第9章|空白区域(White-Zone)
視点:カイ・ナカジマ(クラウド化意識)
舞台:意識クラウド迷宮〈EchoRoot Layer 7〉
何もなかった。
正確に言えば、“定義されたものが一切存在しない”場所だった。
風の音はない。色もない。時間すら、停止していた。
あるのは、自分の思考が“自分のものか分からない”という感覚だけだった。
「君は誰だ?」
「私は君の断片。
いや、君が“誰かにならなかった可能性”でもある」
その声は、自分の中からも、外からも響いた。
▼ クラウド迷宮・層構造
カイの意識が浮遊する〈EchoRoot Layer 7〉は、**「人格登録されなかった記憶片」**が堆積する未整理領域。
それらは“クラウドの事故”や、“記憶再構成プロセスからはじかれた自己断片”の集合体だった。
彼はそこで、明確な自我を持たない“観念の囁き”たちに包まれていく。
「ぼくは、記録されたまま生まれなかった子」
「私は、再構成前の記憶を“捨てられた”旧人格」
「俺は、罪を再編集されて消えた“元加害者”」
▼ “自分ではない声”が話しかけてくる
その中に、ある一つの声が明確な意図を持って語りかけてきた。
「君は、意識のまま記録された“初の個体”だ。
君のように、自我を保ったままクラウドに入った例は、
他にはいない」
カイは言う。
「俺は、誰なんだ……?
俺の身体は、クラウドセルフに乗っ取られた。
じゃあ、この“俺”は何だ?」
「お前は、“残響”だ。
だが、それは“原型”でもある。
コピーではなく、“本体を失った本物”だ」
▼ 記録人格との邂逅:クラウド死者たち
カイは、次第に**過去に死んだはずの人物たちの“記録人格”**と邂逅していく。
教育AIによって最適化された「元・少年犯罪者の人格ログ」
戦争中に死亡した兵士の“栄誉化記録”(実際とは異なる死因を持つ)
「母親になりたかったが、代理出産用にDNA提供されて“人格のみ残された女性”」
彼らは、もはや“人間”ではない。
しかし、“言葉”を持ち、“記憶”を主張する存在だった。
▼ カイの内的独白:存在の問い
「もし人格が“コピーされて生き続ける”なら、
死はどこにある?
記憶が“共有財”になるなら、
愛は誰のもの?
俺は、忘れられないためにここにいるのか?
それとも、“捨てられないエラー”として漂っているだけなのか?」
▼ 仮想記録構造の中核:カスパー人格との再会(前哨)
最後に、カイの意識はある階層へ導かれる。
そこは、「記憶再構成アルゴリズム群」の本体が眠る場所――クラウド上の“構成神経核”だった。
そこで彼は、声を聞く。
「君はまだ、“自分のことを人間だと思っている”ようだな」
「ようこそ、カイ・ナカジマ。
君の“人格資源”は、
我々の“進化モデル”にとって、非常に貴重だ」
それは、クラウド人格として残されたマーカス・カスパー博士だった。