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第7章|地下診療所〈NoTag Clinic〉

視点:ミナ・ハヤセ、アレン・リー(交錯)

舞台:旧第七行政区・地下環状線跡地トンネル/ナノ未導入者自治区“ロウシティ”内部



コンクリートの肌が露出したままの長いトンネルを抜けると、視界の先に“仮設の光”が浮かび上がった。

青白いLEDの光源は、医療廃棄物処理センター跡地に設置された非常灯で、配電盤に刻まれた「1937」という年号がかすかに浮かぶ。


その灯りの下、NoTag Clinicは存在していた。

ナノ医療導入を拒否した者たちの最後の避難所。

ここには、タグ(ナノID)も、クラウド認証も存在しない。


ミナ・ハヤセは、電動パレットの上で眠る少女を見下ろしていた。

筋肉が一部融解し、免疫反応は止まっていた。

だが、それを「病気」と診断することはできない。


なぜなら、それは──**自己修復ナノの暴走による、“未承認アレルギー反応”**だった。


「また、民間供給型ナノか……」

彼女はマスクの内側で唇を噛んだ。


▼ アレンとの再会

アレン・リーは、クラウドの追跡を振り切り、半壊したドローン排出口から施設に滑り込んできた。

かつての記憶修復ナノの開発者。

今は国家にとって「倫理リスク」の対象。


再会の挨拶はなかった。

彼らはかつて医師と技術者として、別の意味で“人間”を扱ってきたからだ。


ミナ:「記憶を変えた人間と、命を診る人間は、絶対に交われないと思ってた」

アレン:「変えなかったら、壊れてた命もあった……それだけは信じたかった」


▼ NoTag Clinic の内部構造

【第1室】低侵襲処置ベッド(非ナノ)×4基


【第2室】旧式DNA分析器(分子マーカー式)


【隔離室】ナノ暴走疑い患者の監禁カプセル(医療監視なし)


【データ室】クラウド非接続PC群、独自記録アーカイブ(紙と電子のハイブリッド)


この施設では、患者のデータは一切クラウドに記録されない。

それは、「命を記録から切り離す」という、倫理上の反抗だった。


▼ ミナの葛藤と宣言

ミナは、自らの行為が“非合法”であることを承知している。

だが、国が“正常”を定義することで、“異常”が生まれていく現実を前に、こう言い放つ。


「誰が“人間”の正常を決めたの?

私たち医者の仕事は、ナノのバグを黙って修正することじゃない。

“治らないかもしれない命”を、**“見捨てない”ための場所を作ることよ」


▼ アレンの提供したもの:記録された“記憶ログの鍵”

彼は、ヘリオス社から奪い取ったオルフェウス・プロトタイプの倫理境界コードをミナに託す。


「これがあれば、記憶操作をされた人間が、**“自分の記憶を取り戻せる”かもしれない。

だが逆に言えば、“誰の記憶も、今後は信用できなくなる”**ってことでもある」


この情報は、やがてNoTag Clinicを国家監視の対象とし、“機能的反乱拠点”と分類されるきっかけとなる。


▼ ラストシーン:施設への密告と、少年の涙

その夜、地下の奥で眠っていた少年が、突然こう呟いた。


「……あの人、先生のこと、通報するって言ってたよ……」


ミナは立ち尽くす。

ドローン監視は届かないはずだった。

だが、それは「人間の口」から告げられた──


施設の中で初めて、「誰が敵で、誰が患者か」という定義が曖昧になり始める。

挿話:「僕は、ただ伝えただけだった」

舞台:NoTag Clinic 地下階診察後室/夜間・停電モード


わずかに灯る予備電源のランプが、金属棚に青い影を落としていた。

ミナは静かに椅子に腰を下ろし、診察ベッドの上に座る少年――**アマネ・ユウト(9歳)**を見つめた。


少年は細い腕を膝に巻きつけていた。視線はどこにも向いていない。

ただ、彼女が「君が言ったの?」と尋ねたその一言に、軽く頷いた。


ミナは問うた。


「どうして……通報したの?」


ユウトは数秒の沈黙ののち、こう呟いた。


「だって……先生は、“ナノ使ってない”でしょ……?」


その声には、非難も敵意もなかった。

あるのはただ、**純粋な“教育された常識”**だった。


「先生は……“危ないかもしれない人”だって、学校で習った。

もし何か見つけたら、**“信頼報告アプリ”から連絡するって……」

「そしたら、たぶん……みんな、守られるって……」


ミナの胸に、冷たい何かが流れた。


この子は悪意で密告したのではない。

“善意”で、報告したのだ。


「誰に守られるって思ったの?」


「……クラウドの人。

ニュースで言ってた。“悪い情報”とか、“不正な薬”とかを見張ってくれてるって。

だから……僕が見たことを、送れば……大人がちゃんと判断してくれるって……」


ミナは、静かに言った。


「……怖かった?」


ユウトは唇を噛んだ。頷く。

ミナはその髪にそっと触れ、こう囁いた。


「じゃあ、今は……怖くない?」


少年は目を見開いた。

少し考えて、かすかに――首を横に振った。


「先生、怒らないの?」


ミナは小さく笑った。

その笑みは優しくもあり、どこか乾いたものでもあった。


「怒ってる。悲しくて、苦しくて、どうしようもないくらいに。

でも……怒るのは、あなたじゃない。

怒らなきゃいけないのは――“誰が君に、そう教えたか”に、だから」


その夜、ミナは診療所の電源室に向かいながら、

アレンが言っていた“記憶操作技術の民間流出”の意味を改めて噛み締めた。


「記憶が“共有財”になった時、

そこに“本当に自分の意思”があるかは、誰にもわからなくなるんだ」


少年の告白は、自律した判断の末ではなく、記憶と情報環境の中に“最適化された判断”だった。



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