼女は、これからどんな自画像を描くのだろう。 その唇が、わずかに、開いた。




